第三十七話『ターゲット』
看守長代理室。
机の上には、完成したばかりの『スリーピング・シン』が、一つ、置かれている。
それは、ギデオンとロイドの狂気が鋳込んだ、荒々しくも美しいガラスの「器」に、
ギデオンとエララが調合した「罪」の香りを封じ込めた、「第一号」だった。
「…『弾丸』と『火薬』は、できた」
ギデオンは、その「完成品」を満足げに眺めながら、ゼニスに問うた。
「…だが、ゼニス。この『弾丸』は、『誰』に、撃ち込む?」
ボルカスが、口を挟む。
「そ、それは、もちろん、『金貨100枚』で、買うような、王都の『貴族』では…?
例えば、どこかの、伯爵夫人とか…」
「馬鹿言え」
ギデオンは、冷ややかに一蹴した。
「『貴族』は『価値』が、分からない。『他人』が認めた『価値』を、『買う』だけの連中だ。
奴らに最初に撃ち込んでも、『雑草の匂い水』として買い叩かれるのがオチだ」
ギデオンの目が、細められる。
「俺たちが最初に撃ち込む相手は、『貴族』じゃない。
…その『貴族』たちが「こいつが『良い』と言ったから良いのだ」と、ひれ伏す『価値の支配者』だ」
ゼニスは、ギデオンの言葉にひとつ頷くと、ボルカスに言った。
「…ボルカス。ハイエナを呼べ。
奴の『裏の販路』を、すべて吐き出させる」
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サイラスは、再び恐怖に顔を引きつらせながら、看守長代理室に引きずられてきた。
彼は、もはや自分がいつ「処刑」されてもおかしくない、と、本気で思い始めていた。
ギデオンが、単刀直入に詰め寄る。
「サイラス!お前が知る、『最高額』の取引相手を、言え!」
「は、はいぃ!」
サイラスは必死に記憶を探った。
(『最高額』…『最高額』…!)
「と、盗品の武器を、卸している、『鉄腕傭兵団』の、団長で…!」
「却下だ」
ギデオンは、即座に、切り捨てた。
「『筋肉』に、香りの価値が、分かるか!」
「で、では、『暗殺者』の、ギルドマスター…!あそこは、金払いが…!」
「却下だ」
ギデオンは、冷たく、言い放った。
「『裏切り者』に、「本物」は、扱えん!」
その時、黙って聞いていたゼニスが口を開いた。
そして、サイラスの目を覗き込んで問う。
「…サイラス」
「ひぃ!?」
「ガルトに納品していた『高級酒』があったな?」
「は、はい…(ゴクリ)」
「…すべてガルトに納品していたのか?」
「…へ?」
「ガルトの消費量など、たかが知れている。
…お前の『高級酒』には、もっと、大きな流れがあったはずだ」
ゼニスは、サイラスの最大の「秘密」を、正確に撃ち抜いた。
「…ガルト『以外』にも、納品しているだろう。
お前の本当の、最大の得意先は、誰だ?」
「…っ!!」
サイラスの顔面から、血の気が、引いた。
それは、ガルトが処刑された今、彼が墓場まで持っていこうとしていた、最後の『生命線』だったからだ。
「そ、それは…!わ、ワシには、何も…!」
サイラスが、必死に白を切ろうとした、その瞬間。
部屋の隅に控えていたカエルが、黙って、腰の剣の柄に手をかけた。
「(ひぃぃぃ!)」
サイラスは、観念した。
「…『か、金糸雀の籠』…です」
震える声で、彼は、白状した。
「…王都随一の、『夜の館』…。
そこの厨房に、食料や酒を、裏口から納品、しております…!」
(…『金糸雀の籠』…!)
その名前を聞いた瞬間、ギデオンの目が鋭く細められた。
彼が王都のスラムで燻っていた頃から、その「噂」だけは聞いていた。
王侯貴族、大商人、闇ギルドの幹部…あらゆる「権力」と「欲望」が集う場所。
そして、その頂点に君臨する謎の女主人がいる、と。
(…あの、ギルドすら手出しができない、治外法権の『欲望の城』か…!)
ギデオンはゼニスに向き直った。
その目は、すでに「獲物」を捉えていた。
「…ゼニス。決まった。『戦場』は、そこだ」
ギデオンは、サイラスに、命じた。
「いいか、サイラス。お前がこの『弾丸』を届けるんだ」
「む、無理です!ワシは、ただの『裏口』の納品業者で…!表の方々には、とても…!」
「だから、『裏口』で、いい」
ギデオンは、完成したばかりの「弾丸」を、サイラスの震える手に握らせた。
「これは、『売り物』ではない。『貢物』だ」
ギデオンは、サイラスの耳元で囁いた。
「お前が『厨房』の責任者に、こう言え。
『いつもの礼だ。…この『香り』を、貴様らの『女主人』に献上しろ。
…もし、これが『本物』だと分かるならな』…と」
――数日後。
王都、「金糸雀の籠」。
その最奥に位置する、絢爛豪華な一室。
絹のカーテンが幾重にも垂れ下がり、部屋の主の姿を隠している。
部屋の中央には、館の支配人の手へと渡った、灰色谷の「弾丸」が一つ、置かれていた。
支配人は、その未知の「香り」を、恐る恐る嗅いだ。
そして、その経験したことのない、背徳的な深さに、戦慄した。
「…こ、これは!」
その時、絹のカーテンの奥から、鈴を転がすような、しかしどこか冷たい声が響いた。
「…何かしら?その、『下品』な声は」
「!…これは、失礼いたしました。『ミストレス』」
支配人は慌てて跪いた。
「…ただ、スラムの『鼠』が、奇妙な『香水』を、献上してきただけで…」
「…『香水』、ですって?」
声は、退屈そうに、言った。
「…わたくしを、満たせる『香り』なんて、果たして、この世に存在するのかしら…」
カーテンの隙間から、白い陶器のような指だけが、すっ、と、伸びてきた。
その指が、テーブルの上の「弾丸」を掴み取る。
「……!…これは…」
声のトーンが、初めてかすかに、揺れた。
「…これは……『香り』、ですらないわね」
支配人が、訝しげに、顔を上げる。
「…と、申されますと…?」
声は、まるで秘密を囁くかのように、言った。
「…『安らぎ』を約束しておきながら、『堕落』を、誘う…
…これは…『罪』、ね」
声のトーンが変わる。
それは、退屈から、歓喜へ。
あるいは、恐怖から、愉悦へ。
「…どこの、『鼠』が、造ったのかしら?
…いいえ。
…どこの、『悪魔』が、造ったのかしら?」
弾丸は、撃ち込まれた。
そして、その弾丸に込められた「真の価値」を。
唯一の受信者が、完璧に、受け取った。




