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野辺帰り  作者: だんぞう
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ととのえ

 今一度体を清めた後、礼装に袖を通す。

 小袖に袴、浄衣 (じょうえ)、その全てが純白の。

 神職の衣装に似ているが、烏帽子や笏のような小道具はない。

 ただし、真鍮製の板鍵に紐をつけたものは、首から下げる。

 朝食は取らない。というより、仕事の前日の日没から野辺帰りが終わるまでは胃を空にしておかなければならない。

 死に触れる仕事として黄泉竈食(よもつへぐい)を避けるという心構えである。

 黄泉竈食というのは、黄泉(よみ)、つまり死者の国の(かまど)で煮炊きした食べ物を食べることを言う。

 死者の国で黄泉竈食を行うと、生者の国へ帰れなくなると言われている。

 埋葬地というのは黄泉につながっているから、『おくりもん』は必ず胃を空にする。


 離れを出て母屋へと向かう。

 この母屋は、代々の『おくりもん』が守り続けてきた儀式の道具が大切に保管されている。

 また儀式の場所そのものでもある。

 儀式道具を置くのが母屋で、その道具を使って儀式を行う僕らの居住スペースが離れというだけで、どれほどの格を持つ道具なのかがわかる。


 一礼をして母屋へと上がり、野辺帰りのための最終儀式を執り行う死上(しあ)げ部屋にて準備を整える。

 これは野辺送り、帰り当日の夜明け以降に行わねばならぬ決まり。

 死上げ部屋の中央には(くす)から新月に伐り出した(まき)を十六本用いて四角く四段に――上から見たら「井」型に組んだ供養壇(くようだん)を設置する。

 部屋の四隅にはそれぞれ、盛り塩、日本酒の入った瓶子(へいし)、本榊の枝を挿した花瓶を置く。

 準備ができたら扉を閉め、鍵をかける。これで母屋側からの境界を閉じる。

 この死上げ部屋は玄関以外で唯一、外からの出入りが可能な部屋。

 ただし外から直接入る場合、鍵を開ける以外に境橋(さかいばし)と呼ばれる渡し板も使わなくてはならない。

 その境橋を持ち、いったん外へと出て、橋屋(はしや)と呼ばれる小屋へと移す。


 次に野辺送りの儀式に使う道具を確認する。

 まず名帖(なじょう)飯鉢(いいばち)

 名帖は薄い板に弔われる者の名を記したもの。

 後で葬儀会場にて、送られる者の名前を近親者が書いた和紙を米糊で貼り付ける。

 飯鉢は二つ一組の椀。

 これも葬儀会場にて、近親者が小豆と米とをひとつかみずつ盛る。

 これらは薪と一緒に伐り出した樟から作ったもの。

 専用の匣鞍(はこぐら)へと収めるのだが、この匣鞍も樟製だ。

 匣鞍は馬の背に乗せるため、多少の揺れでは名帖や飯鉢が外れないような仕組みがある。

 左側の匣鞍には名帖の()まる切れ込みが、右側の匣鞍には飯鉢が二つ収まる穴が空き取り外し可能な盆板が、それぞれ(しつら)えてある。


 それから死華(しか)を参列者の数より少し多めに用意する。

 死華は白い和紙で作った花で、他所の野辺送りではレンゲの花や沙羅双樹の花に見立てているところがほとんどだが、うちの死華は紙の端をくるっと丸めて「てんてん花」に見立てる。

 てんてん花とはここいらの方言で、漢字で書くと「手ん天花」となる。手を天へとのばしているような花、という意味。

 この花には地域ごとに様々な名前があると聞くが、一番有名な名前は彼岸花や曼珠沙華(まんじゅしゃげ)あたりだろう。

 僕にとってはてんてん花の方が馴染みがあるのだが。

 もちろん、うちの地域でもてんてん花は赤い。

 しかし白と定められている。

 白は弔いの色。黒と対をなす色。

 死華を多めに用意するのは、参列者の数は事前に聞いてはいるものの当日の突然参加が増えることもあるから。

 死華を持たない者は野辺送りには参加できない。

 逆に余った場合、送られる者と特に仲が良かった者に多めに持たせる。参列者の魂を隠すものだから、送りと帰りの儀式が終わるまでは絶対に手放してはいけない。


 僕が幼い頃、送りに参加した子供が死華を落としてしまったことがあったと聞く。

 その後の儀式は大変だったらしく、その子供は送りの最中に亡くなったらしい。

 しきたりだからやっているのではなく、多くの試行錯誤の果てに現在の形へと落ち着いたのだ。

 そんなこともあったから、今では安全ピンで服に留めるのが普通だ。

 野辺送りに使用するモノは送られる者から一番縁遠い者が用意する習わしだから、この安全ピンもうちで用意する。

 近親婚の多いこの地域で、うちだけが土地の者と決して交わらぬよう血をつないできたのは、この習わしのため。


 ふと、愛生穂(あきほ)の恨みがましい顔が脳裏を(よぎ)る。

 ――いや、今は儀式の準備に集中しよう。


 松明に、秘伝の特別調合の香油を染み込ませる。

 今日の儀式は昼に執り行うが、松明は夜じゃなくとも用いる。

 亡くなった者は、現し世(うつしよ)のことがあまり見えなくなるらしい。なのでこの灯りを目印に、野辺へと送る(むくろ)についてきていただく。

 まあ、現代では骸ではなく遺骨と遺灰なのだが。


 さて。

 今度は旗の部屋へと向かう。

 旗には野辺送りの出発する地域が書いてあり、匣鞍の両側に取り付ける。

 その旗部屋の入り口が見えたとき、思わず足が止まりかけた。

 旗部屋の扉の隙間から黒い影のような指が何本か出て扉にしがみついているように見えたから。

 それでも足はなんとか止めることなく扉の前まで着く。

 先々代に言われていたことを心に留めているから。

 『何かが見えたとき、それを見てしまった素振りは決して見せるな。主導権を渡してはいけない。あちらが見せてこちらが見てしまうのではなく、こちらが見ようとしたときだけ見ること』

 礼装のゆったりとした袖が鳥肌を隠してくれていることに感謝して扉を開ける。


 床に南の旗だけが倒れていることに対して驚いたりはせず、旗受け台へと片付ける。

 旗受け台は旗を立てておく台で、この部屋には五つの旗受け台が壁や床へ固定されている。

 五つというのはこの地域の本家筋である(なか)、残る四つの分家筋である北、東、南、西の合わせて五つ。決して名前ではなく方角でのみ呼ぶ習わしだ。

 それぞれの方角と旗受け台の設置場所とは一致していて、南の旗はこの部屋の南壁に設置されている旗受け台へ戻さねばならない。

 旗受け台は一台あたり旗を三本まで並べて立てられるが、今はそれぞれに二本ずつしか旗は立てかけていない。つまり南の旗受け台には現在、旗は一本だけしか立っていない。

 しっかりとした手応えをぐっと押し込むように拾い上げた南の旗を戻す。

 作り的に、例え地震が来たとしても旗受け台から旗が落ちるはずはないのだが――さあ、いつまでも南にばかりかまけていられない。

 今日の儀式は東の分家筋なので東の旗を二本、旗受け台から外して部屋の外へ。


 カタン。


 入り口から振り返ると南の旗が倒れている。しかも今度は二本。

 こういうときには舌打ちもため息も我慢しろと先々代に強く言われているから、あくまでも動揺を見せずに機械的に旗を南の旗受け台へと戻し、時計を見る。

 予定よりも準備が遅れている。

 本当ならば送り車(おくりぐるま)の用意に取り掛かっていなければならないのに。

 もたもたしているつもりはないのだが、この頃はずっと何かがずっとまとわりついているかのように、全ての動きが遅くなっているように感じている。

 何か――それ以上は考えてはいけない。

 名前を与えればそれが手がかり足がかりになる。

 僕は深く息を吐くと、大股で旗の部屋を出て、後ろ手で扉を強めに閉めた。

 遠くでまた何かが倒れる音が聞こえたが、今は聞こうとしたときじゃないからと、心から追い出した。


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