第十六話『狂気の計画』
俺の狂気に満ちた叫びは、懲罰房の暗闇に響き渡った。
ボルカスは、鉄格子の向こうで、ただ呆然と俺を見つめていた。
俺の声に宿る、尋常ならざる熱量にあてられていたのかもしれない。
どれほどの時間が過ぎただろう。
再び、鉄格子が、軋む音を立てて開いた。
そこに立っていたのはボルカスと、彼の腕に支えられた老婆エララだった。
彼女の小さな瞳が、暗闇の中で不安げに揺れている。
「……連れてきたぞ、ゼニス」
ボルカスの声は、固い。
疑念と、そしてほんのわずかな、ありえないはずの期待が混じっている。
「一体、何を始めるつもりだ」
俺は答えず、エララに向かって、鉄格子越しに深く頭を下げた。
「エララ。感謝する。……そして、教えてくれ。
あんたが、子供たちに語っていた、あの物語のことを」
「……英雄様の、お話かい?」
エララは、老婆特有の穏やかな声で、言った。
「そうだ。その中で、英雄が、最後の武器として使った、『谷に眠る、怒れる大地の息吹』。
それは、一体、何だ?ただの、比喩か?それとも…」
エララは、少し驚いたように、目を見開いた。
そして、懐かしむように、遠い目をする。
「ああ、あれかい。あれはね、ただの言い伝えじゃないんだよ」
彼女の声が、確信を帯びる。
「それはね、この谷の、ずうっと、ずうっと、深い場所に眠っている、『燃える石』のことさ」
「……燃える石?」
「そうだよ。昔の人は、それを、地面の下に閉じ込められた、神様の怒りの炎だと、恐れていたのさ。
それに火を近づけると、大地が、息吹を吐き出して、全てを焼き尽くす、とね…」
全てが、カチリと、嵌まる音が聞こえた。
老婆の穏やかな古の知恵は、俺の持つ科学の知識と完全に融合した。
あの閃きは、今、確信へと変わった。
定義:燃える石。それは比喩か、あるいは石炭のような固体燃料か。だが、重要なのはそこではない。
観測事象:「火を近づけると、大地が、息吹を吐き出して、全てを、焼き尽くす」。
仮説:地下深くに、高圧の可燃性ガス層が存在。
地表近くの亀裂、あるいは「燃える石」とされる鉱脈を通じて、ガスが漏出。
火が近づけば、爆発的な燃焼(=大地の息吹)を引き起こす。
結論:エララの歌は、地質学的な事実を、神話的な言葉で伝えていたのだ。
それは、神の怒りなどではない。
制御可能な、莫大なエネルギーを秘めた、科学的な「資源」だ。
そして、使い方を変えれば…「最終兵器」にもなる。
全ての思考回路が、焼き切れるほどの速度で、回転を始める。
バラバラだった、全ての変数が、一つの恐るべき方程式へと収束していく。
これだ。
これしか、ない。
ガルトの暴力。
飢餓という本能。
カエルの扇動。
この幾重にも重なる包囲網を、たった一手で粉砕する、唯一の解。
俺の口元に、笑みが、浮かんでいた。
それは、希望の笑みではない。
あまりに美しく、あまりに危険な数式を解いてしまった数学者のように、狂気的な「興奮」に満ちた笑みだった。
俺のシステムが、弾き出す。
可能性:0.01%。
だが、リターンは。
世界。
俺は、ボルカスに向き直った。
その目は、もはや、絶望に囚われた囚人のものではない。
未来を創造する、設計者の目だ。
「ボルカス。俺たちは、勝つ」
「……何を、言って…」
「俺は、この谷を、解放する。ガルトを打ち倒し、飢餓を終わらせる。
ここから、全てを、始めるのだ。そのための、最後の『鍵』が、見つかった」
俺はボルカスに、その、恐るべき計画の第一の目的を語った。
「鉱山の地下水脈とガス層の位置は、俺の頭脳の中で完全に特定できている。
この二つが最も接近する、あの第三層の古い採掘坑。あそこの一点だけを、破壊する」
「……何のために」
ボルカスの声が、震えている。
「ガス爆発を、誘発させるためだ。だが、目的は、鉱山の破壊ではない。
ガルトの権威を地に堕とし、奴隷たちに『神の奇跡』を見せつける。
彼らの心を、一つにするための、壮大な『劇場型犯罪』だ」
ボルカスは、その、悪魔的な計画の、第一段階を聞き、言葉を失っていた。
「そして…」
俺は、さらに、声を潜めた。
「その混乱に乗じて、あんたにしか、できない仕事がある」
ボルカスに、計画の第二の、そして、真の目的を打ち明けた。
「この爆発は、ガルトを、現場に、釘付けにするはずだ。
その隙に、奴の執務室に忍び込み、横領の証拠となる『裏帳簿』を、確保してほしい」
「…正気か、ゼニス。奴の執務室だぞ。帳簿など、どこにあるかも…」
「心当たりはある。俺も、あんたも、あの部屋に入っている。
記憶を辿れ。奴が最も執着し、最も人に見られたくないものを隠すとしたら、どこだ?」
俺たちは、互いの記憶の中にある、あの不気味な部屋の光景を、反芻する。
壁の拷問器具。
巨大な椅子。
そして…目で頷き合った。
「…あの、ガラスケースか。蟻の巣の」
「そうだ。あの、不自然に分厚い台座。 奴は、あの蟻たちを、まるで自分の王国のように眺めていた。
あれは、単なる飾りではない。奴の歪んだ支配欲の象徴だ。
そこに、支配の証を隠す可能性は、極めて高い」
「…そうだな。可能性に、賭けるしかあるまい」
ボルカスは、長く、深く、息を吐いた。
そして、ゆっくりと、頷く。
その瞳には、恐怖と同時に、抗いがたい最後の賭けに乗る者の光が宿っていた。
「……乗った。
ヨハンの、そしてここで死んでいった全ての仲間の無念を晴らすためなら、この命、くれてやる」
計画の、二つの柱が、立った。
一つは、地底の火による「奇跡の演出」。
もう一つは、混乱に乗じた「ガルトの心臓(帳簿)の奪取」。
だが、最も重要な、そして最も危険なピースがまだ欠けている。
この、あまりにも危険な計画の「引き金」を引く男が。
「計画の骨子は固まった。 だが、この作戦の最も危険な部分…
『起爆』の役割は、あんたやエララには任せられない。
それには、死をも恐れぬ、狂信的なまでの実行力が必要だ」
「……まさか」
「そうだ。ボルカス。
もう一人、この狂った賭けに乗せるべき男がいる。
…カエルを、ここに連れてきてくれ」
更にその数時間後。
再び、鉄格子が、開いた。
ボルカスが引きずってきたのは、手足を枷で繋がれたカエルだった。
鎮圧された際に、ひどい傷を負ったのだろう。
顔は腫れ上がり、その瞳は、濁った憎悪の炎を燃やしていた。
「……ゼニス。てめえ」
彼は俺の姿を認めると、獣のように唸った。
俺は静かに彼に向き直る。
「カエル。お前は、このままここで、犬死にするつもりか?」
「……てめえに、言われる筋合いはねえ」
「お前の仲間は、半数が、殺された。
お前の信じた『正義』は、ガルトの掌の上で踊らされただけだ。
お前の怒りは、結局何も変えられなかった」
俺の冷たい言葉が、カエルの最後の誇りを、抉り出す。
だが、反論できない。
それが、紛れもない、事実だったからだ。
「……だから、何だってんだ」
「俺に、力を貸せ」
彼の瞳を真っ直ぐに見据えて、言った。
・
・
・
計画の全てを打ち明けた。
カエルは全ての感情を押し殺したように、ただ、黙って聞いていた。
「お前のその、誰よりも純粋な怒りで。
誰よりも仲間を思う、その狂信的なまでの情熱で。
俺のこの狂った計画の、最初の『引き金』を引け」
「……うるせえ」
カエルは、吐き捨てた。
「てめえの舌先三寸に、もう、騙されるか」
その時だった。
俺の背後で、ずっと、黙っていた、エララが、静かに、口を開いた。
「……カエルや」
「……!」
カエルの体が、硬直する。
「この人の言うことは、本当だよ。あの物語は、ただのおとぎ話じゃない。
わしらのご先祖様が、この谷で生き抜くために遺してくれた、本当の『知恵』なんだよ」
エララのその、静かで、しかし、揺るぎない言葉が。
カエルの憎悪に凝り固まった心に、小さな、しかし決定的な亀裂を入れた。
その瞳に、ほんの一瞬だけ。
「希望」という名の最も危険な感情が再び灯るのを、俺は見逃さなかった。
俺は、今、この場で最後の契約を結ばなければならない相手へと、向き直った。
鉄格子のこちら側と向こう側。
しかし、囚人という点では同じだ。
「カエル」
俺は静かに、しかし、有無を言わさぬ響きで、言った。
その瞳を、真っ直ぐに、見据えながら。
「お前の刃を、俺のシステムのために使え。そして、その命を、俺に預けろ」
その言葉は、もはや、単なる依頼ではない。
この狂気の賭けに乗るか、それとも、ここで朽ち果てるか。
魂の選択を迫る、絶対的な要求だった。
カエルは、長く、俺を睨みつけていた。
憎しみと、疑念と、そして、わずかに灯った希望の光が、その瞳の中で、激しく揺れ動いていた。
やがて、彼は、吐き捨てるように、言った。
「……分かった。乗ってやる。だが、勘違いするな。てめえを信じたわけじゃねえ。
エララを信じて、死んでいった仲間たちの無念を晴らすだけだ」
それで、十分だった。
俺は、ボルカスに向き直る。
「ボルカス。あんたなら、できるな? 今夜、カエルを、ここから、秘密裏に」
ボルカスは、静かに頷いた。
彼の古参監督としての立場と、長年培ってきた谷の裏道に関する知識があれば、不可能ではないはずだ。
「カエルには、これを」
俺は、壁の染みを指差し、爆破地点の正確な位置と、起爆の手順を、詳細に説明する。
「三度、打て。そして、全力で、走れ。…いいな?」
カエルは、黙って、その指示を、脳裏に焼き付けていた。
「そして、ボルカス。あんたは、爆発が起きたら、計画通り、奴の執務室へ向かえ。
俺は、ここで待つ。俺がここにいる限り、ガルトがこちらの企みに気づくことはないだろう。」
ガルトの注意を引きつけ、潜入を助けるための「陽動」として、最後に俺自身をシステムに組み込んだ。
ボルカスとエララが、カエルを連れて、闇の中へと消えていく。
俺は、再び、一人になった。
だが、もはや絶望はない。
自らが設計した、あまりにも危険な歯車が、今、静かに回り始めた。
ただ、その音だけが、暗闇の中に響いていた。




