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神なき世界の設計者 ~奴隷の知識が非合理な絆と最強国家を鍛え上げる~  作者: Ken
第一幕:灰色谷の奇跡

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第十二話『遊戯盤』


執務室は、不機嫌な静けさに満ちていた。

ガルトは椅子に深く腰掛け、部屋の隅のガラスケースを、苛立たしげに眺めていた。

中でうごめく無数の蟻たちが、彼の与えた餌を巡り、殺し合っている。


美しい光景のはずだった。

完璧な秩序のはずだった。


先日の『事故』。

あれは、期待外れだった。

死者は出ず、ボルカスも腕一本で済んだ。

あれしきの「痛み」で、あの賢すぎるゼニスが、真に己の立場を理解したとは思えん。

もっと派手に壊れ、もっと多くの悲鳴が上がらねば、最高の「躾」にはならんではないか。


…あの鼠が何か小細工をしたか、あるいは、ただ運が良かっただけか。

いずれにせよ、癪に障る。


だが、その失敗が、逆に、ガルトの心に、新しい種類の「愉悦」の火を灯していた。



「…面白い。実に、面白いではないか」



ガルトは、喉の奥で、くつくつと笑った。

ただ踏み潰すだけでは、芸がない。

あの、賢すぎる鼠は、もっと、じっくりと、心を折るに値する。

鞭で打つよりも、遥かに面白い。

あの冷徹な仮面の下にあるはずの焦燥や恐怖を想像するだけで、背筋がぞくぞくする。


その時、執務室の扉が控えめにノックされた。



「…入れ」



入ってきたのは、彼の腹心の一人。

町の酒場へ使いに出した男だった。

男は、主人の機嫌が良いのか悪いのか判断しかねながらも、どこか言いにくそうな表情で、頭を下げた。



「ガルト様。例の、サイラス様への『納品』の件ですが…」



「…ああ。今週も、また、減っていたか」



ガルトの声には、苛立ちはなかった。

むしろ、面白いゲームの次の展開を待つような、奇妙な期待感があった。


男は、頷く。



「はい。先週よりも、さらに二割減です。

 例の、排水計画とかいう、馬鹿げた作業のせいで、病気になる奴が、ほとんどいなくなってしまいまして…。

 正直、これでは、サイラス様への『上納分』にも事欠く有様で…」



男は、そこで言葉を切ると、意を決したように、続けた。



「やはり、あの1138番は、早々に始末すべきでは?あの男さえいなければ、谷は、元の静かな…」



「始末?」



ガルトは、男の言葉を遮った。

その声は、心底、呆れたような響きを持っていた。



「馬鹿を言え。それでは、面白くないだろうが」



「は…はあ…?」



男は、ガルトの真意が理解できず、困惑した表情を浮かべる。


ガルトは、椅子から、ゆっくりと立ち上がった。

そして蟻の巣の前に立ち、ガラスを指でコンコンと叩く。



「あの鼠はな、殺すには、惜しいのだよ。奴の知識は、使い方次第で、莫大な富を生む。

 俺が奴を生かしておくと決めたのは、そのためだ。あれは『投資』なのだ」



ガルトは、そう言って、男に向き直った。

その瞳には、もはや単なる看守長のものでない、より大きく、より歪んだ野心が宿っていた。



「だがな。ただ富を生むだけの、優秀な道具では、退屈だ」



彼の口元に、あの、蛇のような笑みが、浮かぶ。



「俺が見たいのは、あの傲慢な天才が、自らが救おうとしたはずの愚かな『民衆』によって。

 裏切られ、憎まれ、その気高い理想とやらを、自らの手で踏みにじらざるを得なくなる様だ」



ガルトは、男の肩を、ポンと叩いた。



「いいか。サイラスには、こう伝えろ。『供給』は、さらに絞れ、と。

 この谷に、ゆっくりとした、しかし、確実な『飢え』を、もたらすのだ。

 表向きは、不作や、輸送の遅延、何でもいい。言い訳は、くれてやれ」



「し、しかし、それでは、我々の『取り分』も…」



「目先の小銭の話ではない。これは、もっと大きな『遊戯』なのだよ」



ガルトの瞳が、狂気的な光を帯びる。



「腹が減れば、鼠どもは互いを食い合う。希望を与えたはずの英雄を、憎悪の対象へと変えるだろう。

 その地獄絵図の中で、あのゼニスという鼠が、プライドも理想もかなぐり捨てて泣き叫び、

 俺の足元に、『助けてください』と、命乞いをする瞬間を、待っている」



彼は、心底、楽しそうに続けた。



「その時こそ、奴は俺の真に忠実な『道具』となる。俺だけの、完璧な『玩具』に仕上がるのだ」



男は、ガルトのその底知れない悪意と常軌を逸した計画に言葉を失い、ただ、震えながら頷くことしかできなかった。



「…分かったら、行け」



男が、逃げるように退室した後。

ガルトは、再び一人蟻の巣へと視線を戻した。

そして、一匹の大きな蟻が弱った仲間を襲い、その腹を食い破る様を眺めながら満足げに呟く。



「さあ、最高のショーの、始まりだ…」



静かな執務室に、彼の、乾いた笑い声だけが、響いていた。

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