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渋沢栄一、未開の地の異世界で会社を起こす!  作者: 必殺執筆仕事人
第1章 異世界で会社を起こす!
8/14

伊藤博文の憂鬱(ゆううつ)

私の名前は、伊藤博文(いとう・ひろぶみ)


初代の内閣総理大臣を務めた人物だ。


渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)が、何やら異世界という別の世界に旅立ち、未開の地で会社を起こし、町を造ろうとしているらしい。


私は、若い頃は伊藤俊輔(いとう・しゅんすけ)と名乗り、若い頃の渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)や、他の同年代の若い志士たちと共に、攘夷(じょうい)思想に傾倒(けいとう)し、久坂玄瑞(くさか・げんすい)高杉晋作(たかすぎ・しんさく)井上馨(いのうえ・かおる)などと、行動を共にしたのだ。


高杉晋作(たかすぎ・しんさく)奇兵隊(きへいたい)を編成すると、私も奇兵隊(きへいたい)に参加し、その一支隊である力士隊を率いて、功山寺(こうざんじ)挙兵(きょへい)にも加わった。

こうして、長州(ちょうしゅう)(はん)は倒幕へと(かじ)を切り、薩摩(さつま)土佐(とさ)肥前(ひぜん)と手を組み、そして、第二次長州征伐では、徳川慶喜の幕府軍を、完膚(かんぷ)無きまでに、見事に叩きのめしてやった。


やがて大政奉還(たいせいほうかん)となり、その後の戊辰戦争(ぼしんせんそう)の一連の戦いでも、多数の犠牲を払いながらも、勝利を重ねていった。

そして、徳川幕府は倒れ、明治政府の世になる。

西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の『明治の三傑』の亡き後は、彼らの遺志を引き継ぎ、日本を欧米列強に負けない強国にするために、尽力した。

しかしいつしかその手法は、『藩閥(はんばつ)政治(せいじ)』と呼ばれ、批判されるようになった。


2009年の時は、私の没後100年ということで、大河ドラマ化もあるのでは?ということも考えたが、それは実現しないまま。


どうも、私は嫌われているのではないか、と思ったこともある。


いや、嫌われているんだ、実際に、他の人物たちが次々と私より先に死んでいくのを、私は見届けてきた。

幕末の動乱では、たくさんの志士たちが戦死をしていった。そして、私たちだけが生き残った。

西郷、大久保、木戸、岩倉具視も、黒田清隆も、先立っていった。

私は、この国にはドイツ式のやり方がふさわしいと信じ、ドイツの、皇帝が絶対的な権力を握り、議会の力を抑える、それこそが近代日本にふさわしいと思い、それを推進してきた。


フグを食べられるようになったのは、私が解禁したから、という話を知っているか?


大日本帝国憲法の草案の作成を、不眠不休で行い、公布の予定日のぎりぎりに、ようやく完成させたというエピソードもあった。


第一回帝国議会の開催、やがて日清戦争、日露戦争と、二つの戦争に勝利した。


そうして私は、初代韓国統監としてハルビンに赴く。そこで(あん)重根(じゅうこん)に撃たれ、そして私は、命を落とした。




そして、死後の世界へ、ここに来てみたら、かつての私の同志だった者たちまで、私をのけ者にしやがる…。


「まったくよお、明治の元勲(げんくん)だか何だか知らねえが、自分たちだけ長生きしやがって、その150年後の成れの果てが、こんな国かと思うと、やりきれないな。」


「俺、腹へった…。」


そして、私よりも先に、渋沢栄一が大河ドラマの主人公になったのだ、全くなんてことだ、紙幣の肖像になったのは、私の方が早かったのだがな。


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