電子書籍化記念番外編・フォルモーサ公爵夫妻は本日も平和である。
ローガン・フォルモーサは聖騎士であり、若き公爵である。そして聖女の夫でもあった。愛妻家でも有名な彼は時間さえあれば妻と共に過ごしていたが、休日であるのに本日は珍しく自室で一人読書をしていた。
なにも、妻であり聖女であるオフィーリアから「今日は女性だけで新しい衣装を試したいので」と部屋から閉め出されて手持ち無沙汰だったという理由だけではない。最近、ローガンはその本を愛読しているのだ。
やっと衣装の試着を終えたオフィーリアがローガンの部屋に訪ねて来ても、一瞬反応が遅れるくらいには熱心に読み込んでいた。
「ふむ……」
「あら、珍しい本を読んでいますね、ローガン?」
ローガンはオフィーリアを認めると、にこりと笑って当然のように少し移動して自身の隣を勧める。多少場所ができたとはいえ、そこはソファの端でとても国の平和を守る聖女に勧めるような席ではなかったが、オフィーリアも構わずにそこに座った。
そしてやはり当然のようにローガンはオフィーリアの肩をそっと抱き、引き寄せる。結婚当初までこのようなスキンシップに戸惑っていたオフィーリアも、最近では随分と慣れてきていた。
「最近流行りの恋物語だそうだが、オフィーリアはこういったものは読まないのか?」
「そうですね、今はあまり……」
「騎士と聖女の話なんだが」
「待ってください」
「何だ?」
「何だではなく。え、それってわたくしたちのことを書いているという訳ではないんですよね?」
「違うな。というか、この国の話ですらない。作中に出てくる聖女は君と違って結界は張れないし、もっとこう……なよなよしている」
「……物語のヒロインに対して、なよなよってどういう表現なんです?」
オフィーリアが呆れてローガンの手元を見ると、美しい装丁でいかにも女性受けしそうな本が彼の大きな手の中に納まっている。普段はペンや剣を扱う手にはあまり似合っていなかったが、本に似合うも似合わないもないだろうとオフィーリアは考えを改めた。
「ではそうだな。……気高く愛らしいが、優しくか弱い。そんな聖女だ。我が国ではやっていけないだろうよ」
「国王と教皇の緩和剤しなくちゃいけませんものね……」
「それもあるが、結界を張る修行中に多分そのまま儚くなってしまうだろうな」
「ああぁ……」
オフィーリアは少しだけ結界の修行を思い出し、眉間に皺を寄せた。今でこそ自由自在に結果を張り国を守る聖女として働いているオフィーリアだが、幼少期の修行では文字通り血を吐く程の苦しみを味わったのだ。先代聖女が結界を張れなくなっていたので、まだ幼かったオフィーリアは一刻も早く力を使いこなさなければならなかった。しかし、もう終わったことだ。
オフィーリアは修行時代の重圧や苦しみをぷるぷると首を振って振り払い、ローガンに視線を戻した。
「では、その聖女は何ができるんですか?」
「神の声を聞き、魔王討伐を手助けしてくれるらしい。魔法があまり発展していない世界のようで怪我や病気を治すのも難しいが、聖女はそれもできるそうだ」
「魔王ですか。そんなものが本当に存在して、倒せたら魔獣も消せるというなら世界各国が討伐に乗り出すでしょうに……」
「まあそこは創作だな。あまり突っ込んではいけない」
そう言ってローガンは苦笑する。確かにそうだと、オフィーリアは自身の詰まらない返答に恥じながらも話を続けた。
「ですがそれ、冒険譚ではなく恋物語なんでしょう?」
「ああ、聖女と騎士の恋が主軸だな。魔王討伐はあくまで物語を動かす為の設定のようだ」
「……身も蓋もないことを言いますね。で、面白いんですか?」
「ふむ……」
「ローガン?」
ローガンは手の中の本を弄びながら、わざとらしく考える仕草を見せた。
「ストーリー自体はありきたりで、騎士と聖女が出会い魔王討伐の旅でお互いに成長し恋をして、最終的に結ばれるというものだ。けれど人気になるだけあって、構成や進め方、文章の美しさなどが秀逸だと思う」
「へえ、では読み終わったらわたくしにも貸してくださいな」
「まあ、待ってくれ」
オフィーリアから本を離しつつ、ローガンはにこりと微笑む。何の微笑みなのだろうと困惑しつつ、オフィーリアは次の言葉を待った。
「作中では、何度か騎士が聖女の危機を救う場面があってな」
「魔王討伐の旅ですものね」
「しかし私も騎士なのだが、こう、体を張って君を守ったことは少ないと思うんだ」
「……えっと、何の話です?」
「オフィーリアが危険を感じる前にその原因を排除してきたからだろうが、君自身も結界が張れて魔法も得意だ。それに私以外にも多くの聖騎士や聖剣士が君を守っている」
「そ、そうですね?」
「しかし、この物語の騎士は聖女の危機を救うことによって聖女に好かれていく」
「……」
「だが、オフィーリアを危険な目に遭わせる訳にもいかない。それが悩ましくてね」
「本当に何の話です?」
「オフィーリアに今まで以上に愛されたいという話だが」
ローガンはたまに話を変な方向へ持っていくことがあるが、今回はその悪癖が顕著に出ている。しかし本人は真剣にそう語るので、オフィーリアは茶化すべきか呆れるべきか窘めるべきかでいつも迷うのだ。
「暇なんですか? ……暇なんですね。なら、お出かけしましょう。そろそろお祭りの季節だから街を花で飾っていると聞きました。わたくし、歩いてみたいわ」
「駄目だ」
「どうして」
「聖女様聖女様と、君に人が群がる」
「……」
「……いや、そうだな。我々が動くなら、警備や交通にも配慮しないといけないからね?」
「そっちを先に言えればよかったんですけどね。ですが、それを言われてしまうとどうしようもないです。ちなみにお忍びってことには……?」
「ならないな」
きっぱりと言い切られ、オフィーリアは少し肩を落とした。彼女らはお忍びで街を散策したことはあったが、当時もいろいろと準備が必要で思い立った時にすぐに行けるようなものでないことくらいオフィーリアにも理解できている。全てが本気だった訳ではなく、あわよくばとは思っていたが、ただ言ってみただけでもあった。
「じゃあやっぱりその本を貸してくださいな。さっきの言い方だともう全て読んでしまっているんでしょう」
「駄目だ」
「ローガン?」
「作中の騎士の方が格好いいなどと言われたら立ち直れない」
そこでオフィーリアは改めてローガンの方を向く。ぴたりと二人の視線が絡んで、二拍くらい間を置いたのちオフィーリアはローガンの額に手を当てた。
「……ローガン、いつからしんどかったんです?」
「私はいたって健康だ」
「貴方って病人であることを認めない類の人なんですね」
ローガンの額は熱く、心なしか頬も赤い。部屋に入った時点で気付いていればとオフィーリアは少し後悔しながら人を呼び、ローガンを寝室に連れていった。
屋敷に常駐している医師曰く、流行り病ではなく疲労からの発熱だろうとのことだったので、とりあえず休養をさせることとなった。
「……とても健康でいつも元気な人が寝込むことを東の方では鬼の霍乱と言うそうですよ。鬼とは、ものすごく強い魔獣のような存在のことなのですって」
「治癒魔法をかけてくれればすぐに治るんだが」
「風邪に治癒魔法なんてかけてたら免疫力が下がります。許可しません」
「……そうか、そうだな」
「ずっと忙しかったんだもの、疲れが出たんですよ」
「ああ……」
大人しくベッドに横たわる夫の額を湿らせた布で拭いてやりながら、オフィーリアは苦笑した。こういった看病は、昔よくオフィーリアがローガンにしてもらっていたことだった。
「ローガン、わたくしの聖騎士は貴方だけです。それにいつだって守ってもらっていました。貴方以上に格好いい人なんて、世界中のどこにもいませんよ」
静かに寝息を立てるローガンの目元にキスをしながら、たまには看病するのも悪くないとオフィーリアは微笑んだ。
―――
ローガンの熱は一日で治り、大事にはならなかった。しかしせっかくの休日が潰れてしまったと本人は不服そうにしていて、次の休みには朝からオフィーリアにべったりだった。けれどオフィーリアもそのことに不満はないらしく、ローガンの好きにさせている。そして昼を過ぎた頃、二人は屋敷の庭園を散歩することにした。
「え、これって……」
公爵家の庭園は元々常に美しく整えられていたが、そこにリボンや布、あまり見ない珍しい花などが飾られている。それはオフィーリアが話に聞いた、街の祭りの様子そのものだった。
「街に連れて行くことはできないが、似たような装飾を庭に再現させたんだ。どうだろうか」
「素敵です。ありがとう、ローガン」
「オフィーリアの喜ぶ顔が見れて私も嬉しいよ、だがそうだな。世界一格好いい君の聖騎士に褒美をくれたってかまわないんだぞ?」
「……もうっ」
あの時に起きていたのかだとか、また揶揄ってだとか言いたいことは山程あったが、オフィーリアはどうにかそれを飲み込んだ。ここでむきになるのはさすがに子どもっぽい。しかしせめてもの抵抗で繋いでいた手を振り払うと、今度は体ごと抱きしめられた。
「あはは、茶化してすまない。あまりにも嬉しくてね」
「……茶化している自覚はあるんですね?」
「いや、褒美は欲しいが」
「もう、貴方ってたまに本当にどうしようもなくなりますよね」
そう言って呆れたようなふりをしながら、オフィーリアはローガンの唇にキスをした。少し前までは頬にしかできなかったけれど、随分練習をして自分からでも恥ずかしがらずにできるようになったのだ。だって、そうすることでローガンがひどく嬉しそうに笑うから。
読んでいただき、ありがとうございます。
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24/7/11、エンジェライト文庫より電子書籍化決定しました!
本編に加え、ローガンの過去とストーリー終了後の話を3万字以上加筆しております。お手に取っていただければ幸いです。よろしくお願いします。




