6.いつまでも、ずっと
翌日、ルイス様は憲兵隊を連れて国に帰った。
「また来ます。今度は一人で」
騒ぎを起こした憲兵隊を早く連れ帰らなければいけない。そうルイス様は仰った。そして、こうも言った。
「兄はまだ近くにいると思います。ドミトルたちがいて動けなかったと思うので」
私は一晩で瓦礫の山となったシュガー家の屋敷に足を運んだ。もしかしたら昨夜のことは夢であって、朝になれば何も変わらない景色がそこにあるのではないかと期待したけれど、そんなわけがなかった。
門はひしゃげており、地面は所々に地割れがある。木々はお化けのように太くうねっており、庭園は焼け焦げて真っ黒だ。夜に降った雨が火を消してくれているとはいえ、焦げ臭いにおいは消えることなく残り続けている。
「なんだったのかしら」
昨夜の出来事が嘘のようで現実味がないのに目の前にははっきりとした痕跡が残っている。
真っ黒に焦げたバラ園に足を運んだ。もちろん一輪も花は咲いていない。私は右手を目の前に突き出し指を擦る。何度も練習したけれど一度も音は鳴らなかった。それでも何度も指を擦る。
「アルル様ー!!咲かないですー!!」
力のない私では花を咲かせられない。草木に命を吹き込むことができない。
「アルル様ー!!直してくださいませ!!私一人ではできませんからー!!」
できないのに何度も何度も指を擦る。「鳴らない」鳴ったとしても何も起こらない。そんなことわかってるのに。
「アルル様の嘘つきー!!今日、果樹園の手伝いをしてくれるって言ったじゃありませんか!!果樹園はいいですから、庭園の手入れを手伝ってくださいな!!」
焦げ臭いにおいが漂う中で声を張り上げると咽せた。ゴホゴホッと咽せると涙も出た。涙が出ると息苦しくなった。
「・・・せっかくあそこまで広げたのに。アルル様のバカ」
地面に転がる小石を蹴って真っ黒焦げの庭園を後にする。今度は家の中を確認しよう。瓦礫を撤去して新しく家を建てないと私たちの住むところがない。それだけじゃない。マフィンが焼けない。私たちの主食が作れない。みんなを幸せの笑顔でいっぱいにする甘い甘いお菓子が作れない。
「・・・厨房」
瓦礫の山となっている屋敷は当たり前だが家の形をしていない。目の前にあるのは石の塊だけ。じわっとまた涙が込み上げた。けれど、見上げていれば涙が零れ落ちてくることはない。「よし、登るか!」空を見上げながら積み上げられている瓦礫に足をかけた。安定しない足場はすぐにでも崩れてしまいそうで体重をかけるのをためらってしまう。でも、登るしかない。
「・・・うぅ。木登りはできても、崖登りはしたことないからなぁ・・・。っと、あぶな」
登ればその都度足元が崩れる。これは登ったはいいけれど降りられないのでは。一抹の不安がよぎった。そのせいで身体のバランスを崩し、そのまま重力に引っ張られる。
「うわっ!わわわわ!!」
慌てて瓦礫に手をかけても力のない私の手はつるっと滑って掴めない。足元は引っ掛けられてもすぐ足場が崩れる。ガラガラゴロゴロ石が転がる音を耳にしながら手足をじたばた動かしていると腕を掴まれた。掴まれて引き上げられる。重力に逆らって。
「・・・何してるんだ。綿菓子頭」
「・・・アルル様」
一晩でだいぶやつれたアルル様が眉間に皺を寄せて目を細める。綺麗な顔は所々土で汚れていた。その顔を見るだけでぶわっと涙が溢れ出て、空を見上げてもボトボトと零れ落ちる。
「アルル・・アルルさまぁ!!いたぁ!!」
「・・・いたって、なんだよ」
「ケガ・・!ケガは!?」
アルル様はドミトル隊長に腹部を刺されていた。私は引かれている手に逆らってアルル様の腹部を覗き込もうと身体を後ろに引くと「落ちるぞ」と強く手を引かれて腰に手が回ってきたかと思うと「うわあ!!」肩に担がれた。
「ったく、相変わらずじっとしてないやつだな」
まるで荷物のように乱暴に担がれているのに、アルル様の変わらぬ声と態度に何故かほっとしてまともに息すらできなくなった。
登っていた瓦礫をトントンと軽い足取りで降りて行ったアルル様が私をゆっくり地面に降ろす。「こういうのなんていうんだっけ?じゃじゃ馬?」とアルル様が私の額を人差し指で突いた。
「アルル様が・・・アルル様がいたああ」
「おい、あんま騒ぐなよ。見つかったら」
「いません!ルイス様もドミトル隊長も帰りました!帰りましたからあ!」
私はアルル様の胸に飛び込んだ。背中に腕を回して力いっぱい抱きしめる。この人が、どこか行ってしまわないように。
「・・・悪かったな。色々と。父ちゃん、母ちゃん、無事か?お前も」
「私たちのことよりもアルル様が!!ケガが!!」
「ケガは治った」
「治るわけないじゃないですかあ!!あんなにズップシ」
「治ったって」
アルル様は抱きついていた私の身体を引き剥がし、左手をとって自分の腹部に当てた。「ほら、ないだろ」触れた腹部を添えられた手と一緒に撫でる。そこには破れた衣服と、傷跡ひとつないアルル様の身体があった。
「・・・・正確には治ったんじゃないけど、傷は塞げる」
「・・・・アルル様の特殊な力でですか?」
「まあな。別に治す必要なんかなかったけど、お前やルイスが気にすると思ったから」
そんなこともできるの?信じられなくてアルル様の腹部をまじまじと見た。そして傷を探すように辺りを撫でる。すると「触るな、スケベ」と私の手を引き離した。
「・・・・ルイス、帰ったのか?」
「はい。帰りました」
「そうか」
「だから何も心配しなくて大丈夫です」
「何がだよ」
「何も気にせずここに残ってくださいな。ていうか残ってくれないと困ります。ここをこんなにボロボロにしたのはアルル様なんですからね。直すの手伝ってくださいませ」
「・・・・・・それは、悪かったと思ってるけど、俺は」
「はい?」
「言っただろう。俺は、父親殺しの罪で追われてるんだ。それ以外にも色々と悪行を」
「それがなんだというのです?アルル様は私の命の恩人ですのに。ドミトル隊長から私を守ってくださったじゃないですか」
「あれも元はといえば俺のせいで」
「そうでしょうか?あの人が暴力でなく対話の姿勢をとっていればああはなりませんでした。ですからあれはアルル様のせいなんかじゃないんです。運命が、そう流れてしまっただけなんです」
私はアルル様の右手をとる。そして両手で力いっぱい握った。
「この手はお父様を殺めてしまった手ではありません。私やルイス様を助けた手です。少なくとも私たちにとってはそうなのです」
「・・・・・やめろよ、そういう綺麗事」
「アルル様が見てきた世界は私にはわかりません。知らないのに知った風に語ることもできません。けれど、今、私が無傷であることも事実なのです。あなたが守ってくれたのです。そうでございましょう?」
握った手に力はなかった。私がどれだけ強く握ってもアルル様が握り返してくれることはない。
「・・・・・お前は、綿菓子頭のくせに妙に理解がありすぎるよな」
「私、綿菓子頭ではないのですけど」
「理想と夢を追いかけて、周りをとことん甘やかして、苦労も苦悩もしたことないって顔してんのに、しっかり地に足がついてる。否定も肯定もしないのに受け入れようとする。なんでだろうな」
ふっと小さく息を吐いてアルル様が笑った。アルル様が笑うときは何かを諦めているとき。その顔を見るのはつらかった。けど、今は違う。諦めたアルル様が私の手を握り返す。私を突き放すことを諦めたのだ。
「俺の生まれた国は、この国とは比べものにならないくらい暗澹としていて民衆に自由なんてなかった。王として君臨し続けるデイボルト家が全てを支配し、破壊と暴虐を繰り返す日々。他国への侵略も何度もやった。力こそ全て、力をもつデイボルト家こそ全て、そういう世界だった。もちろん俺もやった。それがこの国の当たり前だったから。そこに抵抗なんてなかった。快楽こそなかったけれど、破壊行為にためらいもなかった。・・・けど、ルイスが十歳になっても十二歳になっても力が発現しなくて周りの雰囲気が変わってきた時に嫌な予感がした。・・・力のない者は殺される。今まで自分が他人に向けてやってきたことが身内に向かったとき、初めて自分の持つ力の恐ろしさを知ったんだ」
アルル様が私の手を握る力を弱めたけれど、私はその手を離さなかった。力強く握り続ける。私に一瞬視線を向けたアルル様がまた小さく笑う。
「力さえあれば、力が目覚めさえすればルイスは殺されずに済むって何度も思ったけど、ルイスは言うんだ。僕は弱いままでいい。兄さんがいてくれてよかった。出来損ないの僕しかいなかったらこの国は、デイボルト家は大変なことになってたって。そう笑っていうから、ルイスはこのままでいいのかなって思うようになった。元々大人しいやつだし、自分のしてる破壊行為をルイスがする姿が想像できなかったし。それから、今まで力が発現しなかった者がいない異例ともいえるルイスの存在は代々続くこの国の束縛を断ち切る稀有な存在なんじゃないかって勝手に思ってたんだけどけど・・・ま、無理だよな。そんなの許されるはずもなかった。で、なんやかんやあって今に至る」
「・・・・なんやかんやの部分が重要なような」
「聞かなくていい。胸糞悪い話だ。・・で、俺は死に場所を探すことにした。どこか遠く。ルイスに見つからないどこか遠くでひっそり死ぬつもりだった。どんな事情であれ父親に手をかけたのは事実だ。その場で処刑されても仕方がなかった。けど、国を出たのはルイスに、母親に、その姿を見せたくなかったから。きっと自分たちを責めるのだろうと思ったから、姿を消して、俺がどこかで生きているのかもしれないと思わせることが二人へのはなむけかと思ってな。そしたらこんな変な国に転がり込んでしまった」
「変な国、とは?」
「間違えた。変なやつに捕まった」
おかしそうに笑うアルル様が空を見上げて「あまりの空腹に目が霞んで見えないなか、においにつられてやってきたのは覚えてる。けど、意識が途絶えて目が覚めた時には全身はべたべたで、口の中も気持ち悪くて飛び起きたんだよな」懐かしむように告げた。
「本気でお前らに食われると思った」
「まあー!!ひどい!!人命救助ですのに!!」
「そうなんだよな。悪かった」
思い出し笑いをするアルル様。なんとなくこれは本音なんだろうなと思った。確かにアルル様はずっと私たちを警戒していた。俺を食べる気だろ?と何度も言っていた。
「俺、死のうと思ってたはずなのに、綿菓子頭のお嬢様がとにかく俺を太らせようとしてくるし、砂糖でみんなを笑顔にしたいとか言い出すし、おとぎの国にでも迷い込んだのかと思ったけど、俺のために肉を調達しようとした時にお前、自分が言った言葉覚えてる?」
「え?・・・食べてもいいですよって」
「違う。俺を・・・俺が歩んできた歴史を否定しないって言ったんだ。自分たちにも先祖が歩んできた歴史があるように俺にもあるって。お前は食の違いを言っただけなんだろうけど、なんていうか、俺、その言葉にだいぶ救われたんだよな。おとぎの国のお嬢様は夢物語ばかりを語るのかと思えば、ちゃんと現実を受け入れながら生きてるんだなって、その時思った。俺が力を使って見せた時もそう。喜びはするんだけど、欲しがらない。大事なのはそこじゃないってわかってんだよな。お前」
褒められているのか、そうでないのかわからないまま首を傾げると「いや、いいんだ、それで。お前、頭はあれだけど心はちゃんとしてるから」とアルル様は言うけれど、それも褒められているのかわからない。
「アルル様、どうしてそんな話をするのですか?まるで別れの時が近づいてるみたいじゃないですか」
「は?」
「ダメですよ。約束ですもの。果樹園のお手伝いをするって。でも今必要なのは果樹園ではなく屋敷の片付けですから、ぜひそこを手伝ってくださいな」
「・・・お前のそういうところが綿菓子頭なんだよ」
「迷惑かけたとか思わないでくださいませ。家は建て直せばいいのです。庭もまたお手入れすればいいのです。死に場所をお探しでしたら、ここで一生暮らせばいいじゃないですか。私たちは大歓迎ですよ。みんなのためにパンを焼いてくださいませ。アルル様なら発酵を早められるのでたっくさん作れるはずです。オーブンが壊れてもアルル様ならこんがり焼いてくれそうです。みんな大喜びですよ」
「あのなぁ」
アルル様は私に握られていた右手を振りほどき、私の額を指で弾いた。「いたっ!」弾かれた額を両手で覆うと隣の瓦礫がガラガラと崩れて中の様子が見えるようになった。壁一面に並べられたオーブンの一部が顔を出す。
「俺に頼るな。お前の大事な仕事だろ?」
「え、あ、厨房、無事なんですの?」
「さあ?あとで見てくれば?」
アルル様が立てた膝に手をかけた。立ちあがろうとしたところを咄嗟に手を出して止めようとする。伸ばした手はアルル様に届かなかった。
「破壊しかしてこなかった俺の力をあんな風に使うのなんてお前くらいだぞ」
「ご、ごめんなさい!でも!」
「ありがとな。あんなこともできるなんて俺自身知らなかった。こんな力でも純粋に人を喜ばせることができると知ったのはお前のおかげだよ」
「待って!待ってくださいな!」
慌てて私も立ち上がりアルル様に近づこうと足を動かすと、地面に転がる石につまづいて転んでしまった。「バカ、ケガするぞ」アルル様が優しく声をかけてくれるけど、手を差し出してはくれない。見上げると幼子を見つめるような優しい顔をするアルル様がいた。
「手伝ってやれなくて悪いな。俺、用事できたから」
「嘘!嘘はいけません!」
「嘘じゃないって。・・・ちょっとルイスと話してくる」
「・・・・え?どういうことですか?」
「一度、国に戻ろうと思う」
言葉を理解するのに時間がかかった。
国に戻るということは何を意味するのだろう?アルル様は主君殺しの罪で追われている。探しにやってきた憲兵隊のドミトル隊長はアルル様に刃を向けた。そしてルイス様の静止も聞かず凶行に至った。それだけでもアルル様が国に戻るということがどれだけ危険なことなのかわかるのに。
ダメだと、行ってはいけないと、死に急いではいけないと、言いたいのに、うまく言葉にできない。アルル様がとても穏やかな顔をしているから。
「穏便にいく訳がない、そんなことはわかってるけど、ここまでして元老たちが俺を探してるってことは何か理由があるんだろう。国でのルイスの立ち位置も気になる。ちょっと、その辺の野暮用片付けてくる」
「野暮用って・・・そんな簡単なことじゃ」
「それに、罪を清算しないままこの国にはいられない。血塗られたまま素知らぬ顔でいるわけにはいかないだろ。犯した罪が消えることはなくても、裁きを受けることで救われることもある。俺はそれだけのことをしてきた」
アルル様が私に近づき目の前に膝をついた。「俺を受け入れようとしてくれてありがとな。俺はちっともお前たちを受け入れようとしなかったのに」その言葉に首を振った。そんなことない。アルル様は多くのものを諦めながら目の前の現実を受け入れようとしてた。ずっと苦しみながら。
「泣くなよ。泣かせるようなことしてないだろ」
アルル様が私の涙を拭って肩に手を置いた。肩に若干の重みを感じ、近づいてきたアルル様はそのまま私の額にキスをくれた。
「さすがに、甘くはないな」
と笑って。
「生きてたら、また会いにくる」と言い残してアルル様は国に帰ってしまった。そう心に決めたアルル様を引き止めることなんてできる訳がなくて、私はその後ろ姿を見えなくなるまで、見えなくなってもずっと、眺めていた。
それから屋敷の瓦礫撤去をしながらも無事だったオーブンを使ってみんなのためにマフィンを焼く。「姫様、いらないよ」と気遣いで言った子供達を怒って無理やり食べさせた。作る数は少なくても毎日作ってみんなに食べさせた。
庭の焼け焦げた木々たちも全部撤去した。これで焦げ臭いにおいもなくなるはず。私は何もない広い庭にテーブルとチェアーを出してマフィンを並べる。私と、誰もいない向かいの席に。
お腹を空かせた星の王子様がまたいつでも訪れていいように。毎日毎日、ずっとあなたを想って私はお菓子を焼き続ける。
最後までお読みくださりありがとうございました。