第二十八話『S(へび)の署名』
執務室は、表の祝宴の喧騒が嘘のように、静まり返っていた。
ゼニスは一人、机の上でガルトの『裏帳簿』と格闘していた。
彼は、ガルトの不正の「入り口」を掴んでいた。
(…間違いない。この『ライ麦』の搬出記録…横流しだ)
(取引相手はすべてこの『蛇』の印…)
だが、そこで壁に突き当たっていた。
(…『蛇』は誰だ?それに『蛇』だけじゃない。『亀』に『狼』に『鼠』…この動物園は何だ?)
(そもそも、ガルトの不正はこの『ライ麦』だけなのか?)
(裏の情報だけでは厳しい。表(実際)の記録と照合しなければ「全体像」は見えてこない…)
――そう結論づけたゼニスは、祝宴の輪からボルカスを呼び出した。
「どうした、ゼニス。お前は飲まんのか?」
まだ酒の匂いをかすかに漂わせるボルカスに、ゼニスは、端的に告げた。
「ボルカス。『カネ』がない」
「…あ?」
「『ツルハシの量産化』に必要な初期費用がゼロだ。
公爵に頭は下げれない。だから――創り出す」
ボルカスはその言葉に、ゴクリと唾を飲んだ。
顔からは、急速に酔いが醒めていっている。
ゼニスは、『裏帳簿』を机に広げた。
「これが『武器』だ。だが『裏』だけでは解けん。
ガルトが取引していた『商人』すべての『公式な納品記録』が必要だ。ありったけすべてだ」
「……ゼニス。お前まさか…」
ボルカスは、ゼニスの「本気」と、目の前の「武器」、そして「自分の役割」を、すべて理解した。
彼は、まるで長年この時を待っていたかのように、不敵に笑った。
「…なるほどな」
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ボルカスは、書庫の鍵を開けると、日々保管している分厚い『納品書』の束を運び出してきた。
裏と表の情報が、一つの机に出揃う。
ゼニスは、まず裏帳簿の「搬出」のページを指さした。
「ボルカス。この『蛇』の印がライ麦の横流し相手だ。
だが、それだけではこいつが誰か特定できない。もっと情報が必要だ。
そして、俺はこいつが『支出』にも絡んでいると見ている」
「仕入れだと?」
「ああ。ガルトは『収入』だけでなく『支出』でも儲けていたはずだ。
俺は、あの狡猾な男が、ライ麦の闇取引だけで満足するとはとても思えない。
それを踏まえて、お前の納品書と、『裏帳簿』の仕入れリストを照合する」
そうして二人は作業に取り掛かった。
ゼニスが裏帳簿の「支出」ページを読み上げ、ボルカスが該当する納品書を確認する。
ロウソクが、短くなり、交換され、また、短くなる。
ボルカスが運び出した『納品書』の山が、ゼニスの『分析』によって、机の上で二つの山、
――『無関係』と『容疑者』――に、仕分けられていく。
そして、空が、白み始めた。
「『蛇』の印。『シャベル』単価『大銅貨9枚』
ゼニスが、裏帳簿に記された、その「支出」を、淡々と、読み上げた。
ボルカスが、手元の納品書と、照合する。
「…ああ、これだ。『蛇』の商会。…『シャベル』単価『大銅貨9枚』…。……ん?」
ボルカスの手が、止まった。
「…9枚?馬鹿な」
「…どこか気になるのか?」
ボルカスは、ゼニスの問いに答えず、慌てて別の納品書――『亀』の印の商人の束――を、乱暴に、抜き出した。
「これを見ろ、ゼニス!こっちは『亀』の商人だ!『ツルハシ』単価『大銅貨3枚』!」
ボルカスは、奴隷監督としての「実務経験」から、確信を持って、叫んでいた。
「『シャベル』と『ツルハシ』だぞ!?素材も、作る手間も、大差ない!なぜ、あの『蛇』の商人だけが、『三倍』もするんだ!」
「…ボルカス、それだ」
ゼニスは、裏帳簿の『ライ麦横流し』のページを、指で、強く叩いた。
「こっちを見ろ。この『ライ麦』の取引相手も、『蛇』だ」
ボルカスが今、叫んだ『シャベル』のページも、叩く。
「そして、この『高額なシャベル』の取引相手も、『蛇』だ」
そして、ボルカスの目を、真っ直ぐに、見据える。
「『収入』も『支出』も、すべて、この『蛇』が、関わっている。
ガルトはライ麦の『横流し』に加えて、ここで、二重に儲けていたんだ」
「二重、だと…?」
「ああ。差額は『大銅貨6枚』。
ガルトは、その過剰な利益の一部を、この『蛇』から『賄賂』として、受け取っていた。
…キックバック、というやつだ」
ボルカスは、怒りのあまり、机を「ドン!」と叩いた。
「くそっ…!この『蛇』の野郎、ふざけやがって…!!」
「ボルカス。ガルトは用心深い男だ。
なぜ一目で『暗号』と分かる『動物』の印を使ったと思う?」
「…カモフラージュか?」
「ああ。『木を隠すなら森』だ」
ゼニスは裏帳簿を指で叩いた。
「ガルトは多数の『偽物』の暗号を用意し、その中にたった一つの『本物』を隠した。
…ボルカス。お前が管理していた『納品書』に『亀』や『狼』にゆかりのある商人はいたか?」
ボルカスは記憶を探りながら、納品書の束をパラパラとめくりながら首を振った。
「いや…そんな商人は一人もいなかった。暗号との『関連性』はな…い…」
ボルカスの手は、そこで、はたと止まった。
「…待て。関連性はない。だが…この『蛇』の記号だけは…。
これは『紋章』じゃない、どこかで見た覚えがある…!」
ボルカスは急いで裏帳簿をめくり、『蛇』の印が押されている「シャベル」の仕入れ日を確認する。
そして束から、該当する日付の納品書を抜き出した。
「…これだ」
ゼニスがその納品書を覗き込む。
そこには品目、金額と共に、商人による受領の『サイン』が記されていた。
それは尊大に走り書きされたアルファベットの一文字。
"S"。
「……!」
ボルカスはその「S」のサインと裏帳簿の「『蛇』の印」を交互に見比べた。
走り書きの「S」の筆跡。
それがガルトが裏帳簿に模倣して描いた「蛇」の形に完璧に重なった。
「…S」ボルカスが震える声で呟いた。
「…サイラス」
「…あのハイエナのような男か…!」
ボルカスの脳裏に、毎週毎週、この『納品書』を尊大な態度で俺に突き付けてきたあの男の顔が浮かぶ。
「ヤツのサイン"S"がガルトには『蛇』に見えた。
だからガルトは他の商人を『動物』でカモフラージュした…!」
ボルカスは、日々顔を合わせていた男こそが、奴隷たちの食い扶持を二重に搾取していた「共犯者」だったという事実に、怒りで拳を震わせた。
そのボルカスの「怒り」を、ゼニスは静かに見つめていた。
そして、最終確認を行う。
「ボルカス。その男、サイラスは今、どうしていると思う?」
「…!」
ボルカスははっと我に返る。
「…そうか。ガルトは『処刑』された。その『共犯者』であるサイラスは…
アークライト公爵の手が自分に伸びるのを、怯えながら、震えている…!」
「正解だ」
ゼニスはボルカスに向き直った。
「ボルカス。サイラスは『罪人』だ。
だが、今、彼は我々にとって、最も『利用価値』がある」
ゼニスは、ガルトの『裏帳簿』の、サイラスとの取引が記されたページを丁寧に書き写した、「写し」を作成した。
そして、それをボルカスに渡した。
「俺たちは『軍資金』を創り出す必要がある。
そのための最初の交渉相手がサイラスだ」
ゼニスはボルカスの燃える「瞳」を見据えた。
「…サイラスを脅迫しろ。そして彼から『投資』を引き出せ」
ボルカスは一瞬息を呑んだ。
「『投資』…?ゼニスワシらは奴に何を『売る』つもりなのだ?
『鉱石』は公爵様の目がある。横流しはできんぞ?」
「それは」
ゼニスは冷徹に告げた。
「あんたがサイラスから『投資』を引き出した『後』の話だ。
今はただ奴を我々の『テーブル』に着かせることだけを考えろ」
ボルカスはゼニスの「瞳」を見た。
何か確固たる勝算を秘めた目だ。
アークライトとの契約を果たすという「使命感」。
サイラスという搾取者に報復するという「正義感」。
そしてこの若き頭脳への「信頼」。
その全てを胸に、ボルカスは深く頷いた。
「……承知した。ゼニス。
『代理看守長』として、その『交渉』ワシが引き受けよう」
―――――
少しの打合せの後。
ボルカスはゼニスから受け取った裏帳簿の『写し』を、その分厚い手に握りしめ、部屋を後にした。
その背中はもはや怯える「看守長代理」ではない。
交渉という戦場へ赴く「戦士」の背中だった。
ゼニスはその背中を静かに見送る。
(…第一フェーズ『交渉』開始)
(ボルカスが『カネ』を確保してくるまでに、俺は『錬金術』の準備を完了させる)
ゼニスは鍛冶職人ロイドを呼び出すためのベルを鳴らす。
そして机の上に、一枚の『設計図』を広げた。
そこに描かれていたのは、奇妙な「フラスコ」と「冷却管」が、複雑に組み合わさった、この世界ではまだ誰も見たことのない、
「不純物」から「黄金」を錬成する――
『蒸留器』という名の、異形の機械だった。
この世界の通貨レートは、以下のイメージです。
銅貨 :100円
大銅貨:1,000円
銀貨 :10,000円
大銀貨:100,000円
金貨 :1,000,000円
大金貨:10,000,000円




