第三十六話『老婆の調合』
「弾丸」は、完成した。
次は、それに込める「火薬」だ。
ゼニスは、『雑草』から『香り』を抜き出すため、エララを呼びだした。
代理看守長室に、エララが穏やかな笑顔で入ってくる。
そのエララの姿を、ギデオンは冷徹な目で鑑定していた。
(…なんだ、こいつは)
ギデオンの思考が、高速で、回転する。
(見るからに、知恵も、体力も持ち合わせない『弱者』だ)
(こんな、ただの人の良さそうな老婆に、何ができる?)
「ゼニス」
ギデオンは、侮蔑を隠そうともせず、言った。
「俺は『弾丸』に込める『火薬』を造ると言った。
…介護をする時間は、ないぞ?」
一方、エララも、目の前にいる痩せて目の座った若者を、鑑定していた。
「あら、あら…」
エララは、ゼニスにこっそりと耳打ちした。
「…ゼニス様。この方、うちの息子に、そっくりだわ。
…きっと、お腹が空いてるのねぇ…?」
ゼニスは、その二人の致命的な認識のズレを意にも介さず、ただ、合理的にアサインした。
「…エララ。あんたの知識が必要だ。
「この谷に生えている『雑草』とその『効能』を、すべてこいつに叩き込め」
その日の午後。
灰色谷の外れにある、野原。
蒸留器の横に、燃える水が満たされた大樽が置かれている。
ギデオンの指示の下、エララが次々と谷に自生する雑草を摘んできては、差し出す。
ギデオンは、その一つ一つを鼻で嗅ぎ分け、「鑑定」していく。
「…弱い」
「…これも、違う」
「…これは、ただの、青臭い、水だ」
ギデオンの、イライラが、募っていく。
「違う!俺が欲しいのは『香り』だ!脳を、直接殴りつけるような、強い『香り』だ!」
「こんな弱々しい香りの、どこに価値があると言うんだ!」
エララは、そのギデオンの「イライラ」を見て確信した。
(…やっぱり、この子は、『疲れて』いるんだわ…。)
「ギデオン様」
エララはニコニコと笑いながら、一枚の小さな葉を差し出した。
「そんなに、大きな、声を、出したら、お疲れでしょう?
…これを、お食べなさい。心が安らぐ、『カミミ』の葉ですよ」
「…は?」
ギデオンは、完全に、固まった。
「…俺は今、『火薬』を造っているんだ!茶を飲みに来たんじゃない!」
「あらあら。…じゃあ、こっちの『眠り花』の蜜はどうかしら?」
エララは別の小さな花の蜜を差し出す。
「これを舐めれば、ぐっすり、眠れますよ」
「俺は!疲れてない!!」
ギデオンは、ついに、絶叫した。
そして、本気で頭を抱えた。
(…ダメだ。話が通じない…)
(戦略が理解できない原始人だ。…ゼニスは、なぜこいつを寄越した…!)
彼は決意した。
この老婆をプロジェクトから追放するために。
合理的な絶望を、彼女の目の前に叩きつけてやる、と。
「…分かった、老婆」
ギデオンは、吐き捨てるように言った。
「…お前のその優しい雑草がどうなるか、見せてやる」
ギデオンはエララが差し出した『カミミ』の葉を、乱暴に掴み取った。
そして、それを「燃える水」を小分けにした樽に叩き込んだ。
「ジュワッ」
入れた瞬間。
「燃える水」は水ではない。
超高純度の『溶剤』だ。
カミミの葉に含まれていた微かな香りが、アルコールに瞬時に「抽出」された。
周囲にカミミの純粋な、しかしまだ弱い香りが、ふわりと広がる。
「…どうだ、老婆」
ギデオンは、勝利を、確信した。
「お前の『優しさ』は、この『化物』に、一瞬で、食い尽くされた。
…ただの、香りのついた、水だ。
…これでは、『火薬』には、ならん!帰れ!」
だが、エララは、怯まなかった。
彼女は、その香りを静かに嗅ぎ、ニコニコと笑いながら首を振った。
「あらあら、ギデオン様。『カミミ』だけでは、ダメですよ」
「…なに?」
「『カミミ』は、心を安らげますが、それだけでは人は眠れません」
エララは、自らの経験知を開示する。
「…カミミで道を作り、そこにこの眠り花の蜜をそっと流し込んであげるのです。
そうすれば、『一番幸せな夢』が、見られる」
エララは遠い目をした。
「…うちの、息子たちが、そうでしたから」
ギデオンは夢だの息子だのという非合理な与太話に、反吐が出そうになった。
だが、彼の脳の「価値創造者」の部分が、違う可能性に気づいた。
(…待て。『カミミ』で『道』を作り…『眠り花』を『流し込む』…?)
(…こいつまさか…調合の基礎を『経験則』で語っているのか…!?)
ギデオンは、唾を、飲み込んだ。
彼は無言で樽から汲み出した、カミミの原液が入った小瓶を取った。
そして、エララが差し出す眠り花の蜜を、一滴だけそこに垂らした。
――次の、瞬間。
カミミの、青臭い安らぎの、香りが。
眠り花の、甘く重い香りと。
アルコールという触媒の上で、「結合」した。
それは、もはや、カミミでも眠り花でも、なかった。
二つの凡庸な雑草が互いの良さを引き出し合い、倒錯するほど甘美で抗いがたい、誘惑の香りへと変貌していた。
ギデオンは、その「小瓶」を手に震えていた。
(…嘘だ。…カミミと眠り花?…こんな、『ゴミ』と『ゴミ』の組み合わせが…)
(…ギルドが独占している高価な『ローズオイル』や『ジャスミン』を遥かに超える…!)
(…『安らぎ』と『眠り』。…この、背徳的な、組み合わせ…!)
ギデオンはエララを見た。
もはや弱者としてではない。
未知の「データベース」として。
「…老婆。…お前」
「あらあら」
エララはただ、優しく微笑んだ。
「…やっと、お腹の虫が治まったみたいねぇ」
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ギデオンは、その『プロトタイプ』を、ロイドが鋳造した「弾丸」に、静かに注ぎ込んだ。
第一号が、完成した。
ボルカスが、その部屋中に満ちた香りに当てられ、うっとりとした顔で呟いた。
「…こ、これは…すごい。…『カミミ』の香り、か…?なんだか心が落ち着くような…」
ギデオンは、その凡庸な感想を冷ややかに一蹴した。
「…違う」
ギデオンは、その背徳的なな香りが閉じ込められた弾丸を掲げる。
彼は、ゼニスを見据え、その「弾丸」に最初の名前を、与えた。
「――カミミは、表の名前だ」
「この『弾丸』の真の名前は」
「『スリーピング・シン』だ」




