13
「恩人様だ……」
「あの方が……」
「あの時の女神様」
周囲のざわめきが大きくなっていく。
「アンジーナ様? 何をなさったのですか?」
カーミラが不安げな声を出している。
「知らないわよ! 私が知りたいわ。これは一体どういうことなの?」
「女神アンジーナ。もしや、貴方様はご存知ないのですか?」
私の様子を見ていたジャニスが驚いた様子でこちらを見ている。
「その女神呼び、やめてくださる? そして、何がどうなって感謝されているのか教えてちょうだい!」
「あの馬鹿! あれだけ女神様に感謝を伝えるようにって言ったのに、何も伝えていないとは……帰ってきたらタダじゃおかないよ!」
指の骨をボキボキと鳴らしているジャニスは凄みを帯びた声でそんなことを言っている。あの馬鹿とはドヴォルのことだと分かるが、何をされてしまうのか、考えるのも恐ろしい気がする。
「こんなところで立ち話もなんですから、どうぞ我が家へ! そこでゆっくりとお話させていただきますので! 是非!」
元々ドヴォルの家へと向かうつもりだったので、その誘いを受け、ジャニスが乗ってきた馬車に同乗させてもらった。
ドヴォルの家はやはりとても大きく、屋根と地面から一メートルほどの壁はレンガで、あとは白壁という造りになっていた。
室内は白壁にレンガが所々にはめ込まれ、レトロだが洒落た雰囲気をだしていて、床は木目の美しい木板が敷き詰められている。
応接室に通された私達は、テーブルいっぱいにお菓子を置かれ、蜂蜜たっぷりのミルクティーでもてなされた。
「狭苦しいところで申し訳ありません」
どこが狭苦しいのか分からないが、本心から言っているようである。
私が普段使っていたソファーより一回りほど大きなソファーに腰を下ろすと、自分の体が小さくなってしまったような錯覚がした。
「先程の話、どういうことなのか教えていただけるかしら?」
「その節はアンジーナ様に我が町は救われました! ありがとうございます!」
「……お礼は受けましょう。だけど、感謝される理由が全く分からないの。私が助けたのは、船の事故で大打撃を受けたファブナ商会であって、ビラの町ではないわ」
「お嬢様!? そのようなことをなさっていたのですか!?」
「紛らわしいからあなたは黙っていなさい」
「はい、申し訳ございません」
カーミラがシュンとして黙った。
「その船の事故で、ビラの町自体が大打撃を受けたのです」
「どういうこと?」
ビラの町は元々何の特産もない、寂れた町だった。
しかし、ジャニスが町を治めるようになり、町を発展させるべくパラスの海産物に目を付けたファブナ夫妻は、町に住む者達に魚介類や貝殻、珊瑚などの加工の仕方を覚えさせ、何とか商品化出来る技量まで成長させた。
それをドヴォルが商才を生かし、まずは国内で流通させることに成功し、帝国への販路も広げ、本格的に帝国領で事業を拡大させるべく、町の人達からも資金を募り、当時のありったけの品々と、町の人達から預かった資金などを積み出航した船だったが、『モンスターストーム』と呼ばれる、帝国海域で時折起こる予測不能な突発性の大嵐に巻き込まれ、人命こそ失わなかったものの、金品は海の藻屑と消えてしまった。
皆がこの町のためにと、無理をしてでも集めた金品だったため、ファブナ商会だけではなく、この町の住人達にとっても大打撃となり、私からの資金援助がなければこの町は終わりだったのだと熱弁を振るうジャニス。
あまりの熱量に、こちらの方が圧倒されるほどだった。
「貴方様だけだったのです! ドヴォルに、ファブナ商会に手を差し伸べてくださったのは! あれがあったからこそ、この町も救われたのです! ですので貴方様はこの町の救世主! 女神様なのです! 分かっていただけましたか!?」
「わ、分かったわ。でも、私は、ファブナ商会に将来性を感じたから資金援助をしただけで、別にこの町を救おうと思っていたわけではないのよ。結果的にこの町の助けになっただけ。救世主ではないわ」
「おぉ! 何と謙虚な! 結果論とはいえ、貴方様がこの町を救ってくださったことは、紛うことなき事実! 感謝してもしきれません!」
何を言っても「謙虚だ」「慈悲深いお方だ」「女神様だ」「慈愛に満ちている」と褒めてばかりのジャニスに根負けして、感謝を受け入れた。
「ところで、今回は、女神自ら、どうしてビラの町へ? ご自身が救われたこの町を視察にいらした、というわけでもなさそうですが」
「婚約が嫌で、何にも縛られず好きに生きたくて、家を捨て、国を出てきたの。帝国でドヴォルに助けてもらって、憧れだったこの国まで連れてきてもらったのよ? ドヴォルから何も聞いていないの?」
「いいえ、何も……というか、ドヴォルはこの国に帰ってきているのですか?」
「えぇ、私と一緒にこの国に入ったわよ? まさか、それも知らなかったの?」
──パリンッ!
ジャニスが手にしていたティーカップが、彼女の手の中で見事に割れた。
「あの男……必ず報告しろと、いつもあれだけ言っているのに……」
ジャニスの手の中の、元ティーカップだった残骸が、バキバキと音を立てて砕けていく。
「ちょ、ちょっと? 怪我をしてしまうわよ?」
「はっ! 私としたことが……そして、私を気遣ってくださるとは、やはり女神!」
手の怪我を心配したのだが、手の皮が厚いのか、傷一つなくホッとした。
「こちらを片付けて参ります。女神様ご一行は、ごゆっくりとお寛ぎください」
部屋を出ていく際、ジャニスが「あんのクソ! 帰ってきたらただじゃおかない!」と低い声で言っており、それが聞こえたカーミラが「ひぃっ!」と悲鳴を上げていた。