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1話

 夢の先を見ることはない。

 あなたが死ぬと、私は目が覚めてしまうのだから。



 ◇



 ミュリエルは明け方近くに飛び起きた。心臓はうるさいくらいに跳ね、呼吸もひどく激しい。


(……また、あの夢)


 汗で張り付いた髪を手で払いながら、ミュリエルは深く息を吐く。リアルな夢のせいで現実の境界線があいまいだ。今日がいつなのかもわからない。無意識にベッドサイドから一冊の日記帳を手にとった。ページをめくり、最後の日付を見つけるとそこには『聖暦147年9月15日』と書いてある。まだ心臓は早鐘を打っているが、意識が現実に近づいて少しだけ気分が晴れる。


(……大丈夫。今日は16日だわ)


 ミュリエルはペンを手に取り、夢の記憶が残るうちにその内容を書き記した。


『収穫祭の当日、ハリスが殺される。私をかばって剣で斬られた。彼の赤い血が私にふりかかる。匂いも温度も全部が生々しい。だけど夢。ずっと見ている同じ夢』


 過去のページを見ると、かれこれ十日は同じ内容を書いていた。来月に控えた収穫祭、そこで自分の婚約者が殺される夢を見続けてしまう。


 誰かが言っていた。

 見た夢を書き記すと己の精神状態が分析できると。

 また誰かが言っていた。

 見た夢を書き記すと、夢と現実の境がぼやけて正気を失うと。


 婚約者が死ぬ夢ばかり見る自分の精神状態ははたしてマトモなのだろうか。朝の冷たい空気に身震いをして毛布をかき寄せた。もう眠る気も起きず、朝日が明るく室内を照らすその時までミュリエルは膝を抱えベッドの上で時間をつぶす。その間、亡き母からもらった首飾りを寝巻きの上からぎゅっと握りしめていた。


 朝食の時間、ミュリエルの父であるダーレンが心配そうに声をかけてきた。


「浮かない顔をしているな。もしかして体調が悪いのか? それなら今日は予定を変更してゆっくりしていなさい」

「……大丈夫です。まだ少し眠たいだけで」

「大事なおまえに何かあったら、父の心は悲しみでバラバラに砕けてしまうよ。ああ、ミュリエル。妻にも負けず愛おしくかわいい娘よ」

「ありがとうございます」


 父のダーレンはミュリエルをたいそう可愛がった。亡くした妻の忘れ形見であり、この緑豊かなフェルベーン領の跡取り娘だ。その溺愛ぶりは有名で、領城内で働く人間は誰もがほほえましく見守っていた。ミュリエルはいずれ婿をもらい、夫と共に領主の務めを譲り受けることは誰もが分かっていることだった。


「今日は収穫祭の打ち合わせがあるので、ハリスと一緒に町の方まで行ってきますね」


 ミュリエルの言葉にダーレンの眉がピクリと動く。この男、愛娘がかわいいあまりに婚約者であるハリス・ウィギンスが気に入らない。自分が取り付けた婚約だというのに、ハリスとミュリエルが会うことを極端に嫌っているのだ。


「体調が悪いのなら無理しなくていい。ウィギンスの次男坊だけ行かせればいいではないか」

「そうもいきません。収穫祭ではみんなの前で踊らないといけませんもの。ちゃんと二人で練習しないと」


 表面は柔らかな笑顔でとり繕いつつ、ミュリエルはテーブルの下でこぶしを握った。手の中にじわりと汗がにじむ。収穫祭、それは夢でハリスが殺される日だ。お祭りのメインであるダンスパーティーは町民たちが無礼講に踊り回るそれは楽しい催し物だ。そのファーストダンスをミュリエルとその婚約者であるハリスが行うことになっている。もちろん父親の顔は渋い。


 ただの夢だと分かっているのに、どうして胸がざわめくのだろう。それとも何か意味があるのだろうか。最近はそればかりを考えてしまう。



 ◇



 ハリスとは現地で待ち合わせをしている。町のまん中にある広場で、来月には収穫祭の会場になる場所だ。


「こんにちはミュリエル嬢」


 そう言って静かにほほ笑むハリスは穏やかな人だった。見た目はハンサムだけど少し自分に自信がない感じがして、ミュリエルはむしろそこが好ましいと思っている。


 収穫祭でのダンスは美しい民族衣装に身を包み、二人手を取り合ってステップを踏む。収穫を祝う場なので、できるだけ華やかで賑やかにというのが理想なのだが、性格的に二人とも穏やかで堅実なものになりそうだ。


「それでは、お手をどうぞ。姫」

「はい」


 思いのほか大きくて男らしい手。その温もりをミュリエルはよく知っている。夢の中で、彼はこの手でしっかりと抱きしめてくれた。突然現れた悪漢はミュリエルへ剣を振り上げ、それをかばってハリスは死ぬ。流れゆく血で足元に血溜まりができようとも、彼は決してミュリエルを離さなかった。


「ねえ、ハリス」

「ん?」


 どうしてかばったの。そう聞いてみたいけれど答えが返ってくるわけがない。だってあれは夢だ。


「……もし、私が悪い奴に襲われたらどうしますか」


 仮定として聞くぶんには構わないだろう。しかしそんな軽い気持ちで聞いたことを後悔するとは思わなかった。


「守るよ」


 ハリスは即答した。ごく真剣に、それが当たり前だとでも言うように。


「命にかえても守る」

「……どうして」


 無意識に体が震えた。聞いてはならない言葉を無理に引き出した気がして、ミュリエルは全身から血の気が引いていくのが自分でもわかった。手足から温度がなくなっていく。


「あなたはこの領の大事なお姫さまだ。親戚筋の次男坊とじゃ、命の重さがちがう」


 見つめてくる瞳にはいっさいの偽りがなくて、ミュリエルは息をのむことしかできない。


「それに——」


 立ち止まったハリスが突然、照れくさそうに頬をかいた。


「好きな女の子を守るのは男の務めだから」

「……え?」

「ほ、ほら、踊りの練習しなきゃだよね」


 耳を赤くしたハリスが目を泳がせながら手を引いた。慌てて動き出すミュリエルだが、頭の中は先ほどのハリスの言葉でいっぱいだ。聞き間違いでないのなら、ハリスはミュリエルのことを好いている。さっきまで冷えていた指先に、熱い血潮がめぐっていくのがわかった。


 そう思われていたとは知らなかった。夢でさえそんなことは言ってなかったのに。もちろんハリスのことは嫌いじゃなかったが、そう言われると妙に意識してしまう。


 お互い照れて、恥ずかしそうに踊る姿に町民たちは微笑ましそうに目じりを下げる。しかしその報告を聞いた父ダーレンはすこぶる不機嫌になったそうだ。

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