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2,リリアン・カレンドュラはまだ少女である

 リリアン・カレンドュラ。知らないふりをしてはいるものの、オフィーリアは彼女のことをとっくに調べ上げていた。年のわりに、こんなにも幼さが色濃く残る少女だったことには驚いたが、それでもリリアンの口から自身が何者であり、何をしたのかを語らせる必要があるのだ。



「その通りです、子どもの頃は体が弱くて……。ですが、最近は調子がよいことが多くなり、十六歳になる今年、王都にやって来ました」

「社交界へは?」

「まだ誕生日が来ていないので。……お友だちもいないから、ティーパーティーにも呼んでもらえず。そんな時にパトリック様にお会いする機会があって」

「あら、どうして?」



 そう、そもそもパトリックとリリアンが出会うことがおかしいのだ。カレンドュラ公爵家とドラド公爵家は元々仲が良いとは決して言えない間柄であり、更には未成年のリリアンを評判の悪いパトリックと引き合わせるなんて家族が許すはずがない。まだ、十五歳で社交界に出ておらず、交友関係も乏しいリリアンがパトリックに会える機会など本来ならありはしないのだ。



「いつかの夜会で姉が落としたハンカチを、わざわざパトリック様自ら届けてくださったのです。その時は屋敷にわたくししかいなかったものですから、おもてなしをさせていただいて、それから……」



 ああ、呑気に頬を染めている場合ではないのだ、とオフィーリアは頭を抱えそうになったが、それをあざ笑うようにローガンが横から口をはさむ。



「ああ、パトリック君が、世間知らずで幼気な貴女に言い寄ったと」

「ち、違います、聖騎士様! あたくしが世間知らずであることは否定はしません、でも、パトリックはそんなあたくしにも優しくしてくれて、いろんなことを教えてくれた優しい方なんです!」



 これは何とも。オフィーリアはまたもや頭を抱えるのを我慢しなければいけなかった。ローガンにいたっては鼻で笑ってしまっている。しかしリリアンたちは、そんなオフィーリアたちにはお構いなしに手を握りながら頷き合っていた。


 恋とは人を愚かにする。これは昔から言われてきたことであるし、オフィーリアだって分からなくもない。けれど、盲目すぎる。パトリックはもう救いようがないので割愛するとしても、やはりリリアンは貴族令嬢としてあまり教育を受けていないようだった。



「貴女、ご自身のお姉様やお兄様たちに、パトリックは止めておきなさいと言われませんでした?」



 カレンドュラ公爵家には、リリアンを含めて四人の子どもがいる。末っ子のリリアンから見て、姉二人兄一人。オフィーリアはリリアンの姉の一人とはよく話をする仲で、病弱で夢見がちな末っ子の話は何度か聞いたことがあった。この一件が明るみになってから彼女の責任ではないのに、何度も謝罪を受けている。



「……言われました。パトリック様は聖女オフィーリアの婚約者で、恋多き人だからって。でも、それでも、こんな病弱で何もできないあたくしに優しくしてくれたんです!」

「貴女のご家族は貴女に優しくないの?」

「そんなことはありません! 家族はとても優しくて――」

「つまり、病弱で何もできない貴女に優しいのは彼だけではないということよ?」

「……そ、それは、家族だから」

「わたくしは血が繋がっていようと不仲な人々をよく知っています。家族だからというだけで、優しくなれる訳ではありません。貴女は家族に優しくないの?」

「そ、そんな、ことは」

「家族が貴女に優しいように、貴女も家族に優しくしてきたはずだわ。それがどうして“何もできない”になるのかしら」



 リリアンの瞳が、徐々に泳ぎ始める。それはそうだろう。リリアンには、強い意志も信念も初めからないのだ。パトリックが優しくしてくれて、自分を好きだと言ってくれた。初めての恋を反対され、更には聖女という大きな壁があって、まるで物語の世界に迷い込んだ気分だったのだろう。


 つまりは、それだけだ。若い恋を否定はしないが、恋だけでは生きていけないことを、リリアンはまだ知らない。恋だけで生きていこうとするならば、とんでもない覚悟が必要だ。そしてそんなことも分かっていない。自分の恋は、いつか祝福されるものだと信じ切っている。だからこそ、この程度の問答で言葉が返せなくなるのだ。



「……聖女様には分かりません。ずっとベッドの上で横たわっているだけの生活なんて」

「あら、わたくしは貴女と違って血を吐くまで結界作りの修業をしたことがありますが、その後、半年ベッドに横たわっているだけだったことがあるわ」

「ぇ?」

「動くことも出来なくて、ずっと朦朧として、身支度どころか食事も排泄も人に頼って生死をさまよいました。長く伏せていたのはその時だけだけれど、他にも何度か死ぬ思いはしてきましたよ」

「あの時は大変でしたね。パトリック君は見舞いにも来なかったから知らないでしょうが、教皇猊下がいきなり三日三晩飲まず食わずで祈禱をしだしたり、国王陛下が国内外から医者を集めたりで」

「ローガン、それ以上は結構です」

「これは失敬」

「……」

「まあ、不幸比べは意味がありませんので、この辺にしておきましょう」



 リリアンはすっかり縮こまって、ぎゅっとドレスを握って視線を落としてしまった。不幸自慢で、今まで負けたことがなかったのだろう。「可哀想ね」と言われるのに慣れているのだ。そして、その後には「大変だったでしょう」といろいろ融通をしてもらっていたのだろう。オフィーリアにも少し覚えのあることで、時々には都合よく使わせてもらっていることだからよく分かる。


 しかし、不幸比べには本当に意味がないことをオフィーリアはもう知っている。オフィーリアはそれを、物心つく頃には理解していた。不幸などありふれていて、大変な思いなど皆がしている。自分の方が、などと訴えるのはひどく虚しいことなのだ。


 オフィーリアは気を取りなおして、できるだけ明るい声でリリアンに話しかけた。



「そうね、そこにいるパトリック・ドラドについて、わたくしの知っていることをお伝えします。そして、わたくしが彼のことをどう思っているかも。ですが今から話すのは、あくまでわたくしの主観です。それを聞いた上で、貴女は貴女の判断をなさって」



 リリアンはおそらく、パトリックがどういう人間なのかを知らない。そうでなくてもまだ十五歳だ。二十三歳のオフィーリアから見たリリアンは、どうあってもまだ子どもだった。同年代の少女たちよりも幼い顔立ちの愛らしい少女が初めての恋に振り回され、騙されているのを見るのは気分が悪い。


 状況が状況なだけに、オフィーリアが親身になって味方をすることはできない。けれど、そうであるからこそ、リリアンにも今のこの状況がどういうものなのか正確に教える必要はあった。


 一瞬だけ、パトリックがオフィーリアに対して抗議するかのように腰を浮かせたが、ローガンのひと睨みでそれは制された。



「ああ、そうだわ。まず初めに、リリアンさん? 聖女について貴女はどのくらいの知識をお持ちかしら?」

「我が国の主神である女神様の代理人であり、悪しき魔獣を退ける結界を張れる尊いお方だと」

「そう、そして、今代の聖女はわたくしオフィーリア・エクセルシオール。エクセルシオールは代々聖女が名乗る苗字で、わたくしの元々の生家の名前ではありません」

「はい……」



 リリアンは突然始まった講義に戸惑いながらも話を大人しく聞いている。うんうんと頷くローガンを横目に、さすがにこの程度の教養はあるのかとオフィーリアは安心をした。



「更に、聖女はほとんど平民から見出されますが、保護の名目で王族または侯爵位以上の高位貴族との結婚が義務付けられています」

「ぎ、義務なんですか?」

「義務です。聖女が危害を受けないよう、教会と貴族が手を取り合って国を守って行けるように作られた義務です。つまり、わたくしとパトリックの間には愛などありません」



 そこまで聞いたリリアンの頬がぱっと赤らんだ。そうして大きな期待と多少の憤懣が易々と感じ取れる瞳のままに、オフィーリアに対して口を開く。



「では、パトリック様でなくてもいいのではないですか? どうしてパトリック様を縛り付けるんです!?」

「ええ、教会としても、わたくしとしてもパトリックでなくても結構」

「では!」

「ですが、これはわたくしが決めたことではありません。しかしそうね、確かにパトリックが望んで決まったことでもありません。では、リリアンさん、このわたくしと彼の婚約を取り決めたのは誰かご存じ?」

「……国王陛下です」



 少し黙った後に、リリアンはそう言った。まるで叱られている子どもだ。本当にリリアンはまだ少女なのだ。オフィーリアはため息を我慢して、にこりと微笑んだ。



「そうです、よくできました。では、この婚約について誰にお願いをすればいいのかお分かりですね?」

「でも、陛下が会ってくれるはずがありません!」

「あら、わたくしなら会えると?」

「それは、だって、貴女はパトリック様の婚約者で」

「わたくしは、この国で国王夫妻に次ぐ地位を持っています」



 オフィーリアはゆっくりと、言い聞かせるようにリリアンに語り掛けた。リリアンが主張したのはまるで子どもの理屈であったからだ。本人もそれが分かっているからこそ、語気が弱くなっている。


 大人であっても権力を持つ人であれば、自身の都合の良いように道理を捻じ曲げる人がいることをオフィーリアは知っている。良いか悪いかは別とした話である。けれど、それが通じるのは自分より地位の低い、もしくは弱みがある人にだけだ。


 この場に、オフィーリアより地位の高い人間などいない。そしてオフィーリアには脅されるような弱みもない。それを、リリアンもパトリックも理解できていないのだ。



「王太子殿下でさえ、わたくしと同等なのです。わたくしは聖女で、パトリックと貴女はただの公爵家の子ども。どちらの地位が高いかは問わずとも分かりますね? ですが確かに貴女の言った通り、わたくしと彼は婚約関係にありました。だから、わざわざ、聖女であるわたくしが、公爵家まで出向いたのです。とってもとっても久しぶりに、公爵家でもてなしたいと言われたので」



 オフィーリアは何も、『公爵家でもてなしたい』という手紙を信じた訳ではない。ああ、今日なのかと思っただけだ。オフィーリアは随分前からこの日の為の準備を行っていたから、特に慌てもしなかった。ついでに、ローガンが念入りにウォーミングアップをしていたのは見ないふりをした。


 しかし、オフィーリアが分かっていたからと罪が消えることはない。罪は罪だ。


 そこまで聞いて、やっと自身の起こしたことが大変なことであると自覚しだしたリリアンは顔を真っ青にしながら、またドレスを掴み視線を落とした。リリアンの癖なのかもしれない。分かりやすいので、社交界に出る前に直すべきだとオフィーリアはぼんやり思った。



「貴方たちは“聖女”を虚偽の手紙で呼び出した上に、聖女の管轄でない婚約の話を持ち出し、脅しをかけているんです。……自覚はおあり?」

「脅しなんて! あたくしたちはお願いをしたくて……!」

「では、なおのこと、わたくしでなく国王陛下に申し上げるべきでした。陛下に謁見することは難しいことです。ですが、貴方たちは二人とも公爵家の人間。ご両親にお願いすれば、あるいは叶ったのでは?」



 正論は、時に人を傷つける。それを分かった上で、オフィーリアはあえて正論をリリアンにぶつけた。その必要があったから。



「お父様たちに言える筈ありません! みんな、あたくしたちのことを反対しているのだから!」

「その反対を説得できない程度で被害者のふりをされても困ります」

「ひ、ひどい、そんなふうに言わなくたって……!」

「そこで泣かない。言わせているのは貴女です」



 オフィーリアに注意されても、リリアンは涙を止めることができない。ハンカチを取り出し、わっと泣き出すリリアンに、オフィーリアは軽く眩暈を覚えた。


読んで頂き、ありがとうございます。

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