2.越える隔たり
「アルル様、せっかくですし散歩でも行きませんか?」
窓辺に佇む王子様に反応はない。「王子様!アルル様!」何度か呼びかけてようやく顔をこちらに向けてくれた。
「誰だ?」
「あなたですよ、アルル様」
「俺はそんな名前じゃない」
「思い出されたのですか?」
「・・・・・・・いや」
「ならいいじゃないですか」
「よくない。勝手に名付けるな」
星の王子様は顔立ちは美しいのに、いつも苦虫を噛み潰したような表情でいる。甘い甘いここシュガール国でそんな苦い顔をしている人はいないというのに。
「どの世界に行っても名前というのは必須なのですよ?人間誰でも生まれてきて最初にもらうのは名前なのです」
「乳だろ」
「生まれる前からもらうのが名前なのです」
「どうでもいい」
「ならアルル様で良いではないですか。何がそんなに不満なのです」
「子供っぽい」
「そんなことありませんわよ。これは、星の名前から取ったのです。夏に白く輝くアルタイル。王子様にぴったりじゃないですか。髪の色も白銀ですし」
「ならアルタイルでいいだろう?なんだ、アルルって」
「可愛らしくて好きなんです」
「それが子供っぽいと言ってるんだ、綿菓子頭」
王子様の機嫌は良くならず、すぐ窓の外に顔を戻してしまった。
アルルという名前が嫌でも王子様と呼ばれるのが嫌ではないというのであれば、やっぱり王子様はどこかの王子様なのだろうか。それだけは覚えているというか、脳内に刻まれているのだろうか。「王子様」そう呼んだら王子様は私に振り向いてくれた。
「出かけませんか?」
「何をしに?」
「散歩」
「一人で行け」
「王子様、全然食事を美味しそうに食べないんですもの。何か王子様でも食べれるようなものを探しに行きましょう?」
「あるのか?この国に?胸焼けするほど甘い匂いしか漂わないこの土地に?」
「探せばありますよ」
「お前たち、肉は食わないのか?ハムはないと言っていたな」
「食べますよ。ならお肉をもらってきましょう」
私は無理に王子様の手を取った。王子様はその手を振り解いたりせずについてきてくれる。言葉は乱暴で突き放すようだけど、実際には優しい人なのだと態度から伝わってくる。嫌いな食事でも残したりしないし、私がすることを嫌がったりしない。文句は言うけれど。
後ろを振り返れば解せない顔をしている王子様が眉間に皺を寄せていた。
「王子様の星にはどんな食べ物があるのですか?」
「・・・・・星?」
「はい」
「・・・・・お前さ、本当にその頭には綿菓子しか詰まってないのか?」
「え?綿菓子・・かどうかはわかりませんけど、お砂糖たっぷりなのは確かですわね」
「だろうな」
不意に王子様が目線を下げて小さく笑った。この人は本当に笑わない。いつも怒ってばかりで顰めっ面。なのに時々こうやって小さく呆れたように笑うことがある。
もっと笑ってくれたらいいのに。
私は子供のように大きく手を振って歩く。繋いだ王子様の手を離さずに。
街に下りれば人だかりができた。「この人だあれ?」腕も足もむっちりしている子供たちが訊ねてくる。
「星からやってきた王子様よ」
「お星様からー?」
「そうよ」
「違う」
「王子様、高いところから落っこちてしまって記憶がないの」
「そうなのー?」
「違う」
子供相手でも顰めっ面の王子様。子供は苦手なのかしら?と思っていたら王子様が膝を折って子供たちと目線を合わせた。「お前たち、子供とはいえ、これは肉づきが良すぎやしないか?」と言って少年の腕をむにむに触る。
「王子様は全然ないねー」
「まあな」
「ご飯たくさん食べないと大きくなれないんだよー」
「俺はこれでいいんだ。お前たちはたくさん食べろよ」
「食べてるよー。ねえ?」
「うん」
「そー」
「そうか。なら野菜も一緒に食べろよ」
「野菜は飾りなんだよー?」
「違うわ!」
王子様が少年の腕だけじゃなくて、頬もお腹も揉みだす。「お前たち!砂糖以外もちゃんと取らないと、ここにいる綿菓子頭のようなアンポンタンになっちまうぞ!」と言いながら集まってきた子供たちの身体をくすぐり出した。「うわー!」「ひゃー!」逃げる子供たちを王子様が追いかける。完全に遊んでいた。
「姫様?何事です?」
「ブルツェンさん。こんにちは。ちょっと牧場に立ち寄ろうとしたのですけど、子供たちに捕まってしまって」
「あの方は?」
「星から降ってきた王子様です」
「はあ」
ブルツェンさんは首にかかったタオルで顔を拭い「大事なお客様ってことですね」と星の王子様を暗に否定した。
「ミルクが足りなくなりましたか?なら、後で配達に伺いますが」
「いえ、お肉を分けてもらおうと」
「肉?姫様が?・・・・ああ、お客様用にですね。捌く分、あったかな?私も一緒に行きますよ」
「まあ!それは助かるわ!ありがとう!」
「いえいえ、ついでですしね」
ブルツェンさんはリヤカーを取り出して「乗ります?」と訊ねた。「お菓子作りは体力仕事。そんなにヤワじゃないわ」と首を振ると「さすがです」とブルツェンさんは微笑んだ。
外で子供たちと遊んでいた王子様は「あ、子守り押し付けてどこ行ってたんだ」と不満そうに言う。子守りを押し付けたのは私でなく、自ら進んで遊んでいたのは王子様の方だというのに。
「姫様またねー」
「王子様またねー」
子供たちと別れて私たちは牧場に向かった。小高い丘を上っていく途中「王子様は子供がお好きなのですね?」と訊ねてみた。王子様は丘の方へと視線をやりながら「好き・・というか、この国の子供はぽっちゃりしてて赤ん坊のようだな。無邪気で能天気で構ってやりたくなる」と険しい顔で言う。口と表情が合っていない。
「星の子供たちは痩せ細ってますの?」
「そうだな。大体」
「可哀相に。もし星に帰る時は私も連れていってくださいませ。たっくさんのお菓子を作って差し上げますわ」
「遠慮する」
険しかった顔の皺をさらに深く刻んで言う。即お断りされて頬を膨らませた私をブルツェンさんが笑って見ていた。
ブルツェンさんはリヤカーに山ほどの藁を途中で積み、牛舎を目指してリヤカーを引いた。その後ろを王子様が手助けするように押す。何も言われてないのに。ほら、やっぱり優しい。私も王子様に並んでリヤカーを押した。
「ああ、ありがとう。助かったよ」
「礼には及びませんわ」
「えーっと、ちょっと待っててくださいね。牛たちの様子を見てくるので」
「無理なさらないで。いなければ森に入りますから」
「はーい」
ブルツェンさんは牛舎の奥へと歩いていく。その後ろ姿を見送って「搾乳でもしてます?」と王子様を見上げた。王子様はブルツェンさんのいなくなった牛舎の奥を見つめたまま動かない。
「これだけ牛がいて、食べないのか?」
「この子たちのほとんどが乳牛ですの。食べるのはお乳が出なくなってから」
「・・・・・・・。」
「雌鶏も同じですわ。卵を産む元気がなくなって、しばらくしたら食べます。今までありがとうって」
「・・・・・・・。」
「もし元気のない子がいなければ森に行きましょう。森に行けばシカやタヌキがおりますから。その子たちを捕まえて」
「否定、しないのか?」
「え?」
「お前たちは肉を好んで食べないのだろう?わざわざ殺生してまで食べようとする俺を否定しないのか?」
王子様の視線は外れない。だから私と目が合わない。私も牛舎の奥を見つめて「致しませんわ」と告げた。
「これは私たちのご先祖様が歩んできた歴史ですもの。それと同じように王子様の住む星にだって様々な事情があって紡がれた歴史が存在するはずです。それを否定したりなんか致しませんわ。それに私たちは食肉を禁止しているわけではありませんし、ちゃんと食べますのよ?ですからそう重く受け止めなくても大丈夫ですわ」
私の方を一切見ない王子様の身体が一歩前に出る。ブルツェンさんが行った奥の部屋へと駆け出した。「え!?」突然のことに驚いて私はその場を動けない。「ちょっ、ちょっと王子様!」遅れて後を追いかけるとロープで牛を縛り上げようとしていたブルツェンさんを止める王子様がいた。
お肉を手にできなかった王子様に「森に行ってきます」と言ったけれどそれも止められた。「もう肉はいい」と顰めっ面。重く受け止めなくてもいいと言ったのに。
「ダメですよ、王子様の身体が保ちませんわ。いつ星に帰れるかわからないのに」
「いいって」
そう言って突き放す。「でも」「いいから」その繰り返しだ。
このまま屋敷に帰ってもまた苦い顔をして食事とにらめっこする王子様の姿は容易に想像できる。痩せこけている王子様を太らせるのが私の今すべきことに違いないのに。
「今、何考えてた?」
「え?」
「綿菓子しか詰まってない頭の中は何を考えてたんだよ。難しい顔しやがって」
「・・・どうやったら王子様を太らせられるかなと」
「やっぱりお前、いつか俺を食べる気だろ」
「そんなことありませんわ!誤解です!私は、みんなを甘いお菓子で幸せにしたいだけですの!」
甘い香りは食欲をそそる。口の中に入れると幸せな気持ちになる。みんなの顔が綻び、楽しそうに、嬉しそうにする、そんな姿が大好きなだけ。
「アプリコット・シュガー。お前に頼みがある」
「・・・・・なんですの?」
「主食のマフィンは食う。だけどそれ以外は砂糖を抜いてくれ」
「そんなの美味しくない」
「胃もたれするよりマシだ」
フッと小さく息を吐きだして「俺には甘すぎる。慣れてない」いつもの顰めっ面なのに口角が上がって笑って見えた。
「あと、俺を太らせる作戦は諦めてくれ。重くなれば宇宙船がまた落ちてしまうだろう?」
「あっ!」
「ようやく気づいたか綿菓子頭め」
王子様は「はあ~あ」とため息のような、あくびのような声を漏らし、顰めていた表情を緩めた。そして私を見るなり柔らかく微笑んだ。
「アルルって呼んでいいぞ」
「え?いいのですか?」
「前の名前思い出せないし、好きに呼べばいい」
王子様改めアルル様は流した視線を私に滑らせながら背を向けた。「帰るぞ。付き合わせて悪かったな」出かけようと言い出したのは私の方なのに、どうして謝るのだろう。もしかするとアルル様の優しさは責任感の強さからきているのかもしれない。
「アルル様!夕飯にはバターとシュガーをこんがり炙ったトーストをお出ししますわ!とっても美味しいですから!」
「砂糖を抜けと言ったのをもう忘れたのか?綿菓子頭。どこまでスッカスカなんだ」
はははっ、と声を出して笑うアルル様を見て、胸が締め付けられたのはどうしてだろう。