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6. 私の過去


 ここは孤児院のある一室。目の前に背筋を伸ばして行儀良く座る少女の胸に聴診器をあてる。呼吸は綺麗になり雑音も聞こえない。


「咳は、どうだい?」

「もう出ないよ。すごく元気」

「先生、ウルは治りましたか?」


 隣に立つ少年は、自分のことのように顔を強張らせながら次の言葉を待っている。ここで意地悪をして悪化していると言ったら、卒倒しそうな顔色をしているな。件の少女は、飽きたのか足をプラプラさせながら欠伸をしていた。自分の体は自分がよくわかっているのだろう、呑気なものだ。

 悪戯心を抑えて、事実を二人に伝える。


「うん、完治だ…」

「やったー。苦い薬から解放される!先生、ありがとうございました!」


 自分が伝え終わる前に、少女はピョンっと椅子から元気よく飛び跳ねて、少年の横を通り過ぎて扉を押して出ていってしまう。


「コラ!ウル、待つんだっ!」


 少年の言葉は空を切り、窓から見えるのは孤児院の庭に走り出している少女の姿だった。


「先生、すみません」

「いやいや、元気になった証拠だ。良かったね。いつアシルが倒れるか心配だったんだ」

「僕は大丈夫です。本当にありがとうございました」


 深々とお辞儀をすると、ウルリーカの元へと足早に向かった。


「おう!先生、ウルリーカはどうだ?って、おわっ」

「神父様、すみません!」


 ウルリーカの様子を見に来たガトフリー神父がアシルとぶつかりながら入れ替わりに部屋へ入ってくる。


「なんだ、もう終わったのか…」


 聖職者という言葉が一番似合わない無精髭を生やし茶色の癖毛をガシガシとかいている壮年の男がこの教会と孤児院を取り仕切っている。見た目に反して情が深くウルリーカのことを心配してきたのだろう。


「大丈夫ですよ。完治です」


 そうかと興味なさそうに返事をし、窓枠に手をかけながら庭で遊んでいる子供達を見つめる目は優しい。


「もう10年ですか?アシルは、もう大人と変わらないくらい成長してますね」

「来年は、孤児院を出る年だ。俺も年を取るわけだ」

「本当に。ウルリーカが目を覚さなかったら、アシルがどうなるかとハラハラしましたよ」

「先生いつも悪いな。金もなかなか払えないのに感謝してる」


 小さな町で医者を営むようになってから、この孤児院は、お得意様だ。腕が良いと貴族に呼ばれることもあるし、金はあるところから取れればいいのだ。

 ガトフリー神父と初めて会ったのは、ウルリーカとアシルが孤児院にきた日だった。


 昔、もう少し大きな街で貴族相手に仕事をしていた時だった。貴族の支援を受けて、それなりの病院を営んでいた。そのため、貴族専門と囁かれ平民は寄りつかなくなっていた。

 10年前、それは雪が降る寒い日だった。雲に覆われ町は薄暗く患者の足も遠のいていたので、そろそろ閉めようとしていたときに、突然馬のいななきとともに一人の男が飛び込んできた。

 院の中に入ってくるとともに、いきなり土下座された。


「すまないエインズワース先生!噂を聞いてやってきた。自分はガトフリーといって神父をしている。どうしても見てもらいたい子供が二人いるんだ。金は、いずれなんとかする。頼む!」


 男の身なりから、金は払えそうにないなとは思った。だが、男の勢いと自分は金がないと診てもらえないと思われているのかということに釈然とせず、挨拶もせず了承した。

 本当か?と輝かんばかりの笑顔をすると、ガトフリー神父は前は急げと外へと促してきた。馬車でもあるのかと外に出てみると黒毛の馬が一頭いるだけだった。


「これは…」

「あー、教会にいる馬だ。先生は小柄だし、二人で乗れるだろう」


 男と二人で馬に乗るなど聞いたことがあるか。しかし、男は切羽詰まっているし、優雅に馬車などといっていられない状況なのだろう。そう自分に言い聞かせ、これは仕方なことなのだと暗示をかけながら孤児院へと向かった。

 精神的に何かをガリガリと削られた気持ちで、孤児院の一室に入ると毛布に包まれてベッドサイドに座るどこかぼんやりした薄汚い幼児と少し青白い臍の緒のついた生まれたばかりの赤ん坊がいた。


「教会の前に捨てられたみたいなんだ。こいつが赤ん坊を連れて、孤児院まで入ってきたんだが、何も喋らねえし、赤ん坊はどんどん青白くなるしで…この町にはろくな医者がいないから先生を連れてきたんだ」


 緊急性を感じ、二人を触診する。


「脱水と低体温だな。湯を用意しろ!男の子は大丈夫だ。落ち着いたら風呂に入れて食事をあたえてくれ」

「わかった!湯だな」


 ガトフリー神父は、男の子を抱えると赤ん坊のためにシスターに的確に指示をだしている。

 そこからは、バタバタと赤ん坊の命を助けるために処置を施した。


「これで大丈夫だな」


 頬に血の気が戻ってきた赤ん坊に少しずつ白湯を飲ませていく。グッタリはしているが、水分が取れれば、もう大丈夫だろう。


「そうか、大丈夫か」


 ガトフリー神父は、ハーと息をつき座り込む。男の子も風呂と食事を与えられ布団の上で寝息をたてている。これは孤児院に少しの間、通わないとダメだな。漏れそうになる溜息を抑えて、帰る旨を伝えると。


「おっ、じゃあ送ってく…」


 立ち上がろうとする神父を断り、自分で馬車を見つくろい帰途についたのだった。この出来事がきっかけとなり、何かある度に馬で拉致されることとなる。街に男2人のただれた噂が立ち初めて居を移すことになろうとは、この時は微塵も思っていなかった。


 赤ん坊はみるみる元気になり、よく泣き笑うようになっていた。名前はウルリーカと神父が名付けた。どういう意味があるのか聞いたら、なんとなくだそうだ。しかし、なんとなくの名前はこの子にぴったりと似合っていた。


 問題は男の子だった。表情筋が死んでるのかと思うほど無表情で、言葉を発さないのだ。なんとなく表情や視線で、指示をくみ取ってはいるようだが理解してるとは思えない。食事を出されれば食べる。ベッドに連れて行けば寝るという感じだった。人間の基本欲求以外は、ウルリーカのベッドの横でウルリーカをぼんやりと覗きこんでいた。見たことない生き物くらいに思っているのか、孤児院にいる自分と同い年の子供には何の反応も示さなかった。


「チビは親に、放置されてたのかもな」

「そうですね。生まれてから、話しかけられることがなっかたんでしょうね。4歳くらいだとは思うんですけど、どうやって言葉を教えて良いのか検討もつきません」

「俺達が話しかけても、無反応だしな。どうしたもんか」

「そういえば、男の子の名前はつけてあげないんですか?」

「いや、あ…に反応するときがあるから、きちんとした名前があるのかと思ってな。大切な名前まで取っちまうのはどうかと思って」

「そうですか…」


 医者として、とても歯がゆかった。子供の教育なんて専門外だし、果たして、この症例に対応できる者などいるのだろうか?


 しかし救世主は、突然現れた。それはウルリーカだった。

 ウルリーカが生後2ヶ月になると、アーウーと声を発し始め、男の子が驚いた表情をし唇を触り始めたのだった。

 3ヶ月、声を出してウルリーカが笑うと口を同じ形にパクパクと開けたり、つぐんだりしている。赤ん坊の反射が面白いのか、手を差し出してはギュウと握られる度に、驚いて引っこめるのを繰り返していた。無理矢理、子供達の輪に加えてもなんの手応えもなかったのに。


 この光景に目を潤ませ、今にも二人を抱きしめそうな神父に、構うなと目配せをする。これはウルリーカの成長と共に、この子も成長できる機会かもしれない。それからは、本人の好きなように側に居させるようにした。夜も制限をかけなかった。


「なあ、先生。俺、病気かもしれん」

「なんですか、いきなり」

「夜中にさ、ウルリーカとチビが気になって見に行くんだけど、もう一人黒髪の少年がいるんだ」

「幻覚ですか…」

「なんか、3人で楽しそうにしてるんだよ。黒髪の子が2人に言葉を教えてて、目があったら、人差し指を口に当ててシーってされたんだよ。幻覚なのか、お化けなのか?」


 だいの大人が頭を抱えて真っ青になっているのは、なんと滑稽なのだろう。お化けか…実は、その少年には自分も出会っていた。孤児院の子供達を診ることは、当たり前のようになっており病状によっては泊まり込むことも増えていた。月明かりに照らされた少年の姿を、初めて見た時は驚いたが不思議と怖さは感じなかった。2人を見つめる瞳が慈愛に満ちていたからだった。その子が現れるようになってから、2人の成長は目を見張るものがあった。

 騒ぎ立てるべきではないというのが自分の中での結論だった。神父には気のせいだ、騒ぐなときつく言い聞かせていた。


 ウルリーカが1歳の時に、それは起こった。ウルリーカは発語が見られるようになってきており、ハイハイしたり伝い歩きもするようになっていた。男の子も、単語を話すようになってきており、こちらの言葉を少しずつ理解しているようだった。


「アシ、アシ」


 最近、お気に入りの言葉をウルリーカが繰り返し喋っている。もちろん、隣には男の子が陣取って、カルガモ親子のように移動している。それを見守っていると、神父がふと呟く 。


「アシか…アシね…アシ、アシ。アシル?」


 その呟きに男の子が振り向く。神父は宝物を発見したように目を輝かせながら男の子に駆け寄りひざまづく。


「お前の名前はアシルなんだな!」


 その時だった、微かにアシルが口角を上げた。アシルが初めて笑ったのだ。


「先生!」

「ああ…ああ」


 私は呆然と返事をすることしかできなかった。神父はアシルを抱き上げると名前を連呼する。アシルを抱きしめながら涙を流していた。


「素敵な名前だ。アシルか、そうか、アシルか」


 ウルリーカは楽しそうに手を叩きながら、キャッキャッと声を上げて笑っていた。

  

 アシルは名前を呼ぶようになると、自分達にも意識を向けるようになってくれ、ウルリーカを追い越して、どんどん成長していった。きっと親からかけられる言葉が名前だけだったのだろう。悲しいことだが、それがアシルにとって唯一の言葉だったのだ。

 ウルリーカの一挙一動に興味を示し、アシルは成長していった。

 アシルの成長には、ウルリーカがなくてはならない存在となっていた。


 

 今でも昔のことが、ありありと鮮明に思い出せる。庭では元気になったウルリーカに振り回されているアシルがいる。

 まあ、2人のせいで自分の人生も狂ったわけだが。孤児院の子供達の主治医になるなど当時の自分は想像もしてなかっただろう。きっと出会わなければ良かったと言う日は絶対来ないだろう。毎日が忙しなくて本当に楽しい。


「良かったな」

 神父の言葉に、どれ程の意味があるのかわからないが自分もはっきりと同意することができる。

「ああ、本当に」





 



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