第二十六話『契約という名の新たな支配』
第一幕:灰色谷の奇跡、終幕です。
ゲートが、重い音を立てて、開く。
俺、マルコは、広場に集められた奴隷たちと共に、息を呑んだ。
十名の騎士たちに護衛され、豪奢な、しかし一切の無駄がない、黒塗りの馬車が、静かに谷へと入ってくる。
馬車が、止まった。
一人の男が、馬車から降り立つ。
――アークライト公爵。
初めて見るその男は、ガルトとは明らかに違う。
気品を感じさせる、しかし全てを見透かすような、冷徹な目をしていた。
その目の前に広がる光景。
それは、俺の尺度では、もはや「事故現場」としか、言いようのないものだった。
第一。
彼の目の前に、無造作に立てかけられた、一枚の木板。
『灰色谷・生産性革命視察ルート→』
第二。
その看板の横で、灰の中から蘇生したボルカスさん。
緊張のあまり、既に口がパクパクしている。
「ぎ、ギョイ!きょ、きょ、恐悦至極に…ぞ、ぞんじます!」
尻を天に突き出す、90度のお辞儀を、実行しようとして。
「――グキッ!!」
鈍い音と共に、ボルカスさんの腰が、あり得ない角度で、固まった。
「あ、あ、あ…」
ボルカスさんは白目を剥き、泡を吹きながら、公爵の目の前で、ゆっくりと、崩れ落ちた。
第三。
「公爵様に、何たる無礼を!」「愚弄するか!」
騎士たちが、ボルカスさんの奇行に反応し、一斉に剣に手をかける。
その瞬間。
彼らを、遥かに上回る、濃密な「殺気」が、広場の隅から、放たれた。
カエルだ。
彼は、落とし穴(ゼニスに埋めさせられたはず)の横で、あの棍棒を、固く、握りしめている。
(ひぃぃぃ!始まる!殺される!)
―――――
騎士たちが、公爵を守るために、即座に、カエルとの間に陣形を組んだ。
一触即発。
だが、アークライト公爵は、その「地獄絵図」を見ても眉一つ動かさなかった。
彼は、この混沌の中心で唯一微動だにせず、自分を「観察」している男にその視線を向けた。
『視察ルート』の看板の横に立つ、ゼニスに。
「――カエル」
緊迫した空気を、ゼニスの静かな声が遮った。
「その『歓迎』は不要だ。下がれ」
カエルは、一瞬、ためらった。
主の目の前で、敵意をむき出しにする「脅威」を、排除せずに?
「…し、しかし、ゼニス様!こいつらは…!」
「下がれ」
ゼニスの、二度目の言葉。
カエルは、主の、絶対的な「命令」を受け、「はっ!」と、棍棒を、地面に下ろした。
アークライトの口元が、初めて、ピクリと動く。
(…ほう。この谷の「暴力」は、あの男が支配している、か)
彼は、そう、理解した。
「事を大袈裟にするな。時間が惜しい。お前たちも直れ」
アークライトの言葉で、騎士たちも警戒しながらも陣形を解いた。
ゼニスは、今までの一連などなかったかのように、アークライトの前に、進み出た。
彼は、ボルカスのような、「奴隷の礼」を、しない。
ただ、投資家に向き合う「プロジェクト責任者」として、簡潔に、告げた。
「アークライト公爵。ようこそ、灰色谷(わが工場)へ」
「俺が、提出した『補足資料』の作成者、奴隷1138番、ゼニスです」
「……」
アークライトの口元に、初めて、冷たい、薄い、笑みが浮かんだ。
(――やはりな)
彼は、地面で泡を吹いて倒れているボルカスを、一瞥した。
(あの『無能』ではなかった)
彼は、ゼニスを、頭の先から、足の先まで、値踏みする。
「面白い。では、その『革命』とやらを、見せてもらおうか」
アークライトは、あの「看板」を、顎で、しゃくった。
「…『看板』に、従えば、いいのか?」
「はい」
ゼニスは、頷いた。
「あなたの『時間』は、有限な資源だ。最短で『結果』を提示する」
―――――
動けなくなったボルカスさんを、とりあえず広場の隅に運んだ。
(もう、灰になってる…)
そうこうしていると、ゼニスは公爵と騎士団を連れ、「視察ルート」を歩き始めた。
ゼニスからの指示があるので、俺たち先行テストチームも、いそいそと後を追う。
やっと追いつくと、既にゼニスの説明が始まっていた。
「まず、食糧庫です」
「こちらでは生産性を最大化するために必要な食材を、毎回の食事でバランスよく使用しています」
「『燃料(食事)』の最適化により、労働効率は、1.2倍に上昇しました」
「不足しそうな食材が一目で分かるよう、種類毎に整理して保管しています」
「傷みかけている食材から先に消費できるよう、新鮮な食材ほど奥に配置しています。
これにより食材の廃棄も極小化し、無駄な発注も行っておりません。」
「次に、鉱山です」
「以前は全員が毎日休みなく労働を行っており、集中力や体力が低下し、ケガや病気の発生が絶えませんでした。
結果的に労働力確保が非常に不安定で、働いている人間のモチベーションも著しく損なわれていました。
現在は『労働システム(シフト制)』の変更により、事故率は70%低下し、労働力の安定供給が可能になりました」
「また、各人の得意領域を見極めて配置することで、各ポジションにおける成果が最大化されています」
「これらの改善によって、総生産量は1.5倍の実績を得られるようになりました」
アークライトは、黙って、それを聞いている。
だが、その瞳の奥の「好奇心」の色が濃くなっていくのを、俺は遠目にも感じた。
やがて一行は、鉱山の最奥、「試作型ツルハシ」のテストエリアで立ち止まった。
「そして、これが、レポートに記載した『プロトタイプ』です」
ゼニスは、俺を指差した。
「マルコ。デモンストラシオン(実演)を行え」
(俺かよぉぉぉ!)
心臓が、口から飛び出しそうだ。
公爵が、あの冷徹な目で、俺を見ている。
俺は、ガチガチに緊張しながら、あの、ロイドさんが作った「新型ツルハシ」を、岩盤に、振り下ろした。
――ガツンッ!!
乾いた、重い音。
岩盤が、あり得ないほど、深く、えぐれる。
その、瞬間。
アークライトが、動いた。
「待て」
彼は、護衛の騎士を、手で制止すると、自ら、俺の前に、進み出た。
そして、俺の手から、その「ツルハシ」を、ひったくった。
(ひぃ!?)
アークライトは、その「奇妙な角度」と、「完璧な重心」を、自らの手で、確かめている。
彼は「経営者」であり、同時に、ガリア帝国と戦う「軍人」だ。
この道具が「本物」であり、「革命」であることを、一瞬で、理解したのだろう。
彼は、自ら、そのツルハシを岩盤に叩きつけた。
――ガツンッ!!
「……!」
アークライトは、目を見開いた。
そして、静かにツルハシを、地面に置いた。
・
・
・
ひと通りの視察を終えた一行は、広場へと戻っていた。
俺も役目から解放されて、盛大に胸を撫でおろす。
(緊張で死ぬかと思った…)
しかし、広場の様子は異質だった。
大勢の人間が集まっているのに、誰も、何の声も発さない。
当の公爵自身が黙りこくって、俯いたまま何か考え込んでいるからだ。
(何だよこの空気…重すぎだろ…)
谷全体が、彼の「裁定」を待って、静まり返っている。
その息詰まる沈黙を破ったのは――エララだった。
ゼニスが、静かにエララに頷く。
(オペレーション実行の「合図」…!このタイミングで!?マジかよ!?)
エララが子供たちに促され、恐怖で震えながらも、「雑草の花冠」と「クッキー」の皿を、公爵の前に差し出した。
それを見たボルカスさんは、カッと目を見開くと、その目を白く剥き、今度こそ完全に気絶したのだった…。
――――
アークライトは、「二つのもの」を見て、灰色谷を完全に腹落ちさせていた。
ゼニスが構築した、「合理性の『結晶』」。
そして今、エララが差し出している、「非合理な歓迎の『象徴』」。
二つの点が示され、ようやく彼の中で線に繋がった。
この、ゼニスという男の頭脳は、異常だ。
これまでに視察した全てが、「生産性を高める」という目的に沿うよう設計されていた。
何よりそれを絵空事に終わらせず、規模の大小に関わらず、隅々まで実行し、反映させている。
はっきり言って現国王にさえ、こんなことはできない。
灰色谷という小規模コミュニティでの話とはいえ、もはやこれは賢王の仕事だった。
だが一方で、他の奴隷たちにこの完璧な思想が理解できようはずもない。
理解がなければ反発が生まれ、不満分子として増殖する。
統治などままならないはずだ。
ただ、この老婆の行動と、それを黙認した姿で合点がいった。
奴隷たちの「人間性」を認めているのだ。
ゼニスがそれを受け入れることで、ゼニス自身も受け入れられている。
「異常な合理性」と「非合理な人間性」。
それらによってこの谷は「統治」されている、と結論づけた。
「甘いな……しかし、成果は出ている、か。」
そして。
アークライトは、声を上げて、笑った。
この谷に来て、初めて、彼が、腹の底から、「人間的な」笑い声を、上げた。
「――面白い」
彼は、エララの差し出した皿から、クッキーを一枚、無造作に、口に放り込んだ。
ボルカスが、命懸けで教えようとした「マナー」とは、真逆の行動だった。
「実に、面白い」
彼は、ゼニスに、向き直った。
「『奴隷1138番』。
貴様のレポートは、誇張ではなかった。むしろ、『過小評価』だ」
彼は、気絶しているボルカスを一瞥し、ゼニスに告げる。
「『看守長代理』の名は、ボルカスにくれてやる
だが、これより、灰色谷の『全権』は、貴様に、委任する」
アークライトは、馬車に向かいながら、最後に、ゼニスに、振り返った。
「『契約』だ、奴隷1138番。
一年後。この谷が生み出す「利益」を、現在の三倍にしろ。
達成した暁には、貴様を含む、灰色谷の住民全員の身分を、奴隷から『平民』へと、引き上げてやる」
アークライトの馬車が、去っていく。
その言葉の意味を、理解した瞬間、灰色谷は、歓喜に、包まれた。
「やった…!」
「お、俺たち、『平民』になれるんだ…!」
奴隷たちは、皆泣きながら、抱き合っていた。
ボルカスも、エララに介抱されながら蘇生し、安堵に涙を流している。
「助かった…」
だが、その熱狂の中心で、ただ一人。
ゼニスだけが、冷徹な瞳で、遠ざかる馬車を、見送っていた。
彼は、アークライトが、あの「花冠」を受け取らずに、机に置いていったことを見逃してはいない。
(…平民、か)
(だが、あの男は、俺という『資産』を、『奴隷』という首輪から、『平民』という、より大きな『柵』に、付け替えたに過ぎない)
(『一年で三倍』。それは、『契約』ではない。『新たな支配』だ)
自らに未だつけられたままの奴隷の象徴、「鉄の首輪」にそっと触れた。
本当の「戦い」が、今、始まる。
第一幕、お付き合いいただきありがとうございました!
次回、第二幕:産業革命の設計図、開幕です。
物語は更に加速していきますので、引き続きよろしくお願いします!




