4話
ハリスと別れると町のあちこちを見たり人々に話を聞いて回った。ミュリエルたちを襲った男がいないか。もしかして領主の一族に悪感情を抱いている人間がいるかもしれないと、世間話ついでにそれとなく聞いてみる。しかし結果はおもわしくなかった。
しょんぼりとしながら城へと帰る。すぐに犯人がわかるとは思っていなかったが、なんにも成果が得られないと余計に疲労を感じる。
別れ際、共にしたアンに職場と家に土産を持たせるとたいそう恐縮した。
「いくらなんでもこれは頂きすぎです」
「いいえ、もらってちょうだい」
職場にはかわいい飴の詰め合わせ、アンの家にはパンや卵などの食材がカゴいっぱいに詰まっていた。ミュリエルが買い、アンが持ち歩いていたものだ。
「ねえアン。もしもの事が起こったら私に味方してほしいの。こんなことくらいじゃ全然足りないけれど」
「お嬢様……」
変なことを言っている自覚はある。物でつる自分に軽蔑しただろうか。恐る恐る顔をあげると、アンはにこりと笑顔を浮かべていた。
「今日は弟たちにお腹いっぱい食べさせてあげられます! お嬢様はこれくらいじゃって言われますが、それなら私は頂いた分きっちり御恩を返そうと思います」
私はお嬢様の味方です、と胸を張って言ってくれるアン。嬉しくて、情けなくて、思わず涙がこみ上げてきた。
◇
アンと城の入り口で別れた。あの行動が正しかったのかわからず、今でも胸がもやついている。これじゃアンの手を汚させた者と変わりないのではという疑念が消えてくれない。
ハリスはきっと何者かに命を狙われている。高い殺意に晒されて、なぜだか私の目の前で死んでしまう。まるで見せつけるようだ。誰が何の為にやっているのか。裏で糸を操っている者と実行犯は恐らく別だ。アンのように弱みを握られたりお金を積んでるに違いない。
ハリスはどうして狙われるのか。
それは恐らくミュリエルの婚約者であるからだ。
この領では女子にも継承権は認められており、婿を宛がって次代を指揮する。本人にやる気があるなら女領主にもなり得るのだが、だいたいは夫を立てて影からサポートをしていた。
ミュリエルはひとり娘だ。
亡き母が同じようにベイクウェル家の長子だった為に、夫としてダーレンを迎えた。妻を亡くしたからと言ってダーレンは後妻をとることはできない。もし新しく妻を迎えるのなら領主の座を明け渡さなければいけないし、新しく子ができたところでその子に継承権はない。ひとり娘という肩書きは消えることがないのだ。
だから皆その夫になる者に注目する。ハリスがいなくなればまた誰かがその座に座るだろう。
もしミュリエルが未婚のまま領主の座を継ぐことになる場合、おそらく母の妹夫婦の子ども、つまり領主の血統に連なる従兄弟が手厚くサポートをすることになるだろう。次男のハリスが婚約者となった経緯もここにある。ただなぜ兄のトビーではないのか、とミュリエルはふと思った。
(歳が離れてると言っても五つくらい。それくらい普通だわ。それにトビーはお父様の側近で信頼もあるし、今後領主の仕事をするのになんら不都合はない)
むしろ婿としての条件が完璧すぎる。
なのになぜダーレンはハリスを選んだ?
「——今日、町でウィギンスの次男坊と会ったそうだな」
突然の声にびくりと肩が揺れた。そういえば、夕食を父と二人でとっている最中だった。考え事に集中していたらしい。
父ダーレンが言っている次男坊とはハリスのことだ。自分であてがった婚約者なのに、それが気に入らないとは困ったものだ。
「ええ。まさかお会いするとは思いませんでした」
「楽しそうに喋っていたと聞いたぞ」
「婚約者ですもの。つもる話もあります」
「……ふん」
その時、頭に引っかかるものがあった。
「お父様は……なぜハリスをお選びになったのですか」
「ちょうどよかったからだ」
「私が結婚するのは嫌だと仰っていたのに」
「ああ嫌だとも。おまえが誰かのものになると考えただけでこの身が引き裂かれんばかりだよ」
別に結婚したからと言って誰のものになるわけじゃない。それに娘の幸せを全くと言っていいほど考えていない。父にいささか腹が立った。
「私たちの結婚を祝福してくださる?」
「それはどうかな」
やはり、腹が立つ。
「それにしても、おまえはソフィアそっくりだな。若かりし頃の彼女が目の前にいるみたいだ」
父の手が伸びてミュリエルの頬を撫でた。その仕草にぞくりと背筋が粟立つ。なぜだろう。でもダーレンの目も怖かった。まるで目の奥が沸騰しているように視線に熱がこもっている。
「……私、お母様じゃありません」
父の手を振り払い、がたりと席を立った。無作法だがもうこれ以上父と一緒に食事をしていたくない。自室へ戻ると扉を勢いよく閉め、その場に座り込む。
あれは何だったのか。薄ら寒い空気が全身を包んでくる。しばらくそのままでいるとコンコンと扉が叩かれた。父かと思って身を固くするが、聞こえてきた声は違う人のものだった。
「ミュリエルお嬢様、トビー・ウィギンスです」
ハリスの兄だ。きっと父が寄越したに違いない。そう思って「ご用はなに」と扉越しに返事をする。
「ダーレン様が様子をお嬢様の見てこいと仰って。何かありましたか?」
ハリスに似た優しい声だった。ミュリエルは立ち上がって扉を開けるとトビーを招き入れた。彼は若いながらに父の側近を務め、その信頼も厚い。どうしたのかと聞かれて答えに困った。ハリスのことを邪険に扱うし、母のようだと異性に触るみたいに撫でられた。でもそれを口にしていいものか迷う。少し悩んでミュリエルは口を開いた。
「……だってお父様、ハリスとの結婚に乗り気じゃないんですもの。ご自分でお決めになったのに、あんまりだわ」
「それはそれは」
トビーは苦笑をもらした。
「ねえトビー。お父様はどうして私に婚約をさせたの? すごく嫌がってるのに」
なぜハリスなの、とは聞かない。そもそも父はあの通り結婚してほしくなくて、ハリスはその妥協だ。だったらその背景をもっと聞いた方がいい。
「それは領主である責をお感じになったからです。お嬢様がご結婚なさらないのはベイクウェル家の血筋を絶やすことと同意義。いくら娘が可愛かろうとそれを無しにするのは領主としてありえません」
トビーがきっぱりと言いきった。
「婚約者をお決めになったのもここ数ヶ月のことですし、遅いと責められても文句は言えないでしょう。私を含めて周囲の人間はずっと以前から説得していましたから」
さんざん周囲が説得して父はあの調子なのか。何も制約がなかったら本当に嫁に出さなかったのかもしれない。ミュリエルは気持ちが重たくなった。
「その昔よりベイクウェル家は奇跡を起こす特別な存在と言われています。血を絶やすなど言語道断。ミュリエル様の代になっても真摯にお仕えする所存でありますので、不肖の弟共々、よろしくお願いいたします」
そう言ってトビーは涼やかに笑うと軽く頭を下げ、部屋から出て行った。彼いわく、領主として仕事をしろと周囲に言われてようやく重い腰をあげた。しかし収穫祭で婚約者であるハリスはことごとく殺されてしまう。
父はちょうどいいと言っていた。
歳も近くてハンサムだし、ミュリエルはその人柄にも好感を覚えている。そしてウィギンス家の次男であるので、婿入りしても長兄であるトビーが家を継ぐので問題はない。最悪、あの収穫祭で殺されても実家には影響なく、ただミュリエルの婚約者がいなくなるだけだ。代わりはまだ探せる。
……つまり、いなくなるのに『ちょうどいい』?
◇
その日見た夢でもハリスは殺された。悪漢から彼を守ろうと隠し持っていた小さなナイフを構えたけれど、ミュリエルは悪漢に突き飛ばされた。体は簡単に舞台の上を転がり、おぞましい剣はハリスの胸を貫いた。
痛む体を引きずりながら血まみれのハリスに縋り付く。周囲に人間が集まってきて、ミュリエルを安全な場所まで連れて行こうとするけれど、それらを振り払いハリスの名を呼んだ。だけど一向に目を開けてくれない。また死んでしまった。何度経験しても耐えられないし、今度こそはと信じる気持ちが踏みにじられる。
ミュリエルは涙で顔を濡らしながら、ふと気になって来賓席を見た。
そこには不気味な眼差しを送る父の姿があった。