第七話
アンドロイド修理所に雇った鎌原の働きぶりは見事だった。サイボーグだからか、僅かな運搬にも一苦労するような機材でさえ易々と持つ。おまけにコンピューター関連にも強かった。
「鎌原、ちょっとこのプログラムを一緒に見てくれるかな?」サニーがパソコンを操作しながら、鎌原に頼む。「わかった。この機材を運んだらすぐやるわ」大型の機械の後ろから鎌原の声が聞こえた。
「ここのコンパイルが上手くいっていない気がするんだけど」サニーが画面を見せながら言った。プログラミング言語がずらずらと表示されている。「確かに、そうみたいね。私に貸してみて」サニーは鎌原に席を譲った。鎌原が少しばかり操作すると、エラーの表示が消える。「あっ。治ったみたいだね。鎌原は凄いなぁ、何処でこんな技術を学んだの?」「日本にいた時に色々とね。じゃあまた何かあったら呼びなさいよ」鎌原はすぐに次の作業に向かっていった。サニーは歩いてく鎌原を温かい目で見ている。そんな二人の様子を、アランは醒めた目で見ていた。サニーがのこのことアランの元へやってくる。
「いやぁ、鎌原が来てくれて本当に良かったよ。僕も機械には自信があるけど、彼女も相当良い腕を持っているね。力も強いし。アランもそう思うだろ?」だらしない笑顔で話しかけてきた。
「先生、あまり現を抜かさないでくださいよ。いつまた問題が飛び込んでくるかわからないんですからね。あの日から人間至上主義は何もしてこないですけど、裏で何かやってる可能性もあるんですから」厳しい真顔でアランは話す。「大丈夫大丈夫。こっちにはペティだっているんだから。いざとなったら僕も一緒に戦うさ」
へらへら笑っているが、サニーは決して戦闘向きではない。背は高いが華奢で、細身の割には筋肉が付いているというわけでもない。この前来た大男はおろか、せいぜいその辺の猫くらいが良い勝負だろう。この前だって少し重い機材を運んだだけで筋肉痛になってしまったじゃないか。力の方面については先生じゃ頼りにならない、と言いそうになるのをぐっと堪えていると、さっさと鎌原の方へ戻ってしまった。
アランは一抹の不安を抱えながら、はぁと小さな溜息を吐き作業を進める。
デヴィットは目的の店の前に着いた時、やっぱり帰ろうかと思った。馴染みの店であるバー・オブゼアーは道に面しており、ガラス張りのため外から中が見える。レトロな灯りが優しい。古風な落ち着いた雰囲気を売りにしているので店内の照明は暗いはずだが、イルミネーションのように輝く場違いな置物があった。
デヴィットがよく見ると、それはルーカスの髪の毛である。慌ただしく一秒ごとに切り替わる色の発光が、嫌でも人目をひいた。店員も退店を促すべきか、微妙な距離感をとっているのが伝わる。
店の前でデヴィットが入るか入らまいか躊躇していると、ルーカスが気づき笑顔で手を振ってきた。同時に店内の客達もデヴィットを見る。店員の目つきが厳しい。結局デヴィットはいそいそと傘をたたみ、居心地悪い視線を浴びながらルーカスの真向かいの席に座った。
「よう。遅かったじゃないか、デヴィットちゃん。どうせ奥さんといちゃいちゃしてたんだろ」ルーカスはすでに一杯引っかけているらしく、上機嫌だ。少々酒臭い。「アナに君と会うと言ったら怒られたよ」デヴィットは上着を脱ぎながら話し始める。
「またかよ。何でそんなに嫌われちゃったのかなぁ」ルーカスはいかにも困ったという表情をしながら言った。「何度も言ってるけど、僕とアナの結婚式に君が例の服飾再現装置で来て、牧師が誓いの言葉を述べている時に故障して裸になったからじゃないか」デヴィットの口調はきつい。「いや、だからあれは故障じゃなくて事故だったんだよ。式場に着くまでは全く問題なかったんだ。せっかく下着まで再現できてたのに。大方、牧師の信心が足りなかったんだろうね」ルーカスのへらへらした態度がデヴィットをいらつかせる。その後、デヴィットがルーカスを招いたことが明らかとなり、しばらくデヴィットは家から追い出された。
「ははは、しかし結婚式当日から別居することになるとはね」「笑い事じゃないんだよ」デヴィットは先刻のアナとのやり取りを思い出して少し心が曇ったが、その目障りな髪について尋ねる。
「ところで、その髪の毛も再現装置かい?」「よくぞ聞いてくれた。これは何と、頭皮にグラスファイバーを移植したのさ」デヴィットがやや理解に苦しんでいる間にも、ルーカスの髪色は青や赤、多種多様な色彩を見せた。
「昔に比べて機械を人体に移植することは一般的になってきたけど、何だってそんなものを。もしかして、ひどい火傷でもしたのか」「君は優しいな、誰もそんな言葉はかけてくれなかったぜ。なに、火傷や病気が原因じゃないさ」ルーカスは店員に追加のウイスキーを注文する。
「最近僕は自己存在の認識とは何か、という問題に直面していてね」ルーカスはロックグラスに注がれた黄金色のウイスキーを呷りながら言った。「自己存在の認識って、自分自身の存在を意識するってことかい?」デヴィットはブランデーを傾けながら聞き返す。空になったグラスが、ルーカスの髪の発光を受けて黄色に明るく光った。
「そうさ、昔からよくあるだろ。俺はルーカス・タイラーという人間だが、その定義について悩んでいる。今回、髪の毛を全部グラスファイバーにしたわけだが、それでも君は俺のことをルーカスと認めるか?」「何を言ってるんだ、当たり前だろう。お前は変人のルーカスだよ」「それなら、今までと何が変わったら俺はルーカス・タイラーではなくなると思う?」
店内に流れていた一昔前のジャズが、曲の切り替わりのため一瞬途切れる。「ちょっと、何を言ってるのか良く分からないのだが」「俺は人間を人間たらしめるものは、そいつの思考や意志だと考えている」ルーカスは先程とは打って変わって、真面目な表情をした。
「他人が自分を認識する時、顔や背格好、髪の色などは重要な役目を果たすよな。では、自分が自分を認識するときはどうだ?」「僕は鏡を見た時とかも顔とか髪を気にするけど」「その、”気にする”って考えているのは体の中のどこだ?専門家さんよお」ルーカスは酒に酔うと口調が強くなる。「それは脳だろうね」デヴィットは酒に強かった。
「なら自分の脳がコンピューターに変わったら、意志や考えることは自分のものだと思うか?」デヴィットは暫し思考に耽った。その間もルーカスの髪の色は流れるように変化している。「そのコンピューターに他人の意志が組み込まれているとしたら、自分自身ではなくなるのかもしれないな」「な、そうだろう。実は簡単な問題だ。デヴィット、お前は自分自身が今まで生きてきた記憶は嘘ではないと言い切れるか?」「何言ってんだ、当たり前だろ。君が結婚式で醜態を晒したことも歴とした事実だよ」 デヴィット達から少し離れたテーブル席に若いカップルが座り、紙に書かれたメニューを眺め始めた。
「デヴィット、アンドロイドと人間の違いって何だろうな」「何だよ急に」バー・オブゼアーの店員はマスター含め全員人間だったが、そのような形態の店は今時珍しい。「もちろん、違いはいっぱいあるさ。良く見れば肌の質感が違うし、体温も違う。食事も排泄もしないしな。でも今じゃ、見た目だけじゃなく行動も人間そっくりになってきた」ルーカスはかけていた小洒落た眼鏡を操作すると、アンティーク調デザインの机にある新聞記事を映し出した。