第三十八話『退屈な女王』
王都、「金糸雀の籠」、最奥の部屋。
絹のカーテンの奥で、リリアナは手の中にある、「弾丸」
――『スリーピング・シン』――に、完全に魅了されていた。
(…『罪』)
彼女の陶器のような指が、荒々しい継ぎ目を持つガラスの表面を、なぞる。
(…本当に、そう、名付けた者がいたとは)
彼女は、この世のあらゆる「美」と「贅沢」を知り尽くしていた。
そして、その全てに、「退屈」していた。
(こんな『物語』を造れるのは、『常識』に縛られた『凡人』ではない)
(これは、『悪魔』の、仕業だわ)
絹のカーテンの奥から、鈴を転がすような、しかしどこか冷たい「声」が、響いた。
「…支配人」
「はっ」
跪いていた支配人が、顔を上げる。
「その『鼠』を、捕らえなさい。…いいえ、泳がせなさい」
声は、静かに、命じた。
「鼠が、どこからこれを仕入れたのか。
その源流にいる悪魔の正体と、アトリエの場所を、三日以内に特定なさい」
声のトーンが、変わる。
それは、獲物を見つけた猫のような、愉悦の色。
「…くれぐれも、『ギルド』には絶対に、気づかれぬよう」
数日後。
支配人は、再びリリアナの部屋の前に跪いていた。
その顔は、困惑と、かすかな恐怖に歪んでいた。
「…ミストレス。…特定、いたしました」
「ご苦労さま。それで…どこだったのかしら?」
「それが…信じ難いことに、あの、アークライト公爵領の最果て…」
支配人は、言葉を、選ぶ。
「…『灰色谷』。あの忌まわしい、『奴隷鉱山』であります」
「…『鉱山』?」
カーテンの奥から、訝しげな、声が、漏れた。
支配人は震えながら、彼が放った密偵が持ち帰ってきた、「信じ難い光景」を報告した。
「…アトリエは、古びた鍛冶場。
『調香師』は、王都スラム出身の『狂人』、『ガラス職人』は、元・鍛冶屋の『頑固者』。
『原料』は、『腐ったライ麦』と、『そこらに生えている雑草』。
そして『労働力』は…頭に『花冠』を載せた、元・奴隷監督と、『棍棒』を、振り回す、狂戦士…とのことであります」
支配人は、自らに言い聞かせるように、付け加えた。
「…ミストレス。これは、何かの、間違いです!
こんなカオスから、あの芸術品が生まれるなど、あり得ません!」
だが、その支配人の悲痛な訴えを打ち砕くように。
カーテンの奥から、絹を裂くような、歓喜の笑い声が漏れ出した。
「…くくっ…!」
「…あはは!あはははは!」
それは、心の底から「面白いもの」を見つけた者の笑い声だった。
「『鉱山』で、『腐ったライ麦』と『雑草』から、『狂人』と『花冠』が造る、『背徳の香り』ですって…!?」
「…最高だわ」
声は、歓喜に、震えていた。
「…最高に、『退屈』しない、『物語』じゃない!」
――さらに、数日後。
灰色谷、代理看守長室。
「金糸雀の籠」の支配人が、数名の屈強な護衛と共に訪れていた。
事が決まると、彼はサイラスを呼びつけて、ゼニスへのアポイントメントを取らせていた。
支配人は、サイラスに案内される道中目にしたのであろう、灰色谷のカオス(訓練中のカエルや、畑仕事の指示を出すボルカス)に顔を引きつらせながら、ゼニスとギデオンの前に通された。
彼は深々と頭を下げると、一枚の上質な「羊皮紙」を、ゼニスたちに差し出した。
「…我が『女主人』からの、お言葉でございます」
支配人は、ゴクリと、唾を飲み込み、その言葉を伝えた。
「『面白い「物語」だった。…「続き」を読ませなさい』…と」
ギデオンがその「発注書」を受け取り、目を通す。
「…『続き』だと?…『発注』は、何個だ?」
支配人は震える声で、その信じ難い数を、告げた。
「…『スリーピング・シン』…『百個』、で、ございます」
「…!」
ギデオンの、目が、見開かれた。
(…『百個』!?…あの『プロトタイプ』を、いきなり!?)
(価格の確認もせずに、正気か!?)
「そして」
支配人は、テーブルの上に、一つの重々しい「革袋」を置いた。
「これが、『手付金』だ、と。
…ミストレスは、三ヶ月後に催されます、『夏至の夜会』にて、
その『罪』を、王都の全てに披露なさるおつもりです。
『納期』は、それまで。…よろしいな?」
ボルカスが恐る恐る、その革袋の中身を確認し、戦慄した。
「…ぜ、ゼニス…。…『金貨』が、『百枚』…!」
(※金貨1枚=約100万円相当。つまり、1億円)
支配人は、リリアナの最後の言葉を伝えた。
「…ミストレスは、こうも、仰せでした。
『その「カネ」で、あなた方の「舞台」を整えなさい。
…わたくしが飽きるまで、「物語」を紡ぎなさい』」
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支配人は嵐のように帰っていった。
テーブルの上には、金貨100枚。
最初の『利益』が積まれている。
サイラスからかろうじて搾り取った金貨10枚とは、比較にならない存在感だ。
ボルカスは、その黄金の輝きに目が眩み、震えている。
ギデオンは、そのカネと、百個という無茶な発注書を見比べ、不敵に笑っていた。
「…ゼニス。…どうやら、俺たちは、『顧客』じゃない。
…最高に金払いの良い、『化け物』を、釣っちまったらしい」
ゼニスはその金貨を一枚、静かに掴み取った。
その冷徹な瞳は、成功に酔ってはいない。
既に次の戦場を、見据えていた。
(…『百個』の、大量生産)
(『ガラス瓶』も、『香り』も、『蒸留器』も、何もかもが足りない)
(『カネ』は、手に入れた。だが、同時に次の、巨大なボトルネックが顔を出した)
ゼニスはそれでも、静かに、頷いた。
「…ああ。順調だ」




