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問題編

幽霊の存在証明

 プロローグ

 「ねぇ、面白い話をしよっか?」

「何よ?」

振り返った女性は、目の前の、同年代の青年が悪戯っぽい笑顔を浮かべているのを見、失敗した、と内心臍を噛んだ。

「これはさ、ある歩道橋にまつわる話なんだけれどね」

青年は、さも楽しげにそう前置きし、女性を改めて見遣った。

「…」

女性は嫌そうに表情を強張らせ、固く口を閉ざしている。これから青年が語る話が、自分の苦手な類のものであろうと知っていたから。その反応も、青年には楽しいものであった。

「その駅はさ、住宅街の中にある、小さな駅でね…」

青年は、そのさして長くもない話を紡ぎ始めたのであった。


 夜中、一人のOLが、駅のホームに降り立った。小さな駅には、彼女以外人影も無かった。唯一の改札を出、南口の階段を下りてゆく。ロータリーの向こうには、細い路地を挟んで商店街があった。OLは、ロータリーを回り込み、商店街へと足を向けた。商店のシャッターはみな下ろされ、既に街灯の他は明りもない。向こうにコンビニの照明が、異様に明るく見える。彼女のほか、人通りは殆ど無い。コンビニの前を通り過ぎれば、静寂はその質量を一気に増し、彼女にのし掛かった。と、十字路から、一人の男性が姿を現わした。身長は彼女と同じ程。数メートルほど先、彼女の前を、男性は歩き始めた。二人はその距離を保ったまま、歩き続けた。商店街が終わると、大通りに突き当たる。片道三車線、中央分離帯にはフェンスがあり、交通量はさほどでもないが途中で横切る訳にはいかない。この大通りを渡らなければ、彼女は帰宅出来ない。さて、右折し数百メートル行けば交差点、左折し数十メートルで歩道橋。彼女は、最初から左折するつもりでいたが、前を行く男性が、先に左折した。彼女もそれに続く。左側には何軒かの個人商店。そのうち理容室の看板には、電飾のデジタル時計が付いている。それで時刻を確認するのが、彼女の習慣となっていた。もはや十一時近くになっている。

 男性は、真っ直ぐ歩道橋に向かっていた。OLもそれに続く。男性が、歩道橋の階段を上がり始めた。それは螺旋になっており、少し遅れて彼女が上がり始めると、頭上から男性の足音が聴こえてきた。規則正しく階段を上がっていったそれは、上がりきった所で止んだ。小休止しているのかと、OLは気にも留めず上がっていった。足音は、一向に止んだままであったが。

 歩道橋の上が見える位置に来た時、彼女は信じ難い光景を目にした。いや、正確には目にしなかったのだ。その場に留まっている筈の男性の姿を。僅かな逡巡の後、OLは階段を駆け上がり、歩道橋の上と、その向こう側、直線上の階段周辺を見渡した。しかし、そこには誰の姿もなかった。思わずへたり込んでしまう。暫し呆然とした後、彼女はこれまでの事を考え直してみた。

 確かに、足音は止んだままであった。この時間帯の交通量で、足音が騒音に完全にかき消されたなどとは考え難い。ならば、男性は忍び足で渡ったのか?かなりの長さの歩道橋である。彼女が歩道橋の上から見渡すまでに階段周辺からも離れていたとは、やはり考え難い。では走り去った?たとえ靴を脱ぐなどして音を抑えても、やはり彼女が気付かなかったとは考え難い。そもそも、あの男性がその様な事をする意味が不明である。では、他にこの状況を説明出来る方法とは?彼女の下した結論は、男性は、歩道橋の上で消えた、というものであった。以後、OLがこの歩道橋を利用しなくなったのは、言うまでもない。


 語り終え、得意げに青年は訊ねた。

「どうだった?結構、良く出来てると思うけど?」

そう問い掛けられた女性は、少々青ざめていた。

「…それ、私の家の近所がモデル?」

青年が描写してみせた駅や商店街、歩道橋などの風景は、明らかに特定の地域をそのまま写し取ったものであった。つまり、女性の通勤路であった。しかし、青年はわざとらしく首を振って見せた。

「いやいや、あくまで架空の場所だよ。まぁ、たまたま、澤井さんの家の近くに似てるかも知れないけどね」

澤井さん、と呼ばれた女性の視線が、冷たいものとなる。

「…全く、まるで子供よね。女子の嫌がる事をして喜ぶ小学生並み」

そんな女性の批判も、青年には一向堪えない様であった。

「俺は子供心を忘れない大人なんだ!」

変顔をしてみせる青年を、尚も冷たい目で見る。今の彼女は、とてもその様に心和める精神状態ではなかった。

「バカ!」

と、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。

「さて、と。また残業休みに別の話をしようか?」

「結構よ!」

椅子に前後逆に腰掛けていた青年が、座り直し向こうの席へ戻ってゆく、その背中に、小さく女性が声を投げつけた。


 第一章

 「怪談、だって!?」

愛用の机に向かい、インスタントコーヒーを注いだマグカップを取り上げかけて、清田きよた 登士満としみつは、甥を振り返った。

「そう。おじさん、その手の話、得意だっけ?」

スマホを弄りつつ、ベッドに腰掛けた甥が訊ねてくる。

「…それって、聴くのが?話すのが?それとも、書くのがかな?」

コーヒーを一口啜り、そう問い返す。彼はささやかながら文筆業でも収入の一部を得ていた(書いたものは、甥にも読ませられない様な内容ではあるが)。小太り、三十代のこの男性は、インドア硬派で(殆ど引きこもりに近い状態、という意味で)、甥である吉川よしかわ 一志かずしが突然訪ねても大抵は在宅である。

「おじさん、書けるの?読んだ事無いけど」

「そりゃそうだ。書いた事無いし」

「なんだぁー」

「そもそもさ、そのおじさん、っての止めて、って言わなかったっけ?お兄さんだって」

「勝手に続柄は変えらんないでしょ?それとも、詐称しろっていう事?」

「はぁー。可愛くないねぇー。どうせなら、甥より可愛い姪の方が良かったなぁ」

背もたれをギシギシいわせてみせると。

「なに、淫行したいの?捕まったら母さんから絶縁されると思うけど?」

スマホから視線を外す事なく、一志が応酬する。

「そういうとこが可愛くないんだよ」

「ごめんねー、おじさん」

最後にハートマークでも付きそうな、一オクターブ高い不気味な猫なで声。

「うわー、キモッ!」

登士満は吐く様な仕草をして見せた。

「冗談はこれくらいにしといてさ。怪談の話なんだけど」

「怪談ねぇ。聴いたりするのは嫌いじゃないけど、最近、テレビやラジオじゃ、余り見かけなくなったよなぁ」

「そういうんじゃなくてさ、創作らしいんだけど」

「創作?過度河ホラー文庫みたいな?」

「いや、個人的に考えついたらしいよ?」

「へぇ。どんなの?」

「その前に、ちょっと背景の説明ね。この話をしたのは猪いのむら 直樹なおきっていう会社員でさ、聴き手は同僚の澤井さわい 佳名かなっていうOLらしいよ。このOLの妹が、うちのマネージャでさ。何か、元気が無いから理由を訊いたら、お姉さんの様子がおかしいって、話してくれたんだよね」

一志は野球部員であり、一応のレギュラーであった。試験休みか日曜くらいしか、登士満のアパートを訪ねてはこない。今は中間試験期間中であり、本来ならば、この様な所で暇を潰していられる筈はないのであるが、そう指摘したところで、どうせ生意気に言い返してくるだけだと、登士満は諦めていた。

「そのお姉さんが、怪談とかに特に弱いとか?」

「まぁ、強くはないらしいけど。とりあえず、前置きはこんな所かな。じゃ、怪談について、簡単に話すから」

スマホを見ながら、一志は歩道橋にまつわる怪談について、要約してみせた。

「…で、結局、歩道橋の上にいた筈の男は、幽霊だったんじゃないか、って話なんだけど」

「あーあ。怪談って、本当に話し手を選ぶんだなぁー」

嫌みたらしくぼやく登士満に。

「別に、上手く話そうとか思ってた訳じゃないから!」

ムッ、とした様に反論する一志。内心、こういう所が可愛いんだよね、とほくそ笑む登士満であった。

「はいはい。ま、いいや。で、この怪談に、マネージャのお姉さんは怯えていると?」

「それがさ…いや、本当なのか、判んないんだけど…」

「何?まさか、実話だったとか、言うんじゃないよね?」

「おじさん、結構、勘良いよねぇ」

「え、本当?」

マグカップを傾けようとしたまま、登士満は固まった。

「お姉さんが、同じ体験したらしくてさ。それで、話し手に、この怪談が実話だったのを隠してたんじゃないか、って食って掛かったらしいよ。仕事の方も、ちょっと支障が出てくるぐらいだって」

「へぇ…意外と身近なとこに怪奇スポットってあるもんだね」

他人事とばかりに呟く登士満。

「ところがさ、ちょっと、妙なんだよね」

急に神妙な表情になる一志。

「何が?」

「その、話し手がさ、幾ら自分の創作だ、って言っても聞く耳持たないもんだから、ひょっとしたら、偶然同じ様な怪奇現象があったんじゃないかって、歩道橋付近で聞き込みしたり、ネットを漁ったりしたらしいんだよね。でも、全然その手の話は無かったらしくてさ」

「ふぅん。で、そのOLって、実家住まいなんだ?」

「いや、二年ちょっと前に一人で引っ越してきたらしいよ。で、通学の便が良いからって、マネージャが同居してるって」

「へぇ。そうすると、そのOLは、二年ちょっと前以前の事は知らない訳だ。そこで何か起きたか、とか?」

「だろうね。ま、聞き込みした、って事は、それより前から住んでる人からも、話を聞いたんだろうけど。で、話し手は、マネージャの中学時代のクラスメイトだった弟を通じて、この調査結果を託した訳。自分が言っても聞く耳持たないから、どうか説得してくれ、って」

「なるほど。それで、困った訳だ」

うんうんと頷きながら、登士満が言う。

「まぁね。もし調査結果が本当なら、お姉さんの勘違いか妄想、嘘、っていう事になっちゃうからね」

「結構、厄介な話だねぇ」

「そこでさ、おじさんにお願いがあるんだけど」

またあの不気味な猫なで声。登士満は顔を顰めた。

「あー、何か厄介事の臭いがする」

「うん、勘が良いよ。実はさ、このOLに話を聞いて欲しいんだって」

「俺が?何で?」

「いやね。俺のおじさんが物書きしてる、って、ちょっと話したらさ。だったら、姉の話を聞いて、出来れば文章にして発表してくれないか、って。たとえ嘘だったとしても、そうすれば虚構の話として消化されて、それで満足してくれるかも知れないし、そうじゃなくても、赤の他人に全部話す事で、落ち着いてくれるかも、って」

「うーん、発表するっていってもなぁー。俺の伝じゃあ、そのままズバリ、っていう訳に行かないけど」

彼の書く文章が掲載される様な媒体は、”18禁”の類に限られているのであった。

「この際、発表の話はどうでも良いんじゃない?とりあえず、話を聞くだけで」

「…ん、まぁ、それくらいなら…」

「じゃ決まりね。連絡するわ」

お人好しなおじさんで良かった、などと内心ほくそ笑みながら、一志はスマホを操作し始めたのであった。


 制服姿のその高校生は、ぼんやりと窓辺の席から外へ視線を向けていた。ハンバーガーショップ二階の窓外は、しかし既に暗闇に呑み込まれ、窓ガラスが割合とイケメンな彼の面を、ぼんやりと映している。既に、随分と日は短くなっていた。彼の待ち人は、いつも多忙なのであった。

「よぉ、待たせたか?」

階段を上がってくるなり高校生を見つけたその青年は、近付きつつ声を掛けた。

「別に」

窓外へ視線を向けたまま、高校生は短く答えた。苦笑しつつ、青年はトレイをテーブルに置き、向かいの席に腰を下ろした。その音に、初めて青年に気付いた様に、高校生は前を向き直った。

「腹、減ってるか?」

トレイを高校生の方へと押しやる。何種類かのハンバーガーと、清涼飲料水のカップが二つ。既にドリンクを飲み干していた高校生は、カップだけを手に取った。

「俺一人だけじゃ、食いきれないから」

言いながら、一つを取り上げ包みを解く。仕方ない、と言いたげに、高校生も再びトレイに手を伸ばす。

裕次ひろつぐさんは、元気?」

その問いに、ハンバーガーを頬張る青年は、「ああー」と不明瞭な返答をした。微かに悲しげな、そんな表情になる。裕次とは、高校生にとっては実母の再婚相手、青年にとっては実父であった。弟に当る高校生のこの呼び方を耳にする度、青年はいつもこんな表情をした。そもそも、この問いは、間を持たせる為の天気の話と同様であると、青年は理解していた。

「最近は、余り様子を見に行けてないが、ま、何とかやってるよ。結構良い話も来ているみたいだし。雇われ社長でも、動き始めればきっと上手く行くさ」

「そう」

さして興味もなさげに、ハンバーガーに取り掛かる高校生に。

「そっちこそどうなんだ?相変わらず、飛び回ってるのか?」

「…まぁね。昔から、だからさ」

「家事とか、こなせてるか?」

「まぁ、ね。親父のを、見よう見まねで覚えたから。色んな事を、教えてくれた」

高校生の声音に、感情が滲む。湿り気を帯びた。

「それって、小学生の頃だろ?」

「死ぬまで、親父と過ごす時間の方が多かったし。母さんに任せたら悲惨、っていうのは判ってたし」

食べかけのハンバーガーを暫し見詰め、一つ溜息をつくと置く。

「だったら、俺の手助けは要らないか?まだ家族なんだし、何でも言ってくれ」

二つ目に手を伸ばす青年。

「…母さんが、離婚に同意しないのは、まだやり直せると思ってるから、だと思う?」

「さぁ、どうだろ?この三年間で、色々状況も変わったし…親父がまた復活すれば、あるいは」

それきり青年は、ハンバーガーに専念し始めた。高校生もそれに倣う。暫し、沈黙の時が訪れた。

「…ところで、本題に入りたいんだが」

包み紙を丸めつつ、青年は切り出した。

「怪談の聞き込み結果の事?」

「もちろん。伝えてくれたんだろ?」

ゆいには話といたけど…お姉さんに、話してるかは…」

「そうか…」

青年は暗い表情で視線を落とし、一つ溜息をついた。

「変わってないの?」

「ああ。ただの偶然か、彼女の勘違いか何かだと、思うんだけどな」

高校生も視線を落とす。

「…あのさ、あの話、本当に創作?」

「ああ。飲み会の帰り、澤井さんを家の近くまで送った時、目にした光景を元にした、完全な俺の創作だ。何で?」

「いや…何か、出来すぎな気がしてさ…」

「いや、幽霊みたいな理不尽なものが出てくる話が出来すぎ、っていうのは、つまり創作、って事だろ?」

「そうかもね…」

「とにかく、頼むよ。妹さんの方からも、働きかけてくれる様にさ」

「判ってる」

ストローを口に付けながら、もごもごと高校生は答えたのであった。


 第二章

 土曜日の夜。ファミレスの窓際、四人掛けのテーブルには、二人の人影があった。私服姿で良くは判らないが、一人は高校生らしい。もう一人は、社会人である。どことなく似た顔立ちの、姉妹であろう。視線の定まらぬ姉に対し、妹はむしろ楽しげですらあった。

「ああ、済みませんね。お待たせしてしまって」

テーブルへと近付きながら、登士満は幾度か頭を下げた。一志は妹と軽く挨拶を交した。姉妹の向かいに、二人は腰を落ち着けた。

「…失礼ですけれど、貴方が?」

目の前の、初対面の男性を値踏みする様な視線を上下に走らせつつ、姉が探る様に訪ねた。

「はい。一応、物書きの端くれですが」

愛想笑いを浮かべつつ、登士満が答える。ボタンを押しウェイターを呼び出すと、ドリンクバーを二つ分、注文した。ウエイターが下がるや、一志が飲み物を取りに立つ。

「まぁ、何かお役に立てれば幸いですが」

「こちらこそ、来て頂いて、済みません」

妹の方がペコリ、と一礼し、傍らの姉を肘で突く。姉も渋々、会釈した。一志がウーロン茶とコーラを持って戻ってきた。

「初対面ですし、まずは自己紹介を。私は清田 登士満です。甥の一志は、ご存知ですね?」

「澤井 唯、と言います。姉の、佳名です」

紹介されても、佳名は不機嫌そうに視線を窓外へ向けるのみであった。

「ところで、奇妙な体験をされた、との事ですが?」

姉妹を見較べつつ、登士満が訊ねると。

「それが。私もちょっとこの近辺の人達に訊ねてみたんですけど、あの怪談みたいな事は」

声を潜めての妹の発言に、姉はキッ、と登士満の方へ向き直った。

「あったんです!私の勘違いでも、嘘でもありませんから!」

強い口調で言い切る。少なくとも、嘘をついている風には見えない。そもそもそうする意味が、登士満には不明であった。

「まぁまぁ。その、封印されたい記憶と思いますが、宜しければ、状況をお話し頂けますか?」

やんわりと宥められ、佳名は少し恥ずかしげに視線を落とした。

「…変な人だと、思ったりしません?」

「いえいえ。お話しに興味があるだけですから」

人当たりの良い笑顔で小さく頷いてみせる。佳名は少し視線を上げ、口を僅か開いた。そのまま、まだ躊躇していた。

「後で、現場を案内して下さいますね?」

目の前の人間が、自分の話を真剣に聞こうとしていると、その一言で彼女は理解した。覚悟を決める。

「…あれは、今週の、火曜日の夜でした。いつもより遅くなってしまって、退社した時には十時を回っていました…恐らく、十時半近くに駅について、いつもの通勤ルートを逆に辿り始めました」

「それは、駅南口から商店街を通って大通りを歩道橋で渡る、というものですね?」

「はい。途中、コンビニを過ぎてすぐの十字路から、男性が姿を現わしました」

「どういう男性でしたか?」

「どう、と言われても…少し、服装とか、違和感はありましたけど…ああ」

何かを思い出した様子の佳名に、登士満は身を乗り出した。

「何か?」

「その、男性としては、結構小さかった様な気がします。私と同じくらい、だったかしら?」

「失礼ですが、身長は?」

「私ですか?百六十三、ですが」

「百六十三ですか…まぁ、百六十半ば、という事ですね?うん、高いとは言えないな…」

そう独りごちる登士満の斜め向かいで、唯は僅か、相好を崩した。しかし、その意味を訊ねる者は無かった。

「良いですか?」

「はい、どうぞ」

右手で先を促す仕草をする登士満。

「そうですか…その男性は、私の数メートル先を歩き出しました。大体その距離を保っていったと思います。商店街を抜けて、男性に少し遅れて角を曲がった時、少し距離は開いていました。そのまま、歩道橋まで歩いていき、男性が螺旋階段を上がり始め、少し遅れて私も上がり始めました。頭上から聞こえてくる足音が、階段を上がりきった辺りで途絶えて。でも、一休みしているのかと思って、上がり続けました。そうしたら…」

表情が強張る。自分が怪奇現象の当事者であった事に気付いた時の、その衝撃が胸中で再生されたのであろう。登士満は、その様子を暫く黙って観察していたが。

「…歩道橋の上や、向こう側には、誰も居なかったのですね?」

「…はい」

「暗くてよく見えなかった、という事は?」

「街灯もありますし、看板を照らす照明もあるので」

「なるほど。とにかく、歩道橋の上に居る筈の男性の姿は、どこにもなかったと、確信している訳ですね?」

「もちろんです!でなければこんな事に!」

興奮し立ち上がりかけた佳名に、登士満は両手で制止する仕草をした。

「まぁまぁ、落ち着いて…いや、済みませんでした。当然の事でしたね…」

頭を下げてみせると、佳名も我に返り、気まずげに座り直し視線を逸らす。

「うーん、これがもし、本当の心霊現象とかいうなら、完全にお手上げなんですが…あるいは、その男性の悪戯とか、かも」

「悪戯?」

頭を掻きつつ独りごちた登士満の言葉に、佳名が敏感に反応する。

「そうです。例えば…階段を上がりきった所で、欄干の外に出てぶら下がれる体勢を取っておく。貴女が歩道橋の上を見られる位置に来る頃合いを見計らい、ぶら下がる。そのまま、貴女が立ち去るまでぶら下がったまま…」

言いながらも、渋い顔をして小さく首を振った。どうやら余り出来の良い解答ではなかった様である。

「そんな悪戯を、誰が、何の為に!?」

「それは何とも…何か、心当たりはありませんか?貴女がターゲットだったのか、無差別だったのかは判りませんが」

と、不意にそれまで沈黙を守っていた唯が、小さく笑い声を漏らした。

「?何か?」

怪訝げに登士満が問うと。

「いえ、何でも。この話とは、無関係ですから…」

笑いを納めながら、唯はそれだけ言った。

「何だよ、気になるな。無関係でも何でも言っちゃえよ」

「宜しければ、話してみてくれませんか?」

一志と登士満に促され、唯はチラ、と佳名を見た。その態度に何かを読み取ったか、厳しい表情になる佳名。

「…話したら?」

険のある声で、それでも促す。

「…はい。あの…ただ、悪戯っていう言葉で、中学時代のクラスメイトを思い出しただけで。三人組で、いつも一緒でした。その、つまらない事で」

「つまらない事じゃないでしょ!?先生の車に落書きしたり、火災警報機を作動させたり!ただの不良です!」

佳名が唯の言葉をかき消す。

「…その、悪い人達じゃ、ないんです。当時の竹也君は、家庭で色々あって。それで」

「どこの家庭にだって色々あるわ!素行不良の言い訳にはならないのよ!」

「…」

唯はしゅん、となってしまった。

「…唯、貴女、まだ、連絡取り合ってるの!?」

「姉さん、それは」

「あのー、済みません。話を戻しても、宜しいですか?」

大きな声で、登士満が割って入る。意図しての事か、唯には助け舟となった。心なしか安堵した様な表情になる。

「…どうぞ」

ばつが悪そうに、佳名が一つ、頷いた。

「当時の事について、まだ何か、思い出せる様な事はありますか?」

「……今のところ、何も。歩きながらなら、何か思い出せるかも」

「そうですか。それでは早速、現場に向かいますか」

登士満が三人を見回すと、小さく頷き交し立ち上がる。佳名と彼が会計を済ます間、唯と一志は小声で話し合っていた。四人揃って、ファミレスを後にした。

 怪談の中に出てくる交差点まで数十メートル。駅は大通りの向こうにある。交差点を右折し、歩道橋までゆっくりと歩く。

「ここにお住まいになって、どれ程ですか?」

「二年とちょっと、ですか。就職当初は、学生時代に住んでいた所から通っていたのですけど、仕事が忙しくなってきて」

並んで歩く登士満と佳名は、恋人同士に見えなくもない。

「卒業後、実家には、戻られなかったのですか?」

「駅から遠くて不便なもので。それに、街自体気に入っていたのもあります」

「なるほど。でも、多忙になり、通勤が苦になってきたと」

「そうです」

それから暫くは沈黙が続いたが、不意に佳名は口を開いた。

「…今は、さっきの交差点を利用しているんです。歩道橋は」

言っているそばから、心なしか顔色が悪くなる。歩みが、鈍くなってくる。

「これだけ人数がいるのですから。心強いかは判りませんが」

出来る限り陽気に答えてみせるが。

「気楽そうで良いですね」

テンションを上げるのには、完全に失敗していた。そうこうするうち、歩道橋のすぐ近くまで辿り着いた。

 直線上の階段の前で、一行は立ち止まった。街灯や、すぐ横の商家に掲げられた看板の照明に照らし出されたそれは、なるほど暗くて人を見落とす事は無いであろうほど明るい。しかし怪談が念頭にある為か、不気味に思えた。道行く人々が、一行を横目に見つつ通り過ぎてゆく。

「さぁ、上りましょうか」

言って、登士満は先頭に立ち上ってゆく。気が進まなげに、佳名もそれに続いた。一志、唯と、一列になり上がっていった。上りきった登士満は一旦立ち止まり、周囲を見回した。後に続いた佳名が。

「ああ、もうこんな時間」

声に彼女の方を見れば、向こう側の一点を見詰めている。

「何ですか?」

その視線を辿った登士満の瞳が、理容室の看板に付けられたデジタル時計を捉えた。既に九時近くになろうとしている。

「ここを通る時には、あの時計で時間を確認するのが習慣になっていて」

歩道橋を渡りながら、そう説明する佳名。時計は螺旋階段の、直径一.五メートル程ある支柱のほぼ真上、二十センチほどの所に見えた。階段を設置するスペースの関係か、歩道橋は大通りに斜めに架かっていた。ただでさえ幅広の大通りに、更に斜めに設置された歩道橋は、なるほど走ろうとも、姿が見えなくなるには十数秒は必要であろう。ましてや歩きでは。

「いつも、この上から?」

「はい。怪談とは少し違いますけど。帰宅時も、歩道橋の上で振り返るのが癖になっていて」

螺旋階段の手前で、一行は再び止まった。時計はすぐ近くに見えた。

「丁度この辺りで、足音は途絶えたのですね?」

「はい…その筈です」

神妙そうに頷く佳名。

「では、とりあえず、駅前から再現してみましょうか」

一行は、階段を下りていった。

 駅南口の階段下から、一行は帰路を辿りだした。通行の邪魔にならないようほぼ一列になる。

「駅から歩道橋まで七、八分、という所ですかね?」

佳名の背後から、登士満が腕時計を見つつ話し掛ける。

「そんなところ、ですね」

ブロック敷きの舗装路を歩く。結構と足音が響いた。

「何か、当夜の事で思い出しましたか?」

「そう、ですね…」

歩きながら言い淀む、と、コンビニの前に差し掛かった。

「ここを過ぎて、間もなくです」

通過する。隣の、シャッターの下りた古ぼけた商店の向こうに、十字路があった。

「ここから?」

道を覗き込みつつ登士満。車が擦れ違える程の幅はある。奥の方は暗くよく判らないが、入口付近は明るい。

「はい。不意に、男性が、私の数メートル先に現れて…」

それきり口を噤んでしまう。

「…どうやって、タイミングを計った?」

周囲を見回し、登士満は独りごちた。

「どういう事ですか?」

そう問うたのは、唯であった。

「いや…この怪談のキモは、消えた男性と佳名さんの距離にあると言って過言じゃないですから。当然ですけど、男性は先行しなくちゃいけません。しかも距離が離れすぎてもいけません。男性が螺旋階段を上がり始めた時、佳名さんが歩道橋から離れた所にいたら、男性のしている事を目撃されかねないですしね。近すぎても、顔を見られたりする可能性があります。それでただの人間と思われたら、怪談にならないと思いますし。とにかく、怪談として成立する為には、佳名さんが、目の前の男性が幽霊だった可能性を考える必要があるから、余り目立つ事は出来ないでしょう。幽霊らしくない様な事はね。例えば、後ろから追い越す、なんていうのは論外で。調節が出来るとすれば、曲がり角の所くらいですね」

「つまり、姉が丁度良い所まで来るのを見計らって出なければならないと?角から伺っていたのでは?」

「いえ、それなら私だって気付く筈よ。誰か覗いていたら」

「でしょうね。ミラーか何か、かなり正確に距離を測れそうな物があれば」

周囲にその様な物のない事は、確認済みであった。

「この足音じゃね?結構響くし」

一志が何度か路面を踏み鳴らす。

「かも知れない、けど…」

言い淀む登士満。すると。

「…そういえば」

不意に、佳名が呟いた。

「何か?」

「あの…あの時、背後から、足音が聞こえてきた様な…駅に乗客は、私しか居なかった筈なんですけれど」

「商店街の人ですか?」

「それは何とも。かなり離れていた様ですし、携帯で話している様な声も、微かにしていた気が…多分、無関係だと思います」

首を振ってみせる。

「そうですか…では、先に進みましょう」

一行は、再び移動を開始した。

 螺旋階段を上がり、歩道橋の上に戻ってきた。

「さて、歩道橋の上に誰も居ない事を知った後、どうしましたか?」

「ええと…良く憶えていないんです。激しく動揺していて、気付いた時には部屋に居た、というか…」

「時計は確認なさいましたか?」

「はい?」

「いえ、あの時計を振り返って確認するのが、習慣になっているそうですので、どうだったかと」

言いつつ看板のデジタル時計を指さす。表示は、既に九時三十分を回っていた。

「ああ。さぁ、どうだったかしら…時刻も、よく憶えていません。よほどショックだったんだわ」

頭に手を当て暫く記憶を探った後、佳名は白旗を掲げたのであった。

「そうですか。そうですね。では、今日はこれくらいで。また何かあれば、甥を通じてでも連絡頂ければ」

一志の頭を撫でつける。一志は嫌そうに振り払った。

「そうですね。では」

「また、会いたいです」

姉妹揃って会釈し、帰って行く。

「それじゃ、こっちも帰るか」

一志の肩を一つ叩き、登士満は踵を返した。一志もそれに続く。

 駅へと歩きながら、二人は今日の事について話し合った。

「ねぇ、おじさん。悪戯について話した時、自分の言ってる事に自信なかったみたいだけど?」

「ああ。非現実的だからね」

「どこが?結構良いセンいってたみたいに思ったけど?」

「いや。もしあの通りやったとしたら、幽霊役の人間は、たかが悪戯に、余りに不釣り合いなリスクを背負う事になるんだ。まず、彼女が歩道橋を立ち去るまで、ぶら下がり続けなくちゃならない。握力が持つか判らないね」

「道路に飛び降りれば?」

「…なぁ、賢明なる甥よ、ちょっと考えてみないか?」

「急に何?キモいよ」

「…まぁ、そう言わず。歩道橋の高さは、どれくらいだったと思う?」

「歩道橋の?うーん…五メートルくらい?」

何か見上げる様な仕草をしつつ答える一志。

「そうだね、五メートル。もし幽霊役の人間が、欄干の下端に掴まっていたとすれば、更に五十センチは上だろう。つまり、五.五メートル。百六十半ばの身長の人間が両腕を真上に伸ばしたとして、まぁ、欄干から二メートルくらいぶら下がる事になる。とすると、この人間は道路まで三.五メートルの高さに浮いている訳だ。下は固いアスファルト。自分の身長の二倍以上高い所から、飛び降りられるかい?」

「…足首痛めそう」

心底痛そうな声で、一志は呟いた。

「まぁ、スタントマンとか、着地の心得がある人とかなら判らないけど。それでも無音で降りる、って訳にはいかないだろ?彼女に気付かれると思うぞ」

「んー、じゃあ、ロープみたいな物で体を吊ってた、とかなら?」

「それでも弱点はある。彼女が歩道橋の脇を覗き込んだら?一発でバレる」

「なるほど…」

「もっと厄介な事になるかも知れない。通行人や運転手から丸見えだから。警察に通報されて怒られるハメになるかも。いや、もっと悲惨な可能性もあるね」

「どんな?」

「この人間は、歩道橋から更に一.五メートル余り垂れ下がっている。もし、その下に大型の夜行バスとかトラックが来たら?命に関わるね」

「うわっ!」

脚が屋根に衝突し、転落した所を轢かれ…その場面を想像したのか、一志は恐怖の表情を浮かべた。

「判ったろ?たかが悪戯の代償として背負うには、余りに不釣り合いなリスクだよ」

「なるほど…」

「もし、それを承知の上でやった人間がいたとしたら、ちょっと狂ってるよ。関わりたくないな」

二人は駅に到着した。階段を上がってゆく。

「そもそもさ、あの人の勘違いとか、嘘ってセンは?」

「勘違いの可能性は判らないけど、嘘は、ついてないと思う。もし嘘だったらどこの大物女優だよ、って話だけど。少なくとも、彼女は本気で怪談を信じてるよ」

「うん。そもそも、こんな嘘ついてどんな得があるの、って話だし」

「確かにね」

改札を通り、ホームに降りてゆく。

「…ところで、妹さんと何の話してたの?」

「ン?大した事じゃないけど…」

「何?愛すべきお兄さんに話してごらん」

「だから止めてよ、キモいからさ!ただ、唯の言ってた3人組について訊いてただけだから」

「ああ、中学時代のクラスメイトの?」

「そう。猪村竹也っていうのが、唯に調査報告を知らせた高校生でさ。かなり親密だったみたい」

面白くなさそうに一志。ははあ、と意地悪げな笑みを浮かべた登士満が肘で小突くと、ムキになって小突き返してくる。

「で、他の二人は?」

「一人は尾谷おだに 拓哉たくや。猪村の近くに住んでるらしい。身長が低くて、百六十半ばって言葉に、ふと思い出したって」

「へぇ」

「最後が篠原しのはら かける。かなり勉強が出来るらしいけど、なぜか三人でつるんでたって。この近くに住んでるらしいよ」

「えっ、ほんと?」

「うん。北口側らしいけどね。向こうの方がデパートとか病院とか、栄えてるんだって。この前、偶然商店街で会ったらしいけど」

「え、南口側で?」

「うん。勉強の気分転換の散歩、とか言ってたって。夜の十時過ぎだったらしいけどね」

「ふーん」

登士満はそれきり、黙り込んでしまった。思索に入り込んでしまったのであった。電車が来、二人は黙ったまま乗り込んだのであった。


 第三章

 翌日の日曜日、再び唯は登士満に、一志を通してあのファミレスに呼び出された。午後三時少し前、約束通り登士満はやって来た。

「いや、連日お呼び出しして済みませんね」

テーブルに着くなり登士満は頭を下げた。彼は一人であった。

「いえ。でも、本当に私だけで良いのですか?」

一志から、彼女一人で、と伝えられ、困惑した唯であった。

「はい。お姉さんが同席していると話し辛い事を、お訊きしたいので」

呼び出しボタンを押し、ウエィターにドリンクバーを二つ、頼む。

「…何の事でしょうか?」

唯は身を引き、警戒の色を現わした。

「話の前に、ちょっと待って下さい」

席を立ち、ドリンクバーへ向かう。間もなくソフトドリンクを注いだグラスを二つ持ち、戻ってくる。

「どうぞ…その、単刀直入に伺いますが、猪村竹也というかつてのクラスメイトと、今も付き合っていますか?」

グラスを取り上げようとした手が止まる。唯は、動揺を隠せぬまま登士満を見詰めた。

「何で…そんな事を…」

「どうですか?」

至極真剣な表情で重ねて問う登士満。ただの興味本位や、下卑た好奇心での問いとは思われなかった。

「はい…」

「その事を、お姉さんは快く思っていない?」

「そうです。不良で、私に悪影響を与えると」

「そうではないと訴えても、聞く耳を持たない?」

「はい…」

俯き、小刻みに震え出す。右手で目元を拭った。

「貴女達は、会うのに連絡を取り合っていますね?お姉さんの目に触れない時間帯に。貴女は野球部のマネージャだ、普段は学校に遅くまで居る。お姉さんが休みの日には、なかなか家を空けるのも難しい?そうなると、お姉さんの帰宅が遅い時に少し会うくらいでしょう?」

「そうです。姉からは、残業休みに帰宅時間の連絡メールが来ますから。夕食の準備とか、お風呂を沸かす時間とか、それで変えています」

「なるほど…その情報は、竹也さんも知っている筈ですね?」

「もちろんです」

「そうですか…うん…」

腕を組み、登士満は考え込み始めた。

「あの、これと姉の問題と、何か関連が…」

「…まだ、確信はありませんが…一つ、お願いして宜しいですか?」

「はい。私で出来る事でしたら」

「なに、貴女にしか出来ない事です」

ニコリ、登士満は微笑んで見せたのであった。


 時刻は七時を回ろうとしていた。猪村兄弟は待ち合わせの定番にしているハンバーガーショップに、揃って来ていた。竹也は唯から、揃って会って欲しい人が居る、と連絡を受けていたのであった。

「澤井さんが会って欲しい人って、心当たりあるかい?」

直樹が竹也に訊ねると。

「特に、無いな。知ってたら、ちゃんと名前を言ったろうし」

「それもそうか…」

ドリンクのストローに口を付け、一口啜る。と、階段を上がって来た、三十代と思しき男性が、トレイに置いたスマホを見下ろしては周囲を見回しているのが横目に見えた。二人の方に視線を向けると、スマホと見較べ納得した様に近付いてくる。

「あの、猪村さんですか?」

唯から貰った写真と竹也を見較べつつ、登士満は直樹に訊ねた。

「そうですが、貴方は?」

怪訝げに、今度は直樹が訊ねる。

「はい、そうですね…」

向かいの席に腰を下ろす登士満。

「私は、清田登士満といいます。澤井唯さんから、歩道橋にまつわる怪談をお聞きして、ちょっと真偽のほどを調べています」

ニコやかに説明する。竹也は、露骨に不審者を見る様な目を向けてくるが。

「きよた、としみつ?んー」

直樹の方は、この名前に何か引っ掛かりを覚えた様である。

「あの、何か?」

「…すいません、どう書きます?」

「はい?清い田んぼに、登る武士の士と満ちる、ですが」

そう答えると、直樹は思索に没入してゆく。

「あの…」

「…K.T.?…K.T.!?」

「あの、何か?」

何に気付いたのか、スッキリした様な表情になった直樹に、登士満はおずおず、と重ねて訊ねた。

「あの、失礼ですが、もしかして、アンソフトのK.T.さん?」

ああやっぱり、とばかりに苦笑する登士満。余り表沙汰にしたくない過去を知る者に遭遇してしまったのであった。

「まぁ、そうです。もう何年も前の事ですけど」

「やっぱりですか!何だったか、雑誌で名前を拝見した気がして!本当に本名だったんですね!?」

「だからK.T.で通してたんですけどね」

「ねぇ、この人何?」

二人の遣り取りにうんざりした様に、竹也が直樹に尋ねる。

「ああ。私が好きだったPCソフトのプログラマだよ。『パイク』シリーズは傑作だったなぁ!」

遠い目をする直樹。

「それはどうも」

「何それ?」

「RPGだよ。人としてはクズで最低だけど、やたらめったら強い主人公パイクが、活躍、って言うのかなぁ、とにかく迷惑を撒き散らす話だよ。損得勘定で簡単に仲間を裏切るし、敵についたらついたで、待遇が悪いとか大暴れして結局壊滅させて、仲間からは、裏切りは実はフェイクで、これが目的だったんだと英雄視されたり、もう、痛快というか何というのか」

本当に好きだったのであろう、心から楽しげに語る直樹。

「楽しんで頂けたなら幸いですね」

「でも…K.T.さんが辞められてから、新作出てないですよね?残念ですよ」

「それって、今でもやれるの?」

直樹の熱弁に、竹也も少々興味を惹かれた様であったが。

「あと何年かしたらね」

登士満が釘を刺す。いわゆる”18禁”作品であった。

「でも、K.T.さんとこうして話してるなんて、ちょっと夢みたいですよ」

「ははは。では、そろそろ本題について話しをしませんか?」

「本題って、何です?」

「あの怪談についてお訊ねしたいのと、あと、竹也君。君にも訊ねたい事が」

「俺に?何を?」

一気に警戒の色を露にする竹也に。

「まぁ、それは後ほど。まずは直樹さん。あの怪談は、確かに貴方のオリジナルですね?」

「もちろんです。元々その手の話は好きで、本を読んだりDVDを見たりしてたんですが、彼女を送った時にあの歩道橋が使えそうだな、と思って。前から苦手なのは知ってましたし」

「以前から見聞きした話をしていたんですか?」

「ええまぁ。四年以上も前、同僚になった当初からです。ちょっと大人げなかったかな、と反省はしているんですが…」

「小学生」

ボソリ、竹也が呟いた。直樹は情けない表情になった。

「そうですか…ところで、お二人は実の兄弟ではないと?」

「はい。三年少し前、親同士が再婚しまして。私は父の、弟は母の連れ子です」

「なるほど。つまり、最初に佳名さんと貴方は会社の同僚で、あとから唯さんとクラスメイトだった弟さんが出来た、と?大した偶然ですね」

「そうですね」

「その事を、佳名さんに話しましたか?」

「はい。あれは、いつの飲み会だったかなぁー。新しく弟が出来たって、話したんですよ。で、色々話してるうちに、妹さんの中学時代のクラスメイトだった、って事が判明して。私は一人っ子で、母親とは中学校の時に死別しましてね。父親は仕事仕事で、寂しかったですね。兄弟がいればなぁ、って思ってたんです」

少し寂しげに、しみじみと語る。

「そうでしたか。ところで、竹也君は佳名さんの事を、どう思っていますか?」

「どうって、別に…」

素っ気なさを装いながらも、目元に動揺が走るのを、登士満は見逃さなかった。

「彼女が、貴方の事を快く思っていなかった事は、承知していましたね?」

「簡単に、嫌いだ、って言えば?」

不貞腐れた様に呟く。

「そうだったか…」

溜息をつく様に直樹。

「気付いていたのですね?」

「弟の話をした時の表情を見れば、ね」

「あのさ、さっきから何なの?俺と、唯の姉さんとの関係が悪かったら何だって?」

竹也の口調には苛立ちが滲んでいる。

「多分、重要な事だと思っています」

言って、登士満は竹也を見詰めた。その視線に気圧される様に、竹也の視線が下がる。

「…もしかして、貴方は、佳名さんから、妹さんと付き合わないよう忠告されましたか?」

「な、何の事を…」

とぼけてみせるつもりが、全く成功していない。

「なぜ彼女が、それほど貴方の事を嫌うのか理解しかねますが、とにかく貴方を遠ざけたい。妹さんにも言っているでしょうが、あまり効果がないと思っていたでしょう。そうなれば、貴方の方に直接言うのが、より確実だと思いますが」

「いや、幾ら何でも澤井さんがそんな事を」

「そうだよ、三週間近く前さ」

直樹は竹也の言葉に、言葉を失った。

「どこでですか?」

「ウチに来たよ。ずっと同じ一軒家に住んでるから」

「それで?」

「妹に近付くな、ってさ。確かに、俺は真面目じゃないし、出来も良くないだろうさ。でも、何でそんな事言われなきゃなんない?唯の気が変わった、っていうならともかく!」

テーブルを一つ、拳で叩く。他のテーブルから、視線が幾つか飛んできた。

「なるほど…ところで、直樹さん」

竹也を宥める様な仕草をしながら、登士満は直樹へと視線を向けた。

「…はい?」

竹也の話に、少なからず動揺していた直樹は、縋る様な視線を向けてきた。

「貴方が、あの怪談を思い付いたのは、どれ程前でしょうか?」

「話自体を思い付いたのは一ヶ月以上前です。ただ、ディテールを詰めるのに時間が掛かって、話したのは三週間ちょっと前、ですね」

「弟さんには?」

「彼女に話した直後、じゃなかったかな?良く出来てる、って言ってくれました」

傍らの竹也に視線を遣れば、小さく頷き返してくる。

「なるほど」

「あの、この事が何か?」

「いえ、よく判りました」

登士満は、竹也に微笑んで見せた。プイ、と横を向いてしまう。

「そうですか?では、他には…」

「とりあえずはこれで。お時間を頂いて、申し訳ありませんでした」

「いえ、こちらこそ…」

登士満と直樹は、お辞儀をしあったのであった。


 更に時間は経過し、十時を回っていた。登士満は、姉妹の住む街に再び足を運んでいた。ただし、彼女達に会うのが目的ではない。唯から教えられた篠原家を訊ねるのが目的であった。北口階段を降り、地図アプリと格闘しつつ進んで行く。確かに駅前は広々として、高層建築物が目立つ。大きなロータリーを回り込み、デパートの前を通り過ぎ、目的地へと着実に歩を進めて行く。道を曲がって暫く進むとまた曲がり、を繰り返すと、閑静な住宅街に足を踏み入れていた。

「えーと」

駅より二十分余り。街灯の明りの下、ブロック塀の住所表示を確認していると。

「ちょっと、貴方!」

甲高いおばさんの声に、彼は顔を向けた。見れば、門扉から半身を乗り出していたおばさんが、こちらへと向かってくるのが見えた。

「はい?」

「貴方!?いつも夜中にゴミを出すのは!?これが読めないの!!?」

塀を指さす。住所表示から少し離れて、小さな木製のボードが設置されていた。横長のそれには、『防犯の為、ゴミは指定曜日の朝に出しましょう』という警句と、分別ゴミの指定曜日を書いた紙が、それぞれラップにくるまれ留められている。月木が燃えるゴミ、火がプラスチック類、となっていた。

「全く最近の若い人は、本当に困るのよね!曜日も何も守らないわ、きちんとネットを掛けないわ!こう言ったら何だけれど、誰か無償で目配りしているなんて、思ってもいないんでしょ!?」

「あの、済みません。私はこの近辺の住人ではありませんし、ゴミ出しに来た訳でもないんです。ゴミなんて、持っていないでしょう?」

説教モードのおばさんの言葉尻に割って入る。これ以上、謂れ無き罪の糾弾で時間を無駄にしたくなかった。

「え?…あら、そうね…」

登士満の顔をしげしげと見詰め、彼の周辺に目をやる。確かに、ゴミ出しに来た訳ではないらしい、と納得した。

「理解して頂けたなら結構です。ところで、この付近に篠原さんというお宅はありませんか?」

「あら、篠原さんならお隣だけれど、何かご用なの?」

「はい。その、初めてお伺いするもので」

「篠原さんは、結構人当たりの良い人なんですけどね。その、一人息子さんねー、頭は良いらしいんだけれど、困るのよねー。何を作ってるのか知らないけど、シンナー臭くて。近所迷惑とか、考えないのかしらねー」

今度は愚痴モードに突入する。登士満は、どうにかしなければならなかった。

「すいません。シンナー臭いって、何か塗装でもしているんですか?」

「さぁ?塗料だか接着剤だか知らないけど、先週辺りは特に凄かったわ。模型作りが趣味とか聞いたけど、あんなにキツかったのは無かったわね」

「先週、ですか?」

「そうよ。それこそ外装でも塗装してるのか、って思ったくらいね」

「…なるほど」

登士満の中で、いよいよ全体像がその姿を露にしようとしていた。甘かったピントが、被写体に確実にあってゆく様な感覚に、彼は快感を覚えていた。

「それじゃ」

門へ引き返そうとしたおばさんへ。

「すいません。教えてくれませんか?」

登士満の方から声を掛けた。

「何かしら?」

向き直る。

「貴女の家では、何時頃ゴミ出しをしますか?」

「うち?そうね、六時前、かしら?」

「それより早く、出す人はいますか?」

「いいえ、まず無いわ。うちより前に出ているのは、前の夜に出したと考えて、まず間違いないわね」

「もし出ていたら?」

「当然訊いて回りますよ。ルールは守る為にあるって、判って貰わないと」

少し誇らしげに言うおばさん。

「なるほどなるほど」

感心げに登士満は何度も頷いた。

「他に何か?」

「はい、充分です。お引き留めして、申し訳ありませんでした」

丁寧にお辞儀すると、満足げにおばさんは帰っていった。

「そういう、事ですか…」

登士満も、満足げに元来た道を逆に辿り始めたのであった。


さて、歩道橋の上に、幽霊は居たのでしょうか?悪戯であったとすれば、そのカラクリは?

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