表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
脳汚染  作者: 青空あかな
5/24

第五話

 「うわぁ、これまた豪華だね」サニーは嬉しそうに話すと、向日葵のカップの席に座った。「そうですね」アランの声は素っ気なかったが、パンジーのカップの席に着く。「ペティもこっちおいでよ」女性型アンドロイドはサニーに呼ばれると、近くから椅子を持ってきて彼の横に座る。


 「あ、紹介がまだだったね。これはアンドロイドのペティ、僕が造ったんだ。アランと一緒に修理所を手伝ってもらってる。物凄く力が強いんだよ」「こんにちは。ペティと申します」ペティが頭を下げた。「こ、こんにちは。鎌原陽和です」つられて鎌原も礼をする。「さ、自己紹介もすんだことだしお茶にしよう」サニーの一言で美しい午後のティータイムが始まった。


 ペティがティーサーバーから各々のカップへ紅茶を注ぐと、嫋やかな湯気と共に透き通った柑橘系の香りが室内に広がる。それをサニーもアランもストレートのまま飲んでいた。


 鎌原もそれに倣って何も入れずに飲む。口にした途端、芳醇な柑橘系の香りが口内に満たされ、ほろ苦い刺激を舌が感知する。嗅覚と味覚を豊かに刺激したそれを飲み込むと、固体のような確かな存在感を持って喉を降った。余韻が薄っすらと消えていく前にもう一度飲む。先程と同じ甘美な一瞬に酔い痴れた後、今度はティースタンドに芸術品のごとく品良く置かれた食物が、目と鼻の両方から食欲を刺激した。


 鎌原が最下段のサンドイッチに手を伸ばす。それをゆっくりと噛むと、少しの抵抗をもってパンが千切れた。ハムは塩気が強いが、一緒に挟まれていた柔らかい卵とすぐに混ぜ合わされ、口全体に薄く広がる。さらに噛むと胡瓜から程よい水分が滲み出され、滑らかな食感を舌に与えた。何かを腹に入れると、より食欲がくすぐられる。


 中段のフィッシュアンドチップスが、隣に盛り合わされた四種類のソースと共に、鎌原へ熱い眼差しを向けていた。薄くとも香ばしく揚げられたじゃが芋のチップを噛むと、ほどよい塩味が舌を刺激する。


 次に、黄金色の衣を纏った白身魚のフライを指先で摘むと、真っ白なタルタルソースにつける。食べやすいようスティック状にカットされていたフライの身は、固い衣と対照的に歯が入ると瞬時にほぐれた。それは噛むほどにタルタルソースと一体化し、その温かさは淡い酸味と共に舌を前から後ろへ駆け巡る。


 鎌原は新しいフライを手に取り、黒い輝きを放つバルサミコ酢へ差し込んだ。スティックの先端が黒褐色に染まり、酸い香りが鼻腔の奥を鋭く刺す。酢の匂いに誘われて口の中へ入れると、先程のタルタルソースより強めの酸味の中に、やんわりとした甘味がその存在を主張した。一思いに飲み込むと、次は生命の力強さを連想させるような真っ赤のサルサソースが目に入る。


 何かに操られるようにフライを取り、赤く染め上げた。口内に触れた途端、蕃茄の清涼な風味が突き抜ける。明朗な爽やかさを堪能していると、幾許かの辛味が顔を覗かせた。


 最後に鎌原は、白と黒が佳麗なコントラストを作り出している塩と胡椒をフライに振りかける。黄金色の衣に点々と、白と黒の星々が生まれ出た。鎌原はそれをしっかりと噛み締める。すると、最も簡素だがそれ故に食材の素質を最大限に引き出せる塩味と胡椒の心地よい辛味が、柔らかくも厚い肉質の身を飾り立てた。 四回もの幸福な味の変遷を謳歌すると、今度は最上段の菓子類に目を奪われる。


 湯気立つ琥珀色の紅茶を飲むことで、口内の感覚を振り出しに戻す。マカロンを手に取り、優しく噛み砕いた。紅茶の香りに負けないくらい快いラベンダーの香気が湧き立つ。マカロンが細かく砕かれる度、砂糖の甘味で満たされていった。


 甘い味わいが残ったまま、橙黄色のカップケーキを包装を丁寧に剥がしてから口に入れる。鎌原の舌と脳は、確かにそこに檸檬があることを認めた。爽やかな香りと味が、一種の清涼剤として機能する。


 最後に鎌原は、薄茶色に焼かれたフィンガータイプのショートブレッドを食した。バターの味わいが濃厚で、やや固めだがさくりさくりと歯切れよく噛める。鎌原は一頻り楽しむと温かな紅茶を飲み、深く息を吐いた。


 やけに静かな雰囲気が、鎌原を我に帰す。ティースタンドにあった美しい食物が殆ど無くなり、皿が剥き出しになっていた。


 「え、あれ」どうやら鎌原が一人で大部分を食べてしまったようだ。「よ、よっぽどお腹空いてたんだね。そんなに気に入ってくれて嬉しいよ」サニーが苦笑いしながら言うが、その顔は引きつっている。


 「……」アランとペティは共に無言でティースタンドを見ていた。「ご、ごめんなさい。あまりにも美味しくて、つい」「い、いやぁ、それなら良かったよ」サニーはあくまでも明るく話しているが、アランの冷たい視線が痛い。鎌原は話題を変えたかったが、自分から話を振る勇気は無かった。気まずい空気が漂っている中、ペティが抑揚のない声で話し始める。


 「先生。出入り口の上にあるステンドグラスですが、大分くすんできているようです。そろそろ掃除した方がよろしいかと存じますが、いかが致しましょうか」鎌原が見惚れていたステンドグラスのことだ。それは内から見ても美しく、室内に虹色の陽光を取り込んでいた。鎌原もその話題に辿々しく便乗する。


「わ、私もここへ来た時、綺麗だけど少し汚れているなって思ってたのよね」「……ここは元々教会だったんです」こほんと咳払いをして、アランが教えてくれた。


 「信者の数が少なくなってしまい取り壊しを予定されていたところ、サニー先生が買い取ってアンドロイド修理所として蘇らせたんです。ですから、よく見ると教会の名残が残っています」鎌原は周囲を注意深く見た。


 建物全体は縦長の構造で、天井は柳梁天井でありゴシック様式を感じさせる。等間隔に支柱が並んでおり、その柱頭には小さな天使達の彫刻が彫られていた。アランの言う通り、そこには教会の名残があった。「屋根の上にあった十字架は外しちゃったけどね」サニーも会話に加わる。「それはそうと先生、そろそろ次の仕事の準備をした方が良いのではないですか」アランが鎌原と時計を見ながら言った。「あ、そうだね。もうそんな時間か」ところで、とサニーは鎌原へ問いかける。


 「君はこれからどうするの?」鎌原の表情が硬くなった。「別に。特に決まってないわ。別の国に行くかも」「そうかぁ……もし君が良かったら、落ち着くまでうちで働かない?」「先生、ちょっとよろしいですか?」鎌原が答える前に、アランがサニーをさっきの部屋へ連れて行く。しばらくして、アランの叱責する声が聞こえてきた。


「先生!そうかぁ、じゃないですよ!黙って聞いていれば何てことをおっしゃるんですか!またいつ面倒な事に巻き込まれるか分からないんですよ!それにここで働くって言ったって、そんな余裕はどこにもありません!第一あの人にどんな仕事を頼めば良いんですか!この前だって何も無かったから良かったものの……」


彼らが戻って来るには時間がかかりそうだ。この間に鎌原はひっそりと姿を消すことした。「ごめんなさい、私のせいであなた達に迷惑かけちゃって。私はもう消えるわね。お茶とお料理、本当に美味しかったわ。願わくばもう一度食べたいくらいよ。優しくしてくれて、本当にありがとう。あの人達にも伝えといて」鎌原はペティに話すが、無表情のまま何も返答は無い。


 少し俯きがちに席を立ち出口へ向かおうとした時、淡白で機械的なペティの声が聞こえた。「鎌原さん、あなたはここへ留まるのが最も得策だと考えられます」ぼんやりとした鎌原の眼がペティを見つめる。鎌原が何か言おうとした時、疲れた表情のサニーと真顔のアランがゆっくりと戻って来た。


 「さっきの提案なんだけど、残念ながらあまりお金は出せないんだ。それと寝泊まりする場所は作業場の中になっちゃうんだけど、それでも良いかな?」サニーの瞳の奥に柔らかな光が見える。アランの瞳にも同じ光が映っていた。


 鎌原の心の中は先程の食事の時よりも、さらに幸福な空気で満たされる。「はい、よろしくお願いします」涙が出そうになるのを抑えるのが大変だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ