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4,ローガン・フォルモーサは聖騎士である

 王都の大教会は、教皇と聖女の居住地だ。その他にも大勢の人が生活をしている場でもあり、この国の教徒たちの憧れの場でもあるが、オフィーリアにとっては家であるのだ。


 ドラド公爵家から帰ってきたオフィーリアは、お気に入りのソファに体を預けてふう、と息を吐いた。自室では、清廉な聖女様でなくても許される。この部屋に入る権利を持つ者は少なく、その全員がオフィーリアの信頼のおける人たちであるからいいのだ。


 オフィーリアを長年煩わせ続けた問題に、一応の決着がついた。けれど、その決着にかかった心労は、明確に疲れとして彼女の心身を蝕んでいる。大袈裟な表現ではあるかもしれないが、その言葉が一番適切だった。



「よく頑張ったな、オフィーリア」

「頑張ったな、じゃないんですよ、ローガン」



 オフィーリアは渋い顔を作りながら、自身の専属聖騎士を詰った。ローガンは外ではオフィーリアに敬語を使うが、二人きりの時には砕けた口調で話す。昔、まだオフィーリアが屈託なく我儘を言えていた頃に『普通に話してくれないと嫌だ』と泣いたので、それがそのままであるのだ。


 本来の聖女と聖騎士の間柄ではあり得ないことではあるが、教皇も特に何も言ってこないのでいいだろうとオフィーリアは開き直っている。



「それで、ローガン。これでフォルモーサ侯爵家の思う通りになりましたか?」



 現フォルモーサ侯爵は、ローガンの伯父にあたる。穏やかでおおよそ権力ゲームに参加する雰囲気のない人であるが、今回の件でのローガンや教皇の動きからしてフォルモーサ侯爵家が何かしらの介入をしてきているのだろうとオフィーリアは考えていた。



「何のことだか」

「ローガン・フォルモーサ、わたくしは貴方個人とはそれなりによい関係を築けていたと思っていたのですが」

「そう言われると辛いものがある」



 パトリックとの婚約を破棄するだけであれば、もっと穏やかな終わり方もあったのだ。そうであるのにローガンと教皇がパトリックたちを完膚なきまでに潰すというから、それを黙って見ていなければならなかった。全てが終わった今、当事者のオフィーリアには事の顛末を聞く権利がある。



「実を言うと」

「はい」

「我が家はこの企みを初めからよく思っておらず」

「……」

「全ては教皇猊下の手のひらの上であった、というのはいかがだろう」



 オフィーリアは、聖女がするべきでないと評されるくらいには白けた目でローガンを見た。



「そういう顔をするものではない、せっかくの愛らしい顔が台無しだ。それに、これはそれなりに事実だ」

「それなりにってなんです、それなりにって。言葉がおかしいんですよ」

「手厳しいな」



 ローガンがおどけたように肩を竦めるが、オフィーリアは表情を変えない。この聖騎士には毅然とした態度が必要だと知っているからだ。



「真実を知っても、私を聖騎士として重用してくれるのならば話すが」



 ローガンは困ったように眉を下げたが、ここで折れてもいけない。彼のしおらしい態度は、そのほとんどが嘘であることをオフィーリアはやはり理解していた。



「聖騎士の任命権はわたくしにはありません」

「君が猊下に私を指名すればいいだけの話だ」

「猊下は“聖女”に甘いですからねえ。分かりました、約束しましょう。その話に絶望して、わたくしが聖女でなくならない限りには」

「はは、怖いことを言う。止めておいた方がいいかもしれない」

「……そんなに大変な話なんですか?」

「私としては特に何も思わない、君がどう思うかという話だな」



 オフィーリアは一瞬だけ考えた。ここで全貌を聞かないことにして、ローガンに全てを任せるという手もある。ローガンは多少癖はあるが優秀で、聖騎士として聖女であるオフィーリアのことを何よりも大切にしている。つまり、信頼はできるのだ。


 けれど、と、オフィーリアは首を振った。彼女は、この件に関する一連のことを知らなければならないと強く思ったのだ。何も知らず、守られているばかりの少女でいたくない。オフィーリアは顔を上げた。



「聞きます、話してください」

「仰せのままに。……だがその前に、ホットチョコレートをいれてあげよう。座っておいで」



 オフィーリアは何も言わず、呆れた視線だけで返事をしたが、ローガンは気にした素振りも見せずに部屋から出て行った。けれど、そう時間をかけずに戻ってくる。


 ローガンの手には、昔からオフィーリアがぐずったりしていると彼が馬鹿の一つ覚えで作ってくれるホットチョコレートがあった。もう子どもではないのだからと、何度かオフィーリアが抗議をしたことがあったが、ローガンがこれ以外のものを持ってきたことはない。



「まあ、美味しいからいいんですけどね。ありがとうございます」

「お褒めに与り光栄だ」

「では、どうぞ、お話しください」



 ローガンはホットチョコレートを手渡すと、当然のようにソファに座るオフィーリアの隣に腰掛けた。そして、自分用に持ってきていたコーヒーを一口含んでから話しだす。



「オフィーリア、君はフォルモーサ侯爵家はどういう立ち位置にいると考えている?」

「……公爵家になりそこねた平和主義者、と言われていますよね。貴族内では古くから中立、調和、調整の役回りをしていたと」

「そんなフォルモーサ侯爵家が、どうして“聖女”の婚約がここまで上手くいっていなかったのに何も言わなかったのだと思う?」

「そこが疑問なんです。むしろこれまでのフォルモーサ侯爵家であれば、この婚約がここまで拗れる前に陛下に進言をしたことでしょう」

「そう、伯父が陛下に一言、パトリック・ドラドの挿げ替えを申し出ていれば済む話だった。我が家は王家の信頼が篤い。だからこそ、問題が大事になる前に火消しを行う。そういう役割を求められている家だからね」



 そこまで一気に話し終え、ローガンはまたコーヒーに口を付けた。そしてオフィーリアを横目で確認し、ここで終わらせる気が一切ない強い意志を感じ取ってまた口を開く。



「しかし、教皇猊下はそう簡単には考えていなかった。聖女が苦しみを繰り返すような制度自体を潰したかった。フォルモーサ侯爵家の介入があったところで、先の聖女たちが救われなかった事実があるからね。それに私が同調をし、伯父に協力をしてくれと頼んだ。更に国王陛下もこの話に乗ってくれた。……それだけだ」

「……猊下と陛下が手を取り合っているところがまず怖いのですが」



 ローガンが話したシナリオであれば、一応の説明がつく。教皇は以前から、聖女と高位貴族が結婚することによる弊害に頭を悩ませていた。けれど、教皇と国王が協力をするだろうか。オフィーリアの疑念はそこだった。


 為政者として合理的に物事を進めたい国王と、聖職者として福祉の観点から物事を見る教皇は、それこそ昔から折り合いが悪い。それは何も今に始まったことではなく、それこそ何代も前からそうなのだ。聖女はそんな二人の調整役になることも多い。あちらを立てればこちらが立たぬが、落としどころを提案するのは聖女や教徒、臣下たちの仕事だった。


 今代の国王と教皇も、例に漏れずお世辞にも仲が良いとは言えない。そんな二人がいくら聖女の一大事とはいえ、本当に協力し合うだろうか。オフィーリアは、自身の聖騎士をじっと見つめた。



「本当にそれだけだと言えるんですね。貴方の聖女である、わたくしに向かって」

「それを言われてしまうとな……」



 ローガンは彼にしては珍しく言い淀み、首の後ろを掻いた。



「そんなに言いづらいことなんですか?」

「言いづらいな、私も格好をつけたい」



 本当にこの男は、とオフィーリアは今度こそローガンを睨みつける。外見は堅苦しい雰囲気であるのに、ローガンはかなり茶目っ気の多い人だった。軽口も多く、親しみやすい。けれど、オフィーリアはその態度にいつも侮りを感じていた。優しさであるのは分かっているのに、いつまでも子どもだと言われているようで、腑に落ちない。



「そんなに可愛らしい目で見つめないでくれ、照れてしまう」

「またそうやって、人のことを子ども扱いして……」

「まさか、私の聖女はもう立派な淑女だ」



 そもそも見つめている訳ではない、睨んでいるのだ。オフィーリアは怒りで震える拳をどうにか膝の上に置き、深呼吸をした。オフィーリアのその様子に、ローガンは眉を下げる。



「まあ、仕方がないな。私の聖女には誤魔化しがきかないようだ」

「……その、私の聖女っていうの止めません?」

「君が言い始めたことだが?」



 確かにローガンに向かって自身を「貴方の聖女」だと言ったのは、オフィーリアの方が先だ。しかし、当てつけのようにそう何度も言われるのは面白くない。何と表現していいか分からない羞恥がオフィーリアを襲った。



「では、これを」



 そう言って、ローガンはおもむろに胸ポケットから出した金のリボンをオフィーリアの手に巻き付けた。何の脈略もない行為に、オフィーリアは困惑で思考も行動も停止させてしまう。


 これは、何。どういうこと。



「……ん? え?」



 たっぷり数十秒身動きを取らなかったオフィーリアから発せられたのは、意味をなさない音だけだった。


 それも無理のないことだ。このファーブラ王国において、金のリボンを贈るのは求婚の意味を持つ。遥か昔に、人間の男が金を薄く伸ばして布のようにしたものを用意して女神に求婚したという物語があり、それがルーツとなっている風習だ。現在では求婚というよりも、むしろ結婚式で行う行事の一つになっているが、サプライズとして婚約者に金のリボンを贈ったりすることはある。


 しかし金のリボンは、婚約者でも、ましてや恋人でもない相手に贈るものではない。冗談にしては、質が悪すぎた。



「よく似合っている」

「ま、ま、な、何してるんです!?」

「求婚を」

「待ちなさい! 一から十までちゃんと説明して!」



 やっと言うべき言葉を吐き出せたオフィーリアは、けれど動揺を隠しきれない。ローガンはそんな彼女とは反対に、ゆったりと笑って見せた。



「君とあの勘違い小僧との婚約は既に本日付で解消されている。つまり君は今、婚約者がいない状況であり、貴族の後ろ盾がない状態だ。だから私が求婚をするのは何もおかしなことではない」

「……いろいろと言いたいことはありますが、でも、大体、制度を変えるって話はどうなるんです。貴方が侯爵家の人間としてわたくしと結婚するというのなら、結局同じことじゃないですか」

「まったく違う」



 穏やかな雰囲気のままだったが、ローガンはそう言い切った。その際、僅かに目に力が入っていたが、それに気付ける者は少ないだろう。その少ない中に、オフィーリアはいるのだが。



「今までの制度では、聖女が教会と貴族の両方から保護を得ることを目的としていた。だからこそ、そこに聖女の意思は反映されなかった」

「それは、貴族やそれなりのお家の人なら普通にあることなんじゃないですか?」

「それをよしとしてしまっていたから、過去の聖女たちは力を失っていったのに?」



 オフィーリアはぐ、と唇を噛んだ。聖女が力を失い、引き継ぎが上手くいかなかった時の悲惨さは、この国に生きる者であれば身に染みていることだった。


 本来、聖女は一定の期間で生まれてくるとされている。三十年から四十年程で新しく生まれてくる聖女は、先代の聖女から教えを請い、聖女としての力の使い方を学び、そして結界を継承していく。引き継ぎがきちんとできていれば、聖女の結界は途切れることなく国と人々を守り続けるのだ。


 しかし、オフィーリアの先代と先々代に当たる聖女は、死ぬよりも先に聖女の力を失った。先々代は力を失ったことに絶望して自ら命を絶ち、先代もそれに倣おうとしたがそれは彼女の聖騎士に阻止されている。


 何故、聖女が力を失うのか、それはこの国で長年研究され続けていたことだった。過去にも複数の聖女が力を失ったことがあり、その度に国は疲弊していったからだ。そうではあるが、歴史を紐解いても死ぬまで聖女の力を持ち続けた人と、そうでない人の違いは今まで解明されなかった。いくつかの仮説が出ては消えていき、研究は遅々として進まなかった。


 しかし、皮肉にも二代続けて聖女が力を失ったことにより、ある仮説が有力視されるようになったのだ。そして研究者や教会は、既にその仮説が真実なのだろうと見ている。



「わたくしは、別にまだこの国の人のことが好きですよ」

「女神は“人間を愛している”。そして、その代行者である聖女も“人間を愛している”。……そうでなければ、聖女の資格を失う。つまり人間に失望した時、聖女は力を失う。ここ二代の聖女たちの引き継ぎ失敗は、そのせいだ」



 聖女の引き継ぎの失敗を、三代も続けてはいけない。そもそも教会にとって、聖女とは女神の代行者である特別な存在だ。それを二代も続けて人間を愛せなくなる程に蔑ろにされたのだから、貴族への不信感は大きくなるばかりだった。


 だからこそ、教会は初めからパトリックを警戒していた。そもそも教皇が貴族の中にも敬虔な信者はいるのだから、せめてそこから選出しろと注文をつけていたのに、いざ選ばれたのが彼であったからなおさらだった。


 ドラド公爵家は反教会派ではないが、別段熱心な信者ではなく、それどころか教会行事への優先度は低い方だ。参加率も悪い方で、悪びれもなく仕事が忙しいと宣う。


 ただの貴族であるならば、それでも特に構わない。しかし、聖女の嫁ぎ先としてはあまりに不安な家だ。けれど、聖女の婚約者を決める采配を持つのは教皇ではなく国王で、政治的判断の下、断行されたことだったのだ。



「確かに、わたくしはパトリックのことをよくは思いません。彼はわたくしとの婚約以前にも人を傷つけ過ぎました。きちんと裁かれるべきでしょう。というか、だから、どうしてローガンとの結婚が制度を変えることになるんです? 結局は一緒のことでしょう? ……貴方が、わたくしの為に人身御供になるという話ですか?」



 オフィーリアは、できるだけ平坦な声を心掛けた。ローガンに腕に巻かれた金のリボンがひんやりとしていて、彼女の心臓の騒がしさと反比例でも起こしているようだった。



「そんなに面倒で難しい話じゃない。愛しい女性に、憐れな男がただ求婚をしているというだけだ」

「だから何でそうなってるんですかって聞いてるんです!」

「君の了承を得たいからだ。聖女には、愛する人と共にあってほしい」



 その、いつもより硬い声色にオフィーリアは泣いてしまいそうになった。悲しいのでも嬉しいのでもない、羞恥でだ。



「……何も分かっていなかった子どもの頃に、ローガンの手を煩わせたことは謝ります。ですが、今も同じように貴方を困らせることを言うつもりはありません」



 昔、まだオフィーリアが子どもだった頃、彼女は当時から自身の面倒をよく見てくれていたローガンに憧れを抱いていた。拙い言葉で、告白の真似事だってした。しかし、それは結局憧憬だ。他でもないローガンがそう言って、オフィーリアを窘めたのだから、そうなのだ。


 身近にいる自身に優しくしてくれる人に好意を持つのは当然のことで、けれど、聖女であるオフィーリアは自身で添い遂げる人を決められる訳ではない。オフィーリアはその道理に比較的早く気付くことができたことを誇らしく思っていた。


 無駄な想いは目を瞑っていればいつかは消えるだろう。それなのに、今になってそれを持ち出すのは、もはや侮辱にも近い。オフィーリアは、膝の上で手をぎゅうと握りしめた。



「ひどいな、つまり私はもう過去の男だと」

「貴方でなくていいという話です。パトリックの時も、わたくしだって彼と愛を育もうとは思っていませんでした。別に誰であってもいいのです。きちんと聖女の保護という契約を履行してくれれば、それでいい。そこに愛は必要ありません」

「では、私でも構わないだろう。私なら、オフィーリア、君の望む全てを叶えてやれる」

「ローガンだけは嫌!」

「何故」



 オフィーリアがたまらず叫んだ言葉は、ローガンの冷静な疑問にすぐにかき消された。


 何故? 何故って、それは。オフィーリアは目の前が赤く染まっていくような感覚を覚えながら、握りしめた手に更に力を込めた。



「だって、それは」

「誰でもいいなら私でもいいはずだ」

「貴方は、わたくしの言うこと何でも聞いちゃうじゃないですか」

「当たり前のことだろう。君は私の聖女なのだから」

「それが、惨めだって言ってるんです。わたくしはもう、子どもじゃないの」



 どうして今日はこんなにも話が通じないのか。オフィーリアはもう取り繕うのを止めた。だって、こんなのは惨めだ。オフィーリアは今でもローガンへの想いを捨てきれずにいる。それを、ローガンは知っているのだ。でも、この想いを利用して、こんなにも分かりやすく義務で求婚をされるなんて。


 力を込め過ぎて震えるオフィーリアの拳を、ローガンの手が上から包み込む。そうして初めて、オフィーリアは自身の爪が手のひらに食い込んで痛んでいることに気付いた。



「ずっと待っていたのだから、知っているに決まっているだろう」

「……待っていたってなんです?」

「オフィーリアがまだおねしょをしていた頃――」

「ちょっと!」

「では、私に初めて好意を伝えてくれた頃?」

「……」

「あの時も、私はとても嬉しかったのだよ。ただただ可愛いと思っていた。が、私と君は十歳も年が離れていて、当時の私は聖騎士ではなくただの候補で、君は既に聖女だった」



 諭すような声色に、オフィーリアはやっと無意識に落としていた視線を上げた。ローガンの優しげな表情は、オフィーリアが初めて彼に出会った頃と変わらない。


 オフィーリアはゆっくりと息を吐き、冷静さを取り戻す努力をした。話は、まだ終わっていないのだから。



「その上、私は侯爵家の人間ではあるが直系ではなく、更にフォルモーサ侯爵家は聖女の婚約者に手を挙げるような家ではない。そうこうしている内に君はあの馬鹿と婚約してしまうし」

「あの馬鹿って……」

「当時はそれでもいいとも思っていた。君は変わらず可愛かったし、あの屑と過ごすより私と共にいる時間の方が多かったしな」

「……あの、何だか話がおかしくなっているんですけど」

「オフィーリアも言っていたが、貴族の結婚など義務だ。君と奴は一方的に相性が悪かったからな、白い結婚であることはほぼ確定だったろう。無理強いをしようとすれば、それこそ寝室に乗り込んでいくつもりだった」

「ローガン?」

「この騒動はまあ、渡りに船だった、ということだ」

「あの、本当に、分からないんですが、だから何だって言うんですか」



 これは何の話なのだろうと、オフィーリアは眉間に皺を寄せる。ローガンはたまに訳の分からない話で人を煙に巻くようなことをするが、それとも少し違う気がした。



「君を、愛しているということだが」

「嘘よ」

「嘘じゃない」

「だって『困ってしまうな』って言ってたじゃない」

「十歳も年が離れていて、まだおねしょをしている少女に『大好きだから結婚して』と言われても困るだろう。その時は本気でも、子どもの気は変わるものだ。人にもよるだろうが、子どもとは少なからずそういう気質を持っている。昨日まで好きだったものが嫌いになったり、苦手だったものを克服したりね」



 ローガンの昔を懐かしむような視線に、オフィーリアは居心地の悪さを感じた。責められている訳でもないのにそう感じてしまうのは、オフィーリアが動揺したままだからなのだろう。ローガンの言っていることは正論だ。いつだって彼は、そうやって幼いオフィーリアを導き守ってくれていた。



「……すみません、そうですね。取り乱しました」

「謝る必要はないが、私はこのまま求婚の返事をもらえないのだろうか?」



 オフィーリアは、自身はもうきちんと成長をし、大人になったと勘違いをしていたようだった。立派な聖女になれるように、血の滲むような努力をしてきた自負もある。けれど、ローガンにとって、オフィーリアはまだまだか弱い庇護対象であるらしかった。だから人身御供として、聖女の配偶者になろうと馬鹿げたことを言うのだろう。


 じわ、と目頭に熱が集まるけれど、オフィーリアは無理矢理に口角を上げてみせた。



「……そうですね、誰でもいいから、ローガンでもいいです。聖騎士でもある貴方なら、パトリックの二の舞を演じることはないでしょう。ですが、一つ条件があります」

「何だろうか」

「二度とわたくしに向かって、愛しているなんて言わないで」

「何故」

「心にもないことを何度も聞かされるのは不快です」



 さすがにこれ以上は惨めな思いをしたくない。ずっと想っていた人に存在しない愛を語られるなんて、オフィーリアにとっては地獄以外のなにものでもなかった。



「それこそ心外だ。私は嘘を吐くし騙すし隠すが、君への愛に偽りなどない」

「……嘘とか騙すとか、聖騎士から出る言葉じゃないんですよ」

「あはは」

「あははじゃなくて」



 オフィーリアがさっきとは別の意味で顔を顰めると、ローガンが笑う。いつものようなふざけ合いのようなやり取りに、張りつめていた空気が少し和らいだ気がした。



「そう、私は本来、聖騎士になれるような潔白な人間ではない。君に話せないようなことだっていくらでもある。けれど、オフィーリア。君への想いに偽りはない」

「でも」



 すぐさま否定しようとしたオフィーリアが言葉を止めたのは、握られたままだった手に力が込められたからだ。自身に向けられている視線が、何故かいつもと違うように感じる。


 ローガンはいつも、オフィーリアを優しく見守ってくれていた。ふざけたり、からかったりもするが、ローガンはいつだって鷹揚に構えている人だ。今みたいに、しつこく言い募ることもない。


 オフィーリアは、じわ、と首元から上がってくる熱に困惑した。もしかして、いや、でも。



「そんなこと、今まで一度も」

「言えるはずがない。君は公爵令息の婚約者で、君自身もその立場をわきまえていた。私が愛を伝えたところで、それこそ、幼い君に告白されたあの時の私よりも困っただろう?」

「それは……」

「結界を張る為の修業がつらくて泣いてばかりいた少女が、どんどん美しく完璧な聖女様になっていって、それなのにずっと変わらず自分を慕ってくれる。……君のような魅力的な人にそこまで想われて、心が動かない訳がない」



 頭どころか全身が熱く、心臓の音がひどく煩い。どこか酩酊しているような気分を味わいながら、オフィーリアはまた俯く。考えがまとまらなくて、座っているのに足元がふわふわとしておぼつかないのだ。



「こればかりは、信じてくれと言うほかない。愛している、オフィーリア。これからも君の一番近くにいさせてほしい。今度こそ、邪魔者を挟まずに」

「……邪魔者ってパトリックのこと?」

「ああ、奴は全く以て邪魔な男だった」



 オフィーリアは、ちらりと横目でローガンを見た。忌々しそうな顔を隠そうともしないローガンに、オフィーリアは少し笑ってしまいそうになる。


 ローガンのその顔を見て、どうしてだかオフィーリアは確信をした。ローガンは、パトリックごときに嫉妬をしてしまう程度には、オフィーリアのことを想っているのだと。


 さっきまでの惨めさなど、もうどこにもない。オフィーリアは、自身の中に確かにあった卑屈さが解けていくのを感じて顔を上げた。



「本当に嘘じゃないんですね、信じてしまいますよ?」

「無論だ、後悔はさせない」

「貴方に裏切られたら最後、わたくしもすぐ力を失いますからね」

「天地がひっくり返ってもないから安心するといい」



 ローガンが握ったままだったオフィーリアの手を取り、そこに口づける。オフィーリアはそれをぼんやりと眺めて、ほう、と息を吐いた。



「……わたくしのような子どもは、ローガンにとって恋愛対象でないと思っていました」

「私こそ。いつ君が私のことをおじさんだと言って嫌がらないかと、ひやひやしていた」

「そ、それこそあり得ません」



 オフィーリアが辛い聖女の修業に耐えられたのも、パトリックからの心無い仕打ちにあまり傷つかないでいられたのも、ローガンが傍にいたからだ。常に励まし、支えてくれたローガンがいたからこそ、オフィーリアはここまでやってこれた。


 だからこそ、幼い時に抱いた淡い想いをずっと捨てきれずにいたのだ。ローガンはいつだって、オフィーリアにとっての特別だった。受け入れてもらうことも、叶うことも決してない無意味な想いだからこそ、分別がついた頃に丁寧に隠してまで大切にしていたのだ。嫌がるなんて、それこそあり得ないことだった。


 そこまで聞くと、ローガンは機嫌よさげににんまりと笑う。



「今後は大手を振ってオフィーリアのエスコートができると思うと、今から胸が躍る気分だ」

「今までだって、ほとんどローガンがしていたじゃないですか」

「“ほとんど”は“完全”ではない。奴がドラド公爵に厳命されて教会に現れる度にいつも八つ裂きにしてやろうと――」

「それ以上、物騒なこと言わないで!」



 オフィーリアは焦ってローガンの口を塞いだ。ああ、そうだ、忘れてはいけない。オフィーリアの聖騎士は、かなりの過激派だ。聖騎士の手綱を握れるのは、聖女と教皇のみ。これからもしっかりと目を光らせる必要があることを、オフィーリアは自覚した。


読んでいただき、ありがとうございます。

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