9. 私とあなたのためにできること
エイミーが一針一針、手を動かす度に布の上に様々な文字が浮かび上がってくる。
「わー」
「基本のステッチを組み合わせるだけでも、おしゃれだよ。例えばアウトラインステッチとチェーンステッチを組み合わせてみれば、飾り模様みたいになるでしょ?これなら、ウルちゃんにもできると思う」
「本当だ。私にもできそう!」
「ふふ、すぐには無理だからね。基本のステッチを練習していこうね」
「うん!」
風に舞う洗濯物に隠れてエイミーと木箱にならんで座り、私は刺繍を教えてもらっている。大きなシーツは私達をうまく隠してくれ、秘密基地みたいだ。
エイミーは器用に“アシル”という文字を布の上に浮かびあがらせる。
「素敵!」
「大袈裟なんだから、教えられる期間は少ないけど頑張ろうね?」
エイミーが申し訳なさそうに眉を下げる。
「ううん、無理言ってお願いしてるんだから。私、頑張る!」
胸の前で拳を握ると、おかしそうに笑いながら基本のステッチを説明してくれる。
「まずは…」
なぜ急に刺繍かというと、お兄ちゃんのために何かお返しできないのかと考えていた時に、エイミーが器用に刺繍をしてるのを見て、これだー!と閃いた。
針と糸、布などの数少ない材料だけ用意すれば、誰でもすぐに気軽に始めることができ、材料は孤児院に揃っていたのでお金をかけずプレゼントができると考えたのだ。
最終的にはハンカチにお兄ちゃんの名前を、刺繍してプレゼントすることを目標としている。
昔、戦場に向かう恋人へ刺繍をしたハンカチを渡し、無事を祈るという慣習が今も形を変えて残っているとエイミーが教えてくれた。
まあハンカチをどうやって調達するとか、使い古した布では意味ないだろうなとか色々問題はあるけれど、後々役立つだろうし、何かしないとと焦っていたのもあった。
はい!と渡されて、教えてもらった通りにアウトラインステッチから始めていく。見てる分には簡単そうだったけど、布は引きつれるし刺繍もガタガタだ。これから、かなり練習しなくちゃな。
エイミーが楽しそうに手もとを覗きこんでくる。
「アシルさん、すごく喜びそう」
「プレゼントできるまで、先は長いけど…」
「ウルちゃんが、一生懸命してくれたら何でも喜んでくれるよ。あっ!そこじゃなくて、ここから刺して」
「はい、先生!」
二人で笑いあうと、私はステッチの練習に戻る。エイミーは時々、私をチェックしながら頼まれた繕い物をこなしていく。何をやらしても本当に器用な子だ。うらやましい。
エイミーは孤児院でも特殊な子で、母子家庭のため経済的に育てられず孤児院に預けられていた。エイミーのお母さんは縫製工房で住み込みで働いており、休日になると孤児院を訪れて二人で過ごしていた。ようやく、一緒に暮らす目処がたち、一ヶ月後には孤児院を卒業する予定なのだ。
刺繍が得意なのはお母さんの役に立ちたいと頑張った結果だ。器用に家事をこなしてくのも全部、お母さんを楽させたいためだと恥ずかしそうに言っていた。
そんな頑張り屋さんを目の前にして、お兄ちゃんに頼ってウダウダしてるのが恥ずかしくなり、自由時間を使って文字の読み書きや計算を完璧にマスターするため勉強を始めた。今まで難しくて読めなかった歴史書や政治学や魔法関係の書物なども挑戦したいと考えている。この世界や自分の住む国のことをもっと勉強したいし、お兄ちゃんが勉強している医学のことも知りたい。
子供達の勉強はシスター・ヘルマが担当のため、教えてもらうときは憂鬱だが将来の自分ためだと思えば、お小言も我慢できた。
すごく大それたことを言っているが、要は苦手で避けていた勉強を頑張る、ただそれだけのこと。平民の女子に勉強は必要ないと言われているから、別に強要はされないのが一般的ある。前世の記憶がある分、やっぱり知識は必要だろうというのが今まで生きてきた正直な感想だ。私は、狭い世界のことしかしらない。
知識を身につけて小説のウルリーカのようにならないための対策でもある。きっと、お兄ちゃんに頼りきりのウルリーカには選べる選択肢が少なかったんだと思う。お兄ちゃんに近づくための選択が悲劇なんて悲しい。
そうならないためにも、今の自分に選択肢を増やしていきたいと考えている。
与えられるだけの生活は、もう嫌だ。与えられた分、たくさんのものを返せる人間になりたい。ただそれだけだった。
私が眉間にシワを寄せながら、刺繍の練習をしてるとエイミーがポツリと呟いた。
「お母さんと暮らせるのは嬉しいけど、ウルちゃんやみんなと離れるのは悲しいな。もう会えなくなっちゃうのかな」
「エイミー…」
そうだった。連絡手段もままならない環境では家族でも一度離れたら生涯会えなくなることもある。小説のウルリーカとアシルも、それが原因ですれ違うことになった。
エイミーは、遠くの町に引っ越すことになっている。でも私達には、それがどのくらい離れてるのか、ましてや自分が住んでる場所の地理も曖昧だった。行動範囲といえば孤児院と近くの町に行くくらいだ。手紙で連絡をとるのも難しい。レターセットなんて高価なものは簡単に買えないし、エイミーは読み書きが苦手だ。
前世のように気軽に連絡もとれないし、私達が手にできる地図は大雑把、交通手段もたくさんあるわけじゃない。きっと女の子だけでは危険なんだろうな。私達は、そんな世界で暮らしているんだ。
でも本当に不可能なのかな。私は、大切な人達のことを諦めたくない。幸せになるために、エルマーと抗うことを決めたから。マイナスなことをあげたら、きりがないけど私達の未来は無限だと願いたい。
手に持っている針と布を置いて、悲しそうにうな垂れるエイミーの手を握る。
「ウルちゃん?」
「エイミー、いつになるかわからないけど必ず会いに行くから。もっと、もっと、教えて欲しいことがたくさんあるんだ。刺繍もそうだけど、ポニーテールの綺麗な結びかたも教えてもらいたいし、シスター・ヘルマから怒られない方法も!」
「ウルちゃん…」
「ここで終わりなんて私が困る!」
「えー?それ困るかな?」
「立派な理由だよ」
私が胸を張ると困ったようエイミーがはにかむ。
「なんだかなー、もっと感動させてよ」
「えっ、感動しない?」
「ウルちゃんらしいけど」
二人で両手を強く握りあって、悲しいことなんて吹き飛ばすために大声で笑う。ほら、夢を語るだけで私達は笑顔になれる。
じゃれあっているとシーツの間から土を踏む音と同時に、聞き覚えのある声が甲高く響く。
「誰です!下品な声を出しているのは!」
その声に二人で肩をすくめる。私はしーと人差し指をたてると、エイミーがこくこくと頷いてくれる。二人でシーツの間を静かに移動していく。
「誰なのかわかってますよ!出てきなさい!」
見覚えのある黒い靴が、足早に近づいてくるのが見える。怒られるとわかっていて、出ていくものか。さすがに一日に二回は勘弁してもらいたい。
「シスター・ヘルマから怒られない方法を教えて?」
私がエイミーにささやくと、意地悪く楽しそうに口角を上げる。
「それはね…こうよ!!」
エイミーが勢い良く洗濯棒から紐をはずすと、シスター・ヘルマの上に洗濯したシーツがばさばさと覆い被さっていく。悲鳴とともにドサッと尻餅をつく音も聞こえる。
エイミーはいつも要領よくシスター・ヘルマから逃げていたから、どんな方法を使うのかと思ったら、かなりの荒技だった。
「うわっ、大丈夫かな?」
「大丈夫、大丈夫、乾いてるから。ウルちゃんをいじめた罰だよ。今のうちに急いで逃げよう。捕まったら大変だよ」
「これってよけいに怒られない?」
「ばれなきゃ平気よ。ほら早く!」
「エイミー最高!」
二人で手を取りあい、後ろから聞こえる声を無視して、笑いをこらえながらシスター・ヘルマから逃げ出した。
大切な人が増えていくたびに、前世では想像もできなかった経験が増えていく。私は人と関わる楽しさを感じ始めていた。




