第二十三話『システムは静かに進む』
(……なんで、飯がこんなに美味いんだ?)
答えは、翌朝、明らかになった。
俺が配給の列に並んでいると、シチューを配っているのはエララだった。
だが、その横。
ガルトが溜め込んでいた食糧庫の前で、ゼニスが数人の仲間と共に、何やら作業を行っている。
「ゼニス様、この黒ずんだ豆は、もう捨てた方が…」
「待て」
ゼニスは、その豆を数粒拾い上げると、冷徹な瞳で「分析」を始めた。
「…成分、タンパク質。腐敗率12%。水で選別し、加熱処理すれば、9割は有用な『リソース』として再利用可能だ。捨てれば、損失100%だ」
「(???)…わ、わかりましたっ!」
彼は、ガルトの食糧庫を、単に「解放」しただけではなかった。
ガルトが「私腹を肥やす」ためだけに溜め込んでいた、アンバランスな食材(高級な肉や酒、そして腐りかけの豆)を、エララの助言を聞きながら、完璧に「仕分け」ていたのだ。
「栄養価の偏りは、長期的な生産性を低下させる。
昨日シチューに入っていた野草は『ビタミンB群』を、この豆は『タンパク質』を補う。
摂取することで人体に有用なものは余すところなく使う。
この谷の人的資源を、最大効率で維持するための、最低限の栄養管理だ」
言葉の意味は全く分からないが、ゼニスが何をしているのかは、わかった。
ゼニスは、俺たちという「機械」の性能を維持するための、「燃料の最適化」を行っていた。
俺たちが「美味い」と喜んでいたあの感覚は、身体が発する信号だったようだ。
(いい食材使ってるとか、そういう理由じゃなかったのか…)
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第二の革命は、その日の鉱山で、すぐに始まった。
ボルカスさんが、相変わらず胃を押さえながら、新しい「シフト表」を張り出していたのだ。
「い、いいか! ゼニスからの、指示だ!
これより、労働時間を『二時間集中・三十分休息』のローテーション制とする!」
「なんだそれ?休んでて大丈夫か?」
「今までは、半日働き詰めだったじゃねえか」
仲間たちから、疑問の声が上がる。
だが、ボルカスさんは、ゼニスから渡されたのであろう「指示書」を、震える声で読み上げた。
「ぜ、ゼニス曰く…
『人間の集中力は、90分が限界だ。非効率な長時間労働は、事故率を上昇させ、総生産量を低下させる。このシフトこそが、最も合理的かつ、最大の成果を生む』
…とのことだ!」
俺たちは、半信半疑のまま、その新しいシフトで働き始めた。
すると、どうだ。
(…あれ? 楽だ…)
「二時間だけ」と決まっているから、死ぬ気で集中できる。
そして、疲れがピークに達する直前で、強制的に「三十分の休息」が与えられる。
最初は「休んでたら仕事が終わらねえ」と焦っていたが、三十分後、作業に戻った時の体力の回復具合に、俺は驚愕した。
ガルトのいた頃は、看守の目を盗み、だらだらと手を抜きながら一日中働いていた。
結果、疲労だけが蓄積し、効率は最悪だった。
だが、今は違う。
「集中」と「休息」のメリハリが、俺たちの作業効率を劇的に高めていたのだ。
一日が終わる頃には、以前より疲れていないのに、掘り出した鉱石の量は明らかに増えていた。
(すげぇ…)
昨日ゼニスが「非効率だ」と言っていた昼食。あの時に取り入れようとしていた休息も、ゼニスの計算の内だったのだと、ようやく理解した。
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そして、第三の、最大の革命。
それは、数日後、静かに始まった。
「おい、マルコ。お前、ちょっと来い」
「へ?」
ボルカスさんに呼び出されて向かった先は、鉱山の一角にある、古い鍛冶場だった。
そこには、ゼニスと、見慣れない顔の、ひどく痩せた男がいた。
「紹介しよう。彼は、ロイド。
奴隷として連れてこられる前は、王都で『鍛冶職人』をしていた男だ」
ゼニスが、淡々と紹介する。
ロイドと呼ばれた男は、怯えた目で、俺をただ見ている。
「マルコ。お前は、鉱夫としてのアベレージが最も高い。
お前に、これを『テスト』してもらう」
ゼニスが、鍛冶場の台に置かれた、一本のツルハシを指差した。
それは、俺たちが今使っている、粗末なツルハシとは、似て非なるものだった。
全体の重さ。
重心のバランス。
そして、鉱石を穿つ、先端の「角度」。
すべてが、恐ろしいほど、精密に「調整」されている。
「こ、これを、あの人が…?」
「ああ」とゼニスが頷く。
「俺が『設計』し、ロイドが『試作』した、新型ツルハシの『プロトタイプ』だ。まだ、三本しかない」
(プロト…タイプ?)
聞いたこともない言葉だが、要は「試作品」ということだろう。
ゼニスは、この数日、鉱山をただ「視察」していただけではなかった。
彼は、奴隷台帳を洗い直し、「元鍛冶職人」という『リソース』を発見し、その技術と、自らの設計を組み合わせ、この「革命」を準備していたのだ。
俺は、ゴクリと唾を飲んだ。
俺と、他の二人の鉱夫が、「先行テストチーム」に選ばれたらしかった。
俺は、その新しいツルハシを、岩盤に振り下ろした。
――ガツンッ!
今までとは、比べ物にならない、乾いた、重い音。
腕に伝わる衝撃が、明らかに、少ない。
なのに、岩盤は、今までよりも、深く、えぐれていた。
「な…」
「なんだ、これ…」
「軽…なのに、威力が、全然違う…!」
俺たち三人は、戦慄した。
食事による「栄養管理」。
シフト制による「労働の最適化」。
そして、この、道具の「革命」。
俺たちが、ゼニスたちの「奇行」に振り回されていた、まさにその裏で。
ゼニスは、たった一人で、この灰色谷という「システム」そのものを、根底から静かに造り替えていたのだ。
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その夜。
「看守長代理室」となった、ガルトの旧私室。
ボルカスは、帳簿を前に、わなわなと震えていた。
その帳簿に記された、本日の「鉱石生産量」の数字を見て。
「ぜ、ゼニス…! こ、これは…!」
「ああ」
「い、一日で、ガルト時代の、平均値の、さ、三倍だ…! 馬鹿な!
テストチーム三人の成果を差し引いても、全体量が上がりすぎている!
こんな数字、公爵様が信じるはずが…! 何かの間違いじゃないのか!?」
ボルカスが、驚きのあまり混乱している。
だが、ゼニスは、その帳簿を、静かに、一瞥しただけだった。
「ボルカス」
「な、なんだ!」
「落ち着け。合理的ではない。
生産性向上は、シフト制による全体の底上げと、テストチームの突出した成果の『結果』だ。
事実に過ぎない」
ゼニスは、窓の外。
夜の底で眠る灰色谷を見下ろしながら、冷徹に、呟いた。
「――まだだ」
「え?」
「食事、労働、道具。最低限の『バグ』を修正したに過ぎない。
この谷の、本来の生産性から見れば、まだ、三割にも満たない」
ゼニスの瞳には、安堵も、達成感も、一切、宿っていなかった。
あるのはただ、凍てつくような、絶対的な「合理性」だけ。
「最適化の余地は、まだ、70%以上、残存している」
その言葉の本当の恐ろしさを、この時のボルカスは、まだ、知る由もなかった。




