第五十二話『腐敗と原資』
アークライトは去った。
ゼニスの掌には、彼が投げ捨てた印章指輪だけが冷たく残されている。
仲間たちの顔は、勝利の高揚から一転、絶望に染まっていた。
そこへ、ギデオンとボルカスが、経済封鎖の第一報という、地獄そのものを持って転がり込んできた。
「(絶叫)…ゼニス!恐慌だ…!経済封鎖でカネが死んだ!通貨の信用が失墜したんだ!…領内の通貨は、ただの金属になった!領民は物々交換に戻り、すべてを隠し始めたぞ!」
アークライトからは徴発権が与えられた。
しかし、経済の死んだ世界で無闇に扱えば許可証のある強奪でしかない。
飢えた民からの反発は想像に難くない。
だが、ボルカスがもたらした第二の地獄は、その恐慌を嘲笑うかのようだった。
「ゼニス!…飢えるより先に、腐るぞ!」
「…どういうことだ?」
「経済封鎖は、入ってこないだけじゃない!出ていかないんだ!この領地の農家は、王都に食料を輸出することで、成り立っていた!買い手を失った、大量の野菜!肉!穀物が!…今、この瞬間にも、領内で腐っている!!」
飢餓よりも先に訪れる、腐敗。
食料が無いのではない。領内に溢れたまま、食料が死んでいくのだ。
これこそが、アークライトが解けと言った第一の枷、食料システムの正体だった。
マルコが頭を抱える。
「…カネも、食も、情報も同時に死んだ!?…無理だ、詰んでる」
ゼニスは冷静に問う。
「…マルコ。…俺たちの、灰色谷の現状はどうなっている?」
「…俺たちは飢えてない。ボルカスさんが買い付けたライ麦金貨15枚分、備蓄されているからな。あとは、香水の製造が止まった。…アルコールが、ゴミのように余っている」
腐敗地獄。ライ麦の備蓄。アルコール余剰。
点と点が線になる。
ゼニスの目に解が宿る。
「…ギデオン。カネが死んだ世界で、金貨15枚分の食べられるライ麦は、何を意味する?」
「(…(ハッ)…!)それは、カネじゃない。信用そのものだ…!…新たな通貨だ!」
「…食料が腐っていく世界で、高純度アルコールは何を意味する?」
リーナ(化学)が答える。
「…それは、腐敗を殺す力。…食を保存する、原資だわ」
ゼニスが立ち上がる。戦争の第一の手が決まった。
「…第一の枷の攻略を開始する。経済封鎖を打ち破る、新たな食料システムとは、…腐らせないシステムのことだ」
狂人たちに指令が飛ぶ。
「ギデオン、ボルカス、カエル!俺たちのライ麦を担保に、領内で腐りかけている全ての食料を、買い叩け!いざという時にはアークライトの印を使え。…だが、徴発はするな。」
ギデオンの目に鋭さが戻る。
「(…腐る前に買う…!価値がゼロになる前に、別の価値(ライ麦)で交換するのか!」
「リーナ、ロイド、エララ!…香水ラインを停止しろ。香料はしばらく不要だ」
「…ロイドは、今すぐ携帯用のコンロを、次に保存食用の巨大な樽と燻製小屋を製造しろ!」
「…リーナは、今すぐ食料の保存液を、次に肉と野菜を腐敗から守るレシピを開発しろ!」
「…エララは、リーナと協力して、その腐らない保存食を量産しろ!」
リーナとエララは目を合わせ頷く。
「(…アルコールは蒸留酒…。…食にも使えるわ…!)」
「…経済封鎖が俺たちの食を腐らせるなら、俺たちは腐った世界で、腐らない食を…独占するぞ!」
狂人たちが、新たな炎をその目に宿し、CEOルームから飛び出していく。
腐敗とのレースが始まった。
マルコだけが残されている。
「(…(胃を押さえながら)…)…ゼニス!…第一の枷は分かった!だが、第二の枷!リリアナ(情報)はどうする!?この新しい食料ルートは領内だけだ!王都には届かない!」
ゼニスはマルコに向き直る。
「…第二の枷(情報)は、…第一の枷(食料)が軌道に乗った後だ。…まず、領内の血管、食料ルートを構築しろ。…それが、お前の仕事だ」
「(…領内の新たな物流の管理…!上等だ!やってやる!)」
マルコが飛び出していく。
ゼニスは一人、代理看守長室(CEOルーム)の、アークライトが座っていた玉座を見ている。
「(…第一と第二は動き出す)」
「(…問題は、第三の枷…)」
その時。
――コンコン。
CEOルームのドアがノックされる。
入ってきたのは狂人ではない。
アークライトと共にいた、親衛隊の影のような男だった。
男は感情のない目で、ゼニスに一礼する。
「…公より。…奴隷1138番の、監視と進捗の管理を命じられた、グレイだ」
「…本日より、お前の全ての行動を記録する。枷、その三の執行だ」
第三の枷
――『この俺が、完全に支配できる』――
が、監視者という物理的な枷となって、ゼニスの首にはめられた瞬間だった。
三重の戦争が、まさに始まった。




