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5話

 目覚めて、泣いて、日記をつけた。

 日付けは9月21日。ミュリエルのささやかな抵抗虚しくハリスは死んだ。やっぱり小手先の技は通用しない。やるならもっと大きく動かさないとダメだ。


 例えハリスと離れることになっても、彼が死んでしまうよりはずっといい。そう自分に言い聞かせて、ミュリエルはあることを決心した。



 ◇



 次の日の朝、ミュリエルは父の待つ朝食の席へ向かった。このところ毎朝目元が腫れているが、そこはうまく化粧でごまかしている。


「おはようございます」

「ああ、おはよう」


 父は普段通りだ。特に会話もなくカチャカチャとカトラリーの音が部屋に響いた。正直、父親が怖い。夢を見る以前は娘を溺愛する優しい父親だと思っていたけれど、今は何を考えているのかさっぱりわからない。


「お父様、ひとつお願いがあるんですけれど」


 ある程度食べ終えてから話を切り出した。声が震えるけれど、どうにか平常心で口を動かす。


「私とハリスの婚約、解消してくれませんか」


 視線をテーブルに落としたままはっきりと告げた。父ダーレンが息をのんだ。


「……理由を聞こうか」


 声音が嬉しそうだ。気のせいかもしれない。


「彼が気に入りません」


 うそだ。本当は好ましく思っているし、死んでほしくなくて無様に足掻いている。でもミュリエルの婚約者である限り危険に晒されてしまうのだ。だったら婚約を解消すれば彼は死なずにすむ。


(これしか思いつかない……)


 ハリスと結婚はできない。それでも彼が生きてくれたら。夫ではなくても、ミュリエルに笑いかけてくれたらそれでいい。


「わかった、おまえの意思を尊重しよう。まったく、仕方がないお姫さまだ」


 ダーレンの声は明るく、了承の言葉はミュリエルの心にぐさりと矢を立てた。だけどハリスが受けた痛みを思えばどうってことない。あの悪夢を終わらせるために耐えるだけだ。


 顔をあげると、実に機嫌が良いダーレンがいた。


 もしかしたらハリスを殺すよう仕向けたのはダーレンかもしれない。疑念はずっと頭に付きまとった。


 そうしてトントン拍子に婚約は解消の運びとなった。側近たちは新たな婚約者をと言っているみたいだが、父ダーレンは一向に聞く耳を持たない。執務室からは怒鳴り合う声がよく漏れていた。


 痺れをきらした役人からミュリエルからも言ってやってくれと口添えを頼まれたが、そんな気分にはならない。また殺されるかもしれないし、ハリス以外と結婚するなんて今は考えたくない。


 それでも月日はちゃんと流れて収穫祭を間近に控えた10月13日。廊下を歩いていると、その先で口論が聞こえてきた。執務室の扉が開いており、ドアノブに手をかける所を呼び止められたダーレンがそのまま誰かと言い争っている。ミュリエルは壁に身を寄せて聞き耳を立てた。


「おまえ達の顔を立てて一度は婚約を結ばせた! もういいだろう、ミュリエルは心ない婚約者のせいで傷ついている」


 何を言っているのかはじめは理解できなかったけれど、どうもミュリエルの婚約のことを言っているようだ。


(……私が傷ついている? ハリスのせいで? どうしてお父様はそんなことを言うの)


 むしろ傷をつけたのはミュリエルの方だ。何の非もないのに一方的に解消したいと申し出たし、その事でハリスの立場が悪くなった。密かに胸を痛めていただけに父の言い分が信じられない。


 言い合う声が聞こえる。ダーレンをひと際攻めているのはトビーのようだった。


「所詮、あなたは入婿。正式なベイクウェル家の後継者であるのはソフィア様、そしてミュリエル様だけだ。あなたが領主の椅子に座れるのはソフィア様のご意向を汲んでのこと! そこを夢々忘れないで頂きたい」


 そこからは激昂した父が、汚い言葉で相手を罵ったり、もう城へ来なくていいと脅したりと、とても聞いていられなかった。早足でその場を去ると、玄関ホールを掃除するアンを見つける。


「アン、お願い。少し城から出たいの。外に連れて行って」


 しゃべってから気がついたが、ミュリエルは泣いていた。アンは苦しそうに顔を歪めると、一枚のハンカチを差し出し「涙を拭いてください」と優しい声をかけた。


「準備してくるので少々お待ちくださいね」


 そう言ってアンは飛んでいき、玄関ホールに残されたミュリエルはありがたくハンカチを使わせてもらった。婚約を解消してからハリスには会っていない。なぜだか今、彼の腕に抱かれたかった。大丈夫だよって慰めてほしかった。


 届かない人を想って、ミュリエルはさめざめと涙を流した。



 ◇



 アンは城内にある畑を抜けて、小川が流れる静かな場所に連れてきてくれた。ミュリエルはありがたく小川の側の原っぱに腰を下ろす。その顔は泣き腫らしてとても見せられるものではなかった。


「ごめんなさいアン、仕事中だったのに」

「お嬢様に誘われたのならこれも仕事です。ところで、何をそんなに悲しまれているんですか。アンでよければ聞きますよ」


 何もかも全部言ってしまいたかった。繰り返し夢を見ること。ハリスが死ぬこと。夢を変えるために行動をしていること。だけど誰が信じてくれるんだろう。自分でも頭がおかしいと思っているのに。


 そう考えていたら、ふと父のことが頭によぎった。今、いちばん怖いのは父ダーレンだ。


「——お父様が怖いの。何を考えていらっしゃるのか、私にはわからない。さっきも部下と激しく口論なさってて……」


 思い当たる節があるのか、アンは「あー……」と気まずそうに頬を掻いた。


「ダーレン様ですね。確かにこのところご様子がおかしいと感じる事があります」


 詳しく聞いてもいいのだろうか。しかし声に出さずとも顔に出ていたようで、アンは内緒話をするようにこっそり教えてくれた。それはとても不穏なものだった。


「いろいろあるのですが、一番はお嬢様に対する執着が常軌を逸していることです。このままではいずれ、お嬢様の身に危険が迫るのではと不安になる時があって」

「それは、いったい……」

「お嬢様もそれが怖くて以前わたしに声をかけられたんだと思い、こっそり調べていたのです。体と同じで心も病むことがあると聞きますし、領主のお仕事をされていたら心労も大きいでしょう。だから体の不調とか、飲まれているお薬とか、仕事仲間にこっそりと聞いてまわったりしてました」


 知らない間にアンは調べてくれたようだ。あの時に父のことで悩んでいると思われたのは意外だけど、今はそれがありがたい。もしかして気付いていないのは自分だけで、周りは早くからダーレンに不審を抱いていたのかもしれない。そう考えるとミュリエルの背筋に寒気が走った。


「でも確実にこれという事実には至りません。お薬は飲まれていますが、お医者さまが用意した頭痛を治すものですし」


 もう少し探ってみると言ってアンだが、無理はしないようにと重々言い聞かせた。


 事件が起こったのは、その日の夜だった。

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