第四十話『魔女の契約』
アークライト領、北の果て「霧の森」。
その入口に佇むのは、ゼニス、ギデオン、エララ。
案内役のサイラスは、恐怖に震えていた。
ギデオンは、その「人選」が理解できず、ゼニスに詰め寄る。
「…ゼニス。なぜあの老婆まで連れてきた?」
「交渉に行くんだぞ。ピクニックじゃない」
ゼニスは、森の奥を見据えたまま答えた。
「緑の魔女の専門は、植物だ。…そして、エララは我々の唯一の『植物専門家』だ。
魔女の『植物』を見分けるためにも彼女の『経験知』が必要になる。…合理的な判断だ」
ギデオンは「…データベースか」と舌打ちし、それ以上は何も言わなかった。
一行は森の奥へと足を踏み入れた。
その奥深くは事前にサイラスから聞いていた噂通り、異常な光景が広がっていた。
「ヒイッ!…なんだこりゃ!?」
案内役のサイラスの顔が、恐怖に引きつる。
森のそこら中に生えているのは、人の背丈ほどある小麦、あるいはライ麦だった。
だが、そのすべてはアンバランスだった。
茎だけが異常に、太く、硬く育ちすぎている。
だというのに、肝心の穂は、その重さに耐えきれず実る前に力尽き、枯れていた。
ギデオンがその光景を鑑定し、吐き捨てた。
「…チッ。これが『魔女』の仕業かよ」
その枯れた穂を手で払いのける。
「量だけ増やして質が追いついていない。ゴミだ」
「いいえ、ギデオン様。そうではありませんよ」
エララだけが、その異常な「茎」の成長を見ていた。
「茎が、今までに見たことのないほどに成長しています。
この子が、何十年と成長し続けないと、こんなことにはなりませんよ」
ゼニスは、エララの言葉を聞いて分析する。
「なるほど…成長に働きかける魔法、か。
…魔女は、我々が三ヶ月かかる育成を、三日でやろうとしているのかもしれん…」
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その、森の最奥。
唐突に開けた場所に出た。
その中央には、ポツン、と小さな小屋が一軒。
その中では、金髪ロングヘアを三つ編みで束ねた、少女と言っても差し支えない、若い女が膝を抱えている。
そして何より、彼女は目の前にある枯れた小麦の鉢植えを前に、本気で「号泣」していた。
「うわあああん!また枯れたぁ!」
少女はその鉢植えをバンバンと叩く。
「なんで!?栄養は完璧なはず!魔力も注ぎ込んだ!
なのに、なんであなたは私の計算に応えてくれないのぉ!!?」
その、あまりにも子供じみた光景。
ギデオンがドン引きして、ゼニスに囁いた。
「…『魔女』…?」
ゼニスは冷静に分析し首を振った。
「…違う。『学者』だ」
「…!なによあんたたち!」
少女は、「バカ」という言葉に反応したかのように、侵入者に気づき、涙目で睨みつけた。
「さては盗人!?私の大事な研究を盗みに来たのね!?」
「…盗人ではない。あんたに会いに来たんだ」
さすがに礼を失していたことを悟り、ゼニスは代表して自己紹介する。
「初めまして、魔女殿。ゼニスだ。こっちはギデオンにエララ、案内役のサイラスだ。
名前を教えてほしい」
彼女は、涙目のまま、ジト目でこちらを見上げて言う。
「……リーナよ。
盗人じゃないなら、こんなところまで何しに来たわけ?」
ゼニスは単刀直入にいう。
「リーナ。あんたと交渉しに来た。…まず、あんたは、間違っている」
単刀直入に切り込んだ。
(⋯!?)
見知らぬ男の、あまりに無礼で唐突な指摘に、彼女はビクリ、と肩を震わせる。
「あんたの目的は、『完璧な小麦』を造ることだ」
ゼニスは、彼女が号泣していた、枯れた鉢植えを指差した。
「…難易度が高すぎる。だから失敗する」
「…っ!?」
リーナは核心を突かれ言葉を失う。
「俺はあんたに、もっと簡単な仕事を依頼する」
ゼニスは、懐から小さな革袋を取り出し、彼女の研究机に置いた。
中からこぼれ出たのは、灰色谷から持ってきた、カミミと眠り花の種だった。
「…こいつらだ。俺の目的は、収穫だ。
俺たちは質は要らない。量が欲しい。
あんたの力で、この二つの雑草を高速で成長させてほしい」
「…はぁ!?」
リーナは、ゼニスの提案のあまりの「非・学術性」に激怒した。
「あんた馬鹿!?私は飢饉に苦しむ領民を救うため、食糧問題を解決する、崇高な研究をしてるの!
こんな雑草なんかのために、私の貴重なリソースを使えるわけないでしょう!」
その、彼女の正論に、ゼニスではなくギデオンが口を開いた。
「…食糧問題ねぇ」
ギデオンは、懐から「スリーピング・シン」のボトルを取り出し、リーナの目の前に置いた。
「…お前の『崇高な研究』の価値は、今のところゼロだ」
ギデオンがそのボトルを指で弾く。
「だが、この雑草から作られるこいつの価値は…これ一本で『金貨1枚』だ」
「…きんか1まい…!?」
リーナの目が、点になる。
彼女の一ヶ月の研究費よりも高い。
ゼニスは、ギデオンの完璧なアシストに頷くと、合理的に取引を提示した。
「あんたと契約したい。魔法で俺たちの原料を育ててくれ。
報酬に、利益の10%をあんたの研究費として投資する」
ゼニスは、彼女の枯れた小麦を見た。
「そのカネであんたは、崇高な小麦の研究を続ければいい」
「…ぐぬぬ。」
リーナは葛藤した。
目の前に積まれた、金貨(の可能性)。
彼女が、最も軽蔑する贅沢品(香水)。
そして、自分の誇りであり、失敗作である研究(枯れた小麦)。
(…お金のために「研究」を売れと…?)
(でも…確かにお金があれば、もっと高度な実験ができる…!)
ゼニスが、交渉成立か、と思ったその瞬間。
「…あ、あの…」
今まで黙って、枯れた小麦の鉢植えを心配そうに見つめていたエララが、一歩前に出た。
「あのね、お嬢さん」
「なによお婆ちゃん!今大事な話をしてるの!」
「その『小麦』の子…」
エララはリーナの怒声を意に介さずただ優しく言った。
「…『根っこ』が苦しそうだわ」
「…へ?」
リーナは何を言われたのか理解できなかった。
エララは、彼女が使っていた、実験用の土を指ですくった。
それは、化学的に完璧に計算された、黒々とした土だった。
「…その土。…あなた、栄養をあげすぎているんじゃないかしら…?」
「当たり前よ!最高の栄養素を、完璧な計算で配合してるんだから!」
エララが首を振った。
「…この子たちは『美味しいご飯』より『ふかふかの寝床』が欲しいって言ってるわよ?」
エララは、その土を指でこねた。
それは粘土のように、固まっていた。
「…土が『心』を失っているわ」
「…!」
リーナは、土だの、心だのという非科学的な言葉に、憤慨しようとした。
だが、彼女は「学者」だ。
彼女は「はっ」と何かに気づかされた。
(…土?…栄養ではない?)
(…ふかふか…?…まさか物理性…?通気性…?排水性…?)
(…土壌そのものの問題…!?)
彼女が見落としていた、最大の盲点。
それは化学ではなく、物理と生物だった。
リーナは、ゼニスとギデオンを見た。
…彼らは、カネと論理の男たちだ。
だが。
彼女は、目の前にいる老婆を見る。
(…このお婆ちゃん…この、非合理な経験知の塊)
(…この人がいれば…私の小麦は…!)
リーナは、ゼニスに向き直った。
その目には、もはや涙はなかった。
「…契約成立よ!」
ゼニスが頷くよりも早く。
「ただし利益10%じゃ足りない!30%よこしなさい!」
「(30%!?この強欲な小娘が…!)」
と、ギデオンが目を見開く。
「そしてもう一つ、条件がある!」
彼女は、ゼニスでもギデオンでもなく、エララの手を両手で掴んだ。
「…この『お婆ちゃん』をよこしなさい!」
ゼニスとギデオンが同時に声を上げた。
「「…は?」」




