第五十四話『帳簿という名のラブレター』
ゼニスは、監視者グレイに対し、次なる手を提示した。
「グレイ殿。領内の連携は『狼煙』で行う。だが、王都のリリアナ様との接続には、別の手段が必要だ」
「……狼煙は届かんぞ。それに王都は封鎖されている」
グレイが氷のような目で返す。ゼニスは、卓上の地図――灰色谷と王都を結ぶ街道――を指した。
「『物流』を送る」
「……正気か?経済封鎖だぞ。蟻の這い出る隙間もない」
「いや、隙間はある。『人間の欲望』だ」
ゼニスは、冷静に分析結果を述べた。
「オルティスの封鎖線は、『入れるな』という命令には厳しい。だが、『出すな』という命令には、現場の兵士ほど甘くなる。なぜなら、彼らも飢えているからだ」
「……買収か」
「取引だ。こちらは『腐らない肉』と『極上の酒』を持っている。検問の兵士に『通行料』として現物を渡せば、荷馬車一台くらいは通る」
グレイは少し考え、頷いた。
「……悪くない。アークライト領の『外貨獲得』にもなる。許可しよう。ただし」
グレイの目が鋭くなる。
「荷物と書類は、すべて私が検閲する。変な小細工はするなよ?」
「構わない。すべて見せよう」
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灰色谷・執務室。
ゼニスは、サイラスを呼び出した。
サイラスは現在、灰色谷の片隅で怯えて暮らしていた。リーナがチームに加わったことで借金は残り金貨20枚となったが、王都への商売も封鎖で絶たれたことで返済目処が立たず、完全に「詰んで」いたからだ。
ゼニスは、卓上に「保存食の樽」と「酒」を積み上げた。
「サイラス。これを王都へ運べ」
「……ひっ!?正気ですか!?今は『経済封鎖』ですよ!?」
サイラスが裏返った声で叫ぶ。
「検問で見つかれば、物資没収だけじゃ済まない!下手すりゃ『反逆罪』で首が飛びます!
借金は返したいが、死んだら元も子もない!」
「……そうか。残念だ」
ゼニスは、冷徹に告げた。
「この『独占権』を、他の商人に譲るしかないな」
「……え?」
ゼニスは、あえてゆっくりと、サイラスの商魂を刺激する言葉を並べた。
「いいか、サイラス。『封鎖』とは何か?
それは、ライバルが全員『退場』したということだ。
今、王都に流入する物資が激減している。価格は高騰し、貴族も庶民も『物』に飢えている。
……そんな状況で、もし『たった一人』だけが、商品を供給できたなら?」
サイラスの目が、ゴクリと喉を鳴らす音と共に、欲望に濁り始めた。
「……そ、それは……言い値で、売れる……」
「そうだ。リスクはある。だが、成功すればお前は『王都で唯一の供給者』になれる。
この灰色谷の生産物を、独占的に扱える『専属商人』の地位。
そして、今回の輸送が成功した時点で、お前の借金(金貨20枚)はすべて帳消しにする」
ゼニスは、サイラスの目の前に「許可証(グレイの検閲済み)」を叩きつけた。
「検問は、この『賄賂(現物)』で通れる計算だ。
……選べ。ここで座して死ぬか。それとも、命を懸けて『巨万の富』を掴むか」
サイラスの顔色が、恐怖から、狂気じみた野心へと変わっていく。
彼は震える手で、許可証を掴み取った。
「……や、やります。
ハイエナは……腐肉があってこその、ハイエナですからな……!」
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荷馬車には、樽に詰められた「保存食」と「酒」が満載されている。
御者台には、恐怖と期待に震える商人、サイラスが座っていた。
出発の直前。
ギデオンが、ゼニスを倉庫の陰に引っ張り込んだ。
「おい、ゼニス。……いいのか?」
「何がだ」
「『全部見せる』って言ったな。グレイに」
ギデオンは、焦ったように囁く。
「お前の目的は、アークライトを出し抜いて『主導権』を握ることだろ?
だったら、なんで『裏ルート』を使わない?
グレイに隠れてこっそり手紙を送れば、アークライトに知られずにリリアナと軍事的な密約だって結べるはずだ。
堂々と検閲なんかさせたら、ただの『忠実な部下』で終わっちまうぞ!」
ゼニスは、静かに答えた。
「……逆だ、ギデオン」
「あ?」
「もし俺たちが、グレイに隠れてコソコソ動けば、それは『裏切り』とみなされる。見つかった瞬間、俺たちは粛清だ」
ゼニスは、遠くで荷物をチェックしているグレイを一瞥した。
「だが、堂々と『商売』として報告すれば、それは『成果』になる。アークライトは俺たちを生かす」
「……だが、それじゃあ主導権は握れない!」
「そこで、『帳簿』だ」
ゼニスは、ギデオンの胸元を指差した。
「俺たちは、グレイが見ても『ただの商売』にしか見えない数字の中に、『俺たちとリリアナにしか読めない意味』を込める」
「……!」
「アークライトは『支配した』と思って安心する。だが、実際に情報の中枢を握っているのは俺たちだ。
……『信頼』させて、懐に入り込み、内側から首輪を握る。それが『ロックイン』だ」
ギデオンは、戦慄した。
この男は、監視者すらも「配送システムの一部」として利用しようとしている。
「……わかった。サイラスに持たせる『納品書』は、俺が書く」
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アークライト領と王都を隔てる、国境検問所。
サイラスの荷馬車が、バリケードの前で止められた。
槍を持った兵士たちが、殺気立って取り囲む。彼らの目は血走り、頬はこけている。王都を封鎖する彼ら自身もまた、補給不足で飢えているのだ。
「止まれ!貴様、どこから来た!」
「へ、へへ……。しがない行商人でさぁ……」
サイラスは御者台から転がり落ちるように降り、揉み手をしながら近づく。
「荷台を改める!……何だこれは。樽ばかりだな」
隊長らしき男が、剣先で樽を小突く。
「これは……『アークライト公爵領』からの荷だな?
貴様、知らんのか。公爵領からの物資は『敵性物資』として、すべて没収、運搬者は拘束することになっている!」
「ひぃッ!?」
サイラスが悲鳴を上げる。
剣が突きつけられる。絶体絶命。
だが、その切っ先が鼻先で止まった時、サイラスの脳裏にゼニスの言葉が蘇る。
『封鎖線には隙間がある。現場の兵士ほど、飢えているからだ』
サイラスは、震える手で懐から「書類」を取り出した。
だがそれは、グレイが判を押した「許可証」ではない。
ギデオンが偽造した、「王都の大商人(架空)宛ての、緊急納品書」だ。
「お、お待ちくだせぇ!こいつはただの荷じゃありやせん!
王都の……そう、『上の方々』が待ちわびている、『特級品』でして……」
サイラスは、兵士たちの「飢え」を刺激するように、わざと声をひそめた。
「もしここで没収となっては、隊長さんが『上』からお叱りを受けるやもしれやせん。
……なんせ、中身は『腐らない肉』と、『火のつく酒』ですからねぇ」
「……なに?」
「酒」と「肉」。その単語に、兵士たちの喉がゴクリと鳴る。
サイラスは、その一瞬の隙を見逃さなかった。
彼は素早く荷台に上がり、一つの樽の蓋を、少しだけずらした。
――むっとするような、濃厚なアルコールの揮発臭と、燻製肉の香ばしい匂い。
「っ……!」
兵士たちの理性が揺らぐ。
サイラスは、樽から「小瓶」と「肉の塊」を一つずつ取り出し、隊長の懐に、まるで手品のように滑り込ませた。
「……検分、ご苦労様でやす。
これは『サンプル』です。毒が入ってねぇか、隊長さんに『味見』していただかねぇと」
隊長は、懐の重みと温かさを感じ、周囲を見回した。部下たちも、期待の目で彼を見ている。
彼は「納品書」をひったくると、わざとらしい大声で言った。
「……ふん!書類に不備はないな!
王都の重要物資だ。速やかに通過させろ!」
「へへ……ありがとうございます……」
「待て」
隊長が、サイラスの耳元で囁く。
「……帰りは、もっと持ってこい。
『通行料』は、その都度払うのがルールだ。わかるな?」
「……合点承知で」
バリケードが開く。
サイラスは荷馬車を走らせながら、冷や汗を拭った。
そして、御者台でニヤリと笑う。
(……ちょろいもんだ。「正義」なんざ、腹が減りゃあ「肉切れ一つ」でひっくり返る。
……ゼニス様の言う通りだ。ここは「商売」ができる!)
「ハイエナ」は、死地を潜り抜け、王都の闇へと消えていった。
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数日後。サイラスは賄賂と現物を使って検問を突破し、王都の裏口にたどり着いた。
そして、その「納品書」と「見本」が、最奥の部屋にいるリリアナの元へ届く。
リリアナは、卓上に置かれた「腐らない肉」と「一枚の紙」を見つめた。
【納品書】
品名:保存食
数量:100樽
価格:『ツケ(信用払い)』
リリアナは、くすりと笑った。
「……無粋な男ね。ラブレターが『請求書』だなんて」
だが、彼女の目は笑っていない。情報のプロとして、その裏にあるメッセージを読み解いていた。
1.現物:「封鎖下で、これだけの余剰物資を作れる」=「領内の飢餓と経済を完全に掌握した」。
2.価格:「金はいらない。対価は『お前の持っている情報とコネクション』で払え」という対等な要求。
「……いいわ。合格よ、ゼニス様」
彼女は立ち上がり、本棚から一冊の分厚い本を抜き出した。
古びた『商用コードブック(商品取引コード一覧)』だ。
彼女は、香水を指に取り、その本の「数ページ」に、そっと触れた。
「代金代わりに、これを渡しなさい。『もっと勉強して、気の利いた口説き文句(注文)を書きなさい』と伝えて」
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灰色谷・CEOルーム。
サイラスが帰還した。
グレイが、持ち帰った「本」を真っ先に検閲する。
「……『東方交易コード集』か。ただの古い単語帳だな。中身に手紙等は挟まっていない。国境で検閲があるから当然だが」
グレイはパラパラとめくり、問題なしと判断してゼニスに投げ渡した。
「……『もっと商売を勉強しろ』との伝言だ。姫君の気まぐれだな」
ゼニスとギデオンは、その本を受け取る。
パラパラとめくり、ギデオンが鼻をひくつかせた。
「……おい、ゼニス。匂うぞ」
「ああ」
古い紙の匂いに混じって、微かに――だが確実に、「スリーピング・シン」の背徳的な香りが漂ってくる。
香りのするページを開く。
そこは「穀物」と「貴金属」の取引コードが羅列されたページだった。
ギデオンが、目を凝らす。
「……見ろ。『小麦』の項目の横に、インクの染みがある。『鉄』には爪の跡だ」
ゼニスは頷き、冷静に分析する。
「『小麦』は食料。『鉄』は武器。……そして『綿花』には二重線か」
ゼニスは、グレイに向き直り、涼しい顔で報告した。
「グレイ殿。どうやらこれは、ただの辞書ではないようです」
「何?」
「リリアナ様なりの『市況レポート』です。『小麦』と『鉄』に印がある。つまり、今の王都ではこれらが高騰している。逆に『綿花(贅沢品)』は値崩れしているから送るな、という助言でしょう」
グレイは眉を上げ、覗き込んだ。
「……なるほど。言葉ではなく『印』で商売を教えるとは、いかにもあの女狐らしい。
王都の欠乏状況が手に取るようにわかるな。有益な情報だ。……よし、通信は機能している。枷2は達成でいいだろう」
グレイは満足して記録をつけに戻った。
だが、その背中を見ながら、ギデオンが震える声で囁く。
「……おい、ゼニス。違うぞ」
「何がだ」
「俺はこのコードブックを知っている。『綿花』のコード番号は『404』だが、その横に書かれた数字が書き換えられている。『500』だ」
ギデオンは、商人の直感で看破した。
「これは『価格』じゃない。『兵力』だ。
『綿花』は兵士。『鉄』は武器。『小麦』は資金。
……リリアナは俺たちに『辞書』をくれたんじゃない。『暗号表』をくれたんだ」
ゼニスは、口元だけで笑った。
「……ああ。これで、グレイの目の前でも『密談』ができる」
表向きは「商売の報告」。
裏では「軍事情報の共有」。
この瞬間、最強の「二枚舌システム」が完成した。




