11話
時をいくらか遡る。
町の広場にてアンが薬を手に入れたことを知ると、三人で医者の所へ持ち込んだ。薬の成分を見てもらうためだ。大きな都に比べるとこの辺りの精製技術はまだまだ甘く、多くは生薬になる。
「先生、頭痛のお薬らしいんですけど、本当にそうなんですか?」
ミュリエルは先生に詰め寄るが、老いた医師はまあまあといなすと薬包を開いて粉末状のそれをぺろりと舐めた。薬粉を広げてレンズで覗いたり、水に溶いて火にかけたり、よくわからない紙片をその中に入れたりしてようやく見解を言ってくれた。
「そうさなぁ……これを何と言って相手に渡しとるかは知らんが、こりゃ非常に強い痛み止めだ」
医者は厳しい目付きでミュリエル達を見やった。
「おまえさん達、これをどこで手に入れた」
「私の父の薬です」
「……領主様のか?」
ミュリエルたちは最近ダーレンの様子がおかしいことを相談した。
「ちょっと待て。そしたらなんだ、領主様はこの薬を服用されているのか?」
アンがこくこくと頷いたが、それを見て医師が顔を真っ赤にしてぶるぶると震え出した。
「いかんいかんいかん、城の医者は何をやっとるんだ! 領主様はそんなにお加減が悪いのかっ!?」
三人は顔を見合わせた。ダーレンはどこか様子がおかしいと思うが、ひどく容態が悪いとは感じていない。顔色で察知したのか、老医師は早口でまくし立てる。
「世の中には強い痛みを放つ病がある。それは吐き気をもよおし、地面にのたうち回るほどの痛みだ。この痛み止めはそんな症状を抑えるような強い薬だよ。死ぬ間際に飲むようなもんだ」
そしてさらに、この薬は服用を続けると幻覚や幻聴に悩まされたり、思考力が格段に落ちるという。最悪の場合、自我の喪失や死につながるとも。
「領主様のご家族は血の巡りが悪いんだ。わしが診ておったからな。親がその病で倒れると子どもも似ような病気になりやすい。それは受け継いだ体質などが似ているからだ。ひどい頭痛や手足が痺れの症状が出たら気を付けねばいかん」
この薬は痛み止めではあるものの、処方するならもっと違うものにすべきだと言う。老医師はミュリエルにダーレンの普段の様子を聞くと、大きく肩を落とした。
「領主様に必要なのは血の巡りをよくする薬だ。痛み止めも必要だが、もっと根本的な対処をしないと。これじゃますます体を悪くするばかりだ」
蒼白になったミュリエルをよそに、医師はさらに続ける。
「血っていうもんは流れ続けることで人の体を支えている。そこが詰まってしまったらダメだ。いきなり倒れて即死も十分にある。そこから助かったとしても体の半分が動かなくなるというケースもあるんだ。そうなったら人の助けなくては生きていけない」
診療室に沈黙がおりた。
この医師の言うことが本当ならダーレンは薬の作用と持病、二つの爆弾を抱えていることになる。
◇
「城の医者はあなたの手先なのかしら。それとも世話係を丸め込んだ? まあ、あなたは死のうが狂おうがどっちでも構わなかったのよね、トビー?」
ミュリエルは冷たい目でトビーを見下ろす。
「申し訳ありませんが、何をおっしゃられているのか理解できかねますね」
トビーは不服だと言わんばかりに立ち上がり、そして不遜な笑みをにっこりと浮かべた。
「先ほどは父上を思われるお姿に大変感服したのですが、お嬢様も少し休養が必要なのでは?」
「兄上、ご自分の胸に手を当ててみてはどうか」
ミュリエルを侮辱されハリスが噛み付く。
「黙れ、愚弟めが。例えその薬がミュリエル様の言う通りだったとして、どうして私が疑われることになる。……くく。ほら、何も言えまいよ」
今にも飛びかかりそうなハリスを手で制し、代わりに口を開いたのはミュリエルだった。
「私も父もいなくなれば、おのずと次の領主はおまえになるわ。私は知っているのよ。いざとなれば弱い立場の者を脅し、弟ですら始末しようとするその野心を」
確固たる証拠はない。しかし考えつく先にはこの男がいるのだ。
気丈に構えて堂々と。か弱いお嬢様と思われてはダメだ。相手に付け入る隙を与えてはいけないと気合いを入れた。領主の座から下ろされた父は遠く離れた地で自殺し、脅威が去ったはずなのに何者かの策略によりミュリエルたちは命を落とした。父ではない誰かがいるのだ。ぎりっと奥歯をかんだ。
「別におまえがやったという証拠をご丁寧に突きつける必要はないのよ。なぜなら私はミュリエル・ベイクウェル。——おまえの首を切るとこの場で宣言するだけで事足りる」
威圧的に言い放つとその場にいた全員が押し黙った。さあ、どう出る。ミュリエルの険しい視線がトビーだけに向く。彼は下を向き肩を震わせ小さく笑っていた。ゆらりと視線を上げると、獲物を狙う蛇のような目つきでミュリエルを見つめる。
「……痴れ者が。ぴーぴー泣いて愚かな弟にすがっていれば隠居ぐらいさせてやろうと思っていたのに」
トビーが小さく甘ったるい声で囁いた。
ついに本性が出た。ミュリエルは握った手に汗をかきながら目の前の男を睨みつける。膝は小さく震えているけれど、自分を叱咤し一歩だって引き下がることはしない。
「うそね。ほとぼりが冷めれば隠居する屋敷ごとあなたは燃やすわ。私を殺した上で放火したとハリスに罪をなすりつけもするかしら」
「ほう、私のことにずいぶんお詳しいようで」
やはり、この男だったのだ。
トビーは演劇でもするような大げさな身振りで嘆いた。
「ミュリエル様は父親同様、気が触れたようだ! まことに遺憾ながらこのトビー、ミュリエル様を無限の牢獄から救って差し上げる!」
瞬く間に警備から剣を取り上げるとミュリエルに襲いかかった。しかしそれをハリスがすぐさま受け止める。尻尾を出したトビーは必ずミュリエルに危害を加えると思い、ハリスはずっと警戒していたようだ。
「ミュリエルに手出しはさせないっ」
「ふん、出来損ないの貴様がこの兄にかなうものか。勉学も剣術も血筋も、すべて貴様は二番煎じよ! あんな小娘の相手に選ばれたからと調子に乗るな!」
トビーは剣を振りかぶり反動をつけて勢いよく打ちつけるが振りが大きい分軌道も読みやすい。ハリスはそれを何度も振り払った。
一方ミュリエルはハリスの身を案じつつ、トビーの言葉に引っかかりを覚えた。吐き捨てたけれど言い換えれば婚約が妬ましいとも聞こえる。父はあの傲慢さを知っていてトビーを選ばなかったのか。
一連の黒幕が全てトビーなのか、それはわからない。ダーレンが関わっている可能性もないとは言い切れないのだ。しかし良き領主に固執する父が、アンを利用するだろうか。立場の弱い領民を苦しませるだろうか。
婚約を解消してからの変貌は本物だったがあれは部下との言い合いなどでストレスが重なり症状が悪化していた可能性が高い。
突然バリンッと陶器が砕ける音がした。
「ハリス様はお優しいわい!! 母さんが言ってたぞ、強い男より優しい男と結婚した方がいいって! 私の父さんもすごい優しいっ!」
トビーの後頭部めがけ、アンが壺を投げつけたのだ。トビーはぐらりと頭を揺らすとその場で膝をついた。その隙にハリスが剣を蹴り飛ばし、抵抗できないように首筋に剣を突きつける。
「警備兵、ボサっとするな! 取り押さえろ!」
決着はついた。その場でトビーは手足を拘束され、床に転がされる。布で口を塞がれ、その滑稽な姿を見てミュリエルは意趣返しとばかりに声高に叫んだ。
「ハリスの方が、あなたなんかよりもずーっといい男よ!!」
◇
息抜きに城の庭へ出ると二人でベンチに座った。あれから数日経つ。トビーを拘束し、周囲への聞き取りや身辺調査をするうちに証拠が集まってきた。祭りでのハリス殺害は未来のことになるので分からないが、少なくとも領主ダーレンへの反逆は間違いない。処遇はこれから決まる。ハリスにとっては実の兄だ。どう思っているだろうと重い気持ちで覗き込めば、その横顔はいくらか寂しげだった。
「兄は人の道を外れてしまった。その責任は取らなきゃいけない」
ミュリエルはハリスの手に自分の手を重ねた。なんと言葉をかけてよいか考えあぐねていると、ハリスがその手をしっかりと握ってくれる。
「ありがとう、ミュリエル嬢」
その柔らかな笑顔が心を強く揺さぶった。いろんな想いが胸から溢れて顔が熱くなってくる。
「ミュリーって呼んでもいいけど」
「あ、いや、それは」
赤くなって言葉に詰まるハリスを見て、思わずミュリエルに笑みがもれた。繋いだ手が熱を持つ。
どうしてハリスが死ぬ夢を見続けたのか、その理由はわからない。亡くなった母の願いか、脈々と受け継がれた領主の血筋がなした技か、それとも本当にただの偶然か。
これからも大変なことはたくさんあるだろう。それでもミュリエルの隣にはハリスがいる。城のみんなもいる。
ふたりとは言わず、みんなで生きる世界を目指そう。そして命を繋いで愛を注ごう。両親が自分にそうしてくれたように。
「……お母様。私、がんばります」
ミュリエルは空に向かって声をかけた。
青い、青い、空だった。




