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第七章 それぞれの杯



A.F.682 07/29

「結局、出番なしでしたね。なーんだよ、船乗りばっかり楽しい思いしちゃってさ。」

 副長ケンジ・ササキ大尉が自分の小銃の分解整備をしながら愚痴を言う。ここは、イザナの侵攻に備え、防衛体制を整えたマガツヒ防衛司令部の兵員室だ。防衛隊隊長のニール・ウォルシュ中佐は、基地設備に関するデータに眼を落としたまま、苦笑する。

「そういう事言ってるから坊やなんだよ。一度帰ったからって、『二度と来ません』と誓約書を書かせたわけじゃない。今まさにマガツヒに向かってるところかもしれないぞ。」

「本当ですか!」

 ササキが前のめりになり、顔を近づける。

「そういう可能性もあるから油断すんなってことだよ、坊や。」

 ササキの顔を押し退け、立ち上がる。窓から星空を見上げる。マガツヒには大気がないので星は瞬かないし、日中でも見える。そもそも、主星フソーの光も外縁のこの衛星までは、いくらも届いてはいない。緑がかった淡い光が惑星クラミツハの存在を主張してくるばかりだ。アテラスのウォルシュが生まれ育った町は今ごろ真夏になっているはずだが。

「ちっと遠いよなぁ。」

 ウォルシュは呟き、家族との距離を想像してみる。あの愛すべき我が家から、宇宙教材ビジョンの様に、視界を引いて引いて引いて。アテラスが浮かぶがまだ見えない。さらに引いて引いて引いて引いて、ようやく端に見えるのがクラミツハとマガツヒだ。残してきた妻と9歳の娘、6歳の息子を想う。マガツヒに来てから2ヶ月ほど、帰れる日はいつになるか。

「いや、帰ることができるか。が先の問題だな。」

「なんですか、隊長。縁起でもない。どーせ、しばらく様子みて、本星に撤収でしょ。」

 ササキがつまらなそうに言うが、ウォルシュはあることを思い出して茶化す。

「そうだ、お前さん新婚だったな。そりゃ、帰りたくて寂しくて、不安で不安でしょうがないところだったな、すまんすまん。」

「そんなんじゃないですよ。」

「いやいや、強がるな、素直になれ。不安だよな、不安だよな、奥さん美人だもんな。」

「なっ!」

 ササキが呻く、痛いところだったか。

「よし、今日は奢ってやる。さあ、行こう。」

「配給品の安ビールしかないじゃないですか!」

 ウォルシュがササキの肩を抱き、特設のバーに向かい歩いて行った。



A.F.682 08/01

 マコト・カイ少佐は第1艦隊旗艦イブキの帰港に先立ち、高速連絡艇にてアテラス本星に戻っていた。軍令部に出頭し、上司のスルギ・パク少将に督戦の報告をする。

 第三次マガツヒ宙域の戦いにおいて、戦果及び被害の状況は次の通りである。


戦果

・戦艦     拿捕1、撃沈5

・重巡航艦   拿捕1、撃沈7

・軽巡航艦   撃沈2、撃破2

・駆逐艦    拿捕1、撃沈8、撃破7

・単座艦上戦闘機CFー32D  撃墜138、撃破79

・複座艦上偵察機RFー12B  撃墜 20、撃破15


参加戦力と被害

〈國防軍第1艦隊〉

・巡航戦艦   4  健在1(撃沈1、大破1、中破1)

・重巡航艦   4  健在1(撃沈1、大破1、小破1)

・軽巡航艦   2  健在1(小破1)

・駆逐艦   16  健在3(撃沈5、大破5、中破1、小破2)

・航宙母艦   2  健在2

 ・79式単座艦上戦闘機  120  健在54(未帰還34、廃棄12、損傷20)

 ・81式複座艦上偵察機   32  健在12(未帰還 7、廃棄 1、損傷12)


〈國防軍第12駆逐戦隊〉

・駆逐艦    7  健在1(大破1、中破3、小破2)

 ・81式複座艦上偵察機    7  健在 3(未帰還 1、損傷 3)


〈國防軍マガツヒ基地航宙隊〉

 ・79式単座艦上戦闘機   64  健在33(未帰還10、廃棄 2、損傷19)

 ・76式複座艦上偵察機    8  健在 5(未帰還 1、損傷 2)


 戦闘後の保有艦艇数は次の通り、

〈アテラス國國防軍〉

・戦艦    2隻(建造中 2隻 修理中 1隻)

・巡航戦艦  1隻(修理中 2隻)

・重巡航艦  5隻(修理中 3隻)

・軽巡航艦  8隻(建造中 2隻)

・駆逐艦  13隻(建造中 8隻 修理中 19隻)

・航宙母艦  6隻(修理中 1隻)


〈イザナ共和國宇宙軍〉

・戦艦    4隻(建造中 2隻)

・重巡航艦  4隻

・軽巡航艦  9隻(修理中 3隻)

・駆逐艦  25隻(建造中 8隻、修理中 8隻)

・航宙母艦  6隻


「イザナ軍はマガツヒ攻略を断念しました。また、艦艇の損失も我が軍を大きく上回るものであり、戦略的勝利を得たと認識しております。ですが、当方も戦闘参加の艦艇や航宙機には損傷したものが多く、この修理復旧が終わるまでは大規模な作戦の実施は難しいと考えます。ただし、双方、航宙母艦に被害を出していないことから、敵機動部隊の動向に注意を払うと共に、我が軍においても次作戦の要点になるものと推察されます。」

 概ね報告事項が終わったところで、パクが尋ねた。

「貴官にとって、初めての戦場経験だった訳だが、どうだった。」

 抽象的な質問でどう答えるべきか少し悩んだが、マコトは正直な感想を言葉にする。

「実際の戦場では人が死んでいきます。一人一人、人生のある個人がその生涯を終える時、戦死と言う理由で死ぬ、死なせることは、最も避けるべきことだと思いました。」

「軍人であり士官である以上、戦死することも戦死させることも覚悟せねばならないな。」

「はい、承知しております。ただ、軍事行動は最後の手段である必要があります。他の手段が取り得る時には、何があっても選択されるべきではない。と、考えます。」

 マコトは努めてゆっくりした口調で答えた。パクは頷く。

「そうか、わかった。話は変わるが、貴官は近日中に中佐に昇進だ、おめでとう。」

「ありがとうございます。」

 とは言うものの、マコトにとってはそれほど嬉しいことでもない。

「こちらは内定事項だが、作戦課内に新たな組織を立ち上げることになった。貴官はその仮称総合戦略研究班の班長に任命されることになる。この部隊は、公式には作戦課の1部門にすぎないが、実体は軍令部総長直轄となる予定だ。軍内はもとより軍外部に関わることも研究の対象とする。端的に言ってしまえば、政府がやるべき政略にも口を出すと言うことだ。当然、シビリアンコントロールの観点から、非公式の活動になるが、貴官の能力を最大限発揮するにはフィールドが広いほうが良いと思ってな、推薦した。」

 マコトはしばらく呆気に取られていた。



A.F.682 08/04

 多数の損傷艦を出したアテラス艦隊は各地のドックへと向かった。収容能力は限界となり、修理作業は昼夜問わず進められていた。

 人工惑星ツクヨミにも再度、第12駆逐戦隊が入港している。

「まーた、壊して帰ってきやがった。」

 整備主任のパチャラ・チナワット技術少佐が、司令官ラジ少将がいるにも関わらず大声で不平を漏らす。ラジは笑いながら答える。彼らは昔からの仲だ。

「そう言わずに、今回もよろしく頼みますよ、おやじさん。」

「船に罪はねぇからな、ちゃんと治してやるさ。だが、もうちっと優しく扱ってやれよ、かわいそうだろ。」

「私は優しく扱ってますよ。扱い方がなってないのはイザナの連中です。」

「確かにそうだな。あ、いいのが入ったから後で部屋に来いよ。」

「はい、楽しみにしてますよ。」

 ラジは背中を向けたまま手を振り、基地司令に挨拶に行く。司令室は、要塞化されている人工天体の中央部に位置している。つまり、最も防御力の高いエリアにあるのだが、ドックや港湾施設からは最も遠いため、行くだけでも骨が折れる。今、歩いている廊下でパルスレーザーが飛び交い、敵味方が戦うシーンを想像し、その可能性が何パーセントあるのかと考えてみる。

(1パーセントくらいか。現状、イザナがツクヨミの占領を企図するとも思えないが…)

 考えの途中で司令室に到着した。20分は歩いたか。衛兵に名乗り、中に入れてもらう。

 司令室は正面に大型のスクリーンが設置されていて、その手前のデスクに各部署のオペレーターが詰めている。一段上がった壇上に司令官席があり、部屋の様子を俯瞰できる様に設計されている。

「第12駆逐戦隊のラジです。ご挨拶に伺いました。」

 壇上には上がらず、壇の手前で敬礼し挨拶をする。すると、基地司令のズージェン・ジャオ中将が壇上から降りてきて、付いてくる様に促された。隣接する司令官室に2人は入る。

「どうされたのですか?」

 ラジは尋ねる。ズージェン・ジャオは航宙戦闘隊がアテラス本星から進出した際に、同時に任命された新任の司令官だ。仕事以外だと人は良いのだが、仕事になると妙に猜疑心が強く、神経質な面が強調される人物で、前線の指揮官としてはあまり評価されていない。本星に近いツクヨミが、前線なのか後方になるのかは意見が分かれるところであるが、つい3ヶ月前には敵の攻撃目標になったのだから、前線に決まっているとラジは考えている。要するに、司令の立場にあるジャオをあまり信用していないのである。

「いや、実はな。諜報員が紛れているという話があってな。」

 2人しかいない部屋でも周りを気にしているジャオを見て、早く転属させるのが軍と本人のためだとラジは思う。

「諜報員とは穏やかではありませんな。ツクヨミで何の情報を得るつもりなのでしょうか。」

「いや、詳しいことは明らかになっていないのだが。破壊工作を企んでいるとか、私の命を狙っているとか。」

(なんだ、噂レベルの話か…)

 内心、ラジは呆れている。その手の噂話に惑わされていて指揮などできるか、と彼は考えている。

「ここは司令のお部屋ですから、それほど気になさらなくても大丈夫でしょう。お話とはなんでしょうか?」

「うむ、先ほどの話とも関係するのだが、イザナはツクヨミに再侵攻をかけるという情報があるのだ。前線にいた貴官には、何か情報が入っていないかと思ってな。」

「大敗を喫したこのタイミングで、ツクヨミに再侵攻を?」

 さすがにありえないとラジは思う。だが、一笑に付す前に考え直す。

「確かに、我々は大勝したとは言っても損傷艦だらけです、我が隊もそうですが。油断している隙に、先日の様に侵入して攻撃ということが、全くあり得ないことではないかもしれませんね。宇宙空間の戦闘には、明確な戦線が存在するわけではないですし…」

「それに先立って、諜報員が潜入しているという話でな。」

「それにしても、どうしてそのような情報がもたらされたのでしょうか。敵も厳重な情報管制をすると思いますが。」

「私が聞いたのはチナワット技術少佐からだが…少佐は前線帰りの者から聞いたとか…」

 ラジは眩暈(めまい)がした。あのおやじさんが噛んでいたとは。

「とにかく、そのためにも艦の修理を早急に行って頂きたく存じます。哨戒行動を厳に行うことが、閣下の不安を和らげることにもなりましょう。何か情報を入手しましたら、即時ご報告いたします。小官はドックに用がありますので、これにて失礼させて頂きます。」

 ラジは敬礼して、さっさと部屋を出た。そして、早足でドックに戻る。

 ドックに到着しチナワットを探すが、修理部材の準備とやらで不在だった。

(仕方がない。夜に話をすれば良いか。)

 そう思い、彼の載るムツキを見上げる。漆黒に塗装された船体が彼に語りかけてくる気がする。

(すまんな、キズをつけてしまって。だが、お前は最高だ。)

 船乗りに共通する心情である。


 日勤の勤務時間が終わり夕食もすませた後に、ラジはチナワットの個室を訪ねた。

「おう、待っていたぞ。さぁ、入れ。」

 チナワットが迎え入れてくれる。席を作り、彼らの出身地の酒瓶を手元に寄せて2人は語り始めた。

「まずは乾杯だ。スニール、よく生きて帰ってきたな。」

「なかなか大変な戦いでした。うちの隊は、なんとか全艦連れて帰れましたが、ちょっとでも何かが違っていたら、艦も私も死んでいたかもしれません。」

 ラジは感傷深く、グラスを傾ける。

「そうだな。勝利勝利と浮かれているバカどももいるが、各地のドックを見ればそんな気も無くなっちまうだろうよ。」

「軍内はともかく、一般にはどう公表されているんですか。」

「あまり、公表しない方針のようだな。ツクヨミの時もそうだったが、『敵の侵攻を阻止した。』って、そのくらいだな。まあ、のぼせ上がるよりはよっぽどマシだ。三次の時は酷かった。」

 チナワットはもう一杯目を飲み干している、ラジがグラスにウィスキーを注ぐ。

「政府も軍上層部も、終い方の算段はついているんでしょうかね。」

「さあな。何考えてるかわかんねえよ。うちの司令見たろ、あんなのをツクヨミの頭にすんだぜ。」

 ラジは言わなければならないことを思い出した。

「そうだ、おやじさん。なんでツクヨミを攻撃する計画があるとか、ジャオ司令に言ったんですか。挙動不審になって指揮どころじゃなくなってますよ。」

 チナワットは豪快に笑いながら答える。

「そこさ。あんなの、いざって時に役にたたねぇ。サッサと他に行ってもらうためさ。」

(やはりな。)

 ラジの予想は当たっていた。

「にしても、部下が大変じゃないですか。」

「あんなのの指揮で死ぬほうが大変だろうよ。それにまるっきり嘘って訳でもない。アテラスから攻め込んでいくなんて、アホなことしなけりゃ、イザナが攻める場所なんていくらもないだろ。本星は兵力的に無理だ、だとしたらマガツヒかツクヨミくらいしか、ねぇじゃねえか。」

 昼間、ラジも考えたことを思い出す。

(案外、本当のことになるかもな…)

「まぁ、とりあえず、今はうまい酒を飲みましょうか。」

 2人はグラスを傾けた。



A.F.682 08/04

 ナオミ・ヴァルバドスとミコト・カイは以前と同じ喫茶店の同じ席に、同じ並びで座っている。同じ人物と待ち合わせているが、彼らが名乗る身分は同じではない。大学院生は何処かに蒸発し、軍人として民間人と会うことになっている。

「よくもう一度、会ってくれる気になったものだね。」

 ミコトは変な演技をする必要がなくなり、前回よりも気が楽だ。

「先方もこちらに興味を持っている、と言うことでしょうね。」

 ナオミは携帯端末を操作し、何か調べている。

「ジャーナリストとしては、軍の総本山にいる人間に興味を持たない道理がないか。」

「あぁ、彼女はもうジャーナリストじゃないですね。ネットワーク局は退職したそうです。」

「えっ、じゃあ、今はどう言う人になるの。」

 ナオミは一瞬、動きを止め、

「政治活動家、ですかね。」

「ふーん、そんな人と会ったりして良いのかな、僕ら。」

「まぁ、あまり公にはならない方が良いでしょうね。あ、来ましたよ。」

 ちょうど前回と同じ光景が再現されて、ティアナ・サーンが席に来た。3人は腰掛け、話を始める。

 最初に、ナオミが身分を偽っていたことについて謝罪する。

「まず謝らさせて下さい。私たちは身分を偽っていました。大学院生と言うのは方便で、実際は現役の軍人です。」

「えぇ、わかっていました。公務員が身分を偽って民間人に会うのは違法行為ね。まぁ、でも、訴訟を起こすほどのことでもないかな。で、軍人さんが私に何の用かしら。」

 ミコトは目的を問われて考える。

(そういえば、何の目的で接触を続けるんだっけ。アズリアへのパイプがないことはわかっているのに。ナオミは何と答えるのだろう。)

 ミコトがナオミをうかがうと、意を決した様子でナオミは言った。

「あなたの活動を支援します。」

 ミコトとティアナ・サーンは呆気にとられた。軍が個人の政治活動を支援すると言うのか。

 ナオミは続ける。

「もちろん、公式にと言う訳にはいかないので、支援と言ってもあまり目立たない形に限られますが、どうでしょうか。」

 ティアナは慎重に、言葉を選んで尋ねる。

「私はアズリアの戦争責任について調査し、それを公知にすることを目的に活動しています。アテラスが私に手を貸すことは、アズリアとの関係にキズを入れる可能性がありますよ。」

 対するナオミは、迷いなく返答を返す。

「國際関係への影響までは、わたくしの関知するところではありません。ですが、あなたに支援を申し入れることは、上司の同意の下の行動です。従って軍上層部は、その覚悟の上でこの提案をしているものと、お考え下さって結構です。」

 ミコトも驚く、そのような話になっているとは彼も知らなかった。

「アテラスはアズリアと事を構える気なのですか。」

「わたくしにはわかりかねます。ですが、本当に戦うべきは誰となのか、何についてなのかを考えた時、現状とは異なった解が導き出されることもあり得るかとは思います。」

 ティアナは一呼吸置いてから答える。

「私はアズリア人です。アズリアは母國であり我が家です。今の活動も、アズリアの利益になると信じるからこそ、行っているのです。アテラスがアズリアを傷付けることは、絶対に許容できません。」

 決裂とも取れる言葉に、沈黙が3人を包む。だが、ナオミがそれを破る。

「承知しております。ですが、あなたの母國が、アテラス、イザナを傷つけていることを、許容できなかったからこそ、あなたは立たれたのでしょう。」

 ティアナはしばらく考えてから答えた。

「そうですね。我が母國アズリアは美しい國です、そこに住む人々の精神も、美しくあってほしいと願っています。」

 黙って2人の会話を聞いていたミコトが、恐る恐る口を開く。

「えっと、僕らは一体何をやらかす事になるんでしょうか。」


 3人はこれから『やらかす』ことについて、明確なビジョンを持ち合わせてはいなかった。当面、ティアナ・サーンは今までの活動を継続し、状況の変化があった場合は、直ぐに連絡を取り合うということに落ち着いた。

「そういえば、ネットワーク局は退職されたんですよね。記者という立場の方が、動きやすい事もあったんじゃないですか。なぜ、辞めちゃったんですか。」

 ミコトが問う。

「要は活動に圧力をかけてきたから、なんだけど。実はあの局、アズリアの資本が入っていたのよ。私も知らなかったんだけど、実態はアズリアの支配下にあったの。幾重にもダミー名義を仲介しているから、普通の調べ方じゃ絶対に判らないわ。」

「普通じゃない調べ方をした訳ですね。」

 ミコトが呆れつつ、ティアナのバイタリティーを賞賛する。

「まぁ、その辺は。ほら、ね、ナオミさんはわかるでしょう。」

「わたくしにはわかりません。」

 にべもなく、ナオミは突き放す。

「まぁ、とにかく、これからよろしくね。私としても、仲間の少なさは気になるところだったんだ。」


 ティアナは先に帰り、ナオミとミコトが残された。すっかり冷え切ったコーヒーを口にして、ミコトが尋ねる。

「しかし、よく上層部の同意まで取り付けたね。お偉方は僕らに、何の期待もしていないものだとばっかり思っていたよ。」

「あまり期待はしていないと思いますよ。」

 ナオミは怪しげなことを口にする。

「えっ、だって、上層部も同意の下、協力するって。」

「拡大解釈って言うんですかね。こういうのを。」

(あ、ヤバいやつだ。聞かなきゃよかった…)

 ミコトの心内は無視され、ナオミは続ける。

「シャープ課長は『軍は君をバックアップする』と仰いました。バックアップするということは、現場判断に同意するし、協力するってことですよね。」

 ミコトは力が抜けていくのを感じた。

(たったその一言だけを根拠に、さも全軍が協力するかのようなあの言いっぷり、恐ろしい。)

 ミコトが発することができたのは、次の一言だけであった。

「そうですね…」



A.F.682 08/14

 多数の艦艇を失ったイザナ軍は、アテラスよりもずっと悲壮な面持ちで、最高幹部による会議を行なっていた。出席者は、参謀本部 本部長ペリル・ローソン元帥、統合作戦会議議長、グラディス・スタック元帥、副議長、レプロン・エーレット大将、統合艦隊司令長官ポール・クラフトマン大将、マガツヒ攻略部隊司令クリス・ジョーダン少将といった面々である。

 会議の最初に戦死者を弔う献杯が行われる。イザナ軍固有の伝統である。会の最高位ローソン元帥が諸将のグラスに赤ワインを注いでいく。行き渡ったところで、全員が正面の壁にかけられた軍旗に向かう。ローソンが杯を掲げ、号令を発する。

「自らを犠牲にし、異國の地に散った我が同志たちに、献杯。」

 全員がグラスに注がれた酒を掲げ、一口で飲みきる。そして、空になった杯を再度掲げる。

 次に、作戦参謀からの戦闘結果の報告が終わり、重苦しい空気の中、圏内軍スタック元帥が口を開いた。

「聞いての通りだ。統合作戦会議としては、作戦は失敗したと言わざるを得ない。私とエーレット副議長については、この会議を最後に職を辞任することになる。」

 クラフトマン大将が愁傷な面持ちで答える。

「責任は全て、指揮を取った小官にございます。小官の辞任を以って、閣下たちは何卒…」

 ローソン元帥が話を止める。

「まあ、待て、クラフトマン大将。そういう話をしたい訳ではない。また、する必要もない。我々はまだ負けた訳ではないのだ。」

 ローソン以外の参加者は怪訝な顔をしている。これだけの被害を被って、まだ負けていないとはどういうことか。ローソンが続ける。

「我々が多くの艦艇を失ったことは事実だが、アテラスも相当数の艦艇が行動不能になっている。これを好機と捉え、再度の侵攻作戦案が持ち上がっている。」

 これにはエーレットが反論する。

「更に出兵するとおっしゃるのですか、そのような体力は」

「アテラスにはない。イザナにはある。と、そういうことか。」

 スタックが話に割り込んできた。

「我々、圏内軍は未だ健在で精強である。出征は望むところだ。」

「しかし、閣下。」

 ジョーダンが反論しようとすると、スタックがそれを制するように、大きな声で被せてきた。

「何か言いたいことがあるのか、ジョーダン少将。まさか、臆病風に吹かれているのではあるまいな。一度ならず二度までも、敵前で引き返すようなことは許されんぞ。」

 マガツヒ手前で転進したことを、快く思っていないことが見え見えの恫喝である。

 クラフトマンが挙手して発言を求める。これまではなかった珍しい光景だ。発言を促され、ゆっくりとした口調で話を始める。

「正直に申し上げて、小官も先日の戦い以前はアテラスを侮っておりました。だが、彼らは強い。ここで再攻勢に出るよりも、時間を置き力を溜め、準備を充分に整えた上で戦わなければ、次回も危ういと言わざるを得ません。」

 更に続けようとするクラフトマンをローソンが制した。

「言いたいことはわかった、クラフトマン大将。だが、強いからこそ攻撃の手を休める訳にはいかんのだ。我らが時間を置けば、奴らも準備を整えてしまう。損傷艦が戦列に復帰する前が、最後の機会だ。」

「最後の機会?なぜ、そのように戦を焦るのですか。経済力始め、各種社会基盤はイザナが優っているではありませんか。」

 しばらく間があった。重々しくローソンは口を開く。

「政府からの要請だ。今次戦役において、我々はこれまで良いところがまるで無い。世論は戦端を開いた軍と政府への抗議の嵐だ。このままでは政権が倒れてしまう。」

 一同は消沈する。言ったローソンも、出征に乗り気なスタックさえも、戦略的要請からではなく、政権維持のための作戦と思うと気が重い。そのために多くの若者が死地に赴くのだ。

「そのような政権、倒れてしまえば良いではありませんか。」

 クラフトマンが力なく反論した。



A.F.682 08/30

 父は病院暮らしを15年以上続けている。あの日、彼が妻を失ったあの日から。

「父さん、調子はどう?」

 部屋に入る時はいつも変わらぬこの台詞だ。ミコトはベットの傍に置いてあるバックから、兄が来ていることを知る。

「もう、兄さんも来てるんだ。先生のところ?」

 トシハル・カイは彼専用のボードに『そうだ』と書いて息子に見せる。彼はあの日、声までも失ってしまった。胸に突き刺さったガラスの破片は肺に深刻な障害を与え、人工呼吸器なしでは自らの命を維持することも出来ない。

「兄さん、中佐に昇進したんだよ。」

 昇進を知るのは毎回ミコトからだ。マコトは昇進したことなど口にしない。ミコトは軍内で、兄がいかに活躍しているかを父に伝える。そうしている間に、マコトが部屋に戻ってきた。

「カイ中佐、昇進おめでとうございます。」

 ミコトが敬礼しながら、(おど)けて祝う。

「余計なこと言いやがって。お前もすぐになるさ。」

 2人の息子は、自分の職務について滅多に話さない。業務上、口にできないことも多いのだろうが、それ以上に、父に心配をかけたくないのであろう。

「父さんは今、何を書いているの。」

 ミコトが父に尋ねる。トシハルは不屈の人であった。凶事に遭い、大きな障害を負いながらもなお、彼の研究を続けたのである。実験データの提供を依頼し、考察を重ね、次回実験の計画まで作成した。入院中にも関わらず、論文や学術書の執筆に明け暮れていたのである。息子たちは今回も、彼らがまるで理解できない、高エネルギー物理学の理論がちりばめられた文章が生み出されるものと思っていたが、父がボードに書いたのは『手記』の2文字だけであった。

「へー、手記か。意外だけど初めて読める物になるかも、楽しみだな。」

「前の本、読んだと言ってたじゃないか。」

「読めるわけないじゃん、あんな難しいの。兄さんは読んだ本あるの。」

「全部読んだよ、最初の1、2ページは。」

「それ、読んだって言わないから。」

 2人の息子のじゃれあいを、目を細めて見ていた父は、ミコトに戸棚を開けさせる。

 グラスが2つ、小さな小さなグラスも2つ。4つのグラスにウィスキーを注ぎ、自分は小さなグラスを取る。2人の息子もそれぞれグラスを取り、3人は目の高さにグラスを掲げる。そして、置かれた小さなグラスに想いを馳せる。


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