25. 初めての魔獣との遭遇
そういえば、寝るなって言われてた!
パッと目を開けると、またあの草原が広がっていた。私は柔らかい青々とした草原の上に座っていた。
えっ、夢の中?
夢だとわかる夢を見るなんて初めてで、頬をつねってみる。ほら痛くない。やっぱり夢の中か……
「どうしたの?」
懐かしさを覚える声色に、視線を声のほうへと向ける。
懐かしいなんて思うはずもない、知らない黒髪の少女が隣に座り心配そうに私を覗きこんでいる。
あなたは誰ですか?この間も夢に出てきましたよね?
声を出そうとするのにのどが絞られるように、言葉が出てこない。代わりに私から出てきた声は……
「別に。また勉強?」
機嫌が悪そうに不満をもらす小さな少年の声だった。
少女は気にするでもなく、手元の本を私に『僕に』見えやすいように広げてくれる。
少女が本へと視線を下げると、綺麗な長い黒髪が本へとかかる。陽の光によって宝石みたいにキラキラ光る黒髪が印象的な綺麗な女の子だ……
「ーーには大切な勉強よ」
「わかってるけどさ」
「私みたいにフォルクハルトと契約したくない?」
「したい!したいよ!」
さっきとはうってかわって、嬉々としてはしゃいだ声の僕に少女は苦笑いをこぼす。
もう行動までも自由にならなくなっていた。少女の手を掴んでなにかを催促している。
「仕方ないなあ。今日は違うことを教えようと思っていたのに」
「えー!」
「もう、わかったわよ」
少女の白い細い手が伸びてきて優しく頭を撫でてくる。
「じゃあ今日は精霊のお話をするわね」
精霊はーーー
少女は楽しそうに精霊について本を広げながら丁寧に話してくれた。
「ウルリーカ!ウルリーカ!起きるんだ!」
「うわっ!寝ちゃった!」
耳元で大きな声で叫ばれ急いで飛び上がる。目の前には焦って少し怒った顔をしているエルマーと草原ではなく、ゴツゴツとした岩肌の洞窟だった。やっぱり眠っちゃってたんだな。変わらない光景にほっと息を吐いて体を起こす。
「なんだ、エルマーか……」
「落ち着いてる場合じゃないよ!急いでウルリーカ!囲まれてるよ!」
「へっ!?囲まれてる?」
エルマーには珍しく興奮して叱るような声を出している。
「んー、うるさいですねえ」
エルマーの声を聞いて、眠そうなドゥの声が洞窟に響く。しかし隣からドゥのかわいらしい大きさとはかけ離れた大きな影がムクッと起き上がる。
「ギャー!! だ、だれ?」
「ウルリーカ?」
私が慌てて後ずさって距離を取る。
そこにはドゥではなく、私と同い年位のダークブラウンの髪にマッシュルームみたいな髪型、薄いブラウンの瞳を擦る男の子がいた。服装は白シャツとシンプルなズボンに焦げ茶色のローブを羽織っていた。
私の驚きように男の子は目を見開き、慌てて立ちあがって体を見下ろしている。
「や、やばい!」
パタパタと体を触って男の子は慌てている。
「あ、あのウルリーカ、こ、これはですね」
怯えている私にアワアワしながら害はないというように両手を広げて知らない男の子が近づいてくるので、怖くなってトロワを胸に抱いて急いで距離を取る。
「あ、あの、僕です。僕です」
「だれよ!」
「だから、僕なんです!」
お互い相当混乱していて、僕です。だれ?の攻防が続く。その間に入ったのはエルマーだった。
「遊んでる場合じゃないよ!」
「君こそ誰!?」
男の子がエルマーの登場に驚きの悲鳴をあげた瞬間、外から複数の尾を長く引く狼の遠吠えが聞こえる。その遠吠えに呼応する様に様々な動物の鳴き声が聞こえ始めた。洞窟の中まで地鳴りのように響いてくる。
まるでお前達の居場所はわかってる。隠れてないで出てこいって言われている犯人の気分だった。
「え、え、え、エルマー。これって」
「だから魔獣に囲まれてるって言ったじゃないか。気持ち良さそうに寝てて全然、起きないんだから」
「うう、ごめん。どうしよう?どうしよう?黒猫ちゃんも帰ってきてないし」
私がおろおろ狼狽えていると、少年に手をガシッと掴まれる。
「外が駄目なら中です」
少年の力強い目に何故か安心する。きっとこのドゥに似た口調が……
あれそういえばドゥはどこへ?
「そういえばドゥは……って、もしかして!?」
「僕はドゥです。この姿の説明は後です。この場を切り抜けるのが先決ですから」
私が驚いてエルマーに振り返ると、無言で従えとうなづいている。
「ウルリーカも彼のこと、後で説明をお願いします。とりあえず今は行きますよ」
とりあえずお互いの疑問を飲み込む。今はこの状況を整理する時間はなかった。私達がどのくらい深いのかも、行き止まりかもしれない洞窟の中へと進むことに決めた。ドゥが腰に差している杖を取り出し、なにかつぶやき軽く振ると杖の先に小さな炎がつく。
「ドゥは魔法が使えたのね!」
「……微々たるものですが」
「ううん、すごい心強いよ!」
私の尊敬するような視線に少し悲しそうな、居心地悪そうな顔を見た気がしたが、目の前の光景に絶句する。絶望するのに時間はかからなかった。
炎で少し視界が開けると、天井に金色に光る沢山の目がこちらを見ていた。その光は天井を埋めつくようにギラギラ数を増やしていく。目を凝らすと蝙蝠が天井を埋め尽くしていた。しかも目が3つあり、その光景は飛び上がるほど気持ち悪かった。
「ひっ!」
「三つ目の魔獣、吸血蝙蝠です。見た目は文献通りです」
「前も後ろも魔獣。絶対絶命だね」
「のんびりしてる場合!?」
二人はいやにのんびりしている。いや私を落ち着かせようとしているのか。
私が目の前にいる魔獣に怯えて逃げる準備のために、足をズリッと動かすと、その音を敏感に感じた一匹の蝙蝠が牙を剥きだしてこちらに向かって飛びかかってくる。それをかわきりに一斉に蝙蝠の大群が襲いかかってきた。
「ギャーーー!」
「うわっ!」
こんな時でもスヤスヤ眠ってるトロワを急いでポケットに突っ込み、3人で外へと駆け出した。選択肢は洞窟から外に出る一択しかなく、まるで計画されたように悲鳴を上げながら洞窟のなかを外に向かって走る。
「吸血蝙蝠と言われていますが、実際は吸血なんてしない大人しい魔獣なんです!虫が好物です!」
「そんな豆知識いらないから!じゃあなんで襲ってきてんのよ!」
「襲ってくるというか習性なんですよ!」
「そんなのどうでもいい!」
ドゥの場違いな魔獣豆知識に大声で抗議する。エルマーに至っては楽しそうに私の隣を走っている。エルマーはいざとなったら私のなかに戻れるので余裕の表情だ。
外に飛び出した瞬間に嘲笑うかのように、大量の吸血蝙蝠は私達の頭上スレスレをかすめて空へと舞い上がっていった。
吸血蝙蝠が髪に触れたことに驚いて、足を滑らせて転ぶ。両膝を思いっきり擦りむいてしまった。
「あいたたっ……」
「ウルリーカ大丈夫ですか?」
ドゥが駆け寄ってきて抱き起こしてくれる。
「うん、痛いけど大丈夫」
「しかし、こちらはそうはいかないようですよ」
「えっ?」
顔を上げると私達を取り囲むように崖やら木の上から、無数のグレーの毛並みの美しい精悍な狼達が、こちらをうかがうように見下ろしている。大きさが胴体も体高も2メートルを超えるような獣が口から白い息を吐き出している。吸血蝙蝠なんて、かわいいと思えるくらい獰猛で狡猾な目をしている。
裂けたような口の中からのぞく牙は、襲われたら一発で八つ裂きにされそうだ。
「ヴィントウルフだ……、ヴィントウルフは風属性の魔獣でして、群れで行動します。風を味方につけた素早い身のこなしと、頑丈で鋭い牙が特徴でして、あれでのどを喰いつかれたら」
「お願い。それ以上はなにも言わないで」
ドゥが震える声でボソボソと早口で自分を落ち着かせるためか魔獣の知識を披露してくれる。
これが魔獣。恐ろしすぎて声が出なくなり体が固まって目が離せなくなる。いや、目を離したら襲われることは確実だった。
場の緊張感に冷や汗が流れるなか、場違いな声響く。
『ふああー。よくねた』
嫌な予感に横目で確認すると、転んだときにポケットから飛び出していたのかトロワが欠伸をして羽を広げていた。
「と、トロワ、おいで」
小さな声で呼び戻そうとするが、聞こえないのかパタパタと私の頭上を機嫌良さそうに寝起きの運動がてら飛んでいる。
が、ふとヴィントウルフの存在に気づいたのか、目を輝かせて興奮して嬉しいそうにぶわっと羽を震わせる。
お願いやめてよ……
背中に汗がつたう。
『わあ!おおきなワンちゃんだー』
「ワンちゃんじゃない!」
私が思わず大きな声をあげ静止するが、気にせずヴィントウルフのもとへと嬉しそうに飛んでいく。
『こんなおおきいワンちゃん、はじめてみるよー』
本当に無邪気で無知って怖い。自分の体温が下がってくるし冷や汗が止まらない。ドゥにいたっては顔はどんどん青ざめていっている。
警戒なく近寄ってくる小鳥に一匹のヴィントウルフの目がギラリと光るのがわかった。獲物に飛びかかるために地面を蹴ろうと脚と土のこすれる音が嫌に鮮明に響くのがスロモーションのように感じる。
襲われる!
そう感じた瞬間に自然と体が動いていた。
「トロワ、だめ!」
「ウルリーカ止まれ!」
「ウルリーカ!!」
トロワを捕まえようと駆け出して飛び跳ねる。間一髪でトロワの胴体をがしりと捕まえることができた。
エルマーとドゥの制止の声が聞こえるが、トロワを捕まえるのに夢中になりすぎて、周りが見えていなかった。気づけば目の前にヴィントウルフの前脚が迫っていた。
恐る恐る視線を上げると獲物を前にした猛獣みたいな目つきをした一匹のヴィントウルフが白い息を吐いて、まるでブラックホールのような口をガバッと開く。その鋭い牙が恐怖を駆り立ててくる。
もうだめだ!っと思い、動くこともできずトロワを胸に抱きうずくまる。
『待て……』
私に降ってきたのはヴィントウルフの鋭い牙や爪ではなく、静かな低音の重々しい品位のある声だった。




