第四十二話『原料調達』
灰色谷に、リーナが加わった。
だが、その熱狂も束の間。
「代理看守長室(CEO室)」では、即座に現実的な問題が産声を上げていた。
ギデオンが、CFOとしてゼニスに詰め寄っていた。
その顔には高揚感など欠片もない。
ボルカスから伝染ったのか、彼の胃もまたキリキリと痛み始めていた。
「…ゼニス。確認だ。工場と調達に金貨80枚の予算を渡した直後だぞ!」
ギデオンは部屋の隅で目をキラキラさせている新入りのリーナを睨みつけた。
「…だというのに、今度はこの学者が、精密天秤だの、無菌室だの、最高級の培養土だの要求している!(推定・金貨5枚)」
ギデオンの声が震える。
「カネはもうないぞ!どうするんだ!」
そのギデオンの懸念を遥かに超える第一声が、リーナの口から放たれた。
リーナは、灰色谷の原始的な風景を窓から見渡し、その目に純粋な期待を輝かせながらゼニスに詰め寄った。
「…ゼニス!ラボはどこ!?」
「精密天秤は!?無菌室は!?」
「あと私の子のための最高級の培養土は!?すぐに手配して!」
「…培養土だとぉ!?」
ギデオンの絶叫が響き渡った。
「金で土を買うだと!?ふざけるなこの世間知らずがぁ!」
「うるさいわね!金貸しは黙ってて!」
「なにぃ!?」
「…二人とも、黙れ」
ゼニスの冷徹な一言が、そのカオスを制圧した。
「…ギデオン。ボルカス、ロイドの金貨80枚は初期投資だ。事業をスケールするために避けられない。
…だが、リーナ。お前の培養土は浪費だ。却下する」
「な、なんでよ!」
リーナが即座に反発した。
「合理的じゃないわ!最高の環境がなければ、最高の結果は出ない!」
そのリーナの「学者」としての正論を、エララの穏やかな笑顔が遮った。
「あらあらリーナさん。お金で買う土よりも、もっとふかふかな寝床がありますよ」
エララはゼニスに向き直った。
「…ゼニス様。牛のうんちと森の腐った葉っぱがあれば…」
「…牛のフン…!?」
リーナはその「非・学術的」な単語に絶望した。
「…原始人以下だわ…!」
「…待て!」
ギデオンの目が見開かれた。
「…コストゼロ…!?…エララ!それだ!やれ!」
ゼニスが頷く。
「…カエル」
部屋の隅で控えていたカエルが顔を上げた。
「はっ!お呼びですか、ゼニス様!」
「腐った葉っぱと厩肥を、山盛り集めてこい。詳しくはエララの指示を仰げ。」
「…!仕事ですねっ!?お任せをっ!!」
ここのところ活躍の場がなく、しょんぼりしていたカエルのテンションは、最高潮に達した。
水を得た魚のように部屋を飛び出すと、窓の外でドタバタと騒いでいる。
「ゼニス様から頂いた仕事だ!お前とお前とお前とお前、ついてこい!」
「えっ!?」「おれたち鉱山の仕事が…」
…声は急速に遠くなっていった。
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数時間後。
リーナの「新設ラボ」と指定された広場(灰色谷の一角だ)。
そこにリーナが絶望し、ギデオンが期待する光景が広がった。
「持ってきたぞォ!」
カエルはゼニスの指示を完璧に実行した。
…だが、その「量」が異常だった。
彼は「山盛り」という言葉を、文字通りに受け取った。
採掘用の巨大なトロッコを五台連結させ。
灰色谷のすべての牛小屋から厩肥を根こそぎ奪い。
霧の森の腐葉土を、森の生態系が変わるレベルで剥ぎ取ってきた。
付き合わされた4人の坑夫たちは、ぐったりと地に伏せたまま、動けなくなっている。
新設ラボの予定地が、「うんち」と「腐葉土」の山で埋め尽くされた。
ギデオンはその「光景」を見て絶叫した。
「(絶叫)…コストゼロじゃねえぇぇぇ!
このゴミ山を運ぶのに使った労力と時間!この採掘用トロッコの占有コスト!
そしてこの過剰な在庫を処理するためのコスト!」
ギデオンはゼニスに詰め寄った。
「…ダメだ!こいつは合理的じゃない!原始人だ!こんなカオスの金庫番なぞやってられるか!」
…その言葉にカエルが反応する。
ギデオンがゼニスに詰め寄ったその態度。
そして自らの完璧な仕事(=ゴミ山)への侮辱。
カエルの目が据わった。
「…あ?…今ゼニス様の完璧なご命令を馬鹿にしたか?ああ?」
「(ドン引き)…なんだこいつは…」
「金貸しが、ゼニス様に意見するなァ!」
カエルがギデオンに棍棒を振り上げて飛びかかった。
「ぎゃあああ!」
その「戦争」を止めたのはエララだった。
「まあまあ、カエルや」
彼女は笑いながらカエルの棍棒をそっと手で制した。
「…ありがとう。完璧な量だねぇ。これだけあれば当分困らないわ」
「へへッ!そうだろ!?(棍棒を下ろす)」
エララは、まだ震えているギデオンに向き直る。
「ギデオン様。大丈夫ですよ。この土は無駄にはなりません。畑ができますから」
エララはカエルと、駆り出されていたマルコに指示を出した。
「さて、ここからが本番よ。みんな、手伝ってちょうだい!
まずその葉っぱを敷き詰めて…次にそのうんちを重ねていくんだよ。
マルコ!厨房から野菜クズをもらってきておくれ!水もたっぷりと!」
周りで物珍しげに眺めていた、作業を終えた坑夫たちも加わり、作業は進んでいく。
ギデオンは、リーナと並んでその原始的な土木作業を見つめていた。
ゴミの山がエララの経験知によって、レイヤー構造の堆肥へと再構築されていく。
「(ゴクリ)…コストが…」
「…原始人以下だわ…」
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更に数時間後。
空がすっかり夕焼けに染まる中、エララは額の汗を拭って宣言した。
「みんな、ありがとうねぇ。作業はおしまいだよ。あとは土が育ってくれるのを待ちましょう」
「「「や、やっと終わったぁぁ……。」」」
最終的にカエルの見張りの下、みっちり肉体労働に付き合わされた男たち数十人がへたり込んだ。
ギデオンがエララに詰め寄る。
「…エララ!このラボが使える土になるまで、あと何日かかる!?一日か!?二日か!?」
エララが困ったように笑う。
「…さあ?ふかふかになるには…お日様と雨のご機嫌次第ですからねぇ。…最低でも半月は寝かせないと…」
ギデオンは半月、というリードタイムを聞いて、今度こそ気絶しそうになる。
「…『納期』が…!」
そのカオスをゼニスが制圧する。
「…話は分かった。…我々は、二つの戦線を同時に開始する」
ゼニスはまず、エララとカエルに命じる。
「エララ、カエル。お前たちはそのラボを完璧に仕上げろ。ギデオンと連携し、『第一・長期ラボ』を設立しろ。…それはリーナの小麦(研究)と、我々の未来のための投資だ」
そしてゼニスはリーナに向き直る。
「リーナ」
「な、なによ!」
「悪いが…お前は『第二・短期ラボ』で今すぐ結果を出してくれ」
ゼニスは、ラボの外側。
つまり、ただの灰色谷の土を指差した。
「…は?」
「堆肥は間に合わない。…灰色谷の土で、だ。お前の魔法でねじ伏せて、三日でカミミと眠り花を咲かせてくれ」
リーナは、ありのままの土を目の前に絶望する。
「…あんた悪魔…!この痩せこけた『土』で育てろというの!?」
「…無茶だ。…だがもしこれでできれば…!」
ギデオンのつぶやきが、リーナのプライドに火をつける。
「…いいわ。やってやる!」
リーナは、叫んだ。
「私の『魔法(価値)』が、原始人の『経験知』に負けるもんですか!」
リーナはエララから「種」を受け取り、そのただの土に突き立てる。
彼女は目を見開き両手を地面にかざす。
「…『喰らいなさい(イート)』!」
彼女が叫んだ瞬間。
リーナの体から翠の光が溢れ出し、地面に叩きつけられる。
種は発芽したのではない。
爆発した。
ギデオンとマルコの目の前で。
土が絶叫するように盛り上がり、そこから翠の芽が、悲鳴を上げながら空へと突き出た。
それは、成長ではなかった。
生命力の、略奪、だった。
リーナの魔法は、土の僅かな栄養と、大気の魔力を強制的に種へと注ぎ込み、あり得ない速度で成長を加速させていく。
「ぐ…!あ…!」
リーナの顔から急激に血の気が引いていく。
彼女の内側から、生命力そのものが引きずり出されていく代償だった。
「(…まだ…!まだ足りない…!)」
彼女が最後の魔力を振り絞った瞬間。
芽は、花へと強制的に変態し、一斉に咲き乱れた。
…100個分?
いや、それを遥かに超える原料(花畑)がそこに出現した。
「…やったぞ!」
マルコが叫んだ。
ギデオンは狂喜し、リーナの肩を掴んで揺さぶる。
「リーナ!あんたは天才だ!最高に合理的だ!」
「(ドン引き)…ちょ触らないでよこの金貸し…」
だが、その歓喜の中心で。リーナの顔から血の気が消える。
「…あ…」
彼女はその場に崩れ落ちた。
魔力欠乏による、気絶だった。
「「「リーナ!!」」」
全員が駆け寄る。
ギデオン歓喜から一転、その光景に顔を引きつらせた。
(…なんだと?…こいつが倒れたら次の生産はどうなる!?)
そして、ゼニスだけがその「カオス」を冷静に分析していた。
(…原料の問題は解決した)
(…だがこの魔法はリーナというたった一人の人的リソースに依存している)
(…彼女が倒れれば全てが止まる。…持続可能性がない)
エララに介抱され、うっすらと目を開けたリーナが、かすれた声で呟く。
彼女は花畑には目もくれていなかった。
ただ、自分が森から大事そうに抱えてきた、あの枯れた小麦の鉢植えを見つめていた。
「…エララさん…」
リーナは必死に懇願した。
「…堆肥ができたら、あの子にもあげてくれる…?」
エララは優しく微笑んだ。
「ええ、ええ。もちろんですとも。…ふかふかの寝床で一緒に育てましょうねぇ」
そんな中、ゼニスだけは目の前の光景を冷静に見つめていた。
(…香水は軍資金になる。だが、リーナのあの『小麦』こそが、次の『戦略兵器』だ)




