第六話
デヴィットは疲労が溜まりつつあった。AI技術の助けを借りられるとはいえ、日々の診療をこなしながら統計をまとめることは、彼に強いストレスを与えていた。
デヴィットはあまりパソコンなどの機械類に詳しくない。未だに書類作成なども旧世代の機能があまり多くないシンプルなソフトか、手書きで行うことが多かった。認知症専門医といっても彼のクリニックは神経内科を標榜していたため、認知症以外にも脊髄や筋肉の病気を相手にすることも多い。
医療業界にアンドロイド技術が参入して久しく、医療職以外は皆アンドロイドという病院も多くあったが、デヴィットはアンドロイドを使おうとしなかった。彼の心の中には医療は人間が行ってこそ意味がある、という強いポリシーがあったからである。さらに、統計をまとめるにはデヴィットのクリニックだけでは数が足りない。
彼は自身のクリニックでデータを集めつつ、同僚や今まで知り合った医師達に協力を求める必要性を感じていた。「今日も無事に一日が終わったが、まだ寝れんなあ」デヴィットは統計整理の合間にメールを確認しながら独りごちる。アナはもう寝ていた。このところ深夜まで仕事をしているデヴィットに愛想をつかしたらしい。もう小言を言ってくることはなかった。そのことがデヴィットは嬉しかったが、少し寂しさを感じている。
コーヒーを飲みながらすっかり旧型となってしまったパソコンの画面を眺めていると、未読メールに埋もれるように懐かしい差出人の名前を見つけた。取り掛かっていた作業を一時中断し、メールを開く。
Date: 5/12/2101
From: Lukas Tyler
Subject: See you after a long time.
Text: Hi, how are you doing? My precious friend David. Let's drink this time with your treat. See you around.
Lucas.
旧友のルーカスからのメールを読んで、デヴィットは少し心が軽くなる。ルーカスは医師ではないが、大学時代からデヴィットと付き合いがあった。他人とは少し違った感性を持つが、気のいい奴だ。最後に会ったのは去年の今頃だろうか。もう随分と会っていないような気がした。現在は、機械工学の人体への応用分野で仕事をしているはずだ。デヴィットもルーカスも大学を卒業してしばらく経つが、今でも互いに連絡を取りあっていた。
メールを読むと今度軽く会って、酒でも飲もうということが書いてある。文末にルーカスは飲み代を払わないつもりらしいことが、目立たないように記されているが、デヴィットにその気は毛頭無い。デヴィットは、次の土曜日の夜に馴染みの店で会う約束をした。
その日は朝から晴れていたが、夕方には街に雨の匂いが立ち込めた。デヴィットは診療を終えると、一度自宅へ戻りシャワーを浴びる。手早く着替えアナに見つからないよう玄関に来たはずだが、靴紐を結んでいる間に廊下の奥から彼の妻がのしのしとやってきた。
「急いでるみたいね」アナの声が冷たく頭上から降ってくる。デヴィットは多少心が動揺するのを感じたが、前もって用意していた答えを言った。
「ごめん、ちょっと会議があるんだ」なるべくアナの眼を見ないように気を付ける。「そうなの、ルーカスと?」必死の演技の甲斐なく、いきなり見破られた。何も言えなくなってしまったデヴィットを横目に、アナの眼は怒気を帯び始める。
「前からあの人と付き合うのは止めてって言ってるでしょ!それに今日は二人で取っておいたワインを開ける約束だったじゃない!忘れたの!?」アナは昔からルーカスが嫌いだった。「そう……だね。ちょっとあの、そこをなんとか」デヴィットは歯切れ悪くぼぞぼそ言う。それに、ワインを飲む約束をいつしたのか思い出せなかった。
「本当にすまん。この埋め合わせは必ずするから」「はぁ、これで何回目かしら。傘を忘れずに持って行ってね」アナは呆れた顔をして戻っていったが、同時に寂しげな表情をしていたことがデヴィットの心に小さな影を落とした。玄関を出るとすでに雨が降り始めている。霧のような細くか弱い雨だったが、デヴィットは勢いよく傘を開いた。
歩きながらもデヴィットの心中は少し暗かったが、段々と店に近づくにつれて今宵のルーカスはどのような恰好をしてくるのか気になってきた。
ルーカスは昔から突飛な行動や恰好が目立つ人物である。ペットだと言って自宅の軒下にハチの巣を複数設置したり、クリオネのような服を着てきて講義に出たりなど枚挙に遑がない。要するに、ルーカスは変人だった。
デヴィットは大学の寮で彼と同室になった時のことを、今でも強烈に覚えている。その日デヴィットは大学のオリエンテーションが終了した後、すぐに寮の自室へ向かったがすでに誰かが部屋にいるようだった。デヴィットは最初不審者か泥棒の類かと身構えたが、座りながら荷物をスーツケースからせっせと出している様子からどうやら同室のメンバーらしいことがわかった。
「やぁ、君も316号室の寮生かな。僕はデヴィット・スティーヴンス、どうぞよろしく」デヴィットは明るく声をかけたが、反応は無い。デヴィットが近づいてみると、その男は小型のイヤホンを耳につけていた。
デヴィットが彼の肩を軽く叩くと、全身で飛びあがり勢いよく振り返る。「驚かせてごめんね、一度声をかけたんだけど聞こえなかったみたいで。僕は一緒にこの部屋に住むデヴィットだ」「なんだよもう、びっくりしたなぁ。それなら、もっと別の方法で教えてくれれば良かったのに。まぁいいや、僕はルーカス。よろしく」ルーカスと名乗った男が立ち上がると、デヴィットは面食らった。
先程まで身に着けていた衣類が突然消失し、ルーカスは下着のみの恰好となっている。「え」デヴィットが狼狽えていると、ルーカスも異変に気付いた。「あ、しまったなぁ。服飾再現装置の効果が切れてしまった」「服飾再現装置?」「服を着るのって面倒だろう?でも、何も着ないで外に出たら捕まってしまう。だから、服を着なくても着てるように見せる装置を作ったのさ。ゆくゆくは下着も再現したいところだね」
ルーカスは自分の発明について、やや不満な態度でいる。デヴィットはルーカスに、素晴らしい発明だが衣服はきちんと着た方が良いことを淡々と説明しながら、今後の寮生活を憂ていた。




