8. 私の癒し
『悩みっていうか自慢よね。あんたなんて何の取り柄もないんだから、とっとと嫁に行くのが正解よ』
『そうですね。昨今、女子の社会進出も進んでますが特権階級での話ですし、ウルリーカさんはアシルさんに養ってもらうのが一番幸せだと思います。庶民では学習する機会も少ないですし孤児には厳しい世の中です』
『ウルちゃん!よめにいっちゃうの?よめってどこ?』
裏庭の大きな一本の木に寄りかかり、朝の清々しい空気を吸い、鳥のさえずりを聞きながら優雅に過ごしている。と言いたいところだが騒がしい鳥達は、そんなことを許してくれない。
「トロワ、どこにも行かないからおいで。アン、ドゥも適当なこと言わないで、まだ10歳だし、お嫁に行く行かないの話してるんじゃないの!」
『あら、あっという間よー。血の繋がりがないんだから、面倒見るなんてそういうことでしょう?』
鮮紅色の羽と暗赤色の嘴を持つ小鳥は、言葉の意味もわからず、焦って私の周りを飛んでいる。落ち着かせるため左腕に止まらせ、リンゴのカケラをあげると嬉しそうに食べ始める。
他の2羽も、スズメとそっくりな褐色の小鳥と真っ黒な羽と嘴を持つ鳥は私の手の中からリンゴをかっさらい、木の上で器用に食べている。ちなみにみんな雄鳥。
この世界の動物達は人間と会話が可能らしく、アンとドゥは病気で安静にしている私を見つけてから、部屋の窓に現れては食事を盗んだり、1日中ピーチクパーチク喋りにきたりしていた。
この2羽は、個性的すぎて群れから追い出されたらしく孤児院の裏庭を住処にしていた。
小さなトロワは、何処からかきた鳥が巣を作り卵を産んだが、1羽巣から落ちてしまい瀕死のところを発見して、神父様に頼んでお兄ちゃんと面倒を見た小鳥だ。元気になる頃には、親鳥も兄弟もいなくなってしまったため、お兄ちゃんが木の枝に鳥小屋を設置してくれて、そこで生活している。
餌もなかなか自分で取れないため、毎朝、私の食事を少しずつ分けている。そこに図々しく2羽が割り込んでくるのが日課となっていた。
トロワの名前を考えている時、自分達にもつけろと騒いだため、かなり悩んだあげく1・2・3と凝ってるんだか、そうでもないような名付けとなった。
だって、急かすんだもん。この国にはない言葉なので、本人達は意味はわからないけど満足しているようだった。
「……ていうか、その話どこで聞いてたの?」
『いやあねえ、盗み聞きなんて人聞きの悪い』
『そうですよ。ウルリーカが悩んでるようだったから、僕達はアドバイスをですね』
盗み聞きっていってるし、本当に油断ならない。朝のやり取りを、どこからか見ていたらしい。何で嫁に行く話まで飛躍してるんだか。
「お兄ちゃんの前で、変なこと言わないでよ。トロワの教育にも悪いんだからね」
『あの子、全然気付いてないわよね』
『鈍感にも程があります。周りが見えてないんですねえ』
アンとドゥが、コソコソと私に聞こえないように会話している。まったく、あの2羽は!
『ウルちゃん、今日もご飯ありがとう』
「トロワは、いい子」
それに比べてトロワは天使。トロワの頭を人差し指で撫でると、フワフワの体を頬に寄せてくれる。
木の上の2羽は贔屓だとかブーブー文句言っているが、なんだかんだ言っても、少し寂しい気持ちを和らげてくれるので感謝はしている。
絶対に本人達に言わないけども!
朝から1人と3羽で、わーわー騒いでいると孤児院の高い塀の上に新しいお客様が現れる。最近の私は、とことん動物に縁があるらしい。
「あっ!黒猫ちゃん!」
『ねこちゃん!ねこちゃん!』
トロワが私の腕から離れて、艶々した真っ黒な猫の元へと飛んでいく。黒猫は塀の上で行儀よく、お座りをして周りをうろちょろするトロワを気にすることなく、右が黒に近い深緑、左が金色のオッドアイを細めて、こちらを見つめてくる。
この黒猫は一週間前から突然現れ、何をするでもなく塀の上から私達を見ていて、飽きると帰っていくのだ。前は動物が好きでも触ることなんてできなかったので、どうしても艶々な毛を撫でたいと思い、あれこれ声をかけているが、塀から降りてくることはなく返事もしてくれなかった。不思議なことに鳥達がちょっかいをかけても、追いかけたり傷つけたりしないので、トロワはすっかり懐いてしまっていた。人に飼われているのか、首に緑の石のついた首輪をつけていた。
「あっ!そうだ。黒猫ちゃんに今日は良いものを持ってきたよ」
どうしても、黒猫と仲良くなりたかった私はハンカチに包んでいた朝食のパンを手のひらにのせて差し出す。要は餌付け作戦だ。
『パンだ!ねこちゃん、パンすごくおいしいよ!』
トロワが嬉しそうに黒猫に話しかけるが、黒猫はオッドアイを細めて不快そうな腹を立てたような表情をすると、ヒラリと塀を降りていなくなってしまった。
「パンはお気にめさなかったかな?」
今度は果物にしようかなと考えていると、私の手のひらからドゥがパンをかっさらっていった。
「あっ!コラッ!」
『ぼくも、ぼくも』
木の上で、三羽が器用にパンを分けて食べ始めた。
『全く、餌付けなんて単純なことじゃだめよ』
『なかなか偏屈な性格をしてそうですからね、好みも偏ってるのでしょう』
『おいしい、おいしい』
全く、簡単に餌付けされてる分際で言いたい放題なんだから。
アン、ドゥ、トロワを微笑ましく見つめていると、背後から厳しい声がかけられる。
「ウルリーカ、何をしているんですか!」
その甲高い、刺々しい声に背筋が伸びる。アン、ドゥ、トロワも声の大きさにびっくりしてパンを地面に落として一斉に木の枝から飛び立った。
「聞こえてますか?ウルリーカ」
「…はい」
後ろにいる人物と、その表情が想像でき緊張しながら恐る恐る向かい合う。
上からの圧迫感に負けて、恐る恐る見上げると赤茶色の癖毛をきっちりシニヨンにまとめて、同じ赤茶色の瞳を神経質そうに歪めているシスター・ヘルマと目が合った。
ああ、やっぱり…わかっていても振り返ったのを後悔したくなる形相をしていた。
孤児院には神父様の他に二人のシスターがいて、私達の面倒を見てくれている。一人はシスター・クラーラ、30代の物腰柔らかく子供好きで優しい女性だ。もう一人は、この孤児院出身で25歳のシスター・ヘルマである。
シスター・クラーラは優しくてみんなから好かれているが、シスター・ヘルマは神経質で厳しいため、苦手な子供が多い。
理由はわからないが、私はシスター・ヘルマに嫌われているらしく、一人でいると必ず何かしらお小言を言われる。前はお兄ちゃんが常に隣にいたので、回数は少なかったが、最近は一人で過ごすことが多いため事あるごとに怒られている。
またかと溜め息をつきそうになるのをこらえて、怒られる前に謝る。
「ごめんなさい。洗濯当番は今から行こうと思ってました。時間に遅れましたか?」
「そのことではありません」
違うのかと首を傾げると、シスター・ヘルマの目がきつくすがめられ、地雷を踏んだことを知る。
「前から気になっていたのですが、むやみに動物に餌付けをするのをやめなさい。食事も皆様からの寄付で成り立ってます。自分のを分けてるから、いいだろうという考えは、どうかと思います。それに野生動物は、どんな病気を持ってるかわかりません。流行り病を患ったばかりなのに、また迷惑をかけるつもりですか!」
たたみかける物言いに体が震えて縮こまる。
アン、ドゥ、トロワのお世話は神父様に許可をもらっているのに。毎日のようにお世話してるけど、病気になんてならないし流行り病はトロワ達とは関係ないのに。お兄ちゃんには笑顔で声をかけているのに、私には怒っている不機嫌な顔しかしないの?
色々な思いがわき上がってくるが、言い返しても倍になって返ってくるので、ぐっとこらえる。
「…ごめんなさい」
「わかったなら、そこを片付けて当番に戻りなさい。今すぐにです」
「はい」
言い終えて、すっきりしたのか踵を返して建物へと戻っていく。
今回は、なかなか精神的にこたえたな。自分でも迷惑をかけた自覚のある病気のことを出されると何も言い返せない。
最近のシスター・ヘルマはイライラしているのか前に比べて、理不尽に怒られることが多くなっていた。怒られたことのないエイミーも最近、虫の居所が悪いとチクチクお小言をもらうらしい。彼女は要領がいいので、うまくかわしているようだけど。
建物へと入ったのを確認してから、落ちたパンを拾っているとアン、ドゥ、トロワが一斉に寄ってくる。
『なんなのよ、あの女、毎回毎回!あんたも黙ってないで言い返しなさいよ!しかも、私達を病気持ちみたいに言って!きー!』
『ウルリーカさんが良いというなら、私達がつついて追い払いますよ』
『ウルちゃん!パンおとしてごめんね』
『トロワ!土だらけのパンを食べんじゃないわよ』
『えっ、でももったいない』
『まあ、私達の普段の食事が衛生的かと言われると甚だ疑問ですが。何かあったら、ますますウルリーカさんが怒られますからね。やめましょう、トロワ』
「ふふふ…」
悔しかったり悲しい気持ちも私の事を自分達のように怒ってくれる、みんなの気持ちと、この騒がしさに笑いがこみ上げてくる。
『泣かないで、笑いだしたわよ。気でも触れたのかしら』
『マゾなんですかね』
『ウルちゃんがおかしくなっちゃったの?』
「もう!当番に遅れたら、また怒られるから、もう行くね。大人しくしててよね」
追い払うために、シスター・ヘルマをつついてる3羽を想像して、また笑ってしまう。へなちょこすぎて、撃退されてしまいそう。
優しい子達だから、きっと、そんなことできないだろうなーと思いながら、急いで洗濯場へと向かった。