1.甘い毒に侵されて
甘い甘い香り漂う国、シュガールには一人のお姫様と、お姫様に甘いお菓子を食べさせられまくった太った両親とぽっちゃり気味の国民たちがとてもとても幸せそうに暮らしていました。
甘い甘いお菓子は人々を幸せにする。
そう信じ続けていたというのに、ある日、満天の星空から降ってきた星の王子様は、朝食に出されたマフィンとフルーツ盛り合わせを睨みつけるなりこう言った。
「・・・・なぜ、マフィンなんだ。なぜ、朝食に甘い焼き菓子を出す」
「それが主食ですもの」
「マフィンが主食?・・・パンはどうした」
「パン?パンケーキがいいのでしたら」
「違う!!ケーキじゃない!!パンだ!!お前たちはロールパンやサンドウィッチなどは食べないのか!?」
「ああ~、サンドウィッチがよろしいのでしたら、そう仰ってくれればよろしいのに」
私は胸の前で両手を叩き、厨房へ向かった。そしてサンドウィッチをお皿に乗せてダイニングに戻ると、また星の王子様が「ちがーう!!」と声を荒げる。
「どうしてサンドウィッチの中身がフルーツとクリームなんだ!」
「だって、その方が美味しいではありませんか」
「美味しい!?この甘いだけの食べ物が!?これは菓子であって飯ではないぞ!?」
「食べてしまえば同じですよ」
「違うと言っているだろう!この国にはレタスやトマト、ハムなんかはないのか!?」
「ハムはありませんけど、お野菜はありますわよ」
「なら野菜を食え!!俺だけじゃないぞ!!お前たちもだ!!だからこの国の人間は太ってるんだ!!幸せなのは今だけ!!それをこの綿菓子頭はわかっているのか!?」
星の王子様は私の頭を両手でガシッと掴み上げて前後に揺さぶる。「やめてくださいよ~」という私の声すら聞き流しているお父様とお母様は笑いながら「彼、元気になって良かったね」「ええ、本当ですわ」とアイシングのたっぷりかかったマフィンとフルーツを交互に口に運んでいた。いつもと変わらぬ朝食の風景である。
「王子様が元気になれたのは、あま~いお砂糖たちのおかげですのよ?そう怖がらずにもっと食べてくださいな」
「ふざけるな。衰弱してる人間にガムシロップ飲ませやがって。虫か、俺は」
「あら、虫も人間も変わりありませんわ。甘い蜜で心も身体も健やかになるのです」
「な、ら、な、い」
私の髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き乱して手を放した王子様は、あからさまに大きく息を吐き、文句を言いながらもマフィンを齧る。甘いはずのマフィンを苦そうな顔をして食べる王子様は味覚が狂っているとしか思えないのだけど、出された食事を捨てたり残したりすることは一度もなかった。
両親と国民を太らせまくったシュガール国のお姫様こと、私アプリコット・シュガーは毎日毎日主食のマフィン作りに励んでいた。この国は甘い甘いお菓子でできている。その起源を遡れば何百年も前になってしまうのだけれど、飢饉に陥った国民たちを救ったのが一つの角砂糖だったというのが、お菓子を主食にした始まりだったと言われている。砂糖を大事に大事にしているうちに、自分たちで作り始め、食べ始め、砂糖を食べれば元気になれる!と、気づけば砂糖を食べなければ生きてはいけない身体になってしまった。
国土の半分に及ぶ土地では砂糖大根を育てており、収穫したものは輸出も行っているほどの砂糖大国。いつの間にか国にも国主にもシュガーの名がつくほどである。
そんな砂糖大国でお菓子(あくまで主食)を作りまくっている私は、その日もいつもと同じように日も昇らない早朝からマフィンを焼いていた。シュガー家の屋敷には大きな厨房がある。休み知らずの大きなオーブンは壁一面を埋めつくすほどにあり、焼き上がりの際は厨房は熱地獄となる。お菓子作りは体力仕事。そのせいか、両親や国民は太っていく一方なのに、私は太れず痩せたままだった。
国民に配布する数千人分のマフィンをオーブンに入れてタイマーをセットする。このタイマーが一斉に鳴り出すと相当なけたたましさであり、この音でお父様とお母様はいつも目覚める。それまでの間、庭を散歩するのが私の日課だった。この庭園ではお菓子に合う紅茶を育てるのに一時期頑張っていたがうまくいかず、結局茶畑を諦めバラ園とした。バラはいい。飾ってよし。食べてよし。お父様とお母様は大いに喜んでくれた。
マフィンが焼き上がるまでの間、まだポツポツとしか咲いていないバラを眺めながら散歩していたところ突然空から何かが降ってきたのだ。
バキバキと枝が折れる音と一瞬だけドスンと大きな音が響き、私のバラ園に穴を開けた。「・・・え?」一瞬何が起きたのか分からなかった。私は思わず空を見上げる。明け方も近いのにまだまだ星が瞬いている。煌々と。
私は上げた顔を今度は地面に下ろす。やっぱりバラ園に穴が空いている。低木で埋め尽くされていた庭園にポカンと穴が。
隕石?隕石が降ってきたのだろうか?恐る恐る覗き込むとそこには隕石などではなく人間がいた。薄暗闇の中に浮かぶ銀色の髪。痩せこけていてもわかる端正な顔立ちをした男性。私が育てたバラを絨毯に寝そべる姿はまさに王子様そのもの。
「パティ!!来て!!空から王子様が降ってきたの!!」
急いで厨房に戻り、オーブンの前で居眠りしていた料理人のパティの腕を引っ張って再度バラ園に出た。まだ蕾のバラたちが心配そうに俯く先に王子様が倒れているのを見てパティが「うわあっ!」と大きな声を出す。
「本当にいた!いつもの姫様の妄想話かと思ったのに」
「妄想話って失礼ね!・・・ねぇ、苦しそうにしているわ。部屋に運んであげましょうよ」
「ですが、見ず知らずの他人を屋敷に入れるのは」
「見ず知らずとはいえ、この人はどっからどう見ても王子様でしょう!?この姿を見て!!サラサラの銀の髪!線の細い体躯!切なさを滲ませた表情!からの中性的な顔立ち!これこそまさに空から降ってきた星の王子様そのものよ!!」
「ほら~、いつもの妄想癖が」
「んもう!!早く!!私の部屋でいいから運んでちょうだい!!」
パティは王子様を腕に抱えると私の部屋へと連れて行き、ボロボロに裂かれている外套を脱がせベッドに寝かせた。ベッドに横たわる王子様に「大丈夫ですか?」声をかけても返事はない。「頭を強く打ったのかしら」頭をさするように髪を梳くと上向きの長い睫毛が髪の間から現れる。美しい顔をしていても顔色は悪いし、頬がこけていた。
「ひどく痩せてるわね」
「ということはこの国の者じゃないのは確かですね。この国の人たちは姫様のせいでどんどんふくよかになっていって」
「だとしたらやっぱり星から来た王子様ってことよね?」
「そう・・・なんですかね?」
「パティ、ありがとう。もう戻っていいわ。これ以上厨房を空けてしまってはせっかくのマフィンが焦げてしまう」
「ですが姫様、その方はどうなさるのですか?」
「目が覚めるまで私がそばにいるわ」
だって一人にはしておけないじゃない。擦り傷は多いし、こんなにも弱っている。
だから王子様が目を覚ますまでずっとそばにいた。いつもなら焼き上がったマフィンを街に配りに行ったり、クレープを何百枚と焼いたり、腕が逞しくなるほどに生クリームを泡立てたり、合間にバラ園の世話をしに行ったりと忙しなくしているのだけど、その日は星から降ってきた王子様が気になってそれどころじゃなかった。
眺めているだけじゃダメ。私にできることを何か。
傷の手当てをしよう。バラの木に突っ込んだせいか小さな擦り傷が全身にある。その傷口にたっぷりの蜂蜜を、そして寝ていながらでも少しでも栄養を取れるようにと思って唇にガムシロップを塗りたくったりした。砂糖は全人類を救う。それが私たちの信念であり信条。
王子様は丸一日私のベッドを占領した後、ようやく目を覚ました。それと同時に口内まで浸食していたガムシロップをペッ!!と苦い顔で吐き出したのである。すごい勢いで。
「・・・誰だ、お前は」
咳き込みながら王子様は私を睨みつけた。怯えた目。威嚇をする猫のよう。
「私はアプリコット・シュガーと申します。外を散歩しているときにあなたが空から降ってきたのです」
「・・・・・・。」
「覚えてらっしゃらないですか?」
「・・・・・・。」
言葉が通じないわけではない。だって、さっき「誰だ、お前は」とちゃんと聞き取れたのだから。
「空から落ちてきたのですもの。頭を強く打ったのかもしれません。記憶が曖昧でも仕方ありませんわ。でも、心配なさらないで。元気を取り戻すまでここシュガール国で養生なさってくださいな」
「・・・シュガール」
「ご存知で?」
「・・・いや」
「あら残念。甘い香り漂うシュガール国の名が、宇宙にまで知れ渡っていたら素敵でしたのに」
「・・・宇宙?」
「あなたは星の王子様でございましょう?」
「は?」
「宇宙船が壊れて困っておいでなのでは?」
「は?」
「ああ、目覚められたばかりなのに色々とお話ししてごめんなさい。まだ混乱なさっているはずなのに。食事をお持ちしますわ。しばらくお待ちくださいませ」
部屋を出た私は厨房へ向かいワゴンを用意する。トレイの上に生クリームたっぷりのシフォンケーキとミックスベリーをふんだんに入れたヨーグルトを並べた。飲み物には砂糖たっぷりの甘い甘いミルク。うんうん、美味しそう!栄養満点!食欲そそるわ!と小走りでワゴンを走らせ部屋に戻ると、星の王子様は吐き気をもよおしたようにペッ!!と唾混じりのガムシロップをまた吐き出した。
「・・・なんで俺はこんな国に来ちまったのか」
両親は朝食を済ませ部屋に戻ったというのに、王子様は全く食が進まない。口に食事を運ばず、出るのはため息ばかりだ。
「不時着で行き先は選べませんわよ」
「本気で言ってるのか?綿菓子頭。俺が星から来たって」
「私、綿菓子頭ではございません。アプリコット・シュガーにございます」
「名前まで甘ったるいな」
「王子様のお名前は?」
「・・・・・・さあ。なんだったかな」
「まだ記憶が戻らないのですか?」
私の問いかけに返事はなかった。ちっとも食が進まない王子様はイチゴにフォークを突き刺したままグリグリと左右に揺らす。一切口に運ばれる気配のないイチゴから果汁が溢れ、お皿の上を赤く染めた。
「そんな顔なさらないで。心配いりませんわ。いつか星に帰れるまで、ここを実家だと思ってゆっくり寛いでくださいませ」
「そうやって俺を甘やかして、俺もお前の両親のように太らせる気だろ」
「あら?あれは幸せの象徴ですのよ?」
「いいや、俺を脂肪肝にして後で美味しく食べる気に決まってる。甘い罠ってのはそういうもんだ」
「罠だなんて、そんなこと致しませんわ」
「どうだかな。どの物語でも優しくしてくる奴には裏がある。赤ずきんを食べようとした狼。お菓子の家に住む恐ろしい魔女」
「あら?星の王子様でも童話はご存知なのですか?」
「知ってるさ。俺は星の王子様なんかじゃないんだから」
ずっとお皿に向けていた目を私に向けた王子様の口角が段々と上がっていきフッと小さく息を吐く。
「砂糖まみれのアプリコット・シュガー。美味しく食べられてしまうのはどっちだろうな?」
王子様が手に持ったフォークを私の口に突っ込んでくる。イチゴの果汁が広がって、脳が甘さで溶けるようだった。