5.隠されていた真実
「わざわざこんなところまで追ってきて。暇なのか?ドミトル隊長様よ」
「あなたこそ、どうしてこんなところで死に損なってるのです?エンハンス・デイボルト殿下」
「その通り、死に損なったんだよ。砂糖菓子でできたこの国の人たちによってな」
アルル様は右足を上げ地面に大きく叩きつけると、捲れ上がった岩盤が割れてゴロゴロと崩れ落ちる。「チッ!」と苛立ちを隠さず大きく顔を歪ませたドミトルと呼ばれた隊長は使い物にならなくなった剣を棄て、急ぎその場から離れる。
「剣を棄てるのは剣士の恥だぞ」
「あなたが折ったのです」
「斬りかかるつもりで突っ込んで岩壁に激突してもピンピンしてるのは、さすが隊長様だな」
「あなたなんかに褒められても嬉しくはありません。主君殺しの罪、忘れてはおわすまい」
「ああ、忘れるわけがない」
「私はあなたの下で多くの戦場を渡り歩き、その圧倒的な力を間近で見ては尊敬の念すら抱いておりましたが、まさか主君を・・父君を殺すなど」
「尊敬?デイボルトの血に甘えてただけだろ?デイボルト家に代々受け継がれる力に甘えていただけだ」
「たとえそうだとしても!!あなたがやった所業は許されざるもの!!死に損なっているのであれば、私たちがその罪を贖ってやりましょう!!」
今度は屋敷の至る所からガラスが割れる音がした。外に待機していた兵士たちが屋敷の中に乗り込んできたのである。アルル様の隣にある窓から侵入してきた五名の兵士が剣を突き立てアルル様に襲いかかった。アルル様は腕を下ろしたまま軽く指を数回擦る。その程度に見えた。けれど、窓の外から木の幹ほどある太い枝が屋敷内に入ってきたかと思うと、兵士五名の足をとり動きを封じた。兵士を捕らえたまま枝はぐんぐん成長し太くなり、床と壁に兵士たちを激突させるとそのまま張り付けてしまった。
「怯むな!!かかれっ!!」
別の窓から侵入した兵士たちが背後から迫り、また、玄関から侵入した兵士たちも同時に襲ってくる。アルル様は廊下の端で縮こまっている私の手を取り腕に抱いた。そして壁を蹴破り外に出たかと思うとまた右足を上げて地面に強く叩きつける。するとまた地震が起きた。そして目の前で私の家がガラガラと崩落していく。
「あっ・・・あっ・・・お母様・・・みんなが!!」
「大丈夫。家の人たちは避難させてる」
あっという間に屋敷は瓦礫の山となった。混乱に乗じてお父様が玄関から外に逃げているのが見える。「アプリコット!!アプリコット!!」お父様が必死に私の名前を呼んでいた。
「お父様!!」
私が返事するとお父様がこちらを振り向き「アプリコット!!」とまた大きく私の名を呼んで走ってくる。アルル様は抱えた私をゆっくり下ろしてくれたけれど、私は足に力が入らず立つことすらできない。
「アプリコット!!無事か!?」
「私は大丈夫です。それよりお父様の方が!」
「私は大丈夫だ。傷ひとつない。ああ・・・アルル君。アプリコットを助けてくれてありがとう」
「礼を言うの間違ってるだろ。俺のせいで酷い目に遭ったのに」
アルル様が瓦礫となった屋敷に戻ろうと足を踏み出す。「アルル様!」私はアルル様を呼んで引き留めた。アルル様も歩みを止める。
「どこに・・・どこに行かれるのですか?」
「アイツら殺しに」
「ころ・・」
「俺がここを去ったとしても、俺を庇ったお前たちの無事は保障できない。だから口封じしないと」
アルル様は私たちに背を向けたまま俯く。
「悪いな。これが俺の正体。忌々しい血の呪いに縛られて破壊と暴虐を繰り返した挙句、父親まで殺した恐ろしい男だよ」
「・・・ちがっ、アルル様は・・そんなんじゃ」
「アプリコット・シュガー。お前が見てたのは夢だよ。お前は俺に夢を見てただけだ。今、お前の目に映るものが現実。俺の現実」
私の目の前には項垂れるアルル様と瓦礫と化した家。そして家を取り囲んでいた兵士たちが松明を持ったまま玄関前に集まり一斉に迫ってくるところ。アルル様は右手を突き出しパチンと指を鳴らした。それと同時に松明がボンと弾けるように大きな火の玉となり兵士たちが燃えていく。無数にある松明は庭の植木に、そして私のバラ園に火をつけ、頼りない月明かりでも周りの景色が浮かび上がるほど真っ赤に照らした。業火の炎というのはこういうことをいうのだろうか。
「エンハンス殿下!!なぜ逃げるのですか!!父を殺してまで成し遂げたかったのはなんなのですか!!」
部下のであろうか、折れていない剣を持ち、瓦礫の山から出てきたドミトル隊長が声を上げる。
アルル様は俯かせていた顔を上げて右手を頭上高く持ち上げた。・・・あの指を鳴らしたら、一体何が起こってしまうのだろう。ぞわっと鳥肌が立ち皮膚が引っ張られるように痛かった。
だめだ、だめだ、だめ。
アルル様はあの人を殺してしまう。“私たち“のために。
そう、この人は自分のために戦っているのではない。私たちを守ろうと自らの手を汚そうとしている。どこまでも罪を背負おうとする。物哀しく佇みながら。
「兄さん!!やめてください!!」
背後から声がした。若い男性の声。
振り返ればそこにいたのはまたも知らない人物。この国の人はでない。アルル様を兄さんと呼んだ私と同じくらいの年齢の男性は「兄さん!」と声を上げながら必死にこちらへ走ってくる。兄さんと呼ばれているアルル様は振り向こうとはしない。
「探しました!兄さん!僕です!ルイスです!生きておられたのですね!」
アルル様に返事はない。振り返りもしない。
「ドミトル!やめろ!手を出すな!僕が兄さんと話をする!!お前たちは邪魔をするな!!」
「ルイス殿下であろうと、そのような命は聞けませぬ!!殿下こそお引き取りを!!あなた様も父君のように殺されかねません!!」
「ふざけるなっ!!いいから退け!!元老には僕から説明をする!!手を出すな!!」
ルイスと言った男性は座り込んでいる私と、その隣にいるお父様に見向きもせず通り過ぎ「兄さん!」と呼んでアルル様の背後に立つ。それでもアルル様は振り返ろうとしない。
「兄さん・・・ですよね?」
「・・・・・・。」
「まさか、このようなところにいるとは思いませんでした。足取りが掴めないはずです。でも、無事でよかった。心配・・してたのです」
「・・・・・・。」
「兄さん、僕はドミトルとは違います。兄さんを捕まえようとは思っていません。・・・僕に力がないばかりにこんなことになってしまい申し訳・・」
「ルイス、頼みがある」
「はっ・・!はい!」
「そこにいるシュガー家の者を保護してくれ。俺を匿った罪を問われている」
「ドミトルにですか!?わ、わかりました!手を出さないようにキツク言い聞かせます!」
「悪いな」
「いえっ!」
ルイスと呼ばれたアルル様の弟らしき人は、ずっとアルル様にしか向けていなかった視線を私とお父様に向けて一礼した。私たちは目の前で行われているやりとりを理解できずに、何も言えず、そして一切動けずにいる。
「兄さん・・・。話を、しませんか?兄さんのこれからのこと、僕のこと、国のこと。僕は兄さんがこのままずっと国賊として追われる身になるのはどうしても」
「元老に言っておけ。俺を追っても意味はない。放っておいてもいずれ死ぬ。今は死に損なっているだけだ」
「兄さん!」
「俺のことは忘れろ、ルイス」
今まで背を向けていたアルル様が振り返る。そして「お前も」私を見た。
私を見たアルル様の顔は微笑みを湛えていた。アルル様は何かを諦めたときに笑う。今もきっと何かを諦めたから笑っているのかもしれない。キュゥと胸が締め付けられる。アルル様が笑うと胸が苦しくなる。
「ここまで色々ぶっ壊しておいて忘れろも何もないけれど、どうかそうしてくれ」
「兄さん、僕は」
その時だった。私たちの方を向いていたアルル様の背後から刃が貫かれた。ドミトル隊長のもつ剣がアルル様の腹部を突き刺している。
「ドミトル!!」
「エンハンス殿下、ご同行願います。さもなくば私はもう一太刀あなたに与えなければなりません」
「やめろドミトル!!手を出すなとあれほど!!」
「信用してはなりませぬぞ!!ルイス殿下!!この者は!!」
「お前が兄さんを信用するかしないかは関係ない!!僕を信用しろ!!そうだろう!!ドミトル隊長!!退け!!退くんだ!!」
「殿下!!」
「従うんだ!!ドミトル!!」
ルイス様はアルル様とドミトル隊長の間に割って入り、アルル様を貫いていた剣を抜く。するとアルル様の身体がふらつき一歩足を前に出すとそのまま膝をついた。思わずアルル様に駆け寄ろうとするとアルル様は私に向かって手を出して静止をかける。一瞬、足が止まってしまったけれど、そんなの無視だ。膝をついて肩で呼吸するアルル様に近づくと「来るな・・って」と笑う。
笑わないで。いつもの顰めっ面の方がよっぽどいい。諦めないで。もっと悩んで。
アルル様が指を鳴らすと近くにあった大木の根が地面を割り盛り出した。木の根に足を取られ後ろに倒れたその隙にアルル様は目の前からいなくなってしまった。「ア、アルル様っ!」呼んでももちろん返事はない。
夜闇に庭を燃やす火の明かりが揺らめくたびに私たちの黒い影も揺れる。その影が伸びる先は真っ暗闇だった。
家が崩壊してしまった私たちは街の小さな宿屋を仮住まいとすることにした。たまにやってくる商人たちのための宿屋。部屋はたったの二つだけ。一つの部屋をお父様とお母様が。もう一つの部屋を私が。家で住み込みで働いていたパティや他の使用人たちは実家に帰った。
「ご迷惑をおかけし申し訳ございません」
私がわざわざ一部屋もらった理由はここにある。アルル様の弟、ルイス様と話をするためだった。
「いくら命を授かった憲兵隊とはいえ、とんでもないことを」
「あの人を・・・許すつもりはありませんけど・・・。あの人は今どこに」
「兄を探しています。深手を負ったので、近くにまだいるのではないかと。・・・街の人たちには手を出さないよう言っております。それに・・・兄はドミトルの前には出てこないと思いますので、真夜中に先ほどのような争いをすることはないでしょう。どうか勝手な真似をお許しください」
ルイス様が深々と頭を下げる。私はその謝罪を受け取る気にはなれず、家で横柄な態度をとっていたあのドミトル隊長が変わらぬ態度で街に繰り出していることが腹立たしかった。どうして止めないの?と口から出そうになる。出そうになるけど結局出てこない。だって見ていたから。ルイス様の静止も聞かずアルル様に刃を突き立てたあの男の姿を。
「兄はあなたに何か話していましたか?その・・自分のことなど」
「いいえ。アルル様はご自身のことは何も」
「アルル様?」
「あ・・・・。すみません。名を名乗らないので私が勝手につけたのです」
「そうですか・・・。名前さえも隠していたのですね。・・・それもそうですよね。言えるはずがないですよね」
ルイス様は表情を曇らせてじっと床を見つめる。私もその視線を追うと、ぎゅっと膝の上で握り拳をつくるルイス様の手が目に入った。
「アプリコット・シュガー嬢。本来なら他言無用なのですが、どうか僕の話を聞いてくださいませんか。あなたになら、兄が必死に守ろうとしたあなたにならわかってもらえると思うのです」
ずっと床に向けていた視線を上げてルイス様が私の目を見つめる。大きく開いた瞳は潤んでおり、力みすぎているのか肩が小さく震えていた。
「私もお聞きしたかったです。どうして、アルル様があのような目に遭わなければいけなかったのか」
「実は・・・兄は・・・父を・・・国王を・・・殺めてしまったのです」
「・・・・・・。」
それは事実に違いなかった。アルル様本人もそう言ったのだから。
「けど、それには理由があって・・・。僕が・・・僕が、デイボルト家に生まれたはずの僕が、力を発現できなかったからなのです」
「力・・・というのは解覚の力ですか?」
「ご存知なのですね。・・・そうです。地震を起こしたり、火を爆発させたり、樹木の成長を急速に促したりする、あの強大な力です。僕たちの国ではこの力は神の力とされていました。罪深き人間たちへの天罰をくだす神よりの使者。それがデイボルト家であると。そして、僕たちのご先祖様は天罰と称して自国他国問わず破壊の限りを尽くし人々を屈服させたのです。力による支配で。その歴史は長年変えられることはありませんでした。・・・兄が、父を殺めるまで」
「・・・・・・。」
「デイボルト家は完全なる男系で女児が生まれることは絶対にありませんでした。そしてデイボルト家に生を持った男児に力が発現されないことも絶対にありませんでした。・・・それが僕によって崩れたのです。僕は十五になっても力が発現しませんでした。それにより父は・・・僕と母を殺そうとしたのです」
「ど、どうして!」
「僕がデイボルトの人間ではない。つまり、母が父ではなく別の誰かとこさえた子だと、そう決めつけたのです。・・・力のない僕に父を止めることはできませんでした。あの強大な力を持つ父の前では僕と母なんて虫以下の存在です。それを兄が・・・兄さんが庇って」
ルイス様の潤んだ瞳から涙が流れる。拭っても拭っても溢れる涙を止めることができないまま、ルイス様は何度も目を擦っていた。「兄さんは僕を庇っただけなのに・・。父さんを殺すつもりだってなかったはずなのに・・。それなのに・・こんな結果になってしまって。僕は・・僕は・・!」大きく身体を震わすルイス様にかける言葉も浮かばぬまま、私はその場で一緒に泣くことしかできなかった。鼻をすすったら雨のにおいがした。月と星を隠していた厚い雲から落ちる大粒の雨も一緒に泣いていた。