5. 私の大切な人
教会のドアの前に、パジャマのまま切羽詰まった表情をして現れたのは、お兄ちゃんだった。
お兄ちゃんを見て思ったのは、ヤバイの一言だった。
祭壇の前に目を赤くしながら座りこんで、見たことのない男の子と一緒にいたら、やましいことはないけど何て誤魔化せばいいのか思いつかない。
凍りついて動けないでいる私を目に留めると、足をもつれさせながら駆け寄ってくる。
無意識に逃げ出そうとすると、両腕を強く握られ引っ張られる。引き寄せられて、お兄ちゃんの胸に頬があたった。
「こんなに体を冷やして、一人で何をしてたんだ?女の子の悲鳴が聞こえて、ウルがいなくなって、生きた心地がしなかった」
息が止まるほど抱きしめられると、お兄ちゃんの心臓の上に耳をつける形になる。早鐘を打つように鼓動をうっており、私はお兄ちゃんにどれだけ心配をかけたのだろう?
「ごめんなさい……って、えっ?ひとり?エルマーは?」
お兄ちゃんの腕の中から、顔を上げ周囲をキョロキョロと見まわすが、エルマーの姿は消えていた。どうやら空気を読んで、私の中に戻ったらしい。
「エルマーって誰?」
自分の失言に慌てて口をおさえると、お兄ちゃんが訝しげに眉をひそめていた。
「それは、えっと……」
何をどう説明したらいいのか口ごもってしまう。エルマーの説明をすると前世の話からしなくてはいけなくなるし、かといって友達と説明しても何処の誰だとなってしまう。孤児院の中しか知らない自分の世界の狭さが仇となってしまった。
頭の中をぐるぐるさせながら悩んでいると、お兄ちゃんから、咎めるように大きな溜息がもれる。
「ウルは最近、何も話してくれない。いつも、ごまかしてばかりだ。今も僕の質問から逃げる理由を考えてる。ウルは嘘をつくとき、右斜め上を少し見るね。そんなこともわからないと思ってるの?」
お兄ちゃんの確信をつく発言に、右斜め上を見ていた目線を驚いてお兄ちゃんへと戻す。
図星だ。
「意識が戻ってから時々、エルマーって名前をよく口にするなとは思っていた。いつも心ここにあらずで考え事をしていて、僕に対して戸惑った表情もするね。僕の知らない言葉を急に話し出すし、人が変わってしまったかと思ったけど、でもウルはウルでって……、自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた」
急に肩を指が食いこむほど掴まれて、目線を合わせられる。
「ウルが心配なんだ。悩みがあるなら正直に話してほしい。また、ウルがいなくなっちゃう気がして不安でたまらないんだ!」
ごめん痛かったねと言いながら、お兄ちゃんが一番痛そうな表情をして優しい力で、またお兄ちゃんの胸の中に引き寄せられた。喋れというのに、お兄ちゃんの腕の中の抱えられて喋れない。私に何か言われることを恐れているみたいだった。
耳をよせると心臓がトクトクと落ち着いた鼓動にもどっていた。
素直に感じられた。ああ、この人は生きている。今の私を心配している。ありもしない未来を信じて振りまわされている自分を、本気で心配してくれている。もう適当に嘘をつくことなんて、お兄ちゃんにはできない。
お兄ちゃんは物語のアシル・ライゼガングじゃない。私の家族なんだ。
もぞもぞと動いて、顔をあげる。
「ウル?」
「……信じてくれる?」
「ああ」
「バカにしない?」
「ウルにそんなことしない」
「毎日、怖い夢を見るの……」
「夢?」
「すごく怖いの!!」
「ウ、ウル。落ち着いて」
「わ、私死んじゃうかもしれない!!」
もう、今日は何回泣いているだろうか?
私の涙に困惑の表情を浮かへべるお兄ちゃんと物語のアシル・ライゼガングが重なっていく。私が優しいお兄ちゃんを殺してしまう。天才魔導師としての華やかな人生を壊してしまう。
物語がフラッシュバックのように、蘇ってくる。
『ウルリーカ。現実を見るんだ。ここは小説の世界じゃない。今、君が生きている、君の人生なんだ。どうして前の自分に戻るんだ?なんで自分のことを他人事のように語るの?僕の親友を簡単に、物語の都合で殺されるなんて残酷なことを言わないでよ』
エルマーの言葉を思い出す。今の私には、助けてくれる人達がいる。ダメ!こんな物語の結末は絶対だめだ。私は自分が一番かわいい、こんな悲惨な結末を甘んじて受け入れる気は毛頭ないのだ。
「夢で私がお兄ちゃんを不幸にするの。予知夢みたいなものだと思う」
前世の記憶と小説のことは、夢の中の話ということにしよう。今の時点で話せることだけを伝えよう。きっと、いつか全て笑って話せる日がくる。そう信じよう。
ポツリ、ポツリと起こる出来事を話していく。お兄ちゃんが魔力を持ってる話や貴族の庶子だという話は避けて、ほとんど自分のこれから起こるであろうことを話していく。そして私達が永遠の別れを経験することを……
話していくうちに悲しくなって声がだんだんと小さくなっていく。ウルリーカの最後のシーンを話そうとしたときに、それは遮られた。
「ふが!」
「ウル、もう終わり」
突然、お兄ちゃんに細長い指で鼻をつままれた。
「そんな起こることのない夢の話は終わり」
頭を振って手を払いのけると、霧が晴れたような笑顔のお兄ちゃんがいた。
「でも……」
「それでおかしかったのか。僕がウルから離れることはないし、ウルが僕を不幸にすることなんて絶対にない」
夢なんだからと馬鹿にしているふうでもなく、心の底から本当だというように確信を持っている表情だった。いつも、お兄ちゃんは私を幸せにしてくれる。
「エルマーは夢の中の人?」
「うん……」
「部屋の子がウルがいなくなって焦ってた。寝てたら、いきなり起きて大声をあげたからうるさくて追い出したって。怖くなって、ここに来たんだね」
「うん?」
まあ、そういうことにしておこう。右斜め上を見ないように必死にお兄ちゃんを見つめる。
「よし!」
「ひゃっ!」
ふわりと体が浮き目線が高くなる。気がつくと笑顔のお兄ちゃんが私を抱えながら立ち上がった。
「ウルは小さい頃、いつも困るとここに来て神様にお祈りしていたね」
そうか……
だから、私はこの場所を選んだのか。
祭壇の十字架を見上げながら、昔を思い出すかのように、お兄ちゃんが目を細める。
「うん。でも、いつも願い事を叶えてくれるのは、神様じゃなくてお兄ちゃんだった」
「驚いた。気づいてたのか」
小さい子のたわいもないワガママを、一生懸命にお兄ちゃんなりに叶えてくれた。
「だから、今日の願い事も必ず叶えてあげるから。大丈夫、二人なら何も怖いことはないよ。ウルを泣かせる怖い夢を僕がやっつけてあげる」
「ぐす…本当に?」
「本当だよ、僕は魔法が使えるんだから」
「お兄ちゃん、大好き!」
「あはは」
そんなキャラじゃないのに、お兄ちゃんが片目をつぶり人指し指を宙でくるくると回す。それは泣き止まない子供をあやすための優しい言葉、そんな子供だましは全然きかないんだからね?
でも、抱っこされながら背中をぽんぽん撫でられると、自然と涙は止まっていた。この魔法を与えてくれる、お兄ちゃんは私の知らない表情をするアシル・ライゼガングじゃない。
「あっ、泣き止んだ。まだまだ僕がいないとダメだな」
「ブーッ!!」
お兄ちゃんにもう一度、鼻をつままれて二人で笑い合う。
深夜の穏やかな時間…物語の二人もこうやって、絆を深めあっていったのだろうか?
この時間を守っていきたい。
だったら、やることはひとつ!お兄ちゃんを悪役なんかにさせないし、ロリコンの慰みものなんかに絶対なってたまるか。
物語の片隅で途中退場なんてしてやらない、おおいに中心で暴れまくってやるのだ。