3.咲かせた心の花
「ええ?そんな質素なものを出すんですか?」
「私もそう思うのだけど、アルル様がそう望まれるから・・。遠慮深いのかしらね」
パティもそう言ったのに、目の前に出された何も塗られていないトーストと砂糖の入っていないスクランブルエッグとフルーツの入っていないサラダをアルル様は喜んで食べた。だけどお父様もお母様も申し訳なさそうにしており「アプリコット、あんな食事では王子様は元気になれないわよ?」と言ってくる。私もそう思う。
「いやいや、ちゃんと食ってるだろ。ただでさえ甘いマフィンに砂糖の塊を乗せた恐ろしい食べ物を。食後だけど」
朝食を終えたお父様もお母様も退室の際にアルル様に「遠慮しなくていいんだよ」「気を遣わせてしまってごめんなさいね」と目に涙を浮かべながら声をかけていた。それを困惑しながら「いえいえ」と首を振るアルル様。私も貧しい子供を見るかのようにハンカチーフで涙を拭うと「気を遣わせてるのはどっちだ」と厳しい声を向けられる。
「みんなアルル様のことが心配なのですよ。だって、骨のようだから」
「お前たちが太ってるだけだと思うけどな」
「ああ、なんて可哀相なのでしょう!ここから遠く離れたお星様に住む人たちはアルル様も子供たちもみんな骨っぽいなんて!食べ物が不足しているのですか!?それとも制限されているのですか!?もう私たちと国交を開きましょう?たくさん私がお菓子を」
「いらない」
小さくマフィンを齧りながらアルル様が私を睨む。まだ最後まで喋っていないのに。
「アプリコット・シュガー、半分食べてくれ」
「まあー!!マフィンの一個も食べきれないなんて!!」
「甘すぎるんだって」
「そうやって好き嫌いばかりしていてはちっとも元気になれませんわよ!!」
「糖分過多で逆に死にそうなんだけど」
アルル様は手に持ったマフィンを縦半分でなく横半分に割った。そしてアイシングの乗った方を私に手渡す。これが目的だったに違いない。
「どうしてアルル様のお口には合わないのかしら」
「お前たちは砂糖だけじゃなく塩の存在も知っておいた方がいいぞ」
「塩分は摂り過ぎたら病気になってしまうのですよ!?」
「なんでそれは許せないんだ」
アルル様はさっきまで小さく齧っていたマフィンを二口で平らげる。ほぼ丸飲み。我慢しながら食べているというのが丸わかりだ。どうして口の中に広がる砂糖の甘さとバターの香りがダメなのかしら。丸飲みしたアルル様とは別に私は何度も咀嚼してマフィンを味わう。
「うまいか?」
「はい」
「よかったな」
そして微笑む。いつも顰めっ面だったアルル様の表情が緩むようになった。お肉を諦めたあの日から。
嬉しいのに淋しい。この複雑な気持ちはなんだろう。アルル様が私たちの生活を受け入れた分、自分の本当の心に蓋をして大切な何かを失ってしまったのではないかと憂いてしまう。美しい表情の中に儚さがあって指で軽く押しただけで崩れてしまう角砂糖のような脆さを感じてしまうのだ。
「アルル様、今日も出かけませんか?」
「どこに?」
「後で考えます」
「いいよ、お前仕事忙しいんだろ?」
「忙しくなんてありませんわ!」
「一人フル回転してるから自分だけ太ってないんだろ。周りはブクブク太っていくのに」
「お菓子作りは体力仕事なのです!筋肉痛になるくらい生地なり生クリームなりをかき混ぜ、オーブンによる灼熱地獄で汗だくの毎日!それは仕方ないことなのですわ!それに!」
「それに?」
「それほど痩せているわけでは」
「あ、本当だ」
突然伸びてきた手に頬を摘まれた。
「ん?なんか柔らか過ぎやしないか?お前は頭の中だけじゃなく身体も綿菓子で出来てるのか?」
「ひっひえええ~~!!」
片手で頬を摘んでいただけなのに両手を添えられた。アルル様の手が私の頬を包む。
「やっ、やめてくださいませ!」
「砂糖は肉を柔らかくするとはいうが、この国の人間はみんなこんなんなのか。子供たちもぷよぷよしてたがお前はぷよぷよというよりふわふわ」
「きゃあーーー!!スケベーーー!!」
バッチーン!と思わずアルル様に平手をお見舞いしてしまった。
「ご、ごめんなさい!!け、けど!!アルル様のばかー!!」
空になったお皿を乗せたワゴンをそのまま置き去りにしてダイニングから走って逃げた。顔中が熱い。心臓がバクバクうるさい。殴った手のひらがジンジンする。
触られた!アルル様に触られた!
子供たちに「姫様ふわふわー」「すべすべー」と触られるのは平気なのにアルル様は無理!恥ずかしくて無理!熱すぎて全身が溶けてしまいそうなくらい無理!
「姫様どうしたんですか?というか食器は?」
「も、戻れないよ~!」
厨房に戻った私はその場に座り込んで、哀しいわけでもないのに涙が出てしまった。
「悪かったって。ごめんな」
アルル様に触れられて動揺しまくった私は仕事に集中できず、ケーキの分量を間違えたり、オーブンタイマーのセットを忘れたり、出来上がった大事なお菓子を床に落としそうになったりして、さすがにこれ以上は看過できないということで私は厨房から追い出された。追い出されてバラ園でいじけていたらアルル様が声をかけてきた。アルル様のせいなんだから、と心の中で思っていても、謝られたらアルル様のせいじゃなくて自分が悪いのにとまた落ち込む。
「いきなり触ったりして悪かったって」
「それはもう・・いいわけではないのですけど、そうでなく・・たくさん仕事でミスを」
「俺のせいだろ?ちょっかい出して悪かったな。もうしないから」
「そ、そういうわけでは!」
声の方へと振り返ったら五メートルほど離れたところにアルル様が立っており「何?またしてほしいの?」意地悪く言う。私はまた顔に熱が集まってアルル様の顔が見れなくなった。
違う。触ってほしいとかじゃない。離れていかないでほしい、って思っただけだ。
甘い甘いシュガール国にいつまでたっても馴染まない星の王子様の存在は、甘いだけの世界にちょっとしたスパイスをくれる。穏やかでおおらかで優しい国の人々と少し違う、乱暴な口ぶりで険しい顔ばかりで文句も多いけど、その裏に優しさを感じるからちっとも嫌ではないのだ。このままずっと一緒にいれたらいいなって心のどこかで思ってる。この楽しい日々がいつまでも。でも、アルル様は我慢ばかりでこの国に全然馴染めそうにないから早く星に帰る方法を見つけないといけないなとも思ってる。
アルル様の顔を見れなくてバラ園の方ばかり見ていたら突然目の前のバラの蕾が花を咲かせた。
「え!?」
驚いて丸めていた身体を伸ばすと、またポンと花が咲く。突然。
「え!?どうして!?」
立ち上がって花を咲かせたバラに近づくと影が重なった。振り返ればすぐ近くにアルル様がいて「お詫び」と告げる。
「お詫びって・・・。アルル様が咲かせたのですか?」
「まあな」
「どうやって・・・?」
目の前で咲いたバラの花とアルル様の顔を交互に見ていたら、アルル様が右手を突き出した。そしてパチンと指を鳴らすとさっきまで固い蕾だったバラが一気に花開いた。
「は、花咲じいさんですか?」
「誰がじいさんだ。これは俺の家に代々伝わる解覚の力」
「解覚の力?」
「エネルギーを一点集中させて、そのものが持つ能力を解き放つんだ。花は花を咲かせる。木々は枝を伸ばす。山は水を溜め滝や川として放流する。そういう生命が持つ能力を目覚めさせて解放させる」
「自然を操れるってことですの!?」
「操るわけじゃない。引き出すだけだ」
「でも花が!」
「それは花がそう望んだから咲いたんだ。自然はいいよな。人間のように複雑じゃなくて純粋で真っ直ぐだ」
アルル様が咲いたバラを撫でる。ピンと張った花びらは大きく開いており色も鮮やかだ。
「す、すごい!!すごいですわ!!お星様に住む人々は皆さんそんな特殊能力をお持ちなんですの!?」
「いや、全員じゃない」
「ということはアルル様は選ばれし神か何かですか!?」
「それも違う。忌まわしい血の力だよ」
「忌まわしいだなんてとんでもありません!花を咲かせるなんて素敵な力ではございませんか!」
咲いたバラに顔を近づける。色だけじゃない。香りも高くとても質が良い。何年とバラ園の管理をしてきた私でも、こんなにも元気な花を咲かせることは滅多にできない。「すごい!すごい!すごい!」大興奮でその場を飛び跳ねてしまいそうになる。
「満開にすることもできるぞ?」
「えっ!?本当ですの!?」
「ああ」
「えっ!!ど、どうしましょう」
満開のバラ園は見てみたい。私はまだまだ下手くそだから花たちを満開に咲かせたことがないのだ。だけど。
「嫌そうだな」
「い、嫌というわけではないのですけど・・・自分の力でやりたいという気持ちもありまして。あ、でも、アルル様の素晴らしい力が私にも備わってるわけではなく!何を間違えたのか咲いてくれないことも多いのですけど!」
「わかってるよ。こんな特別な力というのは実際には不必要なんだ」
「そんなことありませんわ!これは私の我儘なだけであって」
「それが正解」
あの日からアルル様の顔は緩むようになった。その微笑みの奥に隠されている感情がわからない。わからないのに「ありがとう」とお礼を言われる意味はもっとわからない。
「あ、あの、アルル様?」
「どうした?」
「私が育てたバラのお茶を飲みませんか?甘味よりも酸味の方が強いのですけど」
「・・・・ああ、もらおうか」
「あとですね」
「もじもじしてどうした」
「とても言いにくいのですが、厨房に」
「いかない」
「アルル様が食べるためのパンをですね、その、イースト菌の発酵を、その力で早めてもらえないかなーなんて」
アルル様の顔を見ずに言う。だって言いにくいじゃない。こんな素敵な力をパンの発酵を早めるのに使おうだなんて。怒られても仕方がない。けれど、アルル様が授かった特別な力を活かせる何かを考えたら、綿菓子しか詰まっていない私の頭ではこんなことしか考えられなかったのだ。
チラリと視線を上げてアルル様を見たら、アルル様は口を半開きにして固まっている。絶句とはこういうことをいうのかもしれない。「えへへ~・・ごめんなさい」と笑って誤魔化そうとしたら「ブッ!!」と唾が飛ぶ勢いでアルル様が吹き出した。
「お前、それ、本気で言っているのか!?」
「え、あの、で、できませんの?」
「やったことがない」
「ですよね~」
「でも、やってみよう。上手くいくかはわからないが、どうせ俺が食べる分だ。失敗しても俺が胃袋に収めればいい」
「あ!お待ちくださいませ!せっかくバラ園に来たのですからちょっと実がなってないか探させてくださいな!」
「置いてくぞ」
「あんなに厨房を嫌がっていましたのに!!」
アルル様が私を置いて屋敷に戻ろうとする。「あ~もう!」結局私はバラの実を探すのを諦めアルル様を追った。
厨房に着くなり私に生地を捏ねさせ、私が調理台にパン生地を叩きつける姿を見ながら「これは確かに力仕事だな」と呟きながらも手伝おうとはしない。発酵のために生地を丸めておいたら指パッチン一つでむくりと生地が膨らみ「ほら、休む暇ないぞ」とアルル様が嬉しそうに笑う。休憩の余地を与えてもらえぬまま第二ラウンドスタート。
「アルル様、パンも休憩が必要で」
「言い訳するな」
とパン生地ですら休憩時間をもらえず即成形。その後、また指パッチンで第二発酵を急速に終わらされた生地は型の中で大きく膨らみオーブンの中へ。
「焼き時間は短縮できませんの?」
「俺は便利屋じゃないぞ」
そんなくだらないことを話しながら焼き上がった食パンは硬めで風味もあまりない。
「アルル様、ジャムか何かを」
「これでいい」
アルル様はとても満足そうに食パンをむしりながら頬張っていた。朝はマフィンを丸飲みしていたのに、何度も何度も咀嚼している。
「うまいな」
「そ、そうですか?私、甘さが足りなくて」
「うまいんだよ」
アルル様は今までにないくらいの食欲を発揮して、アルル様特製(発酵のみ)の食パンはあっという間になくなった。食べ終えたアルル様はとても満足そうな顔をしており「ようやく満たされた」と顔を緩めて言ったのだった。