第二十五話『地獄のおもてなし計画』
ボルカスが「爆弾」とも言える報告書を使者に託してから、数日後。
灰色谷の広場に、使者が再び馬に乗って現れた。
以前ガルトを連行していった騎士のうちの1人だ。
俺、マルコは、仲間たちと共に、息を呑んで、その宣告を待っていた。
ボルカスさんが、顔面蒼白で、その前に進み出る。
騎士団長は、馬上から、一切の感情を排した声で、公爵の伝言を読み上げた。
「『月次報告、および補足資料、興味深く拝読した』」
(おっ?)
ボルカスさんの肩が、一瞬、ピクリと動いた。
希望の光が見えたのか、その顔に、わずかに血の気が差す。
だが、騎士団長は、無慈悲に、続けた。
「『よって、三日後、この目で直々に、その"革命"とやらを視察する』」
(ひっ…)
ボルカスさんの顔が、再び、強張る。
「『我が「資産」が、いかに「有用」なものか、じっくりと見せてもらう』。…以上だ」
騎士は、それだけを告げると、馬首を返し、風のように去っていった。
広場に、死のような、沈黙が落ちる。
やがて、ボルカスさんは、その場に、膝から崩れ落ちた。
その顔は、もはや「青白い」を通り越し、「土」の色をしていた。
「お、おわった…」
ボルカスさんは、灰のようになった口で、絶望を、呟いた。
「あ、あの公爵様は、ガルトを『不用品』として『処理』したお方だぞ…!」
「そのお方が、我々の『マナー』を!『言葉遣い』を!『秩序』を!直々に、目の当たりにされるのだ!」
ボルカスさんは、ガタガタと震えながら、俺たち、奴隷たちを、見渡した。
そこには、解放の喜びにようやく慣れてきた、だらしない格好の奴隷たちが、ポカンと突っ立っているだけ。
「あの『完璧なレポート』と、この『野蛮な現実(お前たち)』の、ギャップを見たら…!」
ボルカスさんは、ついに、絶叫した。
「公爵様は、ワシらを『虚偽報告』で、処刑するに、決まっている!!」
その瞬間から、灰色谷に、「地獄」が、発生した。
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視察までの猶予は、三日間。
ボルカスさんによる地獄の特訓、「マナー講習」が始まった。
皆が集められた広場に、叫び声が響き渡っている。
「いいか!貴様ら!公爵様を前にしたら、こうだ!尻を、天に突き出すのだ!」
「は、はぁ…?」
「返事は『御意』のみ!いいか、『ギョイ』だ!」
「ギ、ギョイ…?」
「そして、こう言え!『恐悦至極に存じます(キョウエツシゴクニゾンジマス)』!復唱!」
「キョ、キョウエツ…?シゴ…?」
俺たち奴隷は、鉱山での労働よりも遥かに過酷な「地獄の特訓」で、白目を剥いていた。
ボルカスさんの絶叫だけが、広場に響き渡る。
そして、その「地獄」の、すぐ片隅で。
もう一つの「地獄」が、静かに、進行していた。
ボルカスさんが、大人たちに「ギョイ!」を絶叫させている、その真横で。
エララと、谷の子供たちが、和気あいあいと、何かを作って遊んでいる。
彼らは、灰色谷に新しく生え始めた(排水計画の成果だ)野草を摘み、楽しそうに編んでいたのだ。
――『花冠』を。
「エララ!子供たち!何をしている!?」
ボルカスさんが、その不穏な動きを察知し、血相を変えて駆け寄った。
「今は『ギョイ!』の練習中だぞ!集中しろ!」
「あら、ボルカス様。精が出ますわね」
エララは、優しく、穏やかに、微笑んだ。
「公爵様が、わざわざこんな辺境まで、いらっしゃるのですもの。
子供たちと、差し上げる『花冠』を、作っていたのですよ」
ボルカスさんは、心臓を、氷の手で、鷲掴みにされたかのように、顔を歪めた。
「は、『花冠』!?しかも『雑草』の!?こ、これを、公爵様に…!?」
「ええ、きっと、お喜びになりますわ」
「き、貴様らぁぁ!公爵様を『侮辱』する気か!全員打ち首になるぞ!やめろ!今すぐやめろ!」
ボルカスさんが、逃げる子供たちから花冠を没収しようと走り回っていると、今度は炊事場の方から、甘く、香ばしい、あり得ない匂いが、漂ってきた。
そこではエララに指示された女性たちが、ゼニスが「栄養管理」のついでに提供した『レシピ』に基づき、貴重な小麦粉と木の実を使い何かを焼いていた。
「な、なんだこれは!??ま、まさか、これも、公爵様に…!?」
「はい。ゼニス様が作り方を教えてくれたお菓子です。
クッキー、というそうですよ。長旅でお疲れでしょうから、お茶請けにと思いまして」
エララが、にっこりと、笑う。
ボルカスさんは、ついに、膝から、崩れ落ちた。
「花冠…クッキー…」
「ワシらは、『無礼』と『侮辱』の、連続コンボで、処刑される…!」
「ワシの胃が…もう、持たん…!」
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二日目の夜。
ボルカスさんの地獄の特訓からこっそり逃げ出し、俺は鉱山の片隅で休んでいた。
そこで俺は、見てはいけないものを、目撃してしまった。
カエルが、マナー講習には一切参加せず、一心不乱に、地面に「穴」を掘っていたのだ。
(あのバカ、何してんだ…?)
「…公爵?知ったことか」
カエルは、誰に言うでもなく、棍棒の横で、汗を拭っている。
「看守長より偉い奴なら、間違いなく『敵』だ。
ゼニス様に、万が一にも、近づけるものか。この『落とし穴』で、仕留めてやる…」
(ひぃぃぃ!あのバカ、公爵を、殺す気だ!)
俺が、恐怖に震えていると、その背後から、静かに、ゼニスが現れた。
「カエル」
「はっ!ゼニス様!迎撃準備、万端であります!」
「合理的ではない。その穴の『有用性』を説明しろ」
「はっ!害獣の駆除です!」
「却下だ、埋めろ」
ゼニスは、冷徹に、言い放った。
「アークライトは『害獣』ではない。我々にとって、最大の『投資家』だ」
ゼニスは、カエルに穴を埋めさせると、そのままボルカスさんの元へ向かって行った。
(ゼニスがまともでよかった…)
(それにしてもカエル…こいつを野放しにしてていいのか…)
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ゼニスが訪ねると、ボルカスは講習を終えて執務室にいた。
あまりの皆の覚えの悪さ、言うことの聞かなさに絶望し、どうやら遺書を書き始めている。
「ゼニス…!頼む、エララを止めてくれ…!あの花と菓子は、あまりにも『非合理』だ!」
「…」
ゼニスは、ボルカスの絶望を受け流した。
彼は、冷徹に「分析」する。
(ボルカスの『マナー講習』は、恐怖を増大させ、効率ゼロ。失敗確率99%。
一方、エララの『おもてなし』は、論理破綻している。だが…)
彼は、エララの発言による、「士気34.8%上昇」のデータを、思い出す。
(この『非合理な歓迎』が、公爵という未知のパラメータに対しどのような『感情的影響』を与えるか…?予測不能。だが、検証の価値はある)
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そして、運命の三日目。
視察当日の、早朝。
マルコを始め、奴隷たちは皆広場に集まっていた。
(ボルカスさん、大丈夫かな)
(ダメだ…完全に魂が抜けて、灰になってる。)
その、絶望的な広場の中心に、ゼニスが、立った。
全員の視線が集まる。
「お前たち。ボルカスによる『マナー講習』は、本日をもって、すべて『廃止』する」
「「「おおおお!!」」」
仲間たちの、歓喜の声。
よかった、本番はやらずに済むんだ!
だが、ゼニスは、冷徹に、続けた。
「代わって、俺が作成した『公爵視察オペレーション・マニュアルVer.1.0』を、通達する」
発された言葉の意味が分からず、皆の顔が固まる。
(マ、マニュアル…!?)
ゼニスの「完璧な計画」が、発表された。
「第一。マナーの禁止。公爵と目が合っても、頭を下げるな。話しかけられても、返事をするな。我々が見せるべきは『奴隷の忠誠心』ではない。灰色谷という『工場の生産性』だ」
「第二。デモンストレーションの実行。マルコたち先行テストチームは、公爵の目の前で、『試作型ツルハシ』による採掘デモを行う。恐怖は不要だ。『数字』だけを叩き出せ」
「第三。『おもてなし』の管理。エララ。あんたの『非合理な歓迎』は、オペレーションに組み込む。ただし、実行は、俺の『合図』があるまで、厳禁とする」
ゼニスは、それだけを言うと、鉱山の入り口に、一枚の「木板」を、立てかけた。
そこには、こう、書かれていた。
『灰色谷・生産性革命視察ルート→』
前言撤回。
ゼニスもまともではなかった。
その光景を見た、ボルカスさんが、灰の中から、最後の力を振り絞って、蘇生する。
「ゼ、ゼニス!貴様ぁぁぁ!マナーを廃止!?しかも『花と菓子』を『許可』だと!?」
ボルカスさんは、最後の、とどめを、見た。
「しかも『→(矢印)』!?公爵を『観光客』扱いする気か!」
「ワシらは…ワシらは、もう、終わりだぁぁぁ!」
ボルカスさんの、人生最後の(ような)絶叫が、谷に響き渡る。
その、まさに、瞬間。
遠くから、重々しい、馬車の車輪の音が、近づいてくる。
谷の入り口の物見台から、声が響いた。
「――来たぞ!アークライト公爵の、旗だ!!」
一気に、場に緊張感が走った。
不安になって、俺は周りを見渡す。
再び灰になったボルカスさん。
落とし穴(埋めさせられたはず)の横で、なぜか棍棒を握りしめているカエル。
視察ルートの看板の横で、冷徹な瞳で「投資家」の到着を待つ、ゼニス。
(…もう、ダメだ。この谷は、今日、終わる)




