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脳汚染  作者: 青空あかな
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第十二話

 ニューヨークにある自分の研究所に、このところルーカスは1週間ほど泊まり込んでいる。世界中で流行している新型認知症のためだ。


ルーカスは唯一と言ってもいい友人が発症したことを悲しんでいたが、彼のためにも黙々と仕事に打ち込んでいた。今回現れた認知症は従来のものと同じく、海馬の萎縮、ニューロン間の連結の消失が認められる。感染性を持つということ以外に特殊な特徴は現時点では無く、治療薬の開発も遅れていた。


 「あともう少しだ。頑張れ」ルーカスは必至に作業を進めている。「先生、少し休まれた方が良いのではないでしょうか」助手のアンドロイドが心配そうにルーカスへ声をかける。「大丈夫だ。すまんが少しほっといてくれ」投げやりな返答を受けると少し不満そうな表情をしたが、ルーカスは気がつかなかった。


 特効薬の開発が難渋することは、ルーカスにも予想がついていた。そこでルーカスは別のアプローチで新型認知症に挑んでいる。認知症によって喪失した脳機能を補うためのマイクロチップの開発だ。アンドロイドの人工知能の主流であるヤマト・プログラムをベースに製作しているため、比較的早く出来るはずだった。


 マイクロチップはほとんど完成していたが、ルーカスの頭には淡く浮かんでいる懸念材料が一つある。ヤマト・プログラムに自我が形成されているのではないか、という点であった。もちろん、自我の存在が確認されたわけではない。


 ふん、馬鹿馬鹿しい。何がアンドロイドの自我だ。あれは酒の席でふと思いついた戯言に過ぎない。くだらないことを考えていないで、さっさと完成させよう。自分の発明に人類の未来がかかっている。


 「よし、やった、ついに完成したぞ!」グラスファイバー製の髪の毛を光らせながら、暗い部屋でルーカスは呟く。ルーカスの目の前にマイクロチップの試作機が出来上がっていた。


 机の上に一見するとSDカードのような、四枚の小さなチップが置いてある。チップはそれぞれ人間の前頭部、後頭部、左右側頭部に一枚ずる装着することを想定していた。


 マイクロチップは手術で脳内に埋入することが一般的だったが、ルーカスは普及のしやすさを考慮して設計している。従来のように頭蓋骨に穴を開けるような必要はなく、頭皮を開き頭蓋骨の表面に接するように挿入するだけで装着可能だった。


 チップは生体適合性と電気伝導性の高いネオチタンでコーティングされている。そのため、装着後は骨と一体化するが、その分位置の安定性の向上が期待された。チップの一枚一枚には微小な電極が装備されており、そこから放出された電磁波が神経細胞の情報伝達を助ける。またルーカスはこのチップに、特殊な磁場を形成することで外部からの脳波を遮断する機能を持たせた。


 毎日のように行方不明者の捜索願が出されている中で、人類にとって一筋の希望が見えた。ルーカスの研究グループが、萎縮した海馬の機能を補うマイクロチップの開発と移植技術の確立に成功したためだ。


 脳の一部として安全に機能し、喪失した記憶力や思考能力の回復が見込まれた。一部で倫理的問題に基づきこれに抵抗する者達もいたが、ほとんどの人類が肯定的に受け入れている。すぐに全世界の新型認知症患者へのマイクロチップ埋入手術が始まるであろうことは明白だった。


 その後、新型認知症には脳汚染病という名前がつけられた。


 「脳汚染病の感染者数は増加の一途を辿っていますが、一筋の光明が見えてきました。ルーカス・タイラー氏らが開発したマイクロチップの移植技術です。ヤマト・プログラムをベースに開発したため、高度な人工知能の助けを得ることができます。このチップを頭蓋骨の表面に装着することで失われた脳機能を回復させ、以前のような生活を送れるようになります」


 「マイクロチップだとよ」テレビを見ながら大木が森井へ話かける。「ほんとに効果があるんですかね」以前からマイクロチップを脳や人体に埋入することはすでに行われていたが、倫理的な面からまだ一部の人間に限られていた。


 「先輩はチップ入れますか?」「やだよ、そんなの。誰かに操られそうじゃん」「でも外部からの信号を受信したり、インターネット環境に接続する機能とかはないらしいですよ」「え。そんなことニュースで言ってたっけ?」「先輩、彼らの論文に書いてあったじゃないですか」「お、おう。そうだったな」大木は英語が苦手である。


 「お前チップ入れんの?」「だって、いつまでもこんなヘルメット被ってるわけにもいかないじゃないですか。そもそも、こっちの方が効果あるかも分からないですし」大木もアルミ製のヘルメットには辟易していた。「うーん。でも、やっぱり抵抗あるなぁ」臨床試験によりマイクロチップの安全性と効果が確認されると、脳汚染病の有効な対応策として世界的に脳へのマイクロチップ装着手術が進められていった。その結果は比較的良好で、症状の改善が数多く報告されている。


 「まさかこんなに効果があるとはな」大木は夕食に出前のカツ丼を食べながら森井へ話していた。頭には銀色のヘルメットが乗っている。「治療薬の開発よりマイクロチップの研究の方が予算割かれてるみたいですよ」「はいはい、海外のニュースサイトに載ってたね」「いや、昨日のニュースでやってましたけど……」「そ、そうだったな」「チップを装着した人から、本当にあの脳波も出てないんですよ」大木の病院でもマイクロチップの装着手術は行われており、その結果は大木達も把握していた。「予防的にチップを装着することも認可されるみたいですね」世界的状況を鑑みると当然の流れでもある。


  マイクロチップの装着手術が開発されたことで、人々は平常時の生活を取り戻しつつあった。外部からの脳波の遮断効果も認められたため、アルミ製のヘルメットなどを被る者も少なくなっている。各国の首脳部の中にも予防的に装着手術を受ける者もいた。


 平穏を取り戻した世界で、一つの大きな変化が起きた。アンドロイドの自我の存在が確認されたのである。現在に至るまで無数の研究者や技術者達が開発に成功しなかったため、当初は何かしらのバグや故障が疑われた。しかし、何度検査してもバグや故障は無い。ヤマト・プログラムの開発者である日本帝国工業社は、自我の形成については全く想定していなかったとコメントを出した。


 世の中に明るい光が差し込んでいる中、ほとんどの人々はこの現象を好意的に受け入れた。しかし、ヤマト・プログラムが搭載されている世界中のアンドロイドに自我が芽生えた歴史的な日から、人類の歯車は狂いだしたことに気付いているものはいなかった。


このところ朝を迎えるのがたまらなく気持ちいい。アメリカ大合衆帝国の大統領であるチャーリー・ハリソンは解放感で心がいっぱいだった。


 脳汚染病が収束する見通しが立ち、しかもそれを実現させたのは自国民の業績といって良かったからだ。脳波が感染源と解明したのも自国の人間、具体的な対応策であるマイクロチップの開発に成功したのも自国の人間であり、大統領として鼻高々だった。しかも、かねてからの個人的な願望だった、アンドロイドの自我の存在が確認されたからである。


 「おはようございます。大統領閣下、ご気分はいかがでございますか」執事用アンドロイドが恭しく挨拶してくる。「おはよう、とても気持ちいいよ。それにしても君はいつも綺麗だね」「ありがとうございます。何か御用がございましたらいつでもお申し付けください」


 嬉しそうな笑顔をして退席するアンドロイドを見送ると、チャーリーはさらに機嫌が良くなった。「やっぱり機械であろうと何だろうと、無表情より笑顔の方が良いな」チャーリーは朝食を食べると、会議室へ向っていく。


 「おはよう、諸君!今日も気持ちの良い朝だな!」チャーリーは元来会議が嫌いであったが、最近は上機嫌なので議員たちは気が楽だった。


 「さて、今日の議題は何だったかな」「メキシコ国からの不法移民の件と、北朝鮮国のミサイル問題です」それを聞いて、チャーリーは少し機嫌が悪くなる。「全く、何十年前から同じ内容を議論してるのだ。さぁ、さっさと片付けてしまおう」議論は始まるも、すぐに平行線を辿っていった。


 「ですから、国境に壁を設置するべきです!」「その費用は誰が出すんだ!」「メキシコ国と我が国の不法移民者に払わせればいいでしょう!」「奴らにそんな金があるわけないだろ!?」


 チャーリーはぼんやりと議論を聞いていたが、突如として不法移民者達が暴動を起こすのではないか、メキシコ国が攻めてくるのではないかという恐怖に囚われた。


 「先手を打たれる前に、メキシコ国を潰そう」チャーリーの声はそれほど大きくは無かったが、部屋の奥の議員まですぐに伝わった。静寂が訪れ、外で飛んでいる鳥の鳴き声が聞こえる。


 「……閣下、仰っている意味がわかりませんが?」一人の年老いた議員がおずおずと問いかけた。


 「奴らは不法移民の数を増やして、我が国を内部から攻めるつもりだ。現に今も不法移民は増え続けているではないか。もしかして貴様もメキシコ国のスパイで、わざと議論を遅らせることで時間を稼いでいるのではないか?」もはやチャーリーは誰も信じられなくなっていた。


 「閣下!落ち着いて下さい!考え過ぎです。誰もそんなことするわけないでしょう」「いいや、そうに違いない。議論だって何十年前から全く進展していないじゃないか!」「議長!休憩を要求します!閣下、取落ち着いて下さい!」


 「休憩!只今から議論は一時休憩とします!」議長が宣言した後も、騒然とした会議室の中をチャーリーと議員が言い争う声がいつまでも響いていた。

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