89.草原守の巨影
「……成程な、こいつは納得だ」
「でっけぇのだ……」
道を塞いでいたのは、その体格は縦だけでも四メートルはありそうな大猪。あの《ミズチ》やバージョンボスだった時の《梨華》さんを彷彿とさせます。
体を覆う荒々しい焦茶色の毛皮の中に薄桃の鼻、何よりも枝分かれし剣山のようになっている大牙が特徴的。蹄も大きく、傷だらけのそれはあらゆる場所を踏破してきた証拠。
鼻息は荒く、目は真っ赤に染まっていかにも《魔力汚染》によって変わってしまったといった様相が簡単に見て取れました。
五台もの荷台をまるごと牽引していた陽華さんはその姿に顔を顰めて視線を逸らし、稲花さんは暗い顔をしつつ前に出て様子を伺っています。
「駄目ですね。この猪神は一帯の守り神だったのですが、魔力汚染で変質しています」
「倒すしかないわよね……森がざわついていたのは彼が元凶だろうし……」
「……《来訪者》の皆様、彼を汚染から解き放ってくださいませんか?」
おそらく顔見知りだっただろう巨大猪の討伐を口にする稲花さん。そう言われては、私達も応えるしかありません。
「元よりそれが我々《来訪者》の役割。皆さん、異論は有りませんね?」
集まっていた輸送護衛の参加者達の方へと振り返り、私は声を上げます。
プレイヤー達は顔を見合わせますが、それは決して悲しんだ顔ではなく、やる気に満ち溢れた顔でした。
初めて輸送に参加するような初心者プレイヤーもいれば、私達のようにベータからのベテラン達もいる中誰しもが。
唐突に降って涌いたようなグランドクエストのような討伐戦に、皆一様に声を揃えてこう口にしました。
「「「任せておけ!!」」」
その言葉を全員が上げてすぐに、パーティ分けとレイドパーティ編成が始まりました。
初心者にはベテランが付くように配置され、主力は私達のパーティを軸として司令塔を兼任。臨時の総大将のようになってしまいましたが、それはそれ。
尤も私はルヴィアのように後ろに座っていられるようなものではないですが、と口にしましたが、それでもいいと押し切られてしまいましたけどね。
予め伝えていたのもあって物の数分でその編成が完了。万が一に備えて荷台を護る初心者中心のパーティを後方にし、この輸送クエストの大ボスと対峙することになりました。
草原守の猪神 Lv40
属性:土
状態:汚染 狂化
結構レベルが高いですね、前線組を主軸にしたのは正解だったようです。あまりレベル差があり過ぎると、逆に一瞬でやり返されてしまいますから。
それにダメージの通りも悪くもなるので、それなら後方で念のために守って貰えている方がいいですからね。
全員配置に着けば、メインタンク班を務めるカルパさん達が全体に準備完了の合図を送りました。
パーティも編成し直し、それぞれのロールで固まったパーティに変わっており。私もジュリア、フロクスさん、アマジナさん、トトラさん、ルナさんのパーティに編成し直しています。
カエデさんとイチョウさんもヒーラーパーティへと引き抜かれ、タラムさんは初心者隊の補助とそれぞれの役割の場所へと散った形となりました。
合図を受けた各パーティも反応を返し、全体が応じたのを確認すればタンクパーティが突貫。猪神も接近に反応して鈍く重い咆哮を上げました。
「いくぞ!」
タンクチームが吶喊し、ヘイトスキルを使うと同時に猪神が大きく牙を振り上げつつ唸り声を上げました。すぐに攻撃の姿勢を取ります。
同時に後方の方でも無数の獣の声。どうやら初心者隊にも暇をさせるつもりはないようで、流石といいますか。私達もすぐに攻撃体勢へと入り、猪神の黒い巨体へと接近。
「ジュリア、いつものいきますよ」
「早速……久しぶりのですわね! お姉様に合わせますわ!」
タンク達の作った隙を突くために振り回される大牙を掻い潜って、誰よりも早く先ず《月輪》による一撃。
続けてジュリアが《フレアプロード》。僅かに体力ゲージが削れたのを見るに、きっちりとダメージは通るようですね。
ジュリアへと声を掛けて、《ミズチ》に見舞ったあの連携攻撃の準備を。《静月》を使い居合ゲージを充填させ、《八卦・氷》を使って弱点属性を纏わせ。
「トトラ達も合わせるのだ!」
「私も……氷属性は覚えたてだけど……!」
「こっちからは強化を掛けとくよ、続くからやっといで!」
後方のメンバーも合わせてくれるようです。フロクスさんからのバフを受け、ジュリアと一瞬目配せして、合図を送りつつ刀を納めて距離を合わせ。
「いきますわよ! 《ブレイクポイント》!」
「……《剣閃一刀》、《斬月》!」
ジュリアによる防御力低下のバフを伴った強烈な槍の一突き。砕ける音と共に、デバフが入った瞬間に《瞬歩》を使い距離を一瞬で詰めて《剣閃一刀》による重い一撃。
強烈な一閃が炸裂し、氷雪を纏った白刃がその荒毛を引き裂いてダメージを与え。続け様に《斬月》による再びの強烈な一撃。
ですが、これでもまだ猪神は揺るぐ事無く。それでもダメージは着実に入る……とはいえ、やはりレイドボス。総体力と比べると全く減っていないのは仕方ないですが。
「《ハイジャンプ》、からの……《スコルドペイン》《レッドエッジ》ですわ!」
「《新月》《月蝕》! 《三撃・氷針》から《月天》!」
「おらおら続けぇっ!」
デバフが切れるまで、ひたすらにアーツを連続して叩き込み。私達に続けと言わんばかりに後方から無数の魔術や矢が飛来してきます。
他の近接持ちもどんどん前へと出揃って攻撃をし掛け、おおよそ三分。みるみるうちにその体力ゲージが削られる速度が速くなっていき―――一ゲージ目が砕ける寸前。
レイドボスはゲージが割れると大技を繰り出してくるか、モードチェンジするのが碇石。一様にそれを警戒してか皆が一瞬距離を取ります。
私とジュリアは機動力があるので、遠隔と一緒に削り取る役目。私が《薄月》の一撃を喰らわせてすぐゲージが砕け、瞬間猪神が凄まじい咆哮を上げました。
「グルブォォォォ!!!!」
「来るぞーッ!」
咆哮を上げた猪神は、タンクへと向けて猛威を振るっていたその二本の禍々しい大牙を地面に突き立て―――
地面を抉り取るかのように土塊を丸ごと牙で持ち上げ、そのまま空中に投げ飛ばして……その土塊を空中で爆散させました。
「これはまたダイナミックですね!?」
「うおっと! 危ないですわね!」
四散する破片がレイドパーティ全体に降り注ぎ、超広範囲の攻撃だったことが察せました。至近にいた私はといえば、降り注ぐ破片を《居合術》によって弾き、直接猪神に対して弾き返していきます。
ジュリアはそれを察した瞬間、超高速の飛行で降り注ぐ圏内から離脱。ちょっと卑怯ですがそれは言わないでおきましょう。そして、すぐ戻って来れる機動力もですけど!
ヒーラーは全体治療に回り、タンクは土塊攻撃が終わってから始まった突進攻撃をいなしています。近接も立て直しが終われば、すぐに攻撃に参加。
遠隔組は防御力が低い分、建て直しにやや時間が掛かるようです。やはりまた私達が先陣を切るしか無さそうですね。
「行きますよ、ジュリア」
「ええ、わかってますとも!」
――◆――◆――◆――◆――◆――
「最後、割れるぞぉぉぉ!」
カルパさんの大声が上がり、二十分にも及ぶ削り合いの応酬もようやくの終わりが見え―――最終ゲージへと突入。
第二ゲージは中盤から捲り上げた土を前方に範囲として投げつけたりし、第三ゲージではタンクを丸ごと直線突進で撥ねたりとしてきた猪神との戦いもようやく終わりが見えてきました。
とは言っても、それでもまずはゲージ技を避けるところからですが……
「グルフゥゥゥ……!!」
猛烈な怒気が湯気を伴って見えるほどに発し、戦闘で傷付いた荒毛も逆立ち。その眼は狂気と言っていいほどに真っ赤に染まり。
前足を動かせば地を削り、荒々しい吐息は強烈な程の威圧感を発しています。現に最前線慣れしていない面子は、一歩後ずさるほどには。
今回は大技は無く、モードチェンジ。さて、散々手こずってきたのですから今度はどんな手で出て来るのか……
様子を伺い、ジュリアと共に斬り込むタイミングを計ります。まずは間近のウケタさんへと狙いを定めたようで、見慣れた突進を繰り出します、が。
今までと違う、ゴリッ、という地面を抉る音。瞬間、その巨体が消え―――
「うぐ……ッ!?」
ウケタさんの目の前に一瞬で現れたと思えば、突進の勢いを受け止め大きく突き飛ばされていました。その威力は、受け止めた筈で体力は一割しか残さない程に。
……先程までは突進で撥ねられてもタンクが受け止めて四割。それが一割まで減ったということは、攻撃力の超強化。
つまりはヒーラーのリソース消費の激化、そしてタンクが一撃で葬られる可能性。ここからは速攻を仕掛ける必要がありそうです。
「全員、速攻で削ってください! 突進攻撃はタンク以外は一撃必殺の威力ですから確実に避けてください!」
声を張り上げて観察結果の周知。特に一撃でも喰らえば、と口にした途端に全員の緊張が一気に引き締まります。
しかし、逆に緊張して全員が飛び出す機会を窺うようになってしまったのは逆効果でしたか。
……ただ一人を除いて。
「ふふ、こうなったら私達の出番ですわね、この場にトップ20の他の面々が居ないのが残念でございますわ」
「相変わらずダメージレース大好きなんですから」
「でなければ火力最強の"紅炎の通り魔"なんて呼ばれませんわ!」
《竜人》特有の紅鱗に覆われたその大翼を広げ、《唯装》を手にした紅炎の通り魔がその空を舞い、得意の爆撃を仕掛けるために猪神へと突撃。
紅い残光を尾を引かせつつ、いつのまにやら習得していた《並行詠唱》による《フレアプロード》を含め複数の《火魔術》行使による爆撃。
そしてその大槍が宿す威力を最大限に生かしたジャンプ攻撃。プレイヤー一人の攻撃とは思えない程の苛烈な攻めで、あの頑強な猪神の体力が目に見えて減っていきます。
「私達も続きましょう! 防御力も低下しているようですから畳みかけます!」
苛烈な攻めに呆気に取られている全員へと声を掛け、負けていられない私もジュリアに続いて突貫します。私に遅れて、他の面々も攻撃を仕掛けるために駆け寄り始めました。
流石に飛行速度は妹に劣りますが、それでも小周りに関してはこちらの方が上。射程に収めた瞬間に一瞬着地して《瞬歩》を発動し、刃の届く距離にまで接近。
《月輪》を繰り出し、冷気を纏った刃が湯気によって柔らかくなった剛毛を引き裂き、その下の皮膚を引き裂き―――同時に、私には《月輪》による攻撃力上昇のバフが付与されます。
その一回転の動作が終わるなり、流れるような動作で勢いを殺さず《斬月》を見舞い、猪神の横腹に十字の凍てついた刀傷が刻まれました。
「お姉様!」
「ええ!」
その一言で察した私は右方、猪神の顔横の方へと横っ飛び。直後にその十字傷へと向けてジュリアが槍を構えての突撃をし掛け―――バリン、と何かが砕ける音。
再びの《ブレイクポイント》を繰り出したのだと一瞬で察する事が出来ました。が、猪神が構える様子を見せ、タンク隊が緊張を張り巡らせます。
「突進!」
その号令と共に近接攻撃隊が一歩下がり、同時に猪神の前方に攻撃予測による攻撃範囲予測エリアが一瞬だけ明滅。タンク隊も受けきる予定の一人だけが残り、防御バフも彼に集中されました。
直後に再び猪神の姿が一瞬揺らめき……次の瞬間にはタンク隊の彼を弾き飛ばしていました。体力は……まあギリギリ残っているようで、すぐにヒーラー陣からヒールが届きます。
突進攻撃が終わった途端に、すぐに再びジュリアを先頭として攻撃を再開。先程の感触の通り、やはり攻撃力の爆発的な上昇と引き換え防御力は低下しているようですね。
私も負けじと攻撃を再開、使えるアーツをありったけつぎ込んで、猪神の身体へとダメージを与え続けてジュリアと競争を始めます。
……私の方が弱点を効果的に突けるので、その分上回っているはずなんですけれどね!
突進や範囲攻撃との攻防から数分後……ようやく、その巨体が揺らぎ、地鳴りと共にゆっくりと地に伏したのでした。
途端に歓声が上がり、後方で奮戦していた初心者隊も合流して称え合っていました。この光景を見るのもたったの三日ぶりのような気もしますけれど。
「ふぅっ……」
「お疲れ様ですわ、お姉様」
「ええ、ジュリアこそ」
歓声の上がる傍らで、ほっと一息。司令塔を務めるのも楽ではありませんね。
私達と荷台に控えていた陽華さん達は倒した猪神の傍におり……その猪神は体の端からゆっくりと黒ずんで炭となって崩れていき、残ったのは……小さな子猪……うり坊でした。
ぐったりとした様子で意識はなく……私達がそれを拾い上げ、陽華さん達へとそのうり坊を渡します。
「……ずいぶんと、小さくなってしまったわね」
「それでも、まだこうして姿を残しているだけ……クレハ様、ジュリア様……ありがとうございます」
「いえ、皆さんのお陰ですから」
稲花さんが私達へと向けて頭を下げます。その尻尾は垂れて、どこか元気無さそうな……そんな口振りから、顔見知りだったのでしょうから。
それでもこれだけ強ければ森を守っていた、というのも納得ですね。特に森やこの一帯の植物と縁深い巫女達にとっては、より一層信頼できる相手だったのでしょう。
後方の荷車を襲っていた獣の群れも猪神が倒れるなり一斉に引いて行ったそうですから、ゲーム的なものだったとしてもその威はあったと思われますし。
「……ともかく、後方の方々が荷物を守ってくださいましたし、運びきってしまいましょう」
「そうですね。いつまでも落ち込んでいられませんから……陽華、お願い」
「わかったわ、さっさと運んじゃいましょ」
私達もくたくたな皆へ輸送護衛の再開を促すように声を掛けていきます。クエストは達成して帰るまでがやることですからね。
顔合わせ&運搬編でした。この面々で進めていこうと思います。
次回は期間限定イベント編。お楽しみに!