第三十九話『カネの使い道』
看守長代理室は、しばし、呆然とした沈黙に包まれていた。
テーブルの上には、彼らが夢にまで見た「金貨100枚」の最初の『利益』が、黄金の輝きを放っている。
最初に沈黙を破ったのは、ボルカスだった。
彼は震える手で、金貨を一枚一枚、数え始めた。
「…きゅ、九十八、九十九…ひゃ、百…!」
その「重み」に打ち震え、ゼニスに涙ながらに訴える。
「ぜ、ゼニス…!こ、これで灰色谷の全員が一年、いや、二年、遊んで暮らせるぞ…!」
一方ギデオンは、そのカネには一切目もくれなかった。
彼は羊皮紙の上に、最高に金払いの良い化け物の心理を分析し、次なる「第二弾」の「設計図」を、狂ったように描き殴っていた。
(…『退屈』させたら、終わりだ。
次だ。次の、『物語』を、考えろ…!)
そして、ロイド。
彼は「金貨100枚」の価値が、自らが鋳造した「化物」にあることに気づき、自らの「技術」に、陶酔していた。
彼は隠し持っていたのであろう、安酒の小瓶を取り出し、ラッパ飲みを始めた。
「…ひっく。…見たか、ギデオン!『醜い化物』?…ふん、これが『黄金』を生むんだよ…!」
ボルカスは、未来に夢を見る。
ギデオンは、さらに次の未来を設計する。
ロイドは、過去の成功に酔う。
その、完璧な「カオス」の中で。
ただ一人、ゼニスだけが、冷静に現在の「絶望的な現実」を見据えていた。
彼は、「発注書」と「金貨」を、冷徹な瞳で見比べていた。
「…全員、浮かれているところを、悪いが」
ゼニスの静かな、しかし、重い声が響いた。
「…我々は、詰んだ」
「「「…は?」」」
ボルカス、ギデオン、ロイドの動きが、同時に止まった。
ゼニスは、淡々と、事実を、告げる。
「この『百個』の『発注書』。
…今の我々の全リソースを投入しても、『納期』には、絶対に間に合わない」
瞬時に、祝勝会の空気は消え失せた。
代わりに、地獄の対策会議が、始まる。
ゼニスが口火を切った。
「まず、第一。『原料』だ。
釜に投入し続けるだけの原料がなければ、『燃える水』は、必要量を確保できない」
ギデオンは、ボルカスを睨みつけた。
「…ボルカス。食料庫の『残り』をすべて回せ。話は、それからだ」
「…!?ふ、ふざけるな!クーデターが、起きるぞ!!」
ボルカスが、顔を真っ青にして、立ち上がった。
そして、ゼニスに泣きつく。
「ぜ、ゼニス!灰色谷の『食料』は、今、ギリギリなんだ!
あれは、坑夫たちの、『命』だ!それを、『酒』なんぞに変えたら…
今度はワシが、奴らに殺される!」
「…ギデオン、ボルカスが正しい。お前が、間違っている。…食料は、確保する」
「…チッ」
ギデオンが、舌打ちする。
ゼニスは、ボルカスに、向き直った。
「…ボルカス。その『カネ』から、『金貨30枚』を、持って行け。
…お前の仕事は、灰色谷の外へ出て、周辺の市場から最高品質のライ麦を買い占めることだ。
…言い値で、構わん」
「!」
ボルカスは、目を見開いた。
「…カネで、食料を…!?」
「それと、もう一つ」
「?」
「お前が奴隷監督時代に最も信頼していた、技術のある坑夫を、十人、選別しろ。
…手先が器用な奴、だ」
「…! あいつらを使うんだな…! 承知した!」
ボルカスは、金貨の袋を掴むと、部屋を飛び出していった。
次にギデオンは、ロイドを睨みつけた。
「第二。『蒸留器』だ。今の『醜い化物』だけでは、話にならん。
あと『十基』は要るぞ。死ぬ気で造れ、ロイド」
「ふざけるな!お前がやってみろ、この『白モヤシ』が!」
ロイドが、酒瓶を叩きつけ激怒する。
そしてゼニスに、詰め寄った。
「ゼニス様!『化物』も『弾丸』も、言われた通りに作った!
…だが、百個だと!?鋳型もふいごも、何もかも足りねぇんだよ!
『三日』でできることと、『三ヶ月』かかることの区別もつかんのか、この野郎は!」
「…ギデオン、ロイドが正しい。お前が、間違っている」
「…チッ」
ギデオンが、再び、舌打ちする。
ゼニスは、ロイドに、向き直った。
「…ロイド。我々は、『十基』も、要らない」
「…は?」
「蒸留器を十基造るのではない。
…十倍の効率で動く、一つの『工場』を造るんだ」
ゼニスはテーブルの上の金貨の山から、半分以上をロイドの前に押しやった。
「…『金貨50枚』、くれてやる。
そしてボルカスが選別している十人の技術者も、だ。
お前は、もはや、『鍛冶屋』ではない。『工場長』だ。
そのカネと十人の部下を使って『工場』を造れ」
「…どういう、意味だ?」
「ロイド。お前の化物の最大の無駄は何か、分かるか?…『熱』だ。
お前はライ麦を煮込むために膨大な熱を使い、その熱を冷やすために膨大な水を使っている。『熱』を捨てているんだ」
「…!」
「『工場』の肝は、『熱』を『再利用』することだ」
ゼニスは羊皮紙に、二つの釜が管で繋がった、「新しい『化物』」の設計図を描き殴る。
「一つ目の釜で発生した高温の蒸気。
…そいつを冷却管に通す前に、二つ目の釜の、冷たい原料の中に通すんだ」
「っ…!『蒸気』の『熱』で、次の原料を予熱しろ、と…!?」
「ああ。それこそが、時間と燃料を半分にする、錬金術だ。
そして、冷却管に谷の冷たい川の水を常時循環させるポンプとしては水車を使う。
…もう、ぬるま湯を手で汲み替える必要は、ない。
ここで得られる動力は、ふいごを動かすために利用できるだろう。
熱を再利用し、水を循環させる連続式の『工場』。それこそが十倍の効率だ。
『工場長』。…造れるな?」
ロイドは、そのゼニスの「設計図」に戦慄する。
そして、不敵に笑った。
「…チッ、簡単に言ってくれるぜ!
…『工場長』、か。…いい響きだ。…任せろ、ゼニス様!」
ロイドも、部屋を、飛び出していった。
ゼニスとギデオンが残された。
テーブルの上には、残りの「金貨20枚」。
「…さて」
ゼニスが、静かに、言った。
「カネで、解決できるのは、ここまでだ」
ギデオンが、顔を上げた。
その目はすでに、次の「問題」を捉えていた。
「…『香り』、か。
…『カミミ』と、『眠り花』」
ゼニスが、頷く。
「そうだ。エララの経験知と手摘みでは、百個分の原料は、絶対に集まらない。」
ギデオンが、呟いた。
「あの二つの雑草は市場でも流通していない…『カネ』でも買えない、と。
…最大のボトルネックだ」
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ゼニスは、別室で待機させていた、サイラスを呼びつけた。
サイラスは、「支配人との商談」と「狂人たちの会議」を、判決を待つ被告人かのように、待っていた。
「サイラス」
「は、はいぃ!」
「朗報だ。お前が命懸けで届けた『弾丸』は、売れた」
「(喜)!ほ、本当で、ございますか!」
「だが」
ゼニスは、サイラスの、希望を、打ち砕く。
「『金糸雀の籠』は、今後お前を通さない。
『支配人』が、直接ここで契約していった。…お前の『販路』としての『価値』は、ゼロになった」
「そ、そんな…!(絶望)では、ワシの借金は…!?」
「…だが、俺は、慈悲深い。
お前の、残り『金貨40枚』の負債。…その返済の、チャンスをやる」
「チャンス!?」
「仕事だ。…お前のハイエナとしての、情報網を使え。
『カミミ』と『眠り花』。
この二つの雑草を、産業レベルで大量に供給できる『場所』、あるいは『人間』を見つけてこい。
…このミッションをお前が成功させた暁には。
…お前の『負債』を、『半額』に減免してやろう」
「……は、半額ですとっ!?」
サイラスは、必死で脳を回転させた。
(…『雑草』…『大量』…?『産業レベル』…?)
(…『場所』じゃない。そんな場所、聞いたことがない…)
(…だが、『人間』…?…『大量』に…『生み出す』、人間…?)
サイラスの脳裏に、一つの古い噂が蘇った。
彼が関わりたくないと思っていた、禁忌の噂。
「…!」
サイラスは、震えながらゼニスに告げた。
「…ぜ、ゼニス様…。…『場所』では、ありません。
…ですが噂なら、一つ…。
…『緑の魔女』。…アークライト領の、北の果て。
霧の森の奥深くに、禁忌の力を持つ女がいる、と…」
そう言って、ゴクリ、と唾を飲む
「…そやつは一夜で、枯れた森の姿を変えてしまう。
…意志のない植物どもを、手足のように操る、と…!」
ゼニスは、ギデオンと、顔を見合わせた。
ギデオンが、心底馬鹿にしたように、鼻で笑った。
「…『魔女』だと?…最高に、『非合理的』だ」
ゼニスは、静かに、頷いた。
「…ああ。だから、行く価値が、ある」




