2. 私の新しい世界
ぐっと背伸びをして、見上げると気の遠くなるほど高く青い空が広がっている。少し肌寒いが、春が近いためか皮膚を切るような寒さはなくなってきていた。
敷地だけは広い教会に併設された孤児院の庭で子供達が、シスターのお手伝いをしたり、むき出しの土の上で走りまわっている。
結局、あのあとも熱は下がったが流行り病ということで孤児院の個室で1ヶ月間、軽く軟禁状態になりながら本日、完全復活をとげたのである。お医者様からは、まだ無理はするなと言われており、外に出るのも二時間程度と約束つきなのだ。大人しくしてないと早々に連れ戻すと、お兄ちゃんにもきつく言われているので仲間に加わりたい気持ちを抑えて、庭の端に置き去りにされている木箱に大人しく座り本を広げる。
『エルガルド王国の成り立ち』
10歳児が読むにしては、かなり難しすぎる本なのだが15歳+10歳の頭脳を持つウルリーカ。賢いんだか、なんだかわからないけれども。
今までは孤児院で疑問を持たず、のほほんと生活していたが何となく予想できる孤児の末路……
前世の知識が融合してからは、このままではいかん!と一念発起して、最近はこの世界の情報収集に勤しんでいる。
私が生まれた場所はエルガルド王国の片田舎、王都からはとてつもなく離れてる場所である。
エルガルド王国は南部に海が広がる沿岸の国で王制をとっている。温暖な気候で国の中心を走る川のおかげで豊富な水、緑が広がる美しい国である。そのため周囲の大国より、これまでに何度も侵略の危機にさらされてきたが、それを退けてきたのはこの国に多く生まれる魔力を持った人間の存在だった。
別名『豊穣と魔術の国』エルガルド王国は、豊かな土地と魔術という技術により発展し、周囲の大国を威嚇できるほどの力を持つ存在となっているのだ。
西洋ファンタジーという言葉がしっくりくる世界なのだ。
なんと! 魔法があるなんて知らなかった! 職業、魔法使いになっちゃうかも?なんて心躍らせていたら、私は魔力を持っていないことがすぐに判明した。
そもそも魔法が使える魔力を有するのは、王族か貴族のみなんだそうだ。『豊穣と魔術の国』といわれるだけあって、魔力を持つことは力を誇示するために必須、そんなわけで家と血を大切にする貴族に魔力持ちが多くなって、平民は魔力の血が薄くなっていくという構図になってしまっている。魔力を持つ者がいない貴族はバカにされるそうだし、役職にも着けない。
結局この国では貴族と平民の身分は、きっちり区別されており孤児の私には魔力なんてものはないということだ。
チート能力なんて簡単に手に入るものじゃないのね。現実は、本当に厳しい……
『最近、暖かくなってきたね?』
『この間、ここのシスターがさ…』
『肉屋のオッサンが…』
ピチピチと小鳥のさえずりではない、小鳥達の下世話な会話が聞こえてくる。この世界では魔法が使えるだけあって動物達も言葉が話せる。情報収集は本だけでなく、動物達からもできるのが便利だ。外に出られない時も窓際に来てはピーチクパーチク喋ってくれたので退屈はしなかった。たまに私の食事を盗みにくるので、お兄ちゃんに追い払われていたけど……
「暇だ……」
広い中庭で、シスター・クラーラと私より年上の女の子達が楽しそうに会話しながら洗濯をしている。その周りを男の子が数人で遊んでいた。
あれは、缶けりだろうか?世界が違っても、子供の遊びは変わらないんだな。微笑ましい、とっても楽しそうだ。
「……」
のどかだ……
私は15歳+10歳、足したら大人だ。つまり、二つ目の人生なのだ。目の前で繰り広げられる鬼ごっこにウズウズなんてしたりしないのだ。
「お~い、みんな川に遊びに行こうぜ!」
ピクっ。私は大人だ……
「行こ、行こ、僕は水切りしたい! 行ってもいーでしょ? シスター・エレン?」
「この間、すごく大きな魚を見つけたよ!」
「魚釣りもいいよね!」
ピクピクっ。水切り……、大きな魚……
「いいけど、日が落ちるまでに必ず帰ってくるのよ?」
「「は~い!」」
私は……
わ、わたしは。
「……わっわたしも!!」
川? 水切り? 魚釣り!? 行きたい! 行きたい!
前世で抑制されてた分とお子様脳が、遊びになると理性がきかなくなるのだ。病み上がり? 安静? そんなものなんの役にも立たないし、美味しくもない!
急げ急げと木箱から降りて走り出そうとした途端、ぐっと腕を捕まれる。
「きゃっ!」
手足をバタバタと動かし抵抗するが、うまい具合に両脇を持ち上げられ、大きな手に抱えられてしまう。足は完全に宙に浮いてしまう。
「だめだよ。ウルリーカ」
抱きしめられた背中から涼やかな声をかけられ顔を上げると、頭上から覗きこむイケメン。碧眼の瞳を細めて厳しい表情をするけれど、すぐに目元を緩めた。同じ子供なのに、相変わらず完成された完璧な容姿だ。
「お兄ちゃん!」
お兄ちゃんの手から逃れようとバタバタと暴れるが抵抗虚しく、お兄ちゃんは木箱に座り私は膝の上に乗せられた。そもそも体が小さく流行り病で痩せた力のない私に、身長の高いお兄ちゃんに敵うわけがなかった。
そんなこんなしてるうちに、少年達は手を振りながら私なんて気にもせず、さっさと出かけいってしまった。
「だめだよ、ウルはまだ病み上がりなんだから。お医者様にも外で遊ぶのはダメって言われてるだろう?」
恨めしそうに見上げると、お兄ちゃんは私の頭を撫でながら苦笑いをこぼす。
そうやっていつも懐柔しようとして、今日こそはそのイケメンに騙されないんだから!なでなでされて……騙されてなんかやら……
「お兄ちゃんー」
甘えた声を出してがばりっと体勢をかえて細い腰に思いきり抱きつく。前世でも家族に甘えるなんてできなかったのに、家族なんだから当たり前だとお兄ちゃんに甘やかされているうちに抵抗もなくなっていた。
ふと、お兄ちゃんがこれ神父様のだよねと地面に落ちた本を取りあげる。その本を訝しげに見ると、私にニッコリと笑いかけてくる。この笑顔は何かを追及するときに使うものだ。
「おかしい、 ウルは読み書きの勉強は嫌いだったよね。いつから文字だらけの本を読めるようになったんだろう?」
私が前世の記憶を取り戻してから、お兄ちゃんは心の内を見抜くようななにかを探るような視線をするようになっていた。碧眼の目を細めて、たまに目の色が変わる気がして、すごく怖いときがある。
いやー、実は前世を思い出しちゃってね。なんて言えるわけがない!頭がおかしいと思われるのもあるけど、前のウルリーカではないと知った時お兄ちゃんが変わらず接してくれるのか心配だった。ウルリーカへの愛情を感じるたびに、本当のことが言えなくなっていった。
「あ…あの、あの、ほらっ、そうだ! ちず、地図を見るのが楽しくて」
「ふーん」
「ほら、この国は広いね?」
「国か…」
ユーリお兄ちゃんは、本をペラペラと無表情で捲っている。顔が非常に整ってる分、いつもより表情が読めなくて凄く怖い。いや、私にやましいことがあるからだけじゃないと思う。何かまずいことでも言っただろうか?
誤魔化すように、こっちを見てとお兄ちゃんの胸に顔をグリグリ押し付けると、目もとを緩めて笑って頭を撫でてくれる。この笑顔を見るたびに、嘘が増えていくことに気まずくなっていく。
ただ前世の記憶を思い出してから、お兄ちゃんの色々な表情を見るたびに変な気分になる。罪悪感ではなくて、なんか見たことあるなーとか。あっ!この表情好きだったとかね。
いやいや、10年間寝食ともにしてるのに当たり前のことだし、しかも過去形?って感じなんだけど。既視感っていうのかな。うーん上手く言えない。
しかし、その既視感は早々に解決された。
「まあ、いいか…… ウル、お外はもう終わり。部屋へ戻るよ」
本をパタリと閉じると、私がコアラのように抱きついたままで、お兄ちゃんが立ち上がる。なんと短いシャバの時間。無駄だとはわかっていても軽く抵抗しちゃう、そんな子供を演じる。子供で甘えん坊のウルリーカは、きっとこうするだろうな。
「やだー、やだー」
足をバタバタと振って体を押し退けようとすると、お兄ちゃんがにやりと意地悪そうに笑う。
ほら正解だった。
「いうことを聞かない子にはこうだっ!」
「キャハハっ! だめ、くすぐったい!」
それはいつものやり取りだった。スキンシップっていうか子猫達がじゃれあうような、いつもと何も変わらない光景のはずだった。
ただ違ったのは、ユーリお兄ちゃんが私を押さえつけようと、苦しいほどに抱きしめてきた瞬間だった。ピースがカチッとはまる感覚に、暗闇のなかでパッと灯りがついたように目の前が明るくなる。
そして再生される場面。
それは、黒髪の痩せきった少女を狂おしいほどに抱き締める美しい青年。
『ごめん、ごめん……ーーー』
綺麗な碧眼の瞳から涙をこぼし嗚咽をもらしながら泣いている。
『僕は認めない…こんな、こんな結末、信じられるか! 約束したんだ。守るって、家族になろうって…』
だんだんとその瞳に狂気が孕みはじめる。
そして、慟哭ともいえる叫び。
『ウルリーカ!!』
繋がった……
ぴたりと当てはまる言葉があるとすればそれだ。そうだ、この場面だ。前世の私が知っている記憶。いや実際、経験なんてしてないんだ。だって、私は見てた。読んでただけなのだから……
私は知っている、似たような場面を正確には絵というか、ファンタジー小説の挿し絵だったり、乙女ゲームのスチルだったり……
そして目の前で私を愛おしそうに見つめる少年は、物語のなかで最悪にして最狂の悪役と言われる天才魔導師!
「アシル・ライゼガング!」