第二十七話『祝宴の裏で』
その夜。
アークライト公爵が去ってから、灰色谷はいまだ「歓喜」の余韻に包まれていた。
「一年後、俺たちも『平民』になれるんだ!」
その希望が、奴隷たちの心を完全に弛緩させていた。
広場の中心では、ささやかな祝宴が開かれている。
ガルトが溜め込んでいた、最後の貯蔵品の酒が、振る舞われていた。
その輪の中心にいるのは、ボルカスだった。
マルコが、酔いの回った顔で、からかうように言う。
「ボルカスさん!あんたが公爵様の前で、腰を『グキッ』とやった時、全員の首が飛ぶと思ったぜ!」
「う、うるさい!アレは、練習のしすぎだ!」
ボルカスも、顔を赤らめながら、怒鳴りかえす。
だが、その表情にはやはり、喜びが隠しきれていない。
(本当によかった…)
(公爵様は我々の『有用性』を、認めてくださったのだ…!)
ボルカスは、人生で初めて、心の底からの安堵と共に酒を煽った。
その熱狂の輪の中で、マルコが、ふと、気づいた。
「そういえば、ボルカスさん」
「ん?」
「俺たちの、本当の救世主…ゼニスの、姿が見えないな?」
その頃。
当のゼニスは、執務室にいた。
先ほど、この部屋に来ていたロイドを見送ったところだ。
その足で窓辺に立ち、広場の喧騒を見下ろす。
彼の机には、アークライトが受け取らなかった、あの雑草の花冠が置かれている。
祝宴には参加しない。
とてもそんな気にはなれない。
話は数時間前に遡る。
―――――
アークライトが帰った直後、歓喜に湧く仲間たちを背に、ゼニスは執務室へと籠った。
彼だけは、絶望的な契約の全体像を、正確に見抜いていた。
アークライトはが口にした契約はこうだ。
「一年後。この谷が生み出す「利益」を、現在の三倍にしろ。」
利益とは、収益から事業にかかったすべての費用を差し引いた、最終的な儲けのことだ。
要は一年後、アークライトの下に残る儲けが現在の三倍になれば、契約履行となる。
だが、彼は結果だけを要求し、手段は、一切提示しなかった。
今日の視察で、少しは投資も引き出せるかと期待したが、それにも至っていない。
これらの事実を踏まえて、この契約をクリアするためには…
ゼニスは、『具現設計』を起動させ、この契約を分析した。
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机の羊皮紙に、具現設計によって『可視化』された「7つのボトルネック」を、書き出した。
1.『採掘効率』
現在、唯一、確実な収益化が計算できる「鉱石」は、当然より多く獲得する必要がある。
効率的に採掘できる道具の量産や、あらたな採掘方法の開発が必要だ。
2.『労働力』
収益の大幅な拡大を見据えるならば、現在の奴隷「数百人」では、話にならない。
可能であれば、必要なスキルを持つ「数千人」規模の労働力を確保したい。
3.『物流』
何をするにしても、生産が数倍にもなれば、輸送が確実に崩壊する。
灰色谷から消費までを繋ぐ、スムースな輸送手段が求められる。
4.『製品化』
単純に鉱石だけを収益とするのでは付加価値が低すぎる。
収益拡大を見据えるなら、付加価値の高い新製品が作りたい。
5.『販路』
現在の販路は、鉱石のものに限られるうえ、固定化されている。
新製品の開発後は、我々に有利な条件で販売できる先が必要になるだろう。
6.『組織』
現在の数百人でさえ整備できていないのに、このまま労働力が加わったらカオスだ。
物理的にも、機能的にも、多くの多様な労働力を整理することが重要だ。
7.『安全保障』
仮に全てがうまく進むとして、富を持ち始めた奴隷など、鴨が葱を背負っているようなもの。
外敵からいかに富を守るか、その手段も検討せねばなるまい。
必ずしも、7つ全ての課題クリアが条件、というわけではない。
しかし、複数項目を連鎖的に解決できれば、目標達成に大きく近づくはずだ。
(この7つの連鎖を起動させる、その「最初の一手」…)
ゼニスは思考を収束させる。
(初めに着手すべきは「採掘効率」と「製品化」を同時に解決し得る、新型ツルハシの『量産化』…か)
方針は決まった。
ゼニスは、鍛冶職人のロイドを呼び出した。
―――――
…しばらくの間、広場を、眺めるともなく、眺めていた。
ゼニスの脳裏に、絶望的な「報告」が蘇る。
『…ゼニス様。不可能です。職人が、いません。石炭が、ありません。
そして、何よりも、それらを調達する資本が、ゼロです』
(…初期費用、か)
これこそが、最初の、そして、最大の「ボトルネック」だった。
上機嫌で去っていったアークライトに投資を頼むのは非合理的な判断だ。
彼の信頼を損ねれば、この谷に対する自治など、いつでもなかったことになるのだから。
ならば、どうする?
――平民だ!と、はしゃぐ声を聞きながら、ゼニスの覚悟は固まっていく。
ならば…。
「支配の外側で、我々自身で軍資金を、創り出す…!」
もはや方針は決まった。
それならば、行うべき最初の一手も決まっている。
鍵は、ガルトの、『裏帳簿』だ。




