第五話 落胆と歓喜
俺の何気ないひと言。
ただ、そう感じたから言葉にした……たった、それだけのこと。
だが目の前で起こった変化は、そう簡単な事ではなさそうだった。
顔を両手で覆い、座ったまま肩を震わせる長身の女性。
……泣いてでもいるのか?
「クックック……。ハッハッハッ! アーハッハッハッ‼」
突如、長身の女性が立ち上りながら、高らかに笑い声を上げた。
これまでの態度と全く異なる事は、コミュ障の自分にも手に取るように分かる。
「くっ! くそっ‼ 何なんだよこれは!?」
第一異世界人のリーダー格の男性はそう呟き、全員を数歩後退させた。そして、それぞれが持つ得物を抜き放つ。
リーダー格の男性は、長剣を隙が少なく瞬時の対応もしやすい正中へと構え、最大限の警戒を示している。
「おい! 兄ちゃん! そいつから離れろ‼」
改めて目の前の女性に視線を移すと、同一人物かと思う程に劇的な変化をしていた。
みすぼらしい服は破け、全身が黒い鎧のようなもので覆われている。
自らの肌を硬質化させているようで、最後に残っていた顔もたった今、その鎧のような皮膚へ変質した。
手の五指も鋭い鉤爪のように変化し、獰猛な肉食獣の爪を彷彿とさせる。
変貌した彼女を見て沸き上がったひとつの感覚。それは『美しさ』というものであった。
彼女の身に纏う絶対的暴力という雰囲気と、それから連想させられる死への恐怖。それらを忘れさせる程の強烈な感覚。
戦いのために極限まで洗練され、余計なものは全て削ぎ落とされた美しさを感じていた。
今の彼女を言い表すのに相応しい言葉とすれば、自分は迷わず『魔神』と答えるだろう。
悪魔や魔人という言葉では、今の彼女を到底表現しきれない。
神という文字が付いて初めて相応しい。そう感じる。
魔神の彼女は、男達の中の一人を睨み付けた。
するとその男が短い悲鳴と共に卒倒した。白目を向き倒れるその姿からは、命の灯が消えた事が理解できた。
仲間が倒れたことを把握しながら、残りの三人は魔神の彼女から一切目を逸らさない。
それだけの相手だと認識している様子だった。
しかし、それも徒労に終わる事となる。
彼女は足元の土を大量に蹴り上げ、残像と衝撃波を残し30メートルほどあったお互いの間合いを一瞬で詰める。
リーダー格の男性もその動きに呼応し、避けられないと判断した爪撃を長剣で受けようとする。
だが彼女の爪撃は、受けようとした長剣をそのまま握り砕き、残る右手で容易く頭部を握り潰した。
「ひぃぃっ!!」
残る二名はリーダーが殺られたことで戦意を喪失し、武器を投げ捨てこの場から逃げようとする。
しかし彼女はそんな二人にも一瞬で追いつき、両手の爪撃を振るい一瞬で彼らを肉塊へと変えた。
……見ていて気分が良いものじゃない。
吐き気を我慢しながら、それらの一部始終を見ていた。すると彼女はこちらを真っ直ぐと見据え歩み寄ってくる。
全身を覆う鎧のような皮膚の頭部だけを解除し、表情が見えるようになる。彼女の表情はどこまでも無機質に感じられ、人を殺した事に一切の動揺は感じられない。
なるほど。彼女とっては慣れたことなのだろう。
目の前……というより、息がかかるような距離にまで彼女は接近し、彼女は自分を見下ろす。残念ながら、胸の膨らみはあと少し距離が足りていない。
……当然に俺は、彼女を見上げ二人は向き合っていた。
これまでの人生の中で、異性とここまで接近したのは初めて……だな。除母親で。
トクントクンと、胸の鼓動が高鳴る。
鼓動が余りに耳障りに感じ、この心音が聞かれてしまうのではないか? そんな思いが心をよぎる。
もしかして……‼ これが、恋というものなのだろうか?!
それとも、これが『運命を感じる』というヤツなのか?
彼女の美しい唇から紡がれる、甘い言葉を固唾を飲んで待っていた。
「何か……言い残すことはあるか?」
……神などやはりいない‼ いや、神は死んだ‼
あ、いや、存在しているのは知っているし、生きているのも知っている。要するに、自分に都甲の良いように運命を操作する神はいないようだった。
結果的に死を望んでいた彼女を助けた事になったのだから、甘い言葉などを期待していた自分が馬鹿なんだよ!
今の気持ちを最適に表現すると『orz』が的確な文字だ。
勘違い甚だしいこんな残酷なパターンってなんだかなぁ……。
殺されるにしても何かもう、異世界はもういいやって感じだな~。
彼女のせいで盛大に被った土を払い落としながら、口を開く。
「そうだな……。名を教えてくれないか?」
『長身の女性』や『魔神』と勝手に呼んでいただけで、彼女のことは何も知らない。
しかし、その質問に一番驚いていたのは自分自身だった。
これまで女性とは無縁の人生であり、気軽に口すら聞いたこともない。
初対面の女性で、しかも彼女は魔神で、たった今人を殺していて。
カッコつけてみたが、ただ名前を聞いてみただけ……。
自分の中のヘタレのレベルが、またしても上がったように感じる。
異世界でもつっても、結局世界は自身に優しくない。そんなことを考えながら、一応返答を待つ。
少しばかりの沈黙。
見つめる真紅の双眸は、ほんの僅かだけ視線を逸らす。
「我が名はルシフェル。神に仇する存在である」
本名なのかは分からないが、この彼女が放つ雰囲気からは魔王というのも真実味はある。だが、女性神だったかなぁ?
「ルシフェルか……。まあ、何でも良いや。何て言うか、どうでも良い感じ? 俺が言いたい事はひとつだけだ」
何か全身がダルくなってきた。
結局彼女も神であり、これまで出会った6人中2人が神とかって名が付く存在ってどんだけ神は大勢いるんだよ!
自暴自棄に似た感覚で、異世界に行ったら唱えて見たいと密かに抱いていた呪文を口にする。
この言葉が意味する効果の魔法が使えれば、どんなに幸せな異世界ライフが送れるかを妄想し続けた20年間……。
異世界なんか来たくはなかったけど、この魔法が使えるのであれば、楽しんでやっても良いと思う魔法の台詞だ。
……こう考えるのは、俺だけじゃないはず。なんだけどねぇ。
「……俺に惚れろ」
長い沈黙。
そせて、突然訪れた変化。
ほぼ密着していた彼女が、胸部を押さえヨロヨロと数歩後退りする。
その表情には、ありありとさた恐怖が刻み込まれていた。
「き、きさま! 我に何をっ‼ こんな魔法は知らぬぞ‼
我を殺せるようなこんな魔法は、存在するはずがないのだ‼」
う~ん。
死の魔法などではないけど、苦しんでいるということは効果があると見て良いのかね?
自分の表情が、自然と笑みに変わって行くのが分かる。
自身の笑みと比例し、彼女の顔に浮かべた恐怖の色が更に濃くなる。未知への恐怖が強まっているといったところだろう。
魔王を名乗った彼女は顔を両手で覆うが、そのしたの頬は紅く染まっていた。
無理矢理から始まった異世界ライフではあったが、何やら楽しめそうな予感がしていた。