4話
トントントン……階段を上がる音が聞こえ、誰かがこの部屋に向かってきてるんだなあと、回らない頭で考える。
「叶。起きんさいよ」
ああ、ばぁちゃんだったのか、と開ききらない重い瞼を眉間に皺を寄せる事でどうにか少しだけ上げる事ができた。時計をみると6時。いつもより1時間も早い。
「……ばぁちゃん、いつもより1時間も早い……」
「あれまあ。こないだ言うたがいね。今日は学校の登校日なんよ。学校いくけえ用意しんさい」
むくりと起き上がり、眉間に皺を寄せて考える。が。
「ばぁちゃん、私、聞いてない!?」
「あれまあ? 言うたろ? 言わんかったかいねえ。どうも最近物忘れ激しいていかんねえ」
「……ばぁちゃん……。登校日なんていかなくていいんじゃないの? 学校なんて二学期始まってからいくよ」
「何言よるんね。毎日毎日家でゴロゴロしとらんと早く友達つくった方が楽しいじゃろがね」
いやいや、ばぁちゃん。友達ってそんな簡単に出来るものじゃないでしょうよ?
それに登校日にいきなり知らない子がいるってどうなの? おかしいよ! 浮いちゃうよ!
トラウマで折角の夏休みの残りを憂鬱な気分で過ごしちゃうよ!
……そもそも私は都会にいた頃だって友達と呼べるような人はいなかったのだし。
ふと、昨日の事を思い出す。
そうだ! 誰にも言えないけどもうとっくに友達はいるのだった!
イト、今日も遊びに来ないかなあ! 学校なんかに行ってる場合じゃない!
「やっぱり今日は行かない! 二学期から行くから!」
「行かないかんよ。ばぁちゃん、もう先生に行くって言うとるがね」
「じゃあ体調悪くなったって事にして……」
「叶!」
ビクリと体を震わせ、体を丸める。
次に来る暴力に備えて。
「……ああ、叶……怒鳴ってごめんねえ。びっくりしたねえ」
祖母の温かい手が私の頭を優しく撫でて、私は思い出す。
ここにはもう、私を殴る人なんていないのだった、と。
「ばぁちゃ……ごめ、すぐ用意する……から……」
「……ご飯、出来とるけんねえ」
そう言うとばぁちゃんはゆっくりと階下に降りて行った。
ガタガタと震える体を自分の手で抱きしめるのは私の癖。時間がたてば震えは収まる。
でも、これだけ遠く離れても私は両親に支配されているのだと絶望した。
きっと、私が幸せになる事なんてない……。
次第に落ち着き、震えも止まっていった。
ばぁちゃんが用意してくれている制服に着替える。セーラー服。
腰まで伸びた髪はどうすればいいのだろう。
やっぱり縛った方がいいのだろうか。いいや、このままで。
憂鬱な気分で階下に降りていくとお味噌汁の良い香りが漂ってきて食欲を刺激する。
新聞を読んでいるじぃちゃんに「おはよう」と挨拶をすると、新聞を置き、「おはよう」と挨拶を返してくれた。
「なぁ、叶。これ何じゃろか? お前のか?」
じぃちゃんの手のひらの上には茶色い何かが乗っている。松ぼっくりのようだけど。
「ううん、私のじゃないよ」
畳の上に座り、テーブルに並ぶ朝ごはんを眺める。温かい湯気のたつご飯、温かいお味噌汁。普通の卵焼き、だけど、私の為に焼いてくれたのだと思うとそれだけで胸に温かい物が広がる。
お箸に手を伸ばした時、じぃちゃんがの呟きが聞こえた。
「すげぇなあ……」
その呟きを聞き、私はじぃちゃんを見た。
先程の松ぼっくりをなんとも言えない表情で見つめている。
「じぃちゃん、松ぼっくりって珍しいの?」
私の素朴な疑問。
「いいやぁ。山ぁ入ればいくらでもあるで。まぁ今の時期にゃあ綺麗なのはないがねえ」
「そっかあ。今の時期の物にしては綺麗だから珍しいのかあ」
「いいやぁ……」
そう言うとじぃちゃんは松ぼっくりを私の方に差し出した。私は不思議に思い、それを受け取るとその松ぼっくりをじっくりと見た。
「……あ」
「すごかろ?」
松ぼっくりはちょっと大きくて立派ではあるけど普通の松ぼっくり。しかし、その松ぼっくりには細かい堀細工や透かし細工が施されて一種のアートのようだ。
「……うん、凄い……」
「気に入ったんなら叶がもっといたらええでよ。うちの庭に落ちてたもんだしの」
「うん! 有難う。お守りにするよ!」
イトだ! イトが持ってきてくれたんだ、私はそう思う。
松ぼっくりが壊れないようそっと握り願う。
どうか今日の登校日を無事乗り切れますように……。
有難うイト。本当に頼りになったよ。これを持ってるだけで凄く心強い。
ポケットに入れたいところだけど膨れちゃうのでカバンにしまい込む。壊れないといいけど。
「ぶにゃぁぁぁ」
茶々がのっしのっしと居間に入ってきた。
「あれ? 茶々、いつ帰ってきたの? 昨晩いなかったのに」
「明け方帰ってきたんよ……さ、こっちゃ来い。ご飯あげようなあ」
祖母が茶々用の器にカリカリのフードをザラザラと流し込むと、茶々が勢いよく食べ始めた。
「さて。んじゃあ叶、そろそろ行こうかねえ」
正直凄く不安だ。友達なんて出来るはずない。行きたくない、怖い。だけど私は「うん」と返事をする。
ばぁちゃんに嫌われたくない。また怒られたくない。
ガツガツと食事をしている茶々に「イトが来てももう手だしちゃダメだよ。仲良くしてね」とこっそり話しかけた。茶々が人間の言葉を理解してくれたらいいのに、と思いつつ。
そうして重い足取りで私は家をでたのだった。