【イケメンの皮をかぶった中身小学生男子とトラウマ女子の恋】~カッコよくなっちゃった幼馴染みにグイグイ迫られちゃってるけどジャンル違うのでビビります~
幼馴染みがカレカノになる?高2の夏休みの2日間。
8月の夜。
お母さんにプレゼントを貰った。
「これ、良い!お母さんありがとう!」
スカートを着てみたいけど気恥しい私にはちょうどいいデザインだった。
薄いデニムのワンピース、ノースリーブみたいだけど、肩口はフリルが付いていた。
「よかったぁ。誕生日にはちょっと早いけどね、沢山着てほしくてさ。でも葉月の事だからあんまり可愛すぎても着ないだろうなー、って思ってたの。」
「お母さん、私の事なん…」
突然、玄関の引き戸を開く音と一緒に私を呼ぶ声がした。
ガラガラッ!!
「葉月!!」
叶人の声だ。
「お母さん、かなちゃんの声だ。」
「だね、何だろね?」
当時、遠山家の皆が声を聞いだけで誰かと分かる位には、隣家の佐伯家と家族ぐるみでの付き合いがあった。板張りの廊下をこっちに向かってバタバタ走る音がする。
「あっ!おばさん、今晩は!」
「今晩は、叶人どうしたの?」
かなちゃんは勢いよく何か言いかけたけど、ふと私とお母さんのいる部屋を見て何かを察したように押し黙った。
正座をして私に向き合うお母さんとワンピースを着てる私。足元にはTシャツとショートパンツが脱いであった。
「ふふっ、叶人、大丈夫!もう着替え終わってるし。やー、もうちょっと早かったらヤバかったね。それより、急いで何かあったの?晩ご飯食べにきたの?」
そうカラカラとお母さんは笑って話すけど、かなちゃんはちょっとバツが悪そうだった。
いくら幼なじみでも5年生にもなれば着替えてる所は見られたくない。できればスカートを着た自分も見られたくなかった。
…かなちゃん、何て思うだろう。
けれどかなちゃんは場の空気を変えるかのように大きな声で言った。
「メシは食った!葉月、俺、今カブトムシいる所見つけたんだよ!」
「えっ、どこ?!」
「叶人、今何時だと思ってんの?今から林の方行っちゃだめよ。」
「林じゃないよ、おばさん。俺んちのすぐそばの街灯。」
「行きたい!オス、いるかなぁ?!お母さん、見てきていい?」
「…街灯ならね、はしゃいで大騒ぎしないでよー、近所迷惑になんないようにね。」
「「わかった!」」
私とかなちゃんはそう言いながら、足はもう玄関に向かってた。
外に立て掛けてある虫取り網を持って、ほんの数十メートルの移動だ。
「かなちゃん、どれ?どこの街灯?」
かなちゃんの隣を並んで歩く私は、近場の宝探しにウキウキしていた。かなちゃんは目的の街灯を見据えているのか私の方を見ない。
何なら視野に制限があるのかと思う位前を見ていた。
「あれだよ!」
かなちゃんが指さす場所に確かにいた。
低めの街灯の下には明るく浮かび上がるように存在を示す自販機もあった。
色んな虫が街灯と自販機の灯りに引き寄せられて上に下にと不規則に飛び回っている。
よく見ると、何だかデカい蛾もいた。
蛾が得意じゃない上に、その大きさを確認して、私の足は止まってしまった。
「かなちゃん、なんか大きい蛾がいるよ。ね、あれ、蛾だよね?」
「いるよ。でも、ほらカブトムシだっているだろ?」
「うん…かなちゃん、私、ここに居るから捕ってきて。」
「えーっ?!…なんだよ…、俺だけで捕まえるんだったら葉月なんか呼ばなかったよ。」
「そうだよね…ごめん。」
相変わらず私の方を向かずにブツブツと答えるかなちゃんが何だか怒っているように思えて私は謝った。
その時だった。
大きな蛾が1匹、何故か私に向かって飛んできた。
「…!キャッ!!」
カランッ…!
自分でもびっくりするような掠れた高い声が出た。
持ってた虫取り網を思わず放り投げた。
そして気が付くとかなちゃんの背中にしがみついていた。
一瞬の出来事だ。
虫取り網を持ったままのかなちゃんがそっと振り向いた。
身長は殆ど一緒。
真っ直ぐに目が合った。
その目を見た時、私はなんだか縋りたい気持ちになった。
「かなちゃん…。」
そう言った瞬間だった。
「キモいんだよっ!」
固く強ばった顔で、かなちゃんははっきりとそう言った。
これは冗談じゃない。笑顔がない。
その表情と言葉の衝撃で、私はかなちゃんから素早く離れた。
「あのっ、ごめんね。」
「ばっ、バカじゃねーの?そっ…!そんなにビックリする事でもないだろ!」
吐き捨てるような言い方だった。
「…ごめん。」
一瞬の出来事だったのに、凄く長い気がした。
私が気持ち悪かったのか。
確かに物心ついてからあんなにかなちゃんとくっついた事は無かったな。
らしくない声だった。
らしくない格好だ。
迷惑をかけたのは私だけれど、何だかひどい恥をかいた気分になった。
ちょっとしたパニック状態だったと思う。
その後の事はあんまり覚えてない。
カブトムシのメスとクワガタを捕った気がする。
あれ、かなちゃんが捕ったんだっけ?
帰りは無言だったけど、最後はなるべく普通に努めて「「じゃあね。」」って別れた気がする。
かなちゃん、どんな顔してたっけ?
かなちゃんに言われた位で気にしない。気にしないようにしよう。
お母さんから貰ったワンピースはその後も
着た。せっかくくれたんだもの。
かなちゃんのお姉ちゃん、凛ちゃんには好評だった。
垣根を越えてきてまで「可愛い!」って褒めてくれた。
だよね、うん。気にすることない、普通でいよう。
けれど2学期が始まって、私とかなちゃんはちょっとずつ距離ができていった。
そして中学に入学して間もなくお母さんは天国へ行ってしまった。
*******
「暑い…ダメだ、ちょっと休もう。」
宿題をしようと思って机に座ったら何か周りが気になって。急に掃除がしたくなった。
首に掛けたタオルで汗を拭いながらぼんやりと窓を眺めた。隣家が見える。
北欧風のオシャレな家でボロ屋の我が家とは違う。ま、ウチも良く言えば古民家風かな。
いつも見えている景色なのに、隣家というものを再認識した途端、何だかどっと疲れが出た。
部屋の扇風機は暑い空気をかき回すだけでイライラが募る。
「暑い…アイス食べたい…でもコンビニ面倒だなぁ。」
コンビニまでは徒歩10分。
面倒だけど家の中も外も大して変わらない暑さなら、コンビニまでの道程も気分転換になるんじゃないかと決めて、私はサンダルを履いた。
「おい葉月、そんな格好でどこ行くんだ?」
玄関の物音を察してか、お盆休み中の父が団扇を扇ぎなから居間から出てきた。
「コンビニでアイス買って来ようと思って。お父さんの分も買ってくるから。」
「この暑い中行くのか?!車でお父さんと行こう。アイスだって溶けるぞ、意味無いぞ?」
「大丈夫。クーラーバッグ持ったし。気分転換にちょっと行ってくる。」
「バッグに保冷剤入ってんのか?」
「入ってまーす、じゃ、行ってくるねー。」
「暑いからこれ被って行け!」と、お父さんが強引に野球帽を私の頭に被せた。…何だか余計暑苦しい。
外はセミすら鳴けない程の暑さなのか…。
砂利道からアスファルトになると日差しの照り返しが厳しい。
「…叶人ぉ、家こっちなの?もうすぐなの?」
私は不意に聞こえてきた、明るく可愛い声に反応して顔を上げた。
見ると車道を挟んだ反対側の歩道を見覚えある2人が歩いていた。
1人はアイスの棒を咥えてこっちを見ているラフなマッシュヘアのイケメン男子。
もう1人は目にはカラコンをした、艶やかなミルクティ色の髪の女子と目が合う。
瞬時に声のする方を向いてしまった自分を悔やんだ。
「…あれっ?遠山さんじゃない?」
明るく可愛い声の主は手を振って私をそう呼ぶと、連れ立っていたイケメン男子の手を引いて車道を越えて駆け寄ってきた。
丈の短いボトムス。羽織った長いシャツワンピが軽やかな足取りに沿って風になびく。
可愛いし、綺麗だな。向かってくる彼女にそう思うと同時に、言葉に詰まった。
「え…あっ…山瀬さん、久しぶり、こんちには。」
何とか笑顔で迎えることは…できた。
山瀬さんは高1の時の同級生。
けれども「友達」と呼べる程までの仲ではなかった。
そんな人と高2の夏休みに偶然会った所で、何て返せば正解なのか分からなかった。
一方のイケメン男子の自分を見知ったような視線も痛い…。
その男子はアイスの棒を口から離して涼やかな視線を送りながら、1度口を開き、また閉じて思い直した様に
「…遠山、どこ行くん?」
と、独り言を言うように聞いてきた。
話しかけられると思ってなかった私は久しぶりに私に向けられた声にドキリとした。
「ちょっとコンビニに…。」
(かなちゃんこそ、2人でどこ行くの…。そして私の前でいつまで手を繋いでるんで…。)
久々に喋った幼なじみに対しても続く言葉は出なかった。
佐伯叶人。
昔は、「かなちゃん」「葉月」って呼びあってたな。
隣家で北欧風の家に住む、同い年で同じ高校に通う幼なじみ。
高1の時は同級生だった。
小さい頃はよく遊んだね。
虫取り、楽しかったな。セミも捕ったよね。今年はセミ居らんけど。
夏なのに何て涼しげで爽やかな顔してるんだろう。
あれ?いつの間にか耳に…ピアスしたんだ。
似合ってていいですね。
…本当…美男美女で…。
「遠山さんコンビニ行くの?今、優ね、塾行く前にお菓子買おうかなって思って、近くのコンビニに寄ったの。そしたら偶然叶人に会ったの。どこ行くの?って聞いたら、家に帰る、って言うから面白いんでついてきたの。」
面白いかな…ただのストーカ…いや、可愛いは正義。
それより山瀬さん、塾の時間大丈夫なの…。
「ハハッ。優、お前さ、言ってることもやってることもただのストーカーじゃん。帰れよ。」
叶人は繋がれた手を解きながら、爽やかにズバっと言った。
ほぉ、「優」ですか…名前で呼んじゃって。かなちゃん笑っちゃって。満更じゃなさそう。
「帰るよーぉ、叶人の家見たらっ。…ね?もしかして遠山さんの家もこの近所なの?」
近所です。佐伯家の隣に住んでます。
なんて口が裂けても言いたくなかったので、帽子の鍔を見るように、さも眩しそうな表情を作って、視線の先のかなちゃんを睨んだ。
かなちゃんはアイスの棒を口に咥えて、何か言いたげに、切れ長の目を少し見開いて私をじっと見た。
かなちゃんと「ばちり」と目が合ったのが久しぶりのせいか、心が落ち着かない。
何とも言えない気持ちになった。
「…遠山とはたまに会うよな。きっと近所なんだろ。」
かなちゃんはサッと視線を逸らしながら急に無表情になって、歯切れ悪く、私の代わりにそう答えた。
「それより優、塾の時間どうすんだよ、そろそろ行けよ。」
「えー?嫌だぁ、家教えてよー。」
「教えねーよ、ほら、こんな所で喋ってても暑いだけだろ。塾行けっつーの。」
「…じゃあ叶人、優と一緒に塾行こう?」
山瀬さんが、かなちゃんの黒の七分丈のパーカーの裾をチョンと引っ張りながらおねだりを始めた。
さすがキモい私とは違う。
山瀬さん、自分が可愛いの分かってる人なんだなぁ。
「は?何言ってんの?」
かなちゃんが何故かチラッと私を見た。
ね、そうですよね、かなちゃん。
幼なじみである私が居る前でね、こんなイチャコラした感じ、くっそ恥ずかしいよね。
「どゆこと?俺に夏期講習受けろって?」
「そーじゃないよ。そうでも嬉しいけど。叶人のお宅訪問は諦めるから、塾まで送って欲しいってこと。」
「俺にメリットねーじゃん。」
「アハハ、そうだね、でも叶人暇でしょ、塾通いの可哀想な私に付き合って。」
暑い中、何事もなく10分でコンビニに行くはずだった私。呼び止められたのに、もはや私は存在しないに等しい。
そんな私は2人をぼんやりと眺める。
日陰もない炎天下。
何でこの美男美女は汗もかかずに涼やかなんだろう。
山瀬さんと同じ髪の長さだけど、黒くて硬いこの髪。ひとつに束ねてても首元なんてちっとも涼しくない。
私の首筋からタラリと汗が流れた。汚い…いや、これが普通の人間だよ。
お父さんの被せたキャップ。首に巻いたタオル。足元のサンダル…。
自分から延びた影すら鬱陶しく、暑苦しく感じた。
本気でボーッとしてしまっていたのか、ふと気がつくと、2人の会話が途切れ、かなちゃんがこっちをじっと見ているのに気付いた。
急に汗だくな自分が恥ずかしくなって、タオルで首元を拭った。
それを見ていたかなちゃんが急に
「優、わかった。途中までなら送ってく。行こう。」
踵を返しながらそう言った。
そして
「遠山もコンビニ行くんでしょ。そこまで一緒に行こう。」
と言った。
「「えっ?!」」
恥ずかしくも山瀬さんと声が被ってしまった。
「方向同じでしょ。行こうよ。」
かなちゃんはそう言うと同時に、当たり前のように私のクーラーバッグをサッと取り上げて自分の肩にかけた。
山瀬さんは声に出さないけれど「えっ?」って顔してかなちゃんを見上げている。
そして振り返って「何で?」って顔して私を見てる。
かなちゃんは歩き始めてしまっているし、私は追いかけるしかない。
「叶人、優のバッグも持って!」
「いや、塾のテキスト重そうだわ。俺にはムリ。」
そう言って、からかうように笑った。
本当に重そう。
男気見せるなら、山瀬さんのバッグ持て。私の空っぽバッグなんか持ってどうすんだ?!
うーん、それにしても美男美女はストライドも長い。2人の1歩が私の2…いや3歩分位あるんじゃないか?
私は持っているはずのバッグが無くて、この収まりのつかなくなった手を、意味もなく上に下にしながら、パタパタと2人の後をついて行った。
そしてこの状況、傍から見れば、バッグを取り上げられて、取り返そうとオロオロしている陰キャにしか見えないだろうなぁ。
でも山瀬さんはついてきた私に嫌な顔する訳でもなく「遠山さんは塾行かないの?」とか
「1年の時のクラスって雰囲気良かったよね。」とか、私に話しかけてくれた。
さすが名前が「優」なだけある。マジ優しい。山瀬さん、2人の邪魔してごめんなさい。
「あー、暑いなぁ。携帯扇風機持ってくれば良かった。」
と山瀬さんが呟いた。と同時に、山瀬さんの首筋からスッと汗が落ちた。
私は何だか居たたまれない気持ちなって「佐伯くん、ちょっと。」と言って、かなちゃんから引っ張るようにクーラーバッグを取り返してバッグの中を探った。
保冷剤はまだ充分ひんやりとしていた。
「山瀬さん暑いでしょ。これ保冷剤。こんなので良かったら使って。」
そう言って小さい保冷剤を2つ渡した。
「えっ、いいの?遠山さんこそコレ必要でしょ?」
「大丈夫。まだ沢山この中に入ってるから。気にしないで。そのままあげる。使い終えたら捨てていいよ。」
「ありがとう。遠山さん優しい。スキー!」
そう言って山瀬さんは自分の首元に保冷剤を当てた。
私は山瀬さんの「スキ」にドキドキしていた。同性なのに。
「保冷剤、俺にもくれ」と言いたげに、じっとこっちを見ていたかなちゃんにも1つあげた。
「は?何で俺は1個なの?」
そう言って笑って受け取った。
クーラーバックが思いがけず手元に戻ったのを幸いに、私は「じゃあね。」と言って足早に2人に背を向け、左の道の方へ進んだ。塾は右手だ。
「遠山さーん、ありがとねー!、ほらっ叶人もお礼言いなよっ。」
山瀬さんは私に大きく手を振った。
そして隣にいるかなちゃんにも同じように手を振らせようと、かなちゃんの片手をとり、上に掲げた。
かなちゃん、されるがままだ。
この景色をあまり見ていたくない。
私の足先は正直にコンビニへ向いたままだ。
でも、あまりに気持ちよく山瀬さんが手を振るから、仕方なく体だけを捻って山瀬さんの方を向き、肩下で小さく手を振って別れた。
山瀬さんにもかなちゃんにも嫌な事はひとつもされてない。なのに気持ちが沈んだ。
何でコンビニ行くって言っちゃったんだろう。
そう思いながら足を進めた。
*******
急いで戻んなきゃ。
クーラーバックには小さい保冷剤1つ。
買ったアイスを保冷するには心許ない。
早歩きで家に急ぐと、背後から躊躇いがちな声が聞こえた。
「…よっ…アイス買えたの?」
すぐ背後に気配を感じ、ビックリする。
かなちゃんだ。声でわかる。
でもその声は私の事を何て呼べばいいのか図りかねている感じだった。
「あら、サ・エ・キくんではありませんか。」
後ろを見て、ちょっとからかうように、けれど務めて冷静に私は言った。
「あ、そう来る?ト・オ・ヤ・マさん、久しぶりに話したのに冷たいね、コンビニ一緒に行こうと思ってたのに。」
フッ、と笑いながらかなちゃんは言った。
『一緒に?』
そんな事思ってたのか。
何年ぶりだろう。並んで歩くのは。
横を見るとかなちゃんの唇が目に入った。もう、目が合う位置では無かった。
沈黙がこわい。
何も話さないで黙って並んで歩くなんて無理だと思った。
「サ・エ・キくん、さっきコンビニに居たんでしょ?だったら私とまた行く必要なんて無くない?」
そう言った後で、私は何かの返事を期待している自分に気付いた。
平坦な声とは裏腹に心拍数は上がっていく。
それでも私と一緒に行きたい?
どうして?
すると、かなちゃんが私の目の前にペッと棒を差し出した。
「これ、当たったからさ。一緒に引き換えに行こうと思ってたんだ。」
(当たり 〇〇と引き換え出来ます)
「アイス当たったんだ!!すげーだろっ?!」
かなちゃんは弾んだ声で自慢げに言った。
無邪気か!!
…何か腹立つ!
アイスの当たりを引き換えたかっただけ!
私と行くことが目的じゃなかったんだ。
…なんだろう。
何かコイツといると、めっちゃ自分が恥ずかしくなるんだが。
「ほら、保冷剤のお礼にコレやる。」
かなちゃんはアイスの当たり棒を渡してきた。
私は更にムカムカしてきた。
「…いらない。」
「え?」
「さっきまでかなちゃんが口に咥えてたのなんか要らないよ!」
喜ぶと思ってるのか、バカにするなよ。
誰からも好かれてると思うなよ。
「あ?!今!『かなちゃん』って言った!」
かなちゃんはしてやったりとほくそ笑むように言った。
「……。」
しまった…思わず言ってしまった…。
でも何?!そんな事でからかうつもり?
かなちゃんはニヤニヤしてる。
「はーづーき?ね?もう1回『かなちゃん』って言って?」
「……。」
何なの?!やっぱりからかうつもりなの?!
久しぶりに「葉月」と呼ばれても気付かない位に、私は慌てていた。
やっぱりダメだ。耐えられない。
もうすぐ家だ。
このまま無視して早歩きで帰ろう。
そう決めた時、
急に左手を引かれた。
「キャッ…!」
思わず声が出た瞬間
溢れんばかりに過去の記憶が蘇り、逃げたしたくなった。
自分にゾッとした。
かなちゃんの前で、またやった。
また「キモい」と言われるのはさすがにキツい。
「葉月?ごめんっ!急に触ってびっくりした?」
それでもかなちゃんは私の左手首を掴んだまま、放そうとはしなかった。
何で?
どういう事?
混乱した私は下を向いたまま、肩のクーラーバッグを背負い直して、右手で更に目深にキャップを被った。
とにかくこの状況から逃げだそう!
左手なんて力業で抜け出せる!
そう決め、ダッシュを仕掛けた。
「えっ…?!まっ、待って!待って葉月!」
グンッ!!
勢い良く前に進んだのに、ビクともしない上に、マジで左腕が持ってかれそうになった。
私は逃げるどころか手首を掴まれたまま。
更に前方にかなちゃんが立ち塞がった。
「…いや、マジ勘弁…。家の近くで何やってんだか…。葉月、な?かなちゃんでいいじゃん。そう呼んで?俺も葉月ってまた呼びたい。」
コテンと首を傾げて、優しく私を覗き込むようにしてかなちゃんは言った。
左耳のピアスが西日に光る。
「…葉月?泣いてる?なんで?」
声はどこまでも優しく聞こえた。
…嫌いだ。
「…いいよね。」
「何が?」
「かなちゃんはいいよね!」
「何のこと?」
「私なんてチョロいと思ってるんでしょ?」
「は?…んだよ…何でそうなる?思ってねーよ!」
かなちゃんは少し怒っているようだった。
久しぶりに話しておいて、いきなりこんな事言って。
でも自分の口は止まらなかった。
「私、かなちゃんといると惨めになる…。」
「はぁっ?!何で?訳がわからない…。」
駄々っ子の相手するように、かなちゃんは大きくため息をついた。
私は益々カッとなった。
私が勝手に期待して勝手に裏切られる。
それで勝手に傷ついてる。
かなちゃんは悪くない、分かってる。
けど…
「…気持ちを振り回されるの疲れる。」
「え?何?」
呟きはかなちゃんに聞こえるはずもない。
「もう嫌だ。」
自分のこんな感情にこれ以上向き合いたくなかった。
私はとにかくここから逃げたい一心で、被った帽子の鍔を右手で掴んで大きく振り上げ、思い切りかなちゃんの頭に叩きつけた。
バスッッ!!!
「…痛ってェ!……待てコノっ!逃がすか!」
叩くのは成功したけど、瞬時に右手をガッチリと掴まれた。
最悪の展開だった。
その時、私のLIFEはもう「0」だった。
「…ヒッ、…ッく、放してぇ。」
両手拘束と相成った私。
それは同時に涙でグショグショになった顔をかなちゃんに晒すことでもあった。
「そっちが叩いておいてさぁ?…何で泣く?!何で俺、叩かれんだ?話したいんだよ…チャンスくれよ…久しぶりなんだぞ、俺たち。」
叩かれた事を怒ろうとしたのか、一瞬眉根を寄せていたかなちゃんは、私のメチャクチャな容貌に、怒るのを忘れて呆れて見ているようだった。
「…ひーん…手ぇ放してよぉ。」
「いや、放すよ。放すけども…」
何かもう、かなちゃんの言葉なんて聞こえてなかった。
こんな格好でこんな惨めな自分をマジマジとかなちゃんに見られて、とことん気持ちは窄んだ。
泣いてるうちに四肢の力も抜けてしまって、かなちゃんに両手を吊り下げられるような感じになってしまっていた。
足に力も入らず、崩れ落ちそうになる。
みっともないことこの上ない。
「…泣くなよ…話になんないから。お願いだから泣かないでくれ…。」
かなちゃんは私の耳元で呟くようにそう言うと、両手を私の腰に手を回し、ぎゅっと引き寄せ、抱きとめてくれた。
もうおしまいだ…涙どころか鼻水も出てる。
そしてこの体勢だ。
きっとかなちゃんのオシャレなパーカーに涙も鼻水も擦りつけてんな…。
…なんて思ってたら、
「なになに?痴話喧嘩?」
かなちゃんの背後で声がした。
「うぁ!…おじさん!!」
「叶人かぁ?久しぶりだなー、やぁ、ずいぶん格好よくなっちゃって!女の子泣かせるなんて隅に置けないなー、…なんて思ったらウチの子ザルだったね。」
最悪だ。お父さんに見られるとは。
かなちゃんと私はお父さんの声を聞きながら、何事も無かったことにしたいという様にそろりと距離をとった。
お父さんは団扇をパタパタと扇ぎながら普通の口振りで話した。
「葉月?お前、どこまでアイス買いに行ってたの?すぐそこのコンビニなのに帰りが遅いから事故にでもあったんじゃないかと思って探しに行くとこだったんだよ。」
ある意味事故です。今、まさに事故ってる!
ウチのお父さんはなかなかの人だ。
私は泣いていて、かなちゃんが私を抱きしめていた。
この状態で、このセリフ。
私は一気に冷静になって、冷静どころか氷点下の勢いで、涙は引っ込み、真顔に戻った。
「かっ、帰る!!」
私はかなちゃんとお父さんの横をすり抜けて、走って家まで戻った。
強く西日射す道路に、叶人と葉月の父は残された。
「叶人。」
「うぁっ、はい!お久しぶりです、おじさん。」
「おじさん、タイミング悪くてごめんね?」
「いやっ!そんな事無いです!」
「青春してる所をさぁ…。」
「…違いますよ、おじさんが思ってるのとは違います。多分。」
「…付き合ってるんじゃないの?」
「全然。喋ったのもまぁ、半年ぶり位で…。」
「半年ぶりに喋って叩かれたの?我が娘ながら最悪な奴だな。ごめんね、叶人。」
「…おじさん、いつから俺たちのこと見てたんですか?」
「…やー、痴話喧嘩だと思ったんだけどなぁ!」
痴話喧嘩ならまだいいよ。
つくづく叶人は思った。
*******
「やー、ダメだ、寝らんねェ…。」
何だか興奮して眠れなかった。
ベッドに転がって、部屋を真っ暗闇にして目を閉じると…余計に葉月の事が頭に浮かんだ。
ちゃんと話すきっかけが欲しかった。
葉月を見かける度にそう思ってた。
…半年前だって、あれは殆ど会話じゃなかった。
久しぶりだったのに。
何で泣くんだよ。
そんなに嫌われてたのか、俺は。
「くそガキが!」
え?急に怒鳴り声がした。
「葉月ちゃん襲って泣かせんな!」
声の主は俺の部屋の入口で仁王立ちしていた。姉だった。
部屋は暗いままだ。廊下の明かりを背負って立つ姉は、まあまあの威圧感があった。
…葉月のおじさんといい、この姉といい…一体何人に目撃されてたんだ…俺死ねるな…。
「…っとに勘弁しろよ…襲ってねーわ。覗き見か?…ゲスいな、凛。」
「ゲスいのはお前だ、叶人。こっちはな、見たくもないモノ見せられて迷惑してんの!」
「…どっから見てたの?」
「2階…あたしの部屋。たまたまね、何言ってんのか聞こえなかったけど。…感謝しなよ、ママ達には黙っておくから。」
当然だろ!くそ、ムカつく。
「なにがあったの?」
凛は探るように聞いてきた。
「…何もないよ、俺にはわかんないよ。」
凛は1度首を突っ込むとしつこい。
オレは諦めて今日の出来事をポツポツと話した。
「ふーん。そっか。若いね。」
さも悟った人生の先輩かのような言い方だった。
「その言い方ムカつくなぁ。2歳しか違わねーだろ。」
「あ、ごめんごめん間違えた。ガキだね。」
そもそも今俺は物理的に見下ろされているんだが。
更に俺を見下すのか。コノヤロウ。
そして姉は教えてあげます、と言うような口振りで言った。
「まず葉月ちゃんの言う通り。お前の口から出した、洗ってもいない当たり棒なんて渡す方がどうかしてる。逆に失礼だよ。小学生か!ホントにガキだね!」
俺はキズついた。
「あとさ…。」と、ちょっと考えるように姉は言った。
「あたしが高3だった時、叶人は1年だったじゃん?」
…え?何の話?…どこまで遡るつもりだ?
「私さ、何人かの友達にね『弟くん、カッコイイね。』って言われたんだわ。」
…マジで?!初めて聞いた!
「…調子にのんなよ。ニヤけんな。…だけどさ、叶人、自分でもその時辺りは自覚してたんじゃない?俺、ちょっとモテてんなーって。」
…これ肯定したら、また罵られんのかな。
「…否定はしない。」
「でしょ。あんた変わったもん。自分に自信ついたっていうか、弟に言いたくないけど、ちょっと垢抜けた、って言うかね。服もオシャレになっちゃって、今じゃピアスまでしちゃってさ。」
「…だから?何が言いたいのかわかんないんだけど。」
展開からして、姉が今の俺を否定しにかかってきたような気がした。話を切り上げたくなって、自然に語気が強くなる。
姉は俺のそんな態度にも全く怯まず話を続けた。
「葉月ちゃんは変わってない。何なら、あの年齢で苦労人だよ。綺麗なの、純朴なの。」
「はぁ。否定はしないよ…で?」
「…今の叶人は、あんたの容姿とその取り巻きで、葉月ちゃんををビビらせてんの、きっと。」
「え?」
「都会の陽キャが空気読まずに田舎娘にグイグイ迫ってんの!」
「いや…え?!」
「そのくせ薄っぺらいイケメンの皮を被った中身は小学生のガキだから、汚いアイスの棒しか渡せんわけよ。」
何て口汚い姉なんだ。
くそっ、でも言い返せねぇ。
しかも何故か弱い所を抉られた感。
姉は言いたい事を言った後「ま、客観的な意見だけどね。また相談したくなったら言って。」なんて言葉で締めくくって、部屋を出ていった。
相談なんかするか!
しかし…ガキ…ね。確かに。
俺の記憶の片隅には葉月に対しての後悔が常にあった。
*******
小さい頃は葉月とよく遊んだ。
小学生になっても葉月は付き合いが良くって、夏だったら男子に混じって虫取りにも行った。
性別は違うと分かってはいたけど、葉月は変に女の子ぶったりしない、肩を並べて遊べる気さくな奴だった。
お隣さんと言う事もあって、雨の日はお互いの家に行き来して遊んだりもした。
5年生の夏休み、俺は初めて葉月のワンピース姿を見た。
正直、幼なじみだし、スカートを履いてる葉月を見たのは初めてじゃないはずだ。
だけど畳に脱ぎ捨てられてる服と、照れたような顔をしている葉月を見たら、何かがグワッと滾るような、なおかしな気分になった。
横にいた葉月の母さんの顔を見て、我に返った。おばさんと目が合った時、おばさんは俺の何かを察したように笑ってくれた。
それに助けられて、俺は気を取り直して葉月を外に連れ出せた。
だけどそうじゃなかった。
何か変だ。
並んで歩く葉月の顔を見ることが出来ない。
俺はもうおかしくなっていた。
蛾の襲撃に驚いて、葉月が声を上げて抱きついてきた時には、俺は完全にテンパった。
ガチリと体が固まって蛾を追い払う事もできなかった。いや、蛾なんてどうでもいい。
全ての感覚が俺の背中に身を寄せる葉月に集中した。
動けなかった。
女の子だ…。これが葉月だったのか。
俺は葉月の事なんてちっとも分かって無かった。
…どうしよう…動けない、俺かっこわる…。
緊張しながらもそっと後ろを向き、葉月と目が合った瞬間、葉月の吐息が頬を掠めた。
「かなちゃん」
耳元で揺れるような葉月の声がした。
沸騰したかのように全身が熱くなった。
口から心臓が出たと思う。
けれど、実際出たのは心臓じゃなくて
「キモいんだよ!」
辛辣な言葉だった。
本当にガキだったな。
本当は気持ち悪くなんてなかった。
けれど
当時はこの気持ちを表現できなかった。
暫くして
『幼なじみであり、友達である葉月を不純な感情で穢してしまった。』
という自分への嫌悪感から来たんだと自覚した。
当時はそれを隠したくて、悟られたくなくて。
そうだ、俺をこんな気持ちにさせた葉月が悪いんだ!
そう気持ちをすり替えて、「キモい」と葉月を詰った。
あの時の葉月の顔…何故か今日の葉月の顔に重なる。
とにかく、もう「冗談だよ。」なんて言葉じゃ済まない雰囲気だったと思う。
俺が酷いことを言ったのに、葉月は怒らず謝って…それからどうしたっけ?
葉月はカブトムシのオスを期待してたけど、結局居なかった気がする。
それ以降、葉月と上手く話せなくなった。
葉月も俺もお互いを変に無視することは無かったけれど、心理的な距離ができてしまった。
会話も無くなり、当然遊ばなくなった。
ある日、学校の帰り道で葉月の母さんと会った。
「あれ?叶人ぉ?!暫く見ない間にちょっと背が伸びたんじゃない?」
「…ちは。おばさん。」
おばさんに会うことすら気まずい気がした。
急遊びに来なくなった俺に、おばさんは「葉月と何かあった?」と聞いて、じっと俺の顔を見た。
何だかその視線から目を逸らしたい。
俺が答えに詰まっていたら
「フフッ…そりゃね、いつかはね。男の子なんだもんねぇ。…葉月は背の代わりに髪の毛伸ばしてるよ。」
と言って俺の肩をポンポンと叩いて手を振り、笑って去って行った。
クソっ。
葉月を好きだと自覚した瞬間、俺の初恋は終わってしまった。
それでも、葉月は隣に住んでいる。ふとした時にどうしても意識してしまった。
中学生の頃、葉月のおばさんが亡くなった。
家族ぐるみの付き合いだったから、俺たち家族も皆悲しんだ。
本当はあの時、俺はいやらしくも葉月に寄り添う機会だと思った。
けど気丈に振る舞う葉月を見て、気後れしてしまった。
葉月にかける言葉が見つからない。
俺みたいな奴が今更葉月に何を言えるって言うんだ。
制服を着て、買い物袋を下げて帰宅する葉月を見ながら、自分の不甲斐なさでこんな関係になってしまったことを、俺は本当に後悔した。
だけど今日、暇な時間潰しにと、俺をイジって遊んでた女友達が、偶然にも葉月とのきっかけをくれた。
ウザ絡みの優にあんなに感謝した事はなかった。
葉月はなんか機嫌悪そうだったけど、これ逃したらもう機会無くねーか?!って思った。
冷静に、さり気なく距離を詰めよう。
この機会を次に繋げたい!
と、思ってたのに…結果は…大失敗。
葉月に、昔みたいに名前呼びして欲しかったから…グイグイっていうか…カジュアルっていうか…結果、ちょっとウザかったかもしれない。
葉月が機嫌悪そうだった上に、俺の汚いアイスの当たり棒を渡したのが良くなかったのか。そうなのか?
昔だったら、喜んでくれてたじゃん。
当たり棒だぞ!貴重なラッキーを葉月にあげたんだぞ。
あ…てか、これが小学生思考か…。
じゃあ、せめて他人から見て俺がイケメン枠なら、どうか葉月にも通用してくれ…。
顔面マジックで好きになってくれ。
な、葉月。幼なじみがカッコイイってなんか良いだろ?
少しモテるようになった俺を、もし葉月が意識してくれたら…。
…いや、俺、昔の失態を謝ることも出来ないクズだった。
やっぱり俺は薄っぺらいイケメンの皮を被った小学生だった!
マジ萎える。凛の言ってた事が刺さりすぎる。
「あ゛ーっ!!」
脳内問答が終わらず、俺は両手で顔を覆った。その両手に意識が飛ぶ…。
…この手で…。
あの時
ふにゃりと力の抜けた葉月の重さと柔らかさにヤられて思考が回らなくなった。
家の近所だとか、もう何も考えられなくなって、思わず抱きしめてしまった。
思い出せば気持ちが落ち着かない。
そして身体も疼いてきた。
「やー!ヤバい!!ダメだ!!」
もう眠れないと確信した叶人は、ガバッとベッドから飛び起きた。
*******
「はづきぃー?お父さんの帽子知らない?」
玄関先でお父さんが呼んだ。
…ぼうし??…エッ…
昨日どうしたっけ?アレ…道に落とした?
それともかなちゃんがもっ…
昨日のことを思い出したら気まずくなって、玄関に顔を出す気も失せた。
お父さんはあれから何も私に言わなかったし聞かなかった。
エプロンで手を拭きながら、お父さんに何て言ったらいいのか分からずにいたら
「お父さんちょっとポストまで行ってくるからー!」
と聞こえてきた。その後続けて
「あの帽子ねぇ、お父さんとお母さんがアメリカ行った時の思い出の品だからねー。」
と言って、ガラガラとお父さんが玄関を出ていく音がした。
台所で私は固まった。
イヤイヤイヤ…野球帽?
勝手に被せてきたのはお父さんじゃん!
大事なら貸すなっ。
お父さんが出ていった後、そっと玄関を出て、道を眺める。
…無いよな。落ちてない。
そして私は持ってない。
かなちゃんが持ってる可能性が極めて高い。
詰んだ。
私は慌てた。
持ってた所でどうやって返して貰うの?
昨日の事に触れずに「私の帽子、持ってる?」なんて、家に行けます?
ナイナイナイナイ…ありえなーい!!
どうしよう…あー…あ!
玄関廊下で佇む私に突然解決策が降ってきた。
そうだ凛ちゃん!凛ちゃんだ!
凛ちゃんに頼もう!
ナイス私!
私はその場から直ぐスマホのメッセンジャーアプリで凛ちゃんに連絡した。
『凛ちゃん、久しぶり。朝からごめんね。お願いがあって連絡しました。』
そう入力した数秒後、アプリから電話が来た。
えっ?通話?!
私は慌てて電話に出た。
「はい、凛ちゃん?」
「おはよー、葉月ちゃん。久しぶりだよね!なんかさ、話した方が早いと思って連絡したの。」
凛ちゃんが大学生になってから遊ぶ機会は減ったけど、道で会えば立ち話をしたり仲の良い関係は続いていた。スマホを通して聞く凛ちゃんの声は随分大人だ。
「ありがとう!凛ちゃんごめんね、朝から。」
「ぜんぜんだよ。起きてたし。で?お願いって何?」
凛ちゃんに昨日の事は話せない。
話せないけど帽子はGETしたい。
きっとかなちゃんだって凛ちゃんに昨日の事を話したりなんてしていないだろう。そう信じる。
「かっ…叶人くんが…」
昔は「かなちゃん」なんて平気で言ってたのに、今は凛ちゃんに向かってすら「かなちゃん」呼びをするのが恥ずかしい。
「叶人が?何かしたの?!」
えらい剣幕で凛ちゃんが聞いてきた。
いや、何かしたかと言えば…私が昨日暴力を振るったんですが…すみません。
「叶人くんが…私の帽子、アメリカのチームのやつなんだけど…持ってると思うんだよね。」
「叶人が?」
「うん。」
何で?って聞かれるかな。聞くよね、普通。なんて言おう。
「分かった。今、叶人に聞いてみるわ。」
「えっ?!」
「えっ…て、何で?叶人、部屋に居ると思うから、持ってるか聞いてみる。」
しまった!と思った。そうだよね、良く考えればいくら姉弟でも勝手に部屋に入って持ち出せないよね…。
何れにせよ、かなちゃんと私が直接会話しないのであればいいや。
凛ちゃんが移動してるのであろう、ひとしきり物音が聞こえたあと、話し声が聞こえた。
「葉月ちゃん?」
「あっ、はい!」
「ごめーん、叶人、出掛けたみたい。あいつ、いつもは遅くまで寝てるクセにさぁ。」
「あ、うん。…でも帽子さえあれば…」
「それがさ、今、叶人の部屋に居るんだけど、見当たらないんだよね。わかんないわ。叶人に連絡して聞いてみる?」
「えっ?!いっ、いいよ!急がないし。」
「いいの?じゃ、帰って来たら叶人に言っとくわ。」
「あっ、えっ…じゃあお願い。…あのっ!帽子がもしあったら凛ちゃんが預かっててもらえれば。私、また連絡してから貰いに行くね。」
かなちゃんじゃなくて凛ちゃんから受け取りたい。この気持ち、伝わっただろうか。
「葉月ちゃん。」
問いかけるように凛ちゃんが呼んだ。
「叶人と会いたくないの?」
ストレートにきた。
「そ…んな事ないよ。」
色々疑われないように答えたかったけど、その一言しか出なかった。
「じゃあ、叶人のこと嫌いなの?」
「嫌いじゃないよ。」
即答できた。
「葉月ちゃん、叶人の中身なんて変わってないよ。話せば中身は小学生だから。」
クソガキだと凛ちゃんは言う。
「…えっと、自然に話さなくなったら、話すのが怖くなっちゃって。今のかなちゃん、ちょっと近寄り難いというか…。」
「近寄り難いって何が?」
喋るにつれて、地味ななホームウェアに可愛くもないエプロンを着けた自分がまたもや惨めになってくる。
「…なんか、カッコよくなってしまって、オシャレだし…。」
ガッタン!
不意に背後で音がした。何?!
「お父さん?!」
かと思ったら、振り返った先で帽子持ったかなちゃんが玄関の敷居に躓いていた。
「かなちゃん?!え?どうして?!」
今の聞かれた?!
「いや、あのっ!昨日さっ、おじさんに帽子渡そうとしたんだよ?そしたらさ、おじさんが葉月に直接返せって言うからっ。」
かなちゃん、なんか…焦ってない?
「いや、勝手に開けた訳じゃないよ!玄関開いてたんだよ?だから、何かあったのか?って思ってっ。」
かなちゃん、なんか…顔ニヤけてない??
「…今の、聞いてたんでしょぉ?!」
言いながら、私の顔が赤くなった。凛ちゃんには悪いけど、それどころじゃない。通話を切って、かなちゃんから距離を取ろうと後ずさる。
かなちゃんは一歩前に出てきた。
上がり框は境界線だ。
「嬉しいんだけど。」
「は?い?」
「俺、葉月に嫌われてるかと思ってたから。」
「はぁ?嫌ってたのはそっちでしょー?!」
「そっ、そんな事ない!」
そんな事無いだと?!ふざけんな!
「嘘っ!『キモい』奴なんでしょ!私は!!」
言った瞬間、涙も出てきた。
私は身につけた可愛くもないエプロンの裾をたくし上げ、隠すように顔を覆った。
ヒック…う゛ぇえぇーー…
最早、泣き方までキモかった。
葉月が苦しそうに泣くのを見て、叶人はヒヤリと背筋が冷たくなった。
「ごめん!やっぱりそうだよな、小学生の時の事だろ?違うんだ、俺が間違えたんだ!」
叶人は「小学生」と自分で発して、その経過した時間の長さを痛感する。
訂正するには遅すぎたかもしれないと慌てた。
言いながら葉月の傍に駆け寄り、何とか話を聞いてもらおうと、葉月の手を取ろうとした時
「触んないで!!」
葉月は強くそう言った。「…触んないで…」そう言いながらその場にしゃがみこむ。叶人もそれに合わせるように床に膝をついた。
「…葉月?俺の事、…その、カッコイイって言ってくれてたからてっきり…。」
「……。」
「いや、いい、まずは俺の話を…」
叶人がそう言いかけた時、被せるように葉月が話し始めた。
「わっ、私、スカートが自分らしくないのは分かってた。お母さんだから褒めてくれたんだ、って。本当だったらあんな格好のまま、かなちゃんと遊ぶつもりなんか無かった。…ック。」
葉月は自分の告白が苦しくて仕方ない。
自分の口から出る言葉が自分を傷つけていくのが分かる。涙が止まらなかった。
「着ていた服も、驚いた声も、自分でも分かる位、自分らしくなかった。でもっ、そういう女の子らしい自分も…私の中にいたの。」
「…葉月…違う、それは…。」
「けど…かなちゃんにとって…あれは「女装」だったんでしょ?!『キモい』って…お前はそんなキャラじゃ無い!って突きつけられたようで…ショックだった。」
そう言って、葉月は声を殺して泣いた。
自分の気持ちをアウトプットして、再認識させられて、更に落ち込む。
もう顔を覆ったエプロンを外す気は気は無かった。
「葉月、違うんだ!お願いだから俺の話を聞いて!!」
叶人は言葉と同時に、葉月の体をすっぽりと覆うように両手で包み込んだ。
「嫌っ!!」
葉月は驚いて逃れようとしたが叶人はびくともしない。
叶人は必死だった。
「ごめん!ごめんな、葉月をそんな気持ちにさせて…許せないよな?…でも放せない。…葉月、聞いて?このまま少しだけでいい、俺に時間ちょうだい?」
了解の言葉はない。
葉月は叶人の腕の中でエプロンで顔を覆ったまま、体を強ばらせてじっとしている。
抵抗は無かった。
その気も失せたのかもしれない。
葉月の顔を見ることが出来ないのは不安だったが、叶人は「恥ずかしいけど、はっきり言う。」と、葉月の耳元で話し始めた。
「虫取りに行った時にさ、蛾に驚いて俺にくっついてきた葉月にすっげードキドキしてさ、興奮したんだ。あの時の事、今でも忘れられない。」
囁くようにそう言うと、葉月の体がビクリと揺れた。
…だよな。怖いよな。俺、キモいよな。
「葉月がキモいんじゃない、キモいのは俺の方なんだ。ごめん、葉月。自分のこんなドロドロした想いを葉月に悟られたくなくて、葉月を悪者にした。」
「……。」
葉月は何の言葉も返さない。
「暫くして葉月のお母さんが亡くなって、頑張ってる葉月が凄く大人びて見えて、俺のガキっぽさが恥ずかしくてさ…余計に声掛けられなくなったんだ。」
葉月からの返事が無いまま、叶人は必死に続けた。
「葉月が初恋だった!葉月に嫌われたく無かった!謝りたかった!仲直りしたかった!でも好きだって分かったら、何も分かってなかった頃の友達みたいな付き合いなんて出来なかったんだよ。」
まだ葉月からの反応は無い。
泣き止んでいるみたいだけれど、顔を上げる様子はなかった。
「葉月が俺を好きになってくれれば…自分じゃ声掛ける勇気も無いから、あわよくば葉月から声がかかるのを待ってた。…本当、卑怯だよな。葉月、本当に悪かった。ごめん、ごめんなさい!」
叶人は葉月の返事が欲しいかのように叫んで、頭を下げた。
「…うるさい。」
「え?」
「耳元で叫ばないで。」
「あっ、ごめん。」
エプロンから顔を上げた葉月はようやく小さい声を発した。
「あ、そうだ!実は俺、葉月にあげたいモノあったんだ!」
叶人は思い出して良かったという様子で帽子に手を伸ばし、自分と葉月の間に寄せた。
ひっくり返った帽子には蓋を被せるようにティシュが載せられている。
それは昨日私が被っていた帽子だけど…。
「見て。」
そう言って叶人がティシュを退けてみせた。
「…カブトムシだ。」
帽子の中に、ちょこんとカブトムシがいた。
「昨日の夜中さ、久しぶりに林の方まで行って取ってきたんだよ。」
「…オスだね。」
「うん、そう。あの時、約束したのにオス捕ってやれなかったから。」
「カブトムシのオスが欲しいって言ったの…覚えててくれてたの?」
葉月は嬉しいのに、距離が近すぎる叶人と恥ずかしくて顔を合わせる事が出来ず、カブトムシに視線を落としたままそう言った。
「うん。葉月のおじさんが、葉月ともう一度話すチャンスくれたし。俺、頑張ろうと思って…実はコレ持ってあの時の事を葉月に謝るつもりで来たんだ。」
「…えぇ?…嬉しいんだけどなんで帽子を虫かご代わりに…。」
そう言ってエプロンで口元を隠し、葉月はクスクスと笑った。
「可愛い…。」
叶人は葉月を眺めながら心のままに呟いた。
「…ね、もぞもぞ動いてる。カワイイ。私、実は蝶々はもう触れないんだけど、今でもカブトムシは好き。」
「俺も好き。」
「あ、かなちゃん!ほら見て!よじ登ってきた!カワイイ!でも逃げちゃうよね、また蓋しとく?」
「可愛い。」
「カワ…?かなちゃん?どこ見てるの?」
「…葉月見てた。…こんな近くで、ニコニコしながら自然に『かなちゃん』って呼んでくれて…ヤバいんだけど。」
はいぃ?!どんな顔して何言ってんだ?
葉月はそっと上目遣いで叶人の様子を伺った。互いの虹彩が確認できる程の近さで目が合う。
そこには葉月を絡め取ろうとするような叶人の強い視線があった。
その視線に葉月は気圧され、割座のまま後ずさった。
それを見て我に返った叶人は焦った。
「ごめん!俺、キモかった!!」
せっかく近づけたのに、拳3つ分程の距離が開き、また失敗したかと叶は恐怖した。
その時「信じられない。」と葉月が言った。
「何が?俺の何が信じられないの?」
「…山瀬さんて可愛いよね。」
「うん?」
叶人にとって思いも寄らない発言だった。
「私…絶対可愛くないよね?」
「可愛いだろ!!」
叶人はキッパリと答えた。
「私の顔どう考えても大したことない。」
何?!比較してんのか?
「…かなちゃんモテるし、周りにはオシャレで綺麗な子がたくさんいるのに、何で私なの?って正直思う。」
山瀬さんやかなちゃんは私とはジャンルが違う存在だと思っている。
和食とフレンチ。
箸しか使えない私が高級フレンチに連れて行かれてマナーもわからず恥をかく、って感じ。自分が惨めになる。
そう、そんな感覚になるのだ。
「それにきっと、山瀬さんかなちゃんの事好きなんじゃないかな…?」
これは女の勘てヤツだ。
けれどこの勘を否定するように叶人は言った。
「優が?俺を好きだって?あいつ、誰とでも距離感バグってるだけだよ(…まぁ、そのおかげで葉月と話せたんだけど)。」
え?それをかなちゃんが言うの?
「…私にしてみればかなちゃんも充分、山瀬さんと距離感バグってると思う。」
「ちょっと…ウソだろ?!」
それはこっちのセリフだよ。まさか、かなちゃん無意識なの?
「山瀬さんの事『優』って名前で呼んでるじゃん!手を繋いで歩いてるじゃん!」
言ってしまった瞬間、急に自分の発言の不相応さに、気持ちが落ち着かなくなった。
私、何だか彼女ヅラしてない?!
恥ずかしい!
そう思ったらまたかなちゃんの顔が見れなくなった。
「イヤイヤイヤ…待って。優…山瀬なんて何とも思ってない!ノリだよ。その場のノリで行動してるだけ!あるよね?そうゆーの。」
「私、ノリで男子を名前で呼べないし、手も繋げない。」
ピシャリと葉月が返してきた。
叶人は言い返せなかった。
「…ごめんなさい。」
叶人は素直に頭を下げた。
自分のノリの軽さを悔いた。
「私、謝らせたいんじゃないし、謝ってもらうのも変だよ。」
「じゃあ何なの、どうしたらいいの?」
「うぅ…ごめんっ!私が悪い。この会話変だね。かなちゃんと山瀬さんとの仲に口出ししちゃって。彼女でもないのに何言ってんだろう私…。」
叶人は話の展開に不穏さを感じた。
「え?ちょ…待って?葉月?いや…俺の勘違いじゃなければ…さっきまでいい方向に話が進んでると思ってたんだけど!?」
叶人は混乱していた。
あれ?葉月って…もしかして俺の事…。
考えたくもない事が頭に浮かんだ。
ネガティブな思考で急に喉の乾きを感じる。
これは、確認しないと…。
正直、怖くて確認なんてしたくもない自分もいたが、勇気を出して口を開いた。
「…あのさ、葉月。自惚れじゃなければ、俺の事『カッコイイ』って言ってくれてたよね?」
「…うん。」
葉月は恥ずかしそうに答えてくれた。
だよな、そう思ってくれてたんだよな。
じゃあ…
「それはさ、俺の事『好き』って事じゃないの?」
「…えっ?!ええ〜っ?!」
葉月は真っ赤な顔をして弱々しく叫んだ。
ええ〜っ?!はこっちだよ。嘘だろ。
叶人のショックは大きかった。
そこは『好き!』であって欲しかった!
ヤバい、葉月に冷静に考える隙を与えるな!!
「はっきり言う!俺は葉月が好きだ!だから付き合いたい!!」
葉月は本当にビックリした顔をして叶人を見た。
「…本気で言ってるの?!」
「俺の好きを疑ってるの?俺は顔とか葉月の体の一部を好きになったんじゃ無いよ!葉月って存在が好きなんだ!」
それを聞いて葉月は黙った。
「葉月は?少しでも俺を…。」
「…ずっと嫌われてると思ってたから。」
考えるように葉月は答えた。
「うん、ごめん。それは本当に俺が悪かった。」
「だけど離れた所からかなちゃんを見てて、カッコ良くなったなぁ、って。人気があるんだなぁ、って。あの人、私の幼なじみなんだよ、って。そう思ってた。」
「うん。」
そんな風に思っててくれたのか!!
やった!俺の顔、あっぱれ!!
「だから…かなちゃんと付き合うのは正直こわい。」
「…え?」
叶人には予想外の答えだった。
訳が分からない。
「『こわい』って何が?」
「……。」
葉月は何かを懸命に考えている様子だった。
葉月の暫くの沈黙を叶人は黙って見守った。
「山瀬さんは…」
え?またここで山瀬?!
「山瀬さんは性格も良いんだよね。裏表が無いっていうか。誰にでも気さくに話しかけてくれるし。」
「…で?」
「山瀬さんとかなちゃんお似合いだと思った。」
「お似合いって…。」
「2人が…気さくに名前で呼び合ってるのが羨ましい。さり気なく手を繋げるのが羨ましい。…山瀬さんが少し位嫌な性格だったらよかった…綺麗で優しい山瀬さんに、私は勝てないよ。」
「え…葉月、それってさ…。」
「かなちゃんも…隣を歩くのに緊張する程カッコよくならないでほしい。かなちゃんと一緒に居るだけで私、何だか場違いな感じになるの。自分でもそう思うのに、私とじゃ釣り合わないって、みんなそう思うはず。…そう思われるのがこわい…。」
葉月は小声で口早にそう言い切ると、割座のまま、まるで土下座をするように、ガバリと床に伏せった。
何のご褒美だよーーー!!!
叶人は心でガッツポーズを決めた。
神様!これって「ヤキモチ」って括りで合ってますか?!
完全に「両想い」ってヤツでしょ?!
叶人は舞い上がる心のままに、伏せった葉月の両脇をすくい上げるように持ち上げた。
叶人はとにかく葉月の顔が見たかった。
「何すんのー?!!」
両脇に手を入れられて、無理やり顔を上げさせられる。
耳まで赤くなった葉月がそこに居た。
葉月の顔を見た途端、叶人の理性はもう切れそうだった。
唾を飲み込み叶人は話した。
「アイスの当たり棒ってさ、レアだろ?その当たり棒持ってる時に葉月に会ったんだぞ?これはもう絶対葉月に遣るしかない!と思ったんだよ。それに…ついでに2人でコンビニへ行く理由にしたかったんだ…。」
そうだったのか…という様な仕草を葉月はした。それきりで言葉は貰えなかったが叶人は続けた。
「山瀬の事なんか考える余地ないよ。ずっと葉月と2人になる方法考えてた。俺、ヘタレだから、何かのネタ無しには葉月に話しかけられなかったんだよ。」
「そんなこと…」
「せめて昔みたいに普通に話せればと思ってた。でも、ここまで自分の腹の内を明かしたんなら俺は欲張りになるよ!葉月、付き合って。心配する事何もない。不安にさせないから。」
叶人は葉月から何としてでも「YES」をもぎ取りたかった。
「…かなちゃん、私…。」
葉月がそれに応えようとした時
「なんだ?おい、玄関にカブトムシ居るぞー?」
すごいタイミングだった。
葉月の父がカブトムシを持って玄関に立っていた。
「…おじさん、お邪魔してます。」
丁寧な言葉とは裏腹に叶人は渋い顔をした。「…くそっ」と小さく呟き、葉月からそっと手を離した。
「いや、お邪魔したのはおじさんとカブトムシの方みたいだけど…縁側から入れば良かったのかなぁ…。」
「…お父さんワザとでしょ?!」
「えーっ、何が?」
「こんな恥ずかしいタイミングある?!」
さすがにこう続けば狙って来ているとしか思えなかった。
でも少し助かった、と葉月は思った。
「お父さんの方がよっぽど恥ずかしいんだけどな。叶人には仲直り提案したよ?だけどまさか、玄関廊下でさぁ…ね、叶人?」
「おじさん。」
「何?」
「葉月に『付き合いたい』って言いました。」
「あ、そうなんだ。…あれ?僕『仲直り』推奨してたはずだけど、話進んだねぇ?いや、進んでないのか?」
お父さんは「はて?」という顔をして言った。
「やー、ポストさ、ゆっくり歩いて行ってもせいぜい…。」
「今日は帰ります。」
葉月の父の言葉はどうでもいいと言う様に、叶人は言葉を被せた。
「あ、そうなの?」
立ち上がりながら叶人は言った。
「葉月。俺、本気だから。きっと今日も眠れない。だから夜中でもいい。返事ちょうだい?」
叶人を見上げながら葉月はコクリと頷いた。
「おじさん。」
「何?」
「ありがとうございました。もっと時間があれば最高だったけど。」
「あっはっは!僕、好きだなぁ、叶人のこと。」
「おじさんから『好き』って言われても…。」
「あっは!…だよなぁ!」
それから叶人は軽く頭を下げて、開けっ放しの玄関を出ていった。
廊下に座ったままの葉月が残された。
「葉月。」
「…お父さん、お昼ご飯は…」
「ねぇ、葉月。」
言葉を遮るようにお父さんは言った。
「母さんがさ、昔、お父さんに教えてくれたんだよ。『叶人はきっと葉月が好きだと思う』って。」
思いがけず「母」という言葉が耳に入り、葉月は耳を疑った。
「嘘でしょ?!」
「ははっ…ホントさ。日中仕事で居ないお父さんが、お前達の事なんて分かるはずないだろ?」
葉月は心底驚いていた。
お母さんとお父さんで、そんな事話してたんだ。
お母さんはどうして叶人の気持ちが分かったんだろう…。
「…まぁ、そういう事。お父さんとお母さんの思い出だからね。そう易々と披露は出来ないよ。でも、叶人がここまでしつこいヤツとは思わなかったけどね。」
「しつこいって…言い方…。」
「父親としてはさぁ、複雑なんだからこれ位の言い方、許して欲しいなぁ。」
そう言って、お父さんはカブトムシを持ったまま居間に消えていった。
葉月は思い出したようにゆっくりと立ち上がった。
「お昼…何にしよっかな。」
テロンっ♪
エプロンのポケットからスマホの小さな音がしたが、心ここに在らずの葉月には聞こえなかった。
*******
通話を切った。
…疲れた。音質の悪い盗聴は本当に疲れる。
凛の受話は最大音量だった。
葉月ちゃん、通話切ったと思ってたろうな、きっと。
弟の色恋沙汰なんてキショいけど、聞こえてきたんだもん仕方ない。
私、ワイドショー的なの大好きだもん。
まぁ、実際よく聴こえなかったけども。
帰ってきた我が弟のルンルンに腑抜けた顔が結果を物語っている。
やっぱりキモかった。
掃除は終えたけど宿題はちっとも進んでいない。意識は机の上のノートなんかにあるはず無かった。
気の赴くまま、窓から北欧風の隣家を眺める。
これまで隣の家を見ただけで、あんなに気持ちがどんよりとしていたのに、今はドキドキする。なんて現金なやつなんだろう。
こんな自分が恥ずかしい。
かなちゃんが連絡を待っている。
最初に何て言ったらいいんだろう。
「私は…。」
叶人が今日眠れないのは確定していた。
自分の気持ちを伝えられた事。
葉月の気持ちが分かったこと。
…まぁ俺を好きかどうかは…好きであって欲しい。
とにかく夜が待ち遠しい。
そして眠れないもう1つの理由。
葉月の脇の下に触れた時の衝撃!
あの時、果たして冷静を装えていただろうか?ビックリした。マジでビックリした。
脇の下だと思っていた所はもはや俺の知る脇の下ではなかった!!
いや、俺ってどうしてこうも葉月に対して不純なんだ…。
ハアーッ…あの感触。
「……。」
ヤバいな…止めよう。
葉月の父さんの顔でも思い出そう。
…一気に萎える。
…あのオッサン。
俺を応援してるフリしてゼッテェ邪魔してる。油断できねー。
しかし叶人はやはりガキだった。
叶人の未来は明るい。
「あっ、そうだ。明日葉月と一緒に当たり棒の引換えに行こう。」
もう付き合うと信じて疑わないおめでたさがそこにはあった。
「あいつ、まだ当たり棒とか言ってる…。」
…やはりクソガキだったか…。
ドアの隙間から一人ニヤニヤしているバカな弟を眺め、凛はため息をついた。
そのうち…気が向いたら、あのバカな弟に言ってやろう。
葉月ちゃんは何故に「葉月」なのか。
「和風月名」って知ってるか?
あの調子だと叶人はきっと忘れている。
「誕生日」という時限爆弾を。
姉を敬っていれば、直ぐに気が向いて教えてあげたものを…。
叶人の今後の動向で、方向性を決めようと凛は思った。
窓を開けると少しだけ涼しい風が吹いてきた。
外は夕暮れ。
2人にとって
こんなもどかしい夕暮れはなかった。
次回、誕生日編?