22. 私達の未来への選択肢
それから私達は月明かりだけの薄暗い教会のベンチで時間を惜しむように、今まで離れていた二ヶ月間のことを報告しあった。お兄ちゃんはあまり話したくないようだったので、私がひたすら喋った。エイミーが卒業したこと、刺繍を頑張ったこと、一人で髪の毛を結えるようになったこと、孤児院で起こったくだらないことも全部……、話し終わったら最後のような気がして勇気のない私はひたすら喋り続けた。
けれど、そんなくだらない内容もすぐにネタはつき重い沈黙が訪れる。物音ひとつしない教会は怖いほどシンとしていて私は恐る恐るお兄ちゃんを見上げる。
ふいに宙に浮かされ、抱き上げられた私はお兄ちゃんの膝の上に座らされ後ろから抱きかかえられていた。後ろを振り向こうとしたが顔を見せないように右肩に顔を埋めてしまう。私はお兄ちゃんの表情を確認するのを諦めてお腹にまわった腕に手を重ねる。
「……刺繍入りのハンカチありがとう。大切にする」
「お兄ちゃんの名前、上手に刺繍できなくてごめんね」
「ううん、嬉しかった。ウルはどんどん一人でいろんなことが出来るようになったね。僕はもういらない?」
「そ、そんなことないよ!」
否定しようと身じろぎするが、ぎゅっと押さえつけられて動けない。
「ごめん、わかってる。ウルに少し意地悪したくなっただけ」
「もう!」
なるべく明るくなるように、お兄ちゃんの腕をパシッと軽く叩く。後ろから振動が伝わり、お兄ちゃんが少し笑ったのがわかった。
「本当は逃げるつもりはなかったんだ。ウルに一緒にいてあげられなくなったことを謝ろうと思って来たんだ。でもウルの顔を見たら離れたくなくなって全部どうでもよくなったんだ。怖い思いをさせてごめんね」
「ううん、私だってお兄ちゃんと離れたくないもん」
「……大人達から聞いただろう?僕が何をしてきたのか?あの日、ウルを傷つけようとした人達に何をしたのか……、化け物みたいだろう?」
聞いたというより、知っていたが正しいのかな。止められると思っていた。防げると思っていた。だって私は、これから起こることを知っていたのだから。どんなに足掻いても力のない自分では結局、辿り着く未来は変えられないのだろうか。
いや結果は同じでも、自分はまだ孤児院にいるじゃないか。自分じゃない、みんなのおかげで……
「少し怖かったけど、化け物なんて思わないよ。だって、ウルの大切なお兄ちゃんだもん。お兄ちゃんのおかげで変わらず、ここにいられるんだもん。そんな悲しいこと言わないで……」
「ウルは凄いな。いつも僕を救ってくれる。離れたくないよ……」
「つっ……」
私だってずっと一緒にいたいよ。お兄ちゃんが初めて家族というものを教えてくれた。血の繋がりのない私を大切に育ててくれた人だもの。でも言葉にしたら泣いてすがってしまう。行かないでって。
もう泣いちゃだめ。甘えるのも泣くのも終わり。
「ウルと離れないって約束を守れなかった自分が言っても信用ないかもしれないけど。待っていてくれる?もっと大人になって、ウルのことを一人で守れるようになったら迎えにきてもいい?」
ばっと後ろへ振り向くと真剣なお兄ちゃんの瞳とかち合う。
これは小説の中でアシルとウルリーカが将来を約束したシーンと同じ台詞だ。
私はどうしたいんだろう?なにが正解?どう行動したら私達は物語のようにならない?
『君の思うままに言葉にして行動するんだ。そう約束しただろう?』
エルマーの言葉が目を覚ませというように頭に浮かぶ。そうだった。私はもう間違わない。
返事をしない私に、自信なくすようにお兄ちゃんの眉が下がっていく。
「ごめん。ウルを困らせるつもりはなかっ……」
私は言葉を遮るように、お兄ちゃんの腕を解いて、真正面からお兄ちゃんの広い胸に抱きつく。
「待たない!」
「ウル?」
「私がお兄ちゃんに会いにいく! 早く大人になって私がお兄ちゃんのところへ行くから! だから、お兄ちゃんは自分のために生きて! 私は自分で頑張ってお兄ちゃんに追いつくから!」
孤児がどうやってとか、そんなことは考えてなかった。ただ、私のためだけの人生なんて悲しいじゃないか。もし私がいなくなったら……、なんて残酷な結末だろう。
私を迎えになんて来なくていい。私のために必死にならなくていい。自分の幸せを優先してほしい。それが私の答えで選択だ。二人にとって、きっとこれが一番良い。
お兄ちゃんの顔が寂しげに曇り、苦笑いが漏れる。胸にそっと顔を押しつけられる。
「わかった……」
私がお兄ちゃんの腕の中から顔をだして、これは悲しい別れじゃないんだと努めて明るく笑う。自分がただそう信じたかったのだ。
「お兄ちゃん、どちらが最初に会いに行けるか競争ね!」
「ウルには本当に敵わないや……」
お兄ちゃんは悲しそうな失敗した笑いを浮かべて、一筋だけ涙をこぼした。
これが私達の最後の選択肢だった。
タイムアウトだというように教会の重い扉が音を立てて開けられる。
お兄ちゃんは涙を拭うと私を抱えたまま立ち上がる。
扉の前にはライゼガング侯爵と神父様が立っていた。お兄ちゃんは躊躇なく二人の前へと歩いていく。その表情にもう迷いはなかった。
「ご迷惑をおかけしました。今までありがとうございました」
神父様に頭を下げ、腕から離すのをためらうように私を強めに抱きしめてから、神父様の腕に渡す。
「ああ、なにもしてやれなくて済まなかった。元気でな」
「はい」
お兄ちゃんはライゼガング侯爵と向き合い頭下げる。
「これから、よろしくお願します。 ……父さん」
ライゼガング侯爵の目が見開き、涙が溜まっていく。お兄ちゃんがライゼガング侯爵を父親と認めてくれた瞬間だった。感動的な場面なのに私は胸が苦しくて悲しくて仕方なかった。
「ああ……、ああ、よろしく、アシル。さあ行こう。屋敷のみんなも待っている。お前の母親も」
最後にお兄ちゃんは神父様に抱きかかえられている私の頬を一撫でして手を降ろす。ライゼガング侯爵に促されると、意を決したように外に止めてある馬車へと歩き出す。
「お兄ちゃん!!」
私はお兄ちゃんの背中に向かって大きな声で呼ぶ。歩を止めてくれたが、もう振り向いてはくれない。
「バイバイ! またね!」
私が叫ぶとお兄ちゃんは拳を強く握り、顔を下に向けて馬車へと乗り込んだ。
ライゼガング侯爵が最後に私の頭を撫でてくれる。
「ありがとう。全部君のおかげだ。君がこれから困らないように全てこちらで手筈は済んでいる。またいつか会おう」
ライゼガング侯爵は神父様にも頭を下げると馬車に颯爽と乗り込む。御者が鞭を振るうと、馬が嘶きゆっくりと馬車が動き出す。
行ってしまうお兄ちゃんが……
ぼんやり見つめていると目を覚ませというようにアンが飛び出して手をつついてくる。
『ウルリーカ、何してるの!アシル様が行っちゃうわよ!ぼんやりしてる場合じゃないわよ!』
『アンやめなさい。もうどうにもならないことなんですよ』
『ウルちゃん!ウルちゃん!』
『でも、こんなの悲しすぎるわ!』
「うおっ!なんだ!」
三羽の鳥の登場に驚いた神父様が慌てて私を地面に降ろす。
「行っちゃう。お兄ちゃんが……」
もうどうしようもないのに、足が勝手に馬車を追いかけていく。
「ウルリーカ!」
神父様の止める腕を振り払い走り出す。孤児院の門を出ると馬車はすでに小さくなっていた。突き動かされるようにお兄ちゃんを乗せた馬車をつまづきながら追いかけていく。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 置いてかないで! ウルを置いてかないでー!!」
今までこんなに必死になったことがあっただろうか?叫んでも聞こえないのに声が出る限り叫びながら走る。自分でもなにがしたいのかわからなかった。一人取り残されてしまったようで急に怖くなってしまった。お兄ちゃんはもういないのに、帰ってこないのに、伝えられなかった本当の気持ちを叫びながら、ただひたすら走った。
馬車が完全に見えなくなったところで、小石で足を滑らせ思いっきり転んでしまう。
「いたた」
もう転んでも抱き上げてくる優しいあの人はもういない。泣いても涙を拭いてくれる人も服についた小石や砂を払ってくれる人もいない。
一人で起き上がらなきゃいけないのに、とても億劫で仕方なかった。
「うー、情けない」
「無様だな」
頭上はるか上から抑揚のない冷ややかな声が聞こえてくる。目の前に黒いブーツが止まる。
聞き覚えのある声に顔をあげると黒いローブで体を包みフードを目深に被った背の高い男が現れた。砦にいたあの魔導師だった。
「な、なんでって、きゃあ!!」
突然担ぎ上げられて、目をまるくする。横抱きとかいうかわいらしいものではない。肩に荷物みたいにぞんざいな扱いで、私は魔導師に担がれた。
「孤児のくせに重いな」
「なっ!」
反論しようとするが、雑に運ばれ目が回って言葉が出ない。
目の前に馬車が止まり、ドアが開くとぽいっと荷物を投げ捨てるようにソファーへ転がされる。
反対側のソファーにはオッドアイの黒猫が寝そべっていた。
「な、な、な、なんで黒猫ちゃんが?」
「出せ……」
何が起こってるのかわからず混乱していると、魔導師が目の前の席に偉そうにどかっと座ると同時に馬車の扉が締まり走り出す。
ばっと窓から外を見ると孤児院がどんどん離れていく。孤児院の前で慌てている神父様とアン、ドゥ、トロワが見える。
私は未来を変えたはずなのに、あっさりと誘拐されてしまった。




