第五十三話『支配と取引』
ゼニスの執務室に影が落ちる。
第三の枷の執行者――監視者・グレイだ。
彼はアークライトの支配を体現する、氷の目を持つ男。
「…奴隷1138番。…食料の計画を聞こう」
ゼニスは、プランを開示する。
「…第一部隊は、ギデオン、ボルカス、カエル。…第二部隊は、リーナ、ロイド、エララ」
「…第二部隊は、灰色谷で、腐敗を受け入れる、『加工ライン』を構築する」
「…第一部隊は、現場へ…武器は二つだ」
ゼニスは、机の上に、ライ麦の袋と、アルコールの小瓶を置く。
「…プランA、ライ麦で買い叩く。プランB、アルコールで買い叩く」
「…俺は現場に同行する。あんたも好きにするがいい」
グレイは、その二段構えのプランを記録し終えると、無言で立ちあがった。
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アークライト領・シルヴァーナ。
第一部隊は、領内最大の市場に到着した。
荷車には、取引用のライ麦とアルコールの樽を満載している。
現場は阿鼻叫喚の騒ぎだった。
腐敗と恐慌の混乱で、地獄の様相を呈している。
そんな中、ギデオンが群衆の前に立ち、印章指輪を見せながら叫んだ。
「…聞け!俺たちはアークライト公の代理だ!灰色谷が交換する!」
「…お前たちの、腐りかけの食料を、ライ麦で買ってやる!」
だが、プランは即、頓挫した。
「……ライ麦だと!?食料と交換するフリをして…タダ同然で奪う気か!アークライトの犬め!」
「…経済封鎖されたんだ!アークライトに奪われるくらいなら、ここで抵抗して死んでやる!」
興奮した農民たちは武器を構える。
それを見て、カエルも棍棒に手をかけた。
ゼニスが沈黙する中、グレイが初めて前に出た。
「…奴隷1138番。…お前のプランは失敗だな」
「システムは終わりだ…奴らには、恐怖しか効かん」
そう言うと、アークライトの印章指輪を、ギデオンから奪い取った。
「…公の代理として執行する。…親衛隊、前へ!」
「…三人、吊るせ。…交換などせずとも、残りは喜んで差し出す」
これこそが、アークライトが許可した、支配の正体だった。
親衛隊が剣を抜き、農民が死を覚悟した、その瞬間。
「待て」
ゼニスがグレイの前に丸腰で立つ。
「…どけ、奴隷。公の支配を邪魔する気か」
「……グレイ。あんたのやり方は、非合理的だ」
「…なんだと?」
「…三人吊るす。…恐怖で食料は集まるだろう」
「それの何が悪い」
「…食料を集めるのは、アークライト領の食料システムのためだ」
「…だが、彼らは二度と俺たちとの取引には応じないだろう」
「…恐怖で集めた腐りかけの食料は、明日には完全なゴミだ」
「あんたは、ゴミを集めるために、明日の資源を殺す気か?」
グレイが言葉に詰まる。
合理性という新たな価値観に、一瞬怯む。
ゼニスはグレイを無視し、農民たちに向き直る。
「…聞け!恐慌でカネは死んだ!」
「…経済封鎖で、お前たちの食料は腐りゆくゴミになった!」
「…突如振りかかった理不尽に、何も信じられないだろう!」
「…分かる。…俺も奴隷だからだ」
ゼニスはボルカスに合図をする。
後方に控えていた第二の荷車が、グレイと農民たちの間に割って入る。
荷車には、ロイドが準備した携帯コンロと、リーナが準備したアルコールの樽が積まれていた。
ボルカスがコンロに火をつけ、ギデオンが樽を開ける。
「…お前たちの、腐りかけの食料をくれ。交換しよう」
「…ライ麦でなくていい。薪も油も手に入らないだろう?代わりになる」
ゼニスは、農民が持っていた腐りかけの肉を一つ受け取り、保存液に浸し、コンロで炙る。
腐敗の匂いが、食の匂いに上書きされた。
「…そして、腐敗を殺す力だ」
ゼニスは、グレイを見る。
「…あんたの支配は人を殺せる」
「…だが、俺のシステムは腐敗を殺せる」
「…領地を救うのは、どっちだ?」
グレイは、印章指輪を握りしめたまま、
青い炎と新たな価値を前に狂喜する農民たちを見て、立ち尽くすしかなかった。
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その夜。代理看守長室(CEOルーム)。
腐敗戦争は勝利した。
農民たちは、腐りゆく食料を差し出し、燃料と保存料を手に入れた。
ギデオンとボルカスは、ライ麦の
マルコが、その新たな物流ルートの確立に興奮している。
ゼニスの隣にはグレイが黙して座っている。
彼はアークライトへの報告書を書き終えていた。
ゼニスが、その報告書を覗き込む。
「…何をする」
「…あんたは、俺を監視するんだろう?俺も、あんたを監視する。…主人に、嘘を報告されては困る」
グレイは、何も言わずに報告書をゼニスに見せる。
報告書には、こう書かれていた。
『食料システムの構築、順調』
『ライ麦の活用は失敗。農民の抵抗に遭う』
『だが、余剰アルコールを、新たな原資に転換)』
『支配の力を使わず、価値交換のみで、農民の抵抗を粉砕)』
『新たな保存食製造ルートを確立。公の軍隊の兵站を無限に補強しうる』
グレイは、ゼニスがアークライトの最強の道具であると報告することを決めた。
彼は、ゼニスのシステムが支配より効率が良いと認めたのだ。
裏の戦争の第一ラウンドは、ゼニスの勝利だった。
ゼニスは、報告書を書き終えたグレイに、次の戦を仕掛ける。
地図を指さし、マルコに言った。
「……マルコ。食料の血管は開通した」
「…次は、第二の枷だ。…この血管に、神経を通す」




