第四十六話『王都の密談と地獄の留守番』
【王都へ至る道】
静寂。
王都へ至る道を、ゼニスとギデオンは馬車に揺られていた。
ギデオンは、ゼニスに王都の流儀を説明していた。
「…いいか、ゼニス。王都は灰色谷とは違う。モノの良さだけでカネが動く場所じゃない。あそこはモノではなく、時間と格にカネを払う場所だ。俺の見積もりでは、『香水』の原価は金貨0.5枚。…だが、販売額は金貨10枚付けれる…!」
ゼニスは目を閉じたまま、ギデオンの皮算用を聞いていた。
【王都:『金糸雀の籠』】
二人は王都の一等地にそびえ立つ、豪奢な建物の前に立っていた。
それは、店というより、もはや白亜の要塞、あるいは神殿のように見えた。
磨き上げられた黒曜石の門には、槍を持った守衛が二人、微動だにせず立っている。
ギデオンはその壮麗な構えに息を呑んだ。
(…こ、これは…!想像よりも遥かに…!)
ギデオンが、その『格』に圧倒されていると、ゼニスが、静かに進み出た。
彼は懐から羊皮紙を取り出した。支配人から受け取った、リリアナの紋章が刻まれた「発注書」だ。
「…ミストレスにお目通りを。『灰色谷』の者が来たと」
守衛はその紋章を見ると、顔色を変え、即座に姿勢を正した。
「…かしこまりました。…支配人を呼んでまいります」
すぐに、灰色谷に使いとして訪れた支配人が、黒服姿で現れた。
彼は、ゼニスとギデオンをそれぞれ一瞥すると、深々と頭を下げた。
「…お待ちしておりました、ゼニス様、ギデオン様。…リリアナ様がお待ちです。…応接室にご案内します。どうぞこちらへ」
支配人に導かれる間、ギデオンは圧倒され続けた。
彼が踏み入れた空間は、想像を絶する贅沢さだった。
広すぎるホール。
磨き上げられた大理石の床。
天井には、見たこともないシャンデリア。
その贅沢の全てが、ある一点への額縁のように、配置されていた。
部屋の最奥。
巨大な窓を背にして、「彼女」は鎮座していた。
リリアナ。
彼女は、ゼニスたちに視線を向けない。
手元の紅茶のカップを見つめている。
支配人が、ギデオンたちをそこまで導き、深々と頭を下げた。
「…リリアナ様。『灰色谷』より、ゼニス様、ギデオン様、御到着です」
「…………」
沈黙が落ちる。
リリアナは動かない。紅茶の香りでも嗅いでいるのか。
まるでゼニスたちが、この空間に存在しないかのように。
ギデオンの背中に冷や汗が流れる。
(…試されている…!)
(…これが、「金糸雀の籠」の、「格」…!言葉を発する前に、既に勝負は始まっている…!)
ゼニスが動こうとした、その直前。
リリアナが初めて、ゆっくりと顔を上げた。
その視線が、ギデオンを射抜く。
「…ようこそお越しくださいました。『灰色谷』のゼニス様。そしてそちらが…」
「『CFO』殿」
リリアナは、支配人から、聞かされる前に、ギデオンの役割を完璧に言い当てた。
「…ようこそ『金糸雀の籠』へ」
その、完璧に丁寧な言葉と、圧倒的な支配の視線に、ギデオンは背筋が凍る思いがした。
「…して。本日はどのような『物語』をお持ちくださいましたの?」
「(…来た!)」
ギデオンは、準備してきた完璧なプレゼンを開始した。
「リリアナ様、この原価と付加価値を考慮しますと…」
ギデオンの完璧なロジックが、静かな応接室に響く。
【灰色谷:工場】
「(絶叫)…待て!第二陣はまず、釜の完全洗浄からだ!第一陣の不純物が残ってる!」
「(絶叫)…違う!麦芽を投入する温度が重要だ!第一陣はぬるすぎた!もっと高温で一気に風味を…!」
「(絶叫)…二人とも黙って!この酵母の培養が終わるまで釜に触るな!計算が狂う!」
「(…前回と言ってること違くないか!?『不純物』ってなんだよ!『ぬるすぎた』ってあんたのさじ加減かよ!)」
【王都:『金糸雀の籠』・応接室】
ギデオンの完璧なロジックが続く。
彼は原価、人件費、輸送コスト、そして金糸雀の籠で売るという希少性を加味した販売価格を提示する。
「…これこそが適正な価格です。リリアナ様」
ギデオンは完璧なプレゼンを終え、リリアナの反応を待った。
「(…どうだ。これこそが、王都の、『ビジネス』だ…!)」
【灰色谷:工場】
カオスは頂点に達しようとしていた。
ロイドが、釜のバルブを締め上げようと、工具箱を開けている。
ボルカスが、「俺の麦芽が先だ!」と、麦芽の袋を盾のように構えている。
リーナが、「酵母を守る!」と、酵母の瓶を抱きしめている。
一触即発。
そこへカエルが割って入った。
「(絶叫)…黙れッ!貴様ら、ゼニス様のシステムを乱す『害虫』かッ!」
カエルが場の鎮圧のため、棍棒を振り上げた。
「(…出たぁぁぁ!『害虫』はお前だぁぁぁ!)」
マルコは、もはや泣きながら、カエルの足に必死にしがみついた。
「(…やめろぉぉ!『金貨50枚』が壊れるぅぅ!)」
【王都:『金糸雀の籠』・応接室】
ギデオンが固唾を呑んで見守る中。
リリアナは優雅に紅茶を一口飲むと、そっとカップを置いた。
そして、あくびを噛み殺す仕草さえ優雅に行い、言った。
「…退屈、ですわね」
「(…え?)」
「…商人のお話ですわ、ギデオン様」
リリアナはギデオンから視線を外し、ゼニスに向き直った。
その瞳には、丁寧な光の奥に、失望が浮かんでいる。
「…私はあなた方に『物語』を期待していたのですけれど?」
「(…な…!?俺の完璧なロジックが…退屈だと…!?)」
【灰色谷:工場】
マルコが、カエルの足にしがみつき、ロイドがレンチを振り上げ、カオスが極まったその瞬間。
「…あらあら、皆様。第二陣は、おやつの後になさいませんか?」
エララが焼きたての、ライ麦クッキーを持って現れた。
狂人たちの動きがピタリと止まる。
「…ロイドさん。『ピカピカ』は大事です。でも、効率だって大切でしょう?(クッキーを渡す)」
「…(ムッ)…ま、まあな…休憩も、稼働効率を上げるからな…」
「…ボルカス様。『温度』は大事です。でも、奇跡の風味を安定して作ることが、腕前なのでしょう?(クッキーを渡す)」
「…(フン)…そ、そうだな…そのためには気持ちも安定させねばなるまい」
「…リーナさん。『酵母』は大事です。でも大事に取っておくばかりでは、何も生まれませんのよ。(クッキーを渡す)」
「…(ハッ)…そ、そうね!糖分が足りなかったわ!」
エララは、全員を肯定し、全員に共通の目的を与え、昂った感情をトーンダウンさせた。
「(…(泣)…救世主だ…。ここに救世主がいた…!)」
【王都:『金糸雀の籠』・応接室】
ゼニスが絶望するギデオンを制し前に出た。
「…リリアナ様。ギデオンの言う通りこれは『ビジネス』です。…ですが、あなたが退屈なのは『売る相手』が間違っているからだ」
「…ほう?…と仰いますと?」
ゼニスは「第一号」の小瓶をテーブルに滑らせた。
「…これは『香水』ではありません。『弾丸』なのです」
リリアナの丁寧な言葉遣いを、そのまま模倣し続ける。
「…私は『灰色谷』に、ヒト・モノ・カネを流入させる、新しい秩序を造っております。…そのための最初の『弾丸』を、二ヶ月後の『夏至の夜会』で撃ち込みたい」
そして、リリアナの目を真っ直ぐに見据えた。
「…あなた様に、その戦場の手引きをお願いしたいのです…『共犯者』として」
リリアナの目が退屈から、恍惚とした笑みに、変わった。リリアナが喉を鳴らして笑った。
「…面白い。…面白い、実に面白いですわ。その狂った計画、買いましょう。『夏至の夜会』…ええ、いいですわね。…契約成立ですわ、共犯者様」
ギデオンは、ビジネスの次元が違いすぎて、震えていた。
【灰色谷:工場】
「あらあら…ロイドさん。まずは釜を拭いて…。その間にボルカス様が温度を…」
おやつを終えクールダウンした狂人たちが、エララの調停に従い、スムーズに第二陣の製造プロセスを開始していた。
マルコは、その奇跡を目の当たりにして、呆然としていた。
「(…お、終わった…。ついに地獄が終わった…)」
エララがマルコににっこりと微笑んだ。
「…おやまあ、マルコ。あなた、『工程管理者』なんでしょう?ぼーっとしてないで、第三陣の麦芽を運んできてくださいな」
「(……え?第三陣…?)」




