第五十八話『鉄の供物とブラックボックス』
灰色谷に、重苦しい音が響いている。
「オオオォォ……!」
数十人の奴隷たちが、泥まみれになりながら巨大な十字の棒を押し、人力で工場を動かしている音だ。かつて水車が生み出していた無限の動力は失われ、見るも無惨な「非効率」がそこにあった。
その様を、監視者グレイが冷ややかに見下ろしていた。
「……哀れなものだな、1138番」
グレイは、傍らのゼニスに告げる。
「水車を失い、生産性は地に落ちた。もはや、この谷に『食料』を浪費させる価値はない」
「……復旧には、時間がかかります」
「時間は無い」
グレイの声に、軍人としての冷徹な響きが混じる。
「ガリア帝国との戦線が崩壊しつつある。公は『数』を求めている。……これ以上、生産が戻らぬなら、お前たち奴隷を『兵士』として徴用し、最前線へ送る」
マルコたちが、その言葉を聞いて凍りつく。
最前線。それは、武器も持たずに突撃させられる、死刑宣告と同義だ。
だが、ゼニスは動じなかった。彼は、グレイの目を真っ直ぐに見返す。
「お待ちください、グレイ殿。……我々は『戦う』ことはできません。ですが、『誰でも戦えるようにする』ことはできます」
「何?」
「肉壁など不要です。我々が提供するのは、死なない兵士……消耗しても即座に蘇る、『不死の軍団』です」
「……口先だけなら何とでも言える」
「証拠をお見せしましょう。……こちらへ」
ゼニスはグレイを、工場の最奥、厳重に閉ざされた「鉄扉」の前へと案内した。そこは、地下動力の排熱と動力が集中する、秘密の区画だ。
「開けます。……鼻と口を覆ってください」
ゼニスが重い扉を、少しだけ開ける。
――ブシュゥゥゥッ!!
猛烈な蒸気と共に、鼻を突く「刺激臭」と、焼けつくような「熱気」が噴き出した。グレイが咳き込み、後ずさる。
「ごほっ……!な、なんだこの空気は!?」
隙間から見えたのは、地獄のような光景だった。充満する黄色い蒸気の中、ロイドたちが顔に「濡れ手拭い」を巻き、涙を流しながら、煮えたぎる大鍋をかき混ぜている。
「……『紙』を、『硝酸』と『硫酸』で煮込んでいます」
ゼニスは、淡々と説明する。
「次にお見せする『新兵器』には、この地獄でしか作れない……『爆発する紙』が不可欠なのです。中に入れば、肺が焼けます。……ご覧になりますか?」
グレイは、ハンカチで口を覆い、忌々しげに手を振った。
「……閉めろ!狂気の沙汰だ!」
扉が閉ざされる。グレイの脳裏に、「危険な化学処理室」という強烈な認識が刻み込まれた。
地下の「心臓」へと続く道に、以降、彼が足を踏み入れることはなくなった。
・
・
・
場所を移し、射撃場へ。
そこで、グレイが連れてきた「親衛隊の熟練兵」と、ゼニスたちが対峙していた。
ゼニスは、グレイに尋ねる。
「グレイ殿。あなたの護衛が持っているその銃……素晴らしい『一品』ですね」
グレイは、部下の銃を誇らしげに見やる。
「当然だ。王都の銃工ギルドの親方が、半年かけて鍛え上げた特注品だ。装飾も見事だろう?」
熟練兵が構えるマスケット銃は、銃床に彫刻が施され、金属部分は美しく磨き上げられている。それはまさしく「職人芸」の結晶だった。
対して、ゼニスは足元の木箱を無造作に蹴った。中には、油紙に包まれた「10丁のマスケット銃」が、無骨に並んでいる。装飾など一切ない。ただの黒い鉄と木の塊だ。
「……なんだ、その『棒切れ』は。そんな醜い筒で、戦うつもりか?」
グレイが嘲笑する。ゼニスは静かに答えた。
「ええ。……実験をご覧に入れます」
ゼニスは宣言する。
「『職人の傑作』と、『工場の製品』。……どちらが戦争に勝つか、勝負しましょう」
・
・
・
「構え!」
号令と共に、グレイの護衛が、慣れた手つきで装填を始める。火薬を角笛から注ぎ、弾を込め、布を詰め、棒で押し込む……。その所作は美しいが、工程が多すぎる。完了まで、約40秒。
対するは、銃など触ったこともない素人、ギデオンだ。彼はゼニスの「醜い銃」を持ち、震える手で「蝋引きされた紙の包み」を取り出した。
「……食いちぎって、入れるだけだ」
ゼニスの指示通り、ギデオンは紙の端を噛み破り、そのまま火薬と弾丸ごと、銃口に放り込んだ。棒で突く。完了。わずか15秒。
ドォン!!
ギデオンの銃が火を噴き、的を砕く。熟練兵は、その爆音に驚き、まだ火薬を詰める手を止めた。
「……なっ!?」「……速い。だが、その『紙』は何だ?普通の紙なら燃え残って、次弾が詰まるはずだ」
グレイの問いに、ゼニスは紙薬莢に使われている紙を一枚、取り出した。そして、松明の火にかざす。
――シュッ!
音もなく、煙もなく。紙は一瞬で閃光となり、「灰すら残さず」消滅した。
「……先ほど、ご覧に入れた『毒ガス』の中で生まれ変わらせた紙です。完全に燃え尽きるが故に、掃除も不要。……素人が、熟練兵の3倍の速度で連射可能になります」
グレイが息を呑む。
「……あの『地獄』の産物か……!」
「……では、仕上げです」
ゼニスは、自分の木箱から出した「10丁の銃」をすべて分解し、部品をごちゃ混ぜの山にした。銃身、引き金、撃鉄、ネジ……。鉄の部品が山積みになる。
そして、グレイに向き直る。
「グレイ殿。あなたのその『名銃』が壊れたら、どうしますか?」
「……?銃工に送って修理させる。部品を削り直して合わせる必要があるからな。戻ってくるのは一ヶ月後か」
「そう。『職人の銃』は、その銃のためだけに部品が作られている。一つ壊れれば、修理に数日かかり、その間、兵士は無力になる」
ゼニスは、山から適当に部品を拾い上げ、目にも止まらぬ速さでカチャカチャと「1丁」を組み上げた。どの銃の部品かなんて関係ない。全てが同じ形だからだ。
「ですが、私の銃は『規格』で作られている」
ガチャン!装填。ドォン!!即座に発砲。不具合など微塵もない。
「……壊れた銃の部品を食わせれば、戦場ですぐに蘇る。誰でも撃てて、即座に直る。……これが、『不死の軍団』の正体です」
グレイは、震える手でその銃を手に取った。美しい装飾などない。無骨で、冷たい、殺戮の工業製品。だが、その「恐ろしさ」は、職人の名銃を遥かに凌駕していた。
「……職人の『腕』ではなく、『形』を支配したのか……!?」
武人である彼だからこそ、この「個性の排除」がもたらす「兵站革命」に、戦慄した。
「……これを、何丁作れる?」
「あの『毒ガス』の中で、命を削れば……月産100丁」
グレイは決断した。この武器があれば、崩壊しかけた戦線を支えられる。いや、押し返せる。
だが、ゼニスは釘を刺した。
「ただしグレイ殿。王都への報告書には、『農具の修理工場』として記載してください」
「……なぜだ?公の武功になる」
「宰相は、アークライト公の戦果を面白く思っていない。この『新兵器』を知れば、必ず『王軍』の名目で没収し、自分の手柄にするでしょう」
ゼニスは、グレイの忠誠心を刺激する。
「……これは、アークライト軍だけの『切り札』にすべきです」
グレイは沈黙し、そして頷いた。彼の忠誠は「国」ではなく、「主君」にある。
「……いいだろう。報告書は私が書き換える。……死ぬ気で量産しろ。資材は、私が保証する」
グレイが去り、部屋にはゼニスとギデオンが残された。
「やったな、ゼニス。これで武器、弾薬、食料……軍の『心臓』を握った」
ギデオンが、興奮で声を震わせる。
「銃本体はくれてやればいい。だが、『弾』と『交換部品』は、あの地下工場でしか作れない。……アークライト軍は、もう我々なしでは戦えない」
そこへ、サイラスが帰還する。
彼が運んできたのは、リリアナからの「コードブック(の追加ページ)」だ。
グレイの検閲(農具のカタログだと思っている)をパスした後、ゼニスたちはページを開く。そこには、『鉄(武器)』の大量発注コードが記されていた。そして、ページの隅に記された、最高警戒レベルのコード。
『冬将軍(=ガリア帝国、大規模侵攻)』
ゼニスは、北の空を見据えた。その瞳には、冷たい決意が宿っている。
「……間に合ったな。アークライトを守るためにも……そして、彼を『飼い慣らす』ためにも。この武器で、戦争の主導権を握るぞ」




